2000(平成12)年 9月16日(土)〜25日(月)


 
その1        世界ゴルフ紀行トップへ  登場人物紹介


第1日 9月16日(土) 
 人生観 変わるぞ!


 「カナディアン・ロッキーを見ると、人生観、変わるぞ!」と言われて、今年はカナダへ出かけることにした。「カナダのゴルフ場は、世界一美しい」、「現役を退くとカナダへ移住する人って多いんだって。住みやすいところなんだ」…と聞いて、ますます期待は広がる。今回のメンバーは、章くん(飯田 章)・村上隊長(村上信吾・信ちゃん)・登くん(竹島 登)・岸ちゃん(岸野 広)の4名。
 9月16日、午後6時00分、関西空港発ユナイテッド航空810便は、夢と希望と「カナディアン・ロッキーの地図100は叩かんぞ」という決意を乗せて、サンフランシスコに向け飛び立った。
 なぜカナダへ直接飛ばないかというと、直行便は往復11万7000円で、サンフランシスコ経由便は9万6000円。カナダ〜シスコ間往復の飛行機代を入れても2万1000円がところ安いからである。


この地図は隊長のページから拝借! →
 サンフランシスコ 〜 カルガリー→カナナスキス→バンフー→ジャスパー→カムループス→バンクーバと走りました。



 出発が午後6時。それから10時間飛ぶのだから、サンフラカナダ アシニボイン国立公園ンシスコ到着は日本時間で午前4時…。章くん、いつも午前3時ごろに寝る生活だから、飛行機の中では全然眠れず。隣の隊長と登くんはすぐにグーグー。「寝られやんよなぁ」と言っていた岸ちゃんも、ミッドウエイを過ぎる頃にはクークー。章くんは「逆説の日本史X」を読破…、流罪人で一人の家来もいなかった源頼朝が天下を取れたわけが解かった。


カナダ アシニボイン州立公園 (絵葉書から) →
 まだ-本文はカナダへ着いていないのですが、カナダの自然の美しさをPRする先行サービスの写真です。この公園へは、車で入る道はなくて、訪れる人は徒歩か自転車またはヘリコプターで入ります。


第2日 9月16日(土) 霧のサンフランシスコ


 サンフランシスコ空港にはお昼の12時00分(日本時間午前4時)に着いた。日本を発ったその日にアメリカへ着く怪には慣れた。でも、全然寝てない。
 例によって空港でレンタカーを借り、ハーフムーンベイGCへ向かう。ハーフムーンは7年前に、このツアーの2年目の年に来たところ。この日は、高級リゾートを目指して大きなホテルを建設中であった。プレーフィも3割方高くなっていて、バブル末期のアメリカの夢を見た思い。新しくオーシャンコースなる18ホールを造ったとのことで、章くんたちは、今日この新設コースを回る。
ハーフムーンベイ 1番 1番のティグラウンド、霧。セカンド地点が何〜ンにも見えない。だいたいの見当をつけて、「この辺か〜ッ」と打つ。こんなときは横へ行かない。いつも霧が出ていると思って打てばいいんだ。


← 霧のサンフランシスコ ハーフムーンベイGC 1番。
 「このへんかッ」と見当をつけてバシッと打ちます。



 …15番「9」、16番ダボ、寝てないことを言い訳にここまでヨレヨレで来た章くん、17番海越えの186ヤードのショートホールにやってきた。
 第1打、当りが薄くて越えたかどうか判らない。暫定球は当たり損ないで海…。3球目、右へ吹けてラフ。行ってみると、1球目のボールも3球目も、深いラフの中に隠れて見当たらず。眠気と疲れもひどくて、探す気力も無くなってきている。「このホール、やんぺ!」と章くん、NR宣言。続く18番もセカンドを左へ打って海…「NR!」。いちど宣言するとあとは使いやすい。
 「やっと終わった」と、明るいうちは回れるといつも言っている極楽トンボも、今日ばかりはよほど疲れていたのかそそくさと荷物をまとめて、今夜のお宿「ハーフムーンベイ・ロッジ」へ転がり込んだ。7年前にはしゃいで叱られたジャグジー風呂に静かに入り、7年前にたいして美味しくなかった近くのフアミリーレストランへ出かけて夕食…。4人で3品の注文にしような…とちょっと賢くなって、牛とチキンと卵の料理を注文。これが美味しかった。
 章くん、前日から全然寝ていないので、あとは覚えていない。爆睡!。


        6年ぶりのハーフムーンベイ・ロッジ →


第3日 9月17日(日)   カナダ入国


 午前7時。「朝食は8時からですよ」とおばさんが言うのを、「9時に空港へ着かなきゃならないので、8時には出発しなければならないのです」と頼み込んでレストランを開けてもらい、朝食を掻き込んで、7時50分出発。
 サンフランシスコ空港に着いて車から荷物を降ろしていると、赤いチョッキのポーターのおじさんがいつの間にか荷車に章くんたちの荷物を載せて、「どこ行きだ?」と聞く。つられて「カナダのカルガリーへ」と言うと、てっきり国際線だと思っていた一行をドメスチック(国内線)窓口に案内してくれた。このおじさんに、チップ10ドル!。カナダはアメリカから国内なんだ。じゃぁ、10時に来ればよかったのか…。


 UA1648便サンフランシスコ出発、11時10分。カルガリー空港へ14時43分に着いた。いよいよカナダ入国である。ビッグホーン・シークやピューマの実物大の剥製が出迎えてくれた。
 空港でレンタカーを借りて、一行は国道1号線を西へ走る。9月後半のカルガリーの町は、木々が黄色く色づいて秋たけなわ。「黄金のカナダ」の真っ最中だ。1988年に開催されたカルガリー冬季オリンピックのジャンプ台を左に見ると、カルガリーの街を抜けていて、前方にゴツゴツとした山並みが見えてきた。いよいよカナディアン・ロッキーがその片鱗を見せ始めたのだ。カナディアン・ハイウェイ
 西へ、ひたすら西へ走る道の両側は、見渡す限りの丘陵が広がり、さすがにカナダの風景はデッカイ。両側のカラマツ林が黄金色に色づいて、この道はゴールデンロードだ。


    カナダの9月は
       カラマツが黄金色に輝く→



 午後5時、カナナスキス渓谷へ入る。迫り来る岩山、遥かに広がる森林、澄み切った清冽な流れ…。マウント・チェスター(3054m)の山ふところ、カナナスキス川に沿って広がるこの一大リゾート地が、本格的に開発されたのは1978年からのこと。「こんなにも景勝の地が、これほど長く見過ごされてきたのは、ここがカナディアン・ロッキーだからだ」と何かの本に書かれていた。
 今夜の宿「カナナスキス・イン」に荷物を降ろした章くんたちは、明日の下見も兼ねて「カナナスキスGC」へ出かけた。
 カナナスキスGCは、荒々しい岩山「チェスター山」の裾野に広がる原野の中に開かれた36ホールのコース。クラブハウスから眼下に広がるホールが望まれ、夏時間のカナダはまだまだ明るくて、プレーしている人影もあちこちに見られる。
 宿に戻り、食事をしようと、カナナスキス・ロッジのレストランに出かけることにした。章くんたちが泊まっているのはカナカナナスキス・ロッジナスキス・インで、カナナスキス・ロッジよりは宿泊代もかなり安い。後年、日本から小泉首相も参加して、カナナスキス・サミットが開かれたが、その宿舎となったのはもちろん「ロッジ」の方である。
 インにもレストランはあるのだけれど、1箇所だけ。ロッジのほうは建物の中に数々の名産店や数軒のレストランがあり、おいしそうなレストランを選択することができるのである。


←カナナスキス・イン
   荒々しい岩山と紅葉の対比が美しい




 Tシャツとかマグカップとかの土産物を置いている店の何店かに、日本人の若者が働いていた。いわゆるワーキングホリディという、1〜2年間の語学研修を兼ねてこちらへ働きに出てきている人たちである。そのほとんどが女の子で、日本の若い女の子の行動力には驚嘆させられる。男どもよ奮起しろ!。
 一人の女の子に「どのレストランが美味しい?」と聞いたところ、「左側奥の2番目と4番目の店が美味しいですよ」と教えてくれた。私たちは教えられた4番目の、このレストラン街では最も大きなレストランに入って、アルバータ牛のステーキを頼んだ。
 ところが焼き上がって来るのが遅くて、村上隊長や岸ちゃんたちの呑み助は、ジョッキのビールを3回もお替わりをしている。酒の飲めない章くんは、ミルクのお替わりを2杯…。待った甲斐があったと言うべきだろうか、出てきたステーキはとっても美味しかった。
 食事のあと、皆んなはロッジ内のジャグジーへ行ったけれど、章くんは部屋に戻ってシャワーに入ったあと、バタンキュー…! 宵っ張りの章くんにしては珍しいことだが、この前後の章くんは日頃の不摂生がたたったものか、すっごく疲れていたようである。
 9時30分、熟睡!



第4日 9月18日(月)  カナナスキス・ゴルフ・コースは36ホールズ


 で、章くん、朝は5時30分に起きた。でも2階で寝ていた登くんの階段を下りてくる足音で目が覚めたのだから、登くんはそれよりも早く起きていたことになる。ゴルフというと寝ないのだろうか。
 朝からあいにくの雨。10時21分、スタート。1番ティに係りのおじさんがいて、「初めてかぃ、じゃあ少し説明しておくけど、カートはカナナスキスGCカート道路オンリー。残りの距離はコース内の散水栓に書いてある。…良いプレーを祈っているよ」。
 「ひとつ質問があるんだけど」と章くん、「で、おじさん、この雨はいつやむんだい?」。大笑いしたおじさん、「済まんね。この雨は、わしの管轄じゃないのでなぁ」。


  カナナスキスCC 
   カナダのゴルフ場は世界一美しい…を実感→



 1番417Yパー4、章くんの第一打は、空振りに近いチョロ。体が付いていってない。4番アイアン、7番アイアンとつないでボギー、……、7番482Yパー4を歯を食いしばってボギー…ときてアウト43。
 この頃になると雨も上がって、自然がみずみずしい。迫り来る巨大な岩山、その山すそ遥かに広がる紅葉の木々、緑豊かに伸びるフェアウエイ、そして清く澄み切った川の流れ…。18番463Yパー4でカナナスキス イン、バフィで打ったセカンドをグリーン手前を横切るクリークに入れてトリ。イン44でトータル「87」。
 1ラウンド終了が午後2時30分。「87」の隊長、スコアが納得いかなかったのか、世界で一番美しいコースに惚れたのか、「雨も上がったし、もう一丁の18ホールも行く?」。章くんは勿論、「91」の登くんも「行こ行こォーッ!」。 


 夕方からは空も晴れてきて、「もう一丁行くかッ」
 この日2ラウンド36ホール! 午後の部スタート→



 岸ちゃんだけは、「もう、ええんとちゃいます」と小さな声で主張していたけれど、3人の鼻息に吹き飛ばされて一顧だにしてもらえない。そういえば岸ちゃん、前夜の日本人アルバイトの女の子の店で水泳パンツを買い込んでいた。この日プレーが終わったら、バンフのホテルにあるという「温泉」に入るのを楽しみにしていたのだ。
 スタート係りの兄ちゃんに聞きに行った隊長に、「3時からスタートOKって。あとの18ホール、行くぞッ」と言われてガックリ!。内心、『温泉はどうなるンや』と思いつつ36ホールを付き合って、終わったのが8時。コースを出るころにはあたりは真っ暗!。「ええ加減にせいよ」と、皆んなに聞こえないように小さな声で独り言…!。


 午後9時30分、バンフの町へ入る。バンフはカナディアン・ロッキー探訪の拠点。1885年、カナディアン・パシフィック鉄道によって開かれたこの町は、現在の人口は7000名、それが年間数百万人の観光客を迎える。
 世界中の観光地には日本食の店が必ずある。ここバンフにも漢字の名前の店があって、和食のメニューが揃っている。カナダまで来て和食もないものだろうと国際的野良猫でパン好きの章くバンフ・スプリング・ホテルんは言うが、そろそろ里心の着いてきている面々は、「杉の屋」なる日本食堂に入り、湯豆腐としゃぶしゃぶを頼んだ。カナダ大豆の湯豆腐も、アルバータ牛のしゃぶしゃぶもまずまずのシロモノだ。
 この夜のために、隊長は、「バンフ・スプリングス・ホテル」を予約してくれてあった。
 このホテルは、もともとヨーロッパのある男爵家の居城であったものをカナディアンP鉄道がロッキー観光の基地として1888年にこの地に移設したものである。1室1泊3〜8万円ほどするが、世界的に人気の高いこのホテルの予約はなかなか取れない。欧米の富豪は、このホテルに2〜3ヶ月ほど滞在して、カナディアン・ロッキーを散策する。


← ライトアップされた
   バンフ・スプリングス・ホテル




 でも、章くんたちがこの夜このホテルに入ったのは、午後11時を過ぎた頃。翌日のゴルフは9時のスタートだから、8時には出発しなくてはならない。ホテルの中には、有名ブランドの店やたくさんのレストラン、毛皮の名店などが軒を並べ、しかも夏シーズンの終わろうとしているこの9月下旬は、バーゲンセールを開催中とのことである。そういえば「バーゲンセール」「閉店、店じまい」などと日本語で書いた紙をウインドーに張り出している店があった。でも章くんたちは、豪壮な家具とキングベッドの部屋へ入るなり、シャワーを浴びてバタンキュー…!。
 翌朝は、朝食を済ませるとすぐに出発。ホテルの中を散策することもなく、皆んなに、「お前らは、豪華なホテルは要らん。寝るだけのとこでええ。もったいないわ!」と言われてしまった。


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