アイルランド・ゴルフ紀行 3

その1   

第5日 6月30日(水) 最難関…バリーバニオンGC

バリーバニオンのホテルのおばちゃん
「おはよう」と起きていっても、おばさんはまだ寝ているらしくて姿はない。でも、玄関の横の間に朝食のパンとコーヒーは置いてくれてあって、章くんたちは勝手に食事を済ませた。
 やがて出発の時間である。「おばちゃん、起きてなかったら、そのまま行くか」などと言いながらフロントへ降りていくと、「グッモーニン」と勘定書きを持って、おばちゃん、立っていた。


 トム・ワトソンがヨーロッパで一番印象に残るコースとしてその名を挙げた「バリーバニオンGC」。アイルランドのリンクスとしてその名を世界に轟かすコースが、今日の舞台である。ライダーカップやヨーロッパオープンを開催したときの写真が、レストランの壁に貼ってあった。



 今日は全員がキャディを頼み、章くんのパートナーはシニアキャディ(プロキャディ)のパディ。ハンディ15の23歳、プロになりたいンだと言っていた。
今日は全員キャディをつけてのラウンドだ。

← キャデイ君たちは、バッグを肩に担いでの
 ラウンドだ。



 膝までのラフ、砂丘、断崖…が続く難コースだが、さすがにプロキャディの彼らは、どんなところに飛んだボールも見失わない。「この方向だ」といいながら、真っ直ぐ歩いていって、必ず見つけてくる。
 疲れてきていてショットを右へ吹かす章くんのボールは、ほとんどラフへ。そのボールを探すために、かわいそうなパディはクタクタ…、でも疲れた素振りは見せない。


 このコースも、ティグラウンドと第2打・第バンカーリーバニオン3打地点とグリーンだけは刈り込んであるが、あとは伸ばし放題だ。
 ラフの雑草が赤や黄色の花をつけて風に揺れている。砂丘に作られたコースは凹凸が激しく、ティグラウンドとフェアウエイとの間は大きくえぐれていたり、グリーンの手前は海が入り込んできていたりする。ここでも正確なキャリーボールが要求される。


   9月のバリーバニオンは、ラフの雑草に
    赤や黄色の花が咲いて、風に揺れていた→





 アイルランドのほとんどのゴルフ場は、1番をスタートしたら18番までクラブハウスに戻ってこられず、プレーヤーも途中で休憩はできない。乗用カートもなく、手引カートで徒歩のラウンドである。茶店どころかトイレもないのだから…、ン…女の人はどうするのだろうか。
「おじさん、何でコースの途中にトイレを作らないんだ?」と聞くと、プロショップのおじさん、ニヤリと笑って、「そんなものを作ったら、女がコースに来て、かなわんだろうが」という小話を、夏坂 健さんのゴルフエッセイで読んだ記憶がある。





            17番パー5 ティグラウンドから →
          かすかに見えるフェアウエイまで打たなければ
          ボールは、全てヘビーラフの餌食だ!



 章くん、17番479ヤードパー5のティショットは久々のナイスショットで、残りは190ヤード。
 パディは、章くんが10番で残り190ヤードをナイスオンした5番ウッドを取り出し、これで2オンを狙えとはげます。「ただし、手前と左は崖で、その下は海…。175ヤードのキャリーボールが必要で、左は絶対ダメ!」とのアドバイス。
 乾坤一擲、2オンを狙った章くんのショットは、カッキ〜ンと金属音を残して、一直線にグリーン左へ…。「オゥ、ノォ」と小声でつぶやいて、パディは悲しそうであった。 
 「95」を叩いた章くんの心も痛む。


 午後3時、クラブのレストランでミルクを飲みチキンステーキを食べて、次の目的地キラーニーへと出発した。


 アイルランドの南西部に位置するキラーニーは、気候の厳しいアイルランドにあって比較的温暖で、大きな森をほとんど見なかったこの旅であったが、ここには豊かな森が繁っている。
 午後7時、今夜の宿を「B&B」に決めた一行は、夕食がてら明日の下見にキラーニーGCへ出かけた。大きな池の周りに36ホールが広がる、久しぶりの林間コースだ。午後8時を過ぎているというのに辺りは明るく、まだプレーしている人が大勢いる。アイルランドは、朝は4時ごろには夜が明けるし、夜は10時ごろまで明るいのだから、「ゴルフで睡眠不足やッ」という輩も大勢いるのではないか。


 もう午後8時を過ぎているのに、この明るさだ。まだまだ向こうのほうのホールでプレーをしている人もいる。 
「おっちゃ〜ん、夜遊びしてるとおかあちゃんに叱られまっせ!」


 今夜の宿のB&Bは、マリンおばさんが経営する欧米版の民宿だ。ツインの部屋、シャワーとトイレは共用で、1人17.5IR£…日本円にして2900円ほどである。このシャワーが紐を引くとぬるい湯がジャーと出るのだが、1度引くと2分ぐらい待たなければならない。せっかちに引くと、湯が暖まっていなくて、冷たい水をチャプッとかぶることになる。
 章くんたちもかなり旅慣れてきていて、少々劣悪な環境条件にも適応できるようになってきた。この夜も、寝られりゃいいさと熟睡!。



第6日 7月1日(木) 働き者のアイルランドの子どもたち


 キラーニーGCで、翔くんが頼んだキャディのフィンボーンは13才。「今日は平日だろう、学校は?」と聞くと、「ン〜3時から」とあいまいな答え。「定時制か」と笑って聞き流していたのだが、「ゴルフ場へは、毎日来るのか?」と聞くと、「ほとんど毎日来る」と言う。「それで学校へきちんと行けるのか?」とさらに聞くと、ニヤリと笑って「あんまり行ってない」と白状した。 
 そういえば、バリーバニオンのキャディの中にもたぶん中学生と見られる女の子がいたし、昨日、車で移動中に道端で見かけた果物売りも、小学生ぐらいの男の子が小雨の降る中を、傘を差して露店を開いていた。アイルランドの子どもたちは、自分の小遣いは自分で稼ぐということなのだろうか。何にしても働き者たちである。日本の青少年も、負けるなッ! でも、学校は行けよッ。


           このキャディ君は13才。
                アイルランドの子どもは働き者だ! →



 キャディバッグを引きずるようにして運ぶフィンボーンに、章くんが「持ってやろう」と手伝おうとすると、「いや、いい。仕事だから」と健気に言う。「で、ユーはハンディなんぼや?」と章くんに聞いてくるので、「5だ!」と答えると、ちょっと尊敬したような顔になって、コースの状況説明も丹念になったし、クラブの扱いも丁寧になった。
 が、ヨレヨレの章くんがハーフで「50」を叩くと、彼の態度は豹変して、ラインも読みに来なくなり、ティグラウンドで前がつかえたときなどは、章くんのクラブとボールで遊び始めた。その顔に、『このおっさん、何がハンディ「5」や。僕のほうが上手いンとちがうか』と書いてあった。
 フィンボーン君の期待を裏切って、章くん、この日「98」、もうバテバテ…。「でも僕はシングルやから、さすがに『100』は叩かん」とまだ負け惜しみを言っている。


 クラブのレストランで食事を済ませ、午後3時30分、リムリックへ向かう。シャノン川の河口近くに開けたリムリックは、アイルランド第4の都市。今夜、イギリスへ向けて飛び立つシャノン空港がある街だ。


 午後5時過ぎリムリックに着いた。章くんたちは、今日でアイルランドに別れを告げる。イギリスへのフライトは夜の9時55分。
 出発まで、まだ4時間少々あったので、解放戦争時の拠点の一つであったというリムリック城…通称ジョン王の城を見物に行くことにした。城壁も城塞も全てがグレーの石造り、塔の上からは町並みやシャノン川の眺めが美しいと聞いていたのだけれど、午後5時を過ぎていて中に入ることはできなかった。
 「中に入れんのでは、トイレも使えへんやんか」と、城壁に向かって生理現象の解放を試みていた輩がいた。「歴史的建造物に失敬があっては、国外退去処分やぞ」と言うと、「どうせ今日でお別れや」。この連中、もう二度とアイルランドへの入国は許可されないだろう。


 シャノン川のほとりにそびえるリムリック城…
  通称ジョン王の城。 石造りの堂々とした城である →





 午後8時過ぎ、空港へ。「9時55分発、ロンドン・ヒースロー行きエア・リンガスE1384便は、1時間ほど遅れます」とのアナウンスが流れて、シャノン空港を飛び立ったのは10時30分ごろ。アイルランドも、結構アバウトである。
 … やがて眼下に、ロンドンの夜景が見えてきた。見渡す限りの光の海…、ロンドンはやはり大都会だ。



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