アイルランド・ゴルフ紀行 2

その1


第3日 6月28日(月)  世にも恐ろしい モハーの断崖
 

 今日は1日、移動日だ。アイルランドの東端のダブリンから、西岸のゴールウエイに向かって、アイルランド島を横断する300kmの車の旅である。トリニティ・カレッジ 石造りの大学だ
 ダブリンをお昼に出れば、夕方までに西岸につくという計算で、午前中はダブリン市の見物をすることになった。が、隊長はトリニティ大学の図書館へ行って、ケルト文字の文献を見てくると言う。章くんたち、アホ組は市内をうろついて、買い物でもしようということになった。

      トリニティ・カレッジ、石造りの大学だ →
    

  

 午前9時、どこのお店も開いていなくて、コーヒーを飲もうと喫茶店に入った。と、ここでジャーッと音をたててかなりの雨。30分ほどで外へ出るともう止んでいて、街角に店を出している花屋さんの花々もみずみずしさを増したよう。結構な雨だったはずだけれど、慣れっこだからか花屋さんは平気な顔をしていた。アイリッシュセーターやアイリッシュドレスデンなどの店を見て歩く。

  
← 通りの花屋さん
 
 11時30分、アイルランド建国の英雄オコンネルの銅像の前で隊長と待ち合わせ、昼食を済ませたのち、ダブリンに別れを告げた一行は、M4(国道4号線)を西へ向かう。


               建国の英雄 オコンネルの像 →


 走り始めて間もなく、名物の驟雨がやってきて、車のワイパーをフルパワーにしても前が見えないほど。もう章くんたちも慣れてきて、「しばらくすれば、止むわさ」といった調子である。
              

 道路の両側には、ほとんどのところに石が積み上げられていて、敷地や田畑の境界線をなしている。家々の周りはきれいな石垣が作られ、田畑や放牧地の境界は無造作に積まれた石のあぜ道が造られている。


← アイルランドでは、道や敷地、田畑の境界は
  石垣が積まれている。



 アイルランドは、全土で石が豊富に産出される。いや、石ばかりで、耕作のための表土は薄く、しかも激しい風に飛ばされて、土というほどのものはほとんどないという。人々は、海草を海から運んで腐敗させ、耕作用の土をつくってきたとか。そうしてようやく作り上げた薄い表土を吹き飛ばされないよう、風除けのために耕作地を石で囲むのだ。
 積み上げられた石が延々と続いていた。アイルランドは全土が石垣で結ばれている。


           田畑のあぜ道(境界線)も石が積まれている →

                     
 ダブリンを出発して2時間30分、西岸の大都市ゴールウエイに到着。
 ゴールウエイ大聖堂は、西ヨーロッパで最後に造られた大理石造りの教会だ。床は、近郊のコネラマ地方で産出する緑色の大理石が敷かれている。


← ゴールウエイ大聖堂





     「ゴルフのニギリに勝ちますように」と祈る 章くん! →

 敬虔な(?)お祈りが終わって、外へ出たのが午後5時15分。まだ日は高く、暮れるまでにはゆうに5時間はある。明日のコースのあるラヒンチまで行ってしまおうということになって、一路南へ。
 

 途中、山越えの道をたどり、峠で車を停めて休憩をとった。登ってきた道を振り返ると、山あいの向こうに海がキラキラと光り、山地の珍しい今回のアイルランド南西部の旅のせいか、素晴らしい眺望であった。


 走ること約2時間。アイルランド島が大西洋に落ち込む西の果て、目的地ラヒンチの間近に、「モハーの断崖」と呼ばれる、世にも恐ろしい断崖絶壁がある。高さ200mの絶壁が約8km続き、がけ下には白波が渦を巻く。
 岸壁から10mほど内側に石畳の遊歩道が作られている。でも、ほとんどの人はその外側5mほどのところを歩くので、その部分の草がなくなり自然歩道ができている。もっと勇気のある人は、崖っ淵を歩く。
 突き出た岩の先端から、下を覗き込んでいるアベックがいた。男が身を乗り出して下を覗いているのを、女が後ろから腰のベルトを引っ張って支えている。
「俺ンとこやったら、『アラ、手がすべったわ』って言われて、すぐポッチャンやぞ」と隊長は相変わらず人生の真実を突く。
 日本ならば、確実に「立ち入り禁止」と書かれた立て札があちこちに立てられていて、下を覗くなどということはありえない。今までに、落ちた人もいるだろうと思うのだが、それはその人の責任ということなのだろう。

← モハーの断崖


 午後8時、ラヒンチの町へ着き、「サンタマリア・ホテル」に宿をとる。夕食は、近くの別のホテルのレストランへ出かけシーフード料理を頼んだ。
 旅先の気楽さと周りに日本語の判る人はいないとばかりに、地のワインを空け、飲んで食べての馬鹿話。「そうそう、アンタの言う通り」と隊長の怪気炎を煽り、周りのみんなは知っていて、本人だけが秘話だと思っているうち明け話などをゲロさせ、ひとしきり笑ったあと、さあ帰ろうとしたら、後ろの席から「犬も歩けばボーにあたる」と突如の日本語。ゲラゲラとよく笑うアイリッシュの女の子が、「友達に日本人の女の子がいて、日本のことわざを2つ知っている。もう一つは、『サルも木から落ちる』だ」と言いつつまた笑う。
 この女の子、ホントは日本語がペラペラで、日本のおっさんの旅先での与太話を、みんな聞かれていたんだ! … 不覚。章くん、もうひとつ、「壁に耳あり、障子に目あり」を教えておいた。



第4日目 6月29日(火) ビックリ、たまげた フェアウエイいっぱいに砂山


 日本のゴルフ雑誌にも幾度となく紹介されているアイルランド・リンクスの名コース、「ラヒンチGC」が今日の舞台である。コースの隣はアイルランド国軍の兵舎だ
 ホテルから1分。駐車場へ車を停めて降りると、大きな「オイッチ、ニイ(英語)」の掛け声が聞こえる。すぐ隣が、アイルランド国軍の駐屯地で、朝の点呼と訓練の最中なのだ。1番ホールは、道を隔てて練兵場と隣り合っている。スライスで打ち込んだら、鉄砲で撃たれるか?

              アイルランド国軍の兵舎 →
               朝錬に励む兵隊さんの姿が見える



 この名コースを攻略するために、橋っさんはバッグを担いでくれるだけというキャリングボーイを、村上隊長はアドバイスもしてくれるシニア・キャディをやとった。それぞれ日本円で、2000円と4000円ほどのフィである。章くんと荒ちゃんは手引のカートでセルフプレイ。二人のキャディのアドバイスを、タダで盗もうという魂胆である。

   8番 350ヤード パー4
       海沿いの美しいホール →



 しかし、そこはニギッているもの同士の厳しさで、隊長も橋っさんもキャディとは小声で話して、アドバイスを章くんたちに聞かさない。まぁ、ほとんどのホールで、みんな、右や左へ打つので、膝まであるラフに捕まっていて、フェアウエイへ出すだけがやっと。アドバイスどころの騒ぎではないことも確かであったが…。

 いや、それ以上に、面々の英語ではそんな細かい会話はできはしない。せいぜい「あと何ヤード?」「右はOBか?」といった程度だ。グリーン上でスライスとかフックとかのラインは、手で右へ左へと教えるから、横目で盗み見るまでもなく筒抜けである。


「旦那ぁ、お願げぇだからフェアウエイへ打って下だせぇ!」
「ここから、何ヤード?」
「まンだ 495ヤードッ!」


 朝のアイルランド国軍にも驚いたけれど、5番のパー5でもビックリ。打ち上げのティショットを放ってセカンド地点へ行くと、280ヤード地点のコースの真ン中に20mほどの高さの砂丘がデンと行く手を阻んでいる。ティショットをそこそこに打ったものはミドルアイアンで高い球を、飛ばしたものはボールが砂丘の間近かまで行き過ぎてショートアイアンで、とにかく砂丘を越えるしかない一打を要求される。

 6番のショートホールにもたまげた。四方を砂丘で囲まれていて、このグリーンはティグラウンドからだけでなく、どこからも見えない。キャディが、あの砂丘のてっぺんから右12ヤードの方向へ、165ヤードの距離を打て…とか言うのに従って打つ。ここでは隊長のキャディがいなかったら、それぞれが自分の思う方向へ打たねばならないところだった。ヨーロッパ・オープンを何度も開催しているコースなんだから、バレステロスも、ニックファルドも、見えないグリーンへ打っていったんだろう。


四方を砂丘に囲まれた6番パー3のグリーン。
 ティグラウンドからも もちろん見えない。
 ゴルフアーは 見当をつけてエィッと打つ→



 18番のティショットにも度肝を抜かれた。5番と6番ホールのフェアウエイの上を横切って打っていくのである。交差するホールはセントアンドリュースのオールドコースにもあったけれど、2ホールをまたいで打って行くという無鉄砲さにビックリ。ティショットのアドレスに入っている章くんたちの前を、手を上げておじさんやおばさんのパーティが渡っていく。ゴルフは、自分のティショットのエリアに入ってきた人に注意を促すのではなく、その人がエリアの外に出るまでは打ってはいけないスポーツであることに気づいた。
 度肝を抜かれつつ、章くん、この日42・42の『84』。


 午後2時、コースのレストランでスープとサンドウィッチの昼食をとり、次の目的地バリーバニオンへ向けて出発する。

 途中、シャノン川をフェリーで渡る。このフェリーの中で、真っ赤なワゴンに乗った4人の若者に会った。やはりレンタカーで、アイルランド・ゴルフツアーを楽しんでいるドイツの若者たちだ。1週間の予定で転戦しているのだと言っていた。

← シャノン川を渡るフェリー


 4時30分、アイルランド独立戦争の砦、今はバリーバニオンの象徴であるキャッスル・グリーンが見えてきた。アイルランド・リンクス最難関、バリーバニオンGCの町に到着したのだ。
 海辺のピンクのホテルに部屋を取る。先のライダーカップのときには、トム・ワトソンがこの部屋に泊まったと、フロントのおばさんが言っていた。ホントかなぁ。


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