第4日   LEAMCHABANG INTERNATIONAL GOLF CLUB

 今日のコースレムチャバン国際ゴルフクラブ」までは、タクシーで1時間少々かかる。スタート時間は8時30分だから、7時前にはホテルを出発しなければならない。
 5時45分起床。ゴルフの用意を全て整えて、6時30分レストランへ降り、タクシーを呼んでもらって、朝食を食べた。
 6時45分、パンを噛みながら、右手にティッシュに包んだフルーツを、左手にコーヒーを入れた紙コップを持って、タクシーに乗り込む。早朝だけれど、バンコク市内は既にかなりの量の車である。
朝のハイウエイ
  高速に乗ったら、けっこうスムースに
  走れるようになった。
  バンコク市内へ向かう対向車線は
  たくさんの車で渋滞している。  →


 ホテルを出てから1時間20分、警備員がガードするゲートをくぐってクラブハウスに着いた。ぶっ飛ばした割には、時間がかかっている。近くまで来て、少し道に迷ったからだ。タイのタクシーの運ちゃんはあてにならないなぁ。まぁ、バンコクから出ることは少ないのだろうから、遠くの田舎の道を知らないのは無理ないのかもしれない。

 今日のコース、ジャック・ニクラウス設計の「レムチャバン・インターナショナルGC」は、1995年にオープンした新しいコースだけれど、すでにその年にはフォルクスワーゲン・アジアンツアー・トーナメント、1996年にはアジア・アマチュア選手権決勝、PTTアジアンツアー・トーナメントを開催しているチャンピオンコースだ。バンコク近郊のゴルフ場は平坦なコースが多いが、このコースはバンコクからパタヤに向かう途中の丘陵地にあるため、変化に富んだ地形に展開する戦略的なコースで、今年も3つの公式戦が予定されている、国際レベルの27ホールである。レムチャバン・インターナショナルGC マウンティン2番175Yパー3

 コースはマウンティン(3446Y)、レイク(3419Y)、バレー(3619Y)の各9ホールから成っていて、今日、章くんたちはマウンテン→レイクと回る。

   2番(175Y) 池越えのパー3  →
    
5番アイアンでエッジへ乗るも、3パットでボギー

 ホールが進むにつれて、このコースの難しさが体にしみてきた。フェアウエイには微妙なアンジュレーションがあり、コースの中に小山が作られていたりして、前上がり・下がりや左上がり・下がりとさまざまなアドレスが要求される。
 フェアウエイの横をずっと続く長いバンカーや、グリーンの周りのだだっ広いガードバンカー、寄り集まっている小さな数多くのバンカーなど、プレッシャーのかかる配置である。加えてここも池やクリークが13ホールに絡み、特に勝負どころの長いパー4のグリーン手前にはクリークが走り、池が食い込んできていて、刻むか勝負するかの選択を強いている。
 さすがにジャックニクラウス…、ゴルフは頭脳ゲームであることを再確認させられるコースだ。
ドライバーがすきと言うハンディ12
←「タイのゴルフ場は、みんな難しいなぁ」と奈津子
   難しいってことが解るのがえらいじゃないか!

  
 マウンテンコースは、章くん、頭を使って41。昭ちゃん、今日も池へ2個入れて45。奈津子も池の餌食で48。


 今日はカートに乗っているので、楽チンである。スタート横の茶店でコーラを飲んで、そのままレイクコースへ。
 1番(384Y.P4)なんとフェアウエイのまん中に大きなバンカーがある。章くんのティショットは、バンカーを避けて右ラフへ。右へドックレッグしているこのホール、ショートカットした形になって、残り120ヤードをピッチングで乗せて、2オン2パットのパー。
 2番(518Y.P5)は左・右・左のジグザグホール。章くん、上手く刻んでパー。
レムチャバン・インターナショナルGC レイク3番422Yパー4
      レイク3番 422Y パー4 →

 レイクコースの難ホールは、まずこの3番の長いパー4。コースハンディ1番の難しいコースだ。右側の池はもちろん避けねばならないけれど、セカンドは残り185ヤードで、右のバンカーを越えるキャリー球を打っていかなければならない。章くん、バンカーへ入れて3オン2パットのボギー。
 4番(363Y.P4)パー。5番(212Y.P3)、深いバンカーに捕まり、エッジに乗ったところから3パットしてダブルボギー。思わぬところに落とし穴があった。
 気を取り直して6番(441Y.P4)、このホールがまた難しい。200Y近く残ったセカンドが、右から入り込んできている池を越えていかなくてはならない。章くんの3アイアンのショットは、池を逃げてグリーン左のラフへ。ジャック・ニクラウスに挑戦の章くんは、このアプローチを2mに寄せ、それを入れてパー。ターニングポイントを乗り切った。
 7番(378Y.P4)2オン2パットのバー。
 8番(184Y.P3)右に外して、寄らず入らず。痛恨のボギーで、ここまで4オーバー。
 9番(521Y.P5)、さすがニクラウス、真っ直ぐには造っていない。池越えのティショットのあと、セカンド地点で左へ曲がり、フェアウエイの左には巨大なバンカーが口を開けている。そのセカンド、章くんの4番アイアンはちょっとビビッていて当りが薄く、サードショットが160ヤード残ってしまった。迷わず6番、グリーンのまん中へ乗って2パットのパー。
 章くん、このハーフは40で、ジャック・ニクラウスへの挑戦は41・40の81。
 昭ちゃん、46で91。奈津子はここでも50を切って、49の97であった。
 キャディさんにチップ260バーツを渡して、シャワーに入ったあと、レストランでサンドウィッチをほおばり、スイカジュース、コーヒーを飲みながら、しばし名コースの余韻にひたる。

 午後2時、コースをあとにして、帰途、パタヤビーチを見パタヤビーチ に行くことにした。パタヤは
ベトナム戦争当時に米軍兵士が休暇を楽しむためにできた歓楽地であり、現在はタイバーツの格安感もあって、ヨーロッパからの観光客が多く、長期滞在者も数多く暮らしているとか。
 レムチャバンGCからは10分少々の距離。タクシーを待たせて、ビーチへ出てみた。
 
   パタヤでは、あらゆるマリンスポーツが楽しめるという。
       ビーチでは、パラセーリングやパワーボートに
       打ち興じる人たちがいた          →

   
パタヤビーチ ビーチの砂浜は予想外に狭い。海の家(?)がどこまでもズラーッと並んでいて、浜にはそこらじゅうに
ビーチチェアやパラソルが置かれている。
 これらは全て有料だとか。知らずに使用しているとおばちゃんが集金に来るらしい。

← 狭い砂浜にビーチハウスが、ズラーッと並んでいる。

 ただ、この頃はパタヤの海へは汚水が流れ込んでいて、水の透明度も落ちているとか。海水浴を楽しむならば、沖合いのラン島ぐらいへ出ることだ。
 夜の繁華街の賑わいも楽しいらしいが、章くんたちは明朝の飛行機に乗らなければならないので、ここでゆっくりしているわけには行かない。


 帰り道の1時間半を、3人ともウツラウツラと寝込んで、ホテルへ着いたときにはパワー回復。明日の午前6時に、このホテルを出て帰国の途に着かねばないのだが、「それまでの13時間、どーする?」という話になった。
 「今日も100を切ったら、夕食は奈津子の好きなところで、好きなものを食べる」という約束がしてあったので、まずは奈津子の希望を聞かなければならない。
 「私さぁ、アユタヤの遺跡が見たいんやけど、ここから遠いのかなぁ」
 「アユタヤ・ツアーというのがあるけれど、朝の8時ごろ出て夕方帰ってくる日程や。ライトアップ観光というのもあるけど、1時ごろ出かけて9時過ぎに帰ってくる。8時間ぐらい、かかっとるなぁ」と、昭チン、ガイドブックを調べて言う。
 「そんなに時間がかかるの。じゃぁ、今からではとても無理ね」と奈津子。
 「ライトアップあるのか? タクシー飛ばしていけば、間に合うやろ」と章くんが提案して、みんな「行こ、行こ」。
 ホテルのフロントに、「アユタヤ観光をして、またここへ戻ってくるタクシーを手配してほしい」と頼んだ。

 バンコク市内で渋滞に遭い、市内を抜けるのに1時間ほどかかったけれど、章くんたちもタイに慣れてきて、「マイペンラ〜イ(気にしない。どうにかなるさ。)」。高速道路に乗り、市内を抜けると、後は順調なドライブ。あたりは日が暮れてきて、夕焼けの田園風景が美しい。

 今日は朝からしっかりした食事をしていない章くんたちは、アユタヤの近くの道端で見つけたレストランで食事をすることにした。
鶏スープのおじや、カオマンガイ  バリバリやきそば
 「カオマンガイ」 ゆで
 た鶏とそのスープで炊い
 たご飯。ソースが絶妙
 揚げ麺のチンゲンサイと
 豚のあんかけ

 タクシーの運ちゃんも一緒にと誘ったところ、始めは「いい、いい」と手を振っていたが、5回ぐらい勧めると降りてきた。同じテーブルへどうぞと言ったのだが、妙に遠慮して、隅のテーブルへ座り、飲み物と一品料理を頼んで摘んでいた。
 メニューに写真があって、イメージがよく解る。さすがは観光地のレストランだ。心配した味もそこそこで、それなりに美味しい料理であった。
 
 食事を済ませて外へ出ると、あたりはもうすっかり暗くなっていた。やがて、ライトに浮かぶアユタヤ遺跡群が見えてきた。昼間は仏塔のところまで入れるし、塔に登ったりすることもできるらしいが、夜は遺跡を囲む柵から中へは入れない。
 外側をゆっくりと回ってもらい、ところどころで止まったりしながら、ライトに浮かぶアユタヤ王朝のまぼろしを見物した。ビルマ軍によって徹底的に破壊された遺跡は、レンガが崩れ、石肌がむき出しにされていて、時間が止まったアユタヤ ライトアップような不思議な光景であった。栄枯盛衰のあわれが思われ、悲劇の歴史に彩られて浮かぶチューダの影は、とても神々しい情景であった。

   3人の王様の遺骨が納められているという
           3基のチューダ(仏塔)→
アユタヤ ライトアップ

← 栄枯盛衰の
歴史を語る廃墟


 ゆっくりと回ってもらったけれど、それでも15分もあれば1周してしまう。タクシーを止めて、外に出て歩いてみることにした。しかし、あたりは暗いし人影もないので、3人の日本人旅行者がボソボソと歩いていくのはいかにも物騒である。
 もう一度、タクシーで周りを回ってもらい、気に入ったところで止まってもらって、車の外へ出てみたりしながら見学してきた。遺跡のあちらこちらへ車を回してくれて、運転手さんは一生懸命にサービスに努めてくれる。夕食を奢ったのが効いているのだろうか、タイにも一宿一飯の恩義があるのか。
 ライトに浮かぶ情景は、見てはいけないものをみんな闇の中に隠してしまって、どこまでも幻想的でロマンチックであった。
 「ここへ2人連れで来たら、まぁ、ほとんどの場合、その人のことを好きになるわね」と奈津子が笑う。

 帰り道はパッポンの繁華街でタクシーを降りた。休憩を兼ねてマッサージ店へ入る。3人とも「すぐに寝た」と言う。
 奈津子の買い物に付き合い、昭ちゃんの土産物買いに付き合い、フルーツジュースの店に入って、スイカやメロンのジュースを飲み、また町をうろついて、午前2時過ぎにホテルへ戻った。
 明日は6時にホテルを出発。9時過ぎの飛行機で、バンコクに別れを告げる。

 「また来ようか、来年…」と、奈津子はもうその気でいる。

第5日  帰 国

 予定通り、無事帰国。 
 数日してから奈津子の店へ行くと、いつもの常連客で賑わっている。
「あれっ、奈っちゃん、3〜4日、店を休んどったよなぁ」
と水を向けると、
「ええ、母が入院して…、ちょっとたいへんなの」
と、下を向いた。
 バンコクで、『ニッポンジンノ オジサンノ ダマシカタ』という本を買ってきたんじゃないだろうな。

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ハワイ・ゴルフ紀行
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