雑記帳 2012年 12月  

  思いつき、メモ、ぼやき、他のジャンルに入らないことがら、
 誰かに送ったメールの抜粋 … などを記していきます。
  ほとんど根拠のない、気楽な話の羅列ですから、ご用と
 お急ぎの方はのぞかないでください(笑)。



                     11/28 香嵐渓 →


 零捌(08)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 零玖(09)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱零(10)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱壱(11)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱(12)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 拾月 拾壹月 拾貳月




12月30日 「2030年の世界」に向けて


 米国家情報会議(NIC)が18年後の世界を予想した未来報告「世界の潮流2030」によると、世界人口は今より12億人増えて83億人になるとある。途上国から10億人の出稼ぎ労働者が流出し、先進国では非熟練労働者の職が脅かされるなど、さまざまな国際的軋轢が生じると指摘しているが、人口の約6割が都市に集中するため、食糧35%、水40%、エネルギー50%が余分に必要になるという。どこの国も、好むと好まざるとにかかわらず、基礎資源の獲得競争に走ることになる。
 中共の南シナ海、東シナ海への進出は、西太平洋の制覇という中華覇権の達成も勿論ながら、中共13億人の生活を賭けた戦略でもあるのだろう。近年になって尖閣諸島の領有権を主張し始めたことも、漁獲と海底資源を求める中共の戦略の一環である。
 … (以下、「日本は今 246」へ)


   
12月26日(水) 手伝おうか? −猫の手−


 深夜、倉庫でひとり、遣り残した仕事を片付けていると、ゴソゴソッと音がして、段ポールの横から「ニャーァ」とシロくんが顔を出した。
 寒い中を、年内にやってしまわなければならない仕事に追われている章くんを見て、「手伝おうか?」とやって来たのだ。
 まずは、積み上げた段ボール箱の一角に隙間を見つけ、おもむろにそこへ潜り込んで、章くんの仕事ぶりをチェックしている。
 暫くかまわずに、章くんが仕事に専念していると、「ニャ?(僕のことを構わんかい)」といってくる。「よしよし」と声をかけると、また穴倉に座り直して、暫くじっとチェッだ。


← ときどき、「ちょっとぉ」と顔を出してきます。


 面倒になってきて、章くん、「ニャァ」と言っても知らん振りをしていたら、プイといなくなった。
 あとに漂う寂寥感…。冷たくしなければよかったか…。

   
12月18日(火) 松阪 懐石レストラン「やませ」


 今夜頼んだのは、「お好み懐石 松」天ぷら八種・造り四種・料理四品・ご飯デザートのコースだ。
 
       
 ここで、
  てんぷらが出た
       
 

 味は、4100円の定食としてはこんなものかというところ…。しかし、他所の4100円と比べたらちょっと物足らない。
 貯金して、もう一度、おまかせ懐石を食しに行くことにしよう。


  
12月21日(金) 巨大地震(M6)発生確率 津市は87・4%


 政府の地震調査委員会が「全国地震動予測地図」を公表した。今年1月から30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率の分布を示したものである。
 東南海、南海地震などM8級地震が繰り返し起きている南海トラフ沿いは、全国で最高に確率が高く、津市は87・4%、静岡市では89・7%となった。
 これって、30年以内には必ず来るということであり、かねてから言われているM8クラスならば、死んでもおかしくはない。
 数年内に避難地を決めて移住するか、覚悟を決めて
身の回りの処理をするかだ。
   
 
 
12月21日(金) 冬 至


 これからは、だんだんと夜が短くなる。まずいなぁ!


   
12月19日(水) 韓国大統領にパク・クネ女史が当選


 韓国大統領選は、保守系の与党・セヌリ党の朴槿恵(パククネ)氏(60)が、革新系の最大野党・民主統合党の文在寅(ムンジェイン)氏(59)との大接戦を制し、当選を決めた。韓国に初の女性大統領が誕生する。保守政権が継続するが、朴氏は選挙戦で李明博(イミョンバク)政権の政策を厳しく批判しており、経済政策などに変化が出てきそうだ。日本を名指しすることは避けたが、「正しい歴史認識」の必要性を強調したことは、韓国大統領としての宿命なのだろう。
 ただ、日韓は、それを乗り越えて、両国の将来を開く関係を樹立しなければならない。過去を忘れることはできないのだろうが、お互いの認識を持ちながら、それを越えて将来に向かうことは可能である。そうしなければ…、新しい日韓の時代を開くことができなければ、パク・クネ女史が韓国大統領に就任した歴史的意味が色あせてしまう。


   
12月18日(火) 池上 彰、お前もか


 録画してあった衆議院総選挙開票速報特番「池上 彰の総選挙ライブ」を、今日やっと見た。結果については分っていることばかりだから、何を映し出されても驚くことはなかったが、池上 彰のものの言い方の杜撰(ずさん)さに驚いた。これまでは、説明に際してのことばのやさしさや丁寧さ、質問者への気遣いなどが表われていて、聞いてみようかと思う解説者であった。
 ところが、今日の放送では、政権が自民党に戻る局面に立ち会うキャスターとしての気負いか、言葉の端々に違和感の漂うぶしつけさがあった。
 民主党の岡田克也には「落選した民主党議員からは解散は間違っていたという声が聞こえてきますが、岡田さんは解散に賛成だったのですね?」と聞き、「そんな声は、私の元には来ていない。国会議員たるもの常在戦場だ!」と言われ、復活成った太田昭宏公明党元代表には「民主党も維新も対立候補を出さなかったことは、何らかの配慮があったのですか?」とからむ。
 石原慎太郎が「国が単式簿記を用いているのは北朝鮮とフィリピンとパプアニューギニアぐらいのもの。先進国では日本だけだ」と言うのに、「フィリピンとパプアニューギニアを北朝鮮と同じに扱うようなことを言うから暴走老人と呼ばれるんじゃないですか?」」と突っ込むも、「会計制度が同じだと言ってるんじゅないか。人の話をちゃんと聞け!」と叱られ、後刻に、「いやぁ、池上さんとは知らずに、失礼しました」と取り繕う石原の気遣いに、中継が切れてから、「石原さんは、人によって言い方を変えるんですね」と批判していた。それを言うなら、中継中に面と向かって言うべきだろう。
 もと、NHKの社会部記者であった池上だから、記者としての反権力魂がうずくのか、キャスターとして政治家に向かう姿は歯に着せぬ物言いをするのが当然と思い込んでいるのか、見ている僕のほうが質問されている政治家諸氏の胸中をおもんぱかり、番組途中で気分が重くなってしまった。でも、後日ネットで「池上彰さんの発言が鋭くキレていた」と評価する記事もあったから、彼が張り切るのも解るというものだ。
 欧米では、ネガティブキャンペーンとして、選挙中に相手候補の悪口を言いまくって貶めようとすることなど、当然だという。しかし、惻隠の情などと他に対しての配慮を見せてきた日本的情緒の世界では、切れ味よりも相手を慮(おもんぱか)りつつ問いかけるほうが、聞いている側も安心する。…、敗者を労(いた)われとは、僕も歳を重ねたということか(苦笑)。


   
12月17日(月) 議席数確定 自公335議席に! 

   民主 自民 未来 公明 維新 共産 みん 社民 国民 大地 日本 改革 幸福 諸派
 前 220 118  61 21 11 9 8 5 3 3 1 0 0 0 9
 結果  57  294  9  31  54  8  18  2  1  1  0  0  0  0  5 


 16日の総選挙の結果が確定した。「自民、取りすぎ。民主、壊滅。維新、どこへ…」といったところか。
比例得票数
  自民党 民主党
 2009  1881万票  2984万票
 2012   1662万票   967万票 
 維新・未来・
 みんな    2090万票

 ただ、今回の選挙の得票数を見てみると、右表のように自民党の票はむしろ減っている。(小選挙区での得票数も2729万票から2564万票に減っている。)民主党の票の激減振りは目を覆うばかりだが、今回の選挙の議席数をこの表から見ると、分裂した民主党と反自民を結集する勢力が現れず、多くの選挙区で自民党候補が第1位を占めた結果であるということができる。
 維新・未来・みんなの党が獲得した票数が自民党を上回っていることも注目すべき点である。第3極の大同団結が成っていれば、局面は大きく変わっていたのではないかと思われる。

 安倍晋三自民党総裁が、大勝の結果にも笑顔ひとつなく、「民主党の3年半の失政を取り戻してくれという民意で、積極的な自民党支持ではない」と語ったのも、この数字をもとにしているのだろう。

 3年前の選挙当時から、自民党の支持者は増えていないということだから、多数の無党派層を含めて反自民の国民は、安倍政権が早期に何らかの目に見える成果を一つ示さないと、「やっぱり自民党はダメだ」とノーを突きつける。
 参議院のねじれを解消するために、安倍自民党は來夏の参議院選挙に向けて、効果的な手を打たねばならない。重要政策は直ぐには結果を表さないが、景気浮揚も憲法改正も公務員改革も議員定数の削減も、着実に手は打っていることを国民に示しつつ、來夏に向かうことが必要だ。習近平に因果を含めて、尖閣に灯台を建設することはできないだろうか(笑)?


   
12月16日(日) 自民 単独過半数突破、自公で300議席越えも視野に


 午後9時、帰宅すると、テレビがすでに「自民党220議席」越えを伝えていた。注目の民主党は32議席で、維新の32議席と並んでいた。
 その後も自民党は順調に議席数を伸ばし単独過半数を超えた。自公で300議席越えは確実な様相である。


 特筆すべきは、民主党の議席数の激減で、国民の怒りのほどを見せつけられた結果である。仙石由人元官房長官、原口一博元総務相、平野博文前文部科学相、中塚一宏金融担当相、下地幹郎郵政民営化・防災担当相(国民新党)、山田正彦元農水大臣(未来)、山岡賢次元国家公安委員長(未来)、松本龍前復興相、田中慶秋前法相、細川律夫元厚生労働相、平岡秀夫元法相、城島光力財務相、三井辨雄厚生労働相、小平忠正国家公安委員長、鉢呂吉雄前経済産業相、樽床伸二総務相、川端達夫前総務相、鹿野道彦前農水相、藤村修官房長官、田中真紀子文科相ら、小選挙区比例代表並立制の導入以降最多の現職閣僚、現職官房長官と財務大臣の初の落選や、閣僚を経験した大物議員の落選が相次いだ。これらの他にも、開票の遅い東京選挙区の、菅直人・小宮山洋子・松原仁・海江田万里や北海道1区の横路孝弘前衆院議長など、苦戦の面々はまだまだ数多い。
 仙石・原口・田中真紀子などは、民主党のある面での顔であって知名度も高い。選挙には強いと考えられて来たが、政治的パフォーマンスそのにくらべて、実質の無い人間としての空虚さを、選挙民は見抜いていたということだ。仙石(当時官房長官)には、東シナ海の中共無漁船衝突事件で縮み上がり、那覇地検に責任を押し付けて船長を送還した卑怯さを国民は許さなかった。口ばかりで、実質的な仕事は何もしてこなかった原口は、信用できないと切り捨てられ、田中真紀子は多くを説明するまでも無く、新潟5区という父角栄の金城湯池の威光を使い果たしてしまったのである。
 野田首相は民主党代表を辞任…。「民主党を立て直すのが私の責任の取り方」などと、みっともないことを言わなかったのは見識であろう。ただ、この民主党に人材は居るのか。再生は茨の道というよりも、この党に再び政権担当の日が来ることはない。


 現在0時40分、自民党287+公明28=315議席…。焦点は、衆議院で3分の2となる320議席に届くかどうかに移った。ここで、民主党54、維新50である。
 安倍自民党総裁は、今月25日ごろに臨時国会を召集し、内閣総理大臣の指名を受けることになる。その第一歩に、年末年始、公明党を説得し、もし公明党の賛同が得られないしとても、維新の会と民主党の合意を取り付けて、『憲法改正』を発議してほしい。
 憲法改正には、『各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする』と定められている。粛々と改定への歩みを進めるための動きを始めるべきだ。日本の諸問題の根幹が「憲法」にあるのだから。


 午前1時16分、自公が320議席を越えた。


   
12月16日(日) 皇學館大學コンサート明和町「Ryu」
 

 松阪の友人から、「皇學館大學でチャリティコンサートがある。聴きにいかないか?」と電話があった。夜、明和町のレストラン「Ryu」に予約が入れてあったので、丁度方向も同じだから行くよと答えて、お昼過ぎに家を出た。
 皇學館大學ジャズバンドグループの演奏は、全15曲+アンコール。大学サークルの演奏にしてはまずまずのレベルで、結構楽しむことができた。午後4時35分、終了。


 「Ryu」の予約は7時。明和のイオンショッピングセンターでお茶を飲むなどして時間を潰し、6時50分、「Ryu」に入った。『7時5分から一斉に料理を出しますので、7時少し前にご来店ください』と言われていたのだ。
「Ryu」のスープ 店がそう言うのもうなづける理由があって、ここはなかなか予約が取れない。まぁ、都会の超人気店のように1年待ちなんてことはないが、1週間…1ヶ月向こうまでは満杯なんてことは珍しくもない。


← まずは、ウエルカムスープ


 地物野菜の美味しさを伝えるスープ…、抹茶のような仕立てで、スプーンを使わずに飲む。


 第2品に和食の八寸をイメージしたという、さまざまな素材を調理して三角錐の金かごに飾った、説明ではクリスマスツリーと称した逸品が出されました。フォアグラ、トリュフ、イベリコ豚などと地元の野菜を組み合わせてさまざまな味を出している。


        次は、シェフ自慢のリゾット →


 プルロット(たもぎダケ)を使ったリゾットで、上にかかっているソースもこのキノコを使った魔法のソースである。使っているブイヨンはシェフが自ら「命のブイヨン」と命名するくらい超こだわりのものだとか。




← 海をイメージした魚料理


 青い敷物の上に、ガラスの器に盛られたタイの焼き物。大海原に泳ぐ魚と、あわ立てたソースは打ち寄せる波を表している。


 ここで、口直しの「スダチのシャーベット」、ほろ苦い冷たさが口の中に広がっていく。


   本日のメイン、フランス、
    ロワール産オスの鴨のロースト →



 数多くの有名フレンチレストランで使用されている、蜂の彫刻のラギオール・ナイフできるときには、ちょっと硬いかなと思ったのだが、口に入れると絶妙の歯ざわり…。
 志摩産のヒジキから抽出したという黒いソースとのマッチングも素晴らしく、地元農家が栽培した白菜を絡めて、舌鼓を打った。


 デザートは紅茶で…。冷めないように紅茶ポットにかけるカバーまで用意してくれてあった。


 テーブルに出した一品ずつを、シェフが丁寧に説明してくれる。それぞれに仕込みの段階から細かく手が加えられているのが窺える。何かと注文の多い章くんも、文句なく美味しいレストランであった。
 

   
12月15日(土) 明日、安倍新政権誕生


 明日16日、第46回衆議院総選挙は投票日を迎え、深夜には大勢が判明する。自民党・公明党が過半数を制するのか、維新はキャスティングボードを握れるのか、あるいは民主党が健闘して自公民連立政権が成立するのか、いずれにしても自民党は首相の座を他党に渡さねばならないようなことはないだろうから、安倍新政権の誕生は間違いのないところである。
 伝えられるところによると、大胆な金融緩和に加え、国の公共投資で民間企業の投資を引き出し、消費と雇用を作っていくという安倍晋三の経済政策に対して、財務省官僚は幼稚園児の戯言(たわごと)と一笑…。『安倍内閣は夏までもつか?』と挑戦的だとか。安倍晋三は、5年前に改革を進めようとして、官僚から年金消失などをリークされて国民の批判を受け、失脚につながった苦い思い出がある。
 今回の総選挙の遊説に、公務員改革・国会議員の定数削減・年金制度の根本的改革が深くは語られていないのが気になる。官僚に対する正面突破回避のための深謀遠慮なのか、改革は諦めての白旗なのか、選挙後の第一歩が大いに注目されるところである。



    
12月14日(金) 中共機が尖閣領空侵犯、空自スクランブル


 13日、中共国家海洋局の航空機1機が、沖縄県尖閣諸島の魚釣島近くの日本領空を侵犯し、航空自衛隊が戦闘機をスクランブル(緊急発進)させた。防衛省によると、外国機の領空侵犯は統計を取り始めた1958年以降これまでに34回あったが、中共機の領空侵犯が確認されたのは初めてという。(2012年12月14日 読売新聞)
 今年9月の野田政権による尖閣国有化以降、中国公船の尖閣周辺の航行はほぼ連日で領海侵犯も13日までに計17回に上るというように常態化しているが、航空機の侵犯は初めてである。艦艇の排除は海上保安庁が担当することになるが、航空機の排除は自衛隊が出動しなければならない。日本の出方を一段階進めて探ろうとする中共のしたたかな計算が伺えるが、執拗かつ無法な挑発に日本は粘り強くかつひるまずに対応していかなくてはならない。
 五千年の王朝盛衰の歴史を持ち、権謀術策に長けた国のしかける駆け引きには、平和な島国の国民はともすれば気持ちが疲れてしまい、「大人の対応」などともっともらしいことを言って逃避しようとする。しかし、黙ってしまったら、世界はそれを認めたと判断する。言ったもの勝ちが世界の常識であり、それが無法な要求ならば明確に反論否定しなければならないというのが、国際社会なのである。だんまりは…決して大人の対応ではない。大東亜戦争の前に、近衛文麿首相が「中国政府を相手にせず」と発したメッセージは、その後の対中交渉の窓口を閉ざしてしまい、日中の武力衝突を招いてしまった。
 日本は、覇道を求める中共の太平洋進出の咽喉口に位置しているのだから、好むと好まざるとにかかわらずこの国とかかわっていくことは避けられない。ひとつひとつ丁寧にまた逃げずに対応し、是は是・非は非として堂々と渡り合うことだ。同時に、その経緯と日本の主張を世界に発信し、わが国の正義を世界に知らしめる努力も忘れてはならない。
 そしてもうひとつ、中共の無法…尖閣や南シナ海における無理押しだけでなく、チベットや新疆ウイグル自治区、内モンゴルなどの武力制圧・人権侵害、また、中共国内全体に内在する富の偏在(経済格差)や一党独裁体制による権力の腐敗や管理の汚職、人民の不満などを顕在化し、体制を変革するように(工作をしかけるといえば不穏だから)働きかけるていく…ことが必要だろう。


   
12月12日(水) 角田美代子被告自殺に、県警「落ち度なかった」
           − 地に堕ちる、警察の威信、警察への信頼 −


 兵庫県尼崎市の連続変死事件で逮捕されている角田美代子が、留置先の県警本部で自殺した。重大事件の最重要犯人の留置所内での自殺に 12日午前、県警本部で報道陣の取材に応じた橋本真佐男兵庫県警留置管理課次席は「こちらに落ち度はなかったと思う」と淡々とした様子で繰り返した。
 何を寝ぼけたことを言っているのか。これまで6人の遺体が見つかり、今も3人が行方不明の連続死体遺棄事件の主犯の自殺は、真相解明に大きな支障が出ることは疑いない。事件にかかわった犯人たちは、全ては角田美代子が一人でやったことで、自分たちは見ていただけと言い出すことも考えられる。しかも、角田容疑者は10月下旬以降、少なくとも4回にわたり「死にたい。どうやったら死ねますか」と兵庫県警の留置管理課員に話していて、不眠のため睡眠導入剤も飲んでいたらしい。自殺を警戒した県警は、特別要注意者として監視を強めていたという。
 留置所内で重要参考人に自殺されるなど、警察としては最もあってはならないことだろう。それを「問題は無かった」とコメントできるところに、当事者としての責任意識の欠如が見られる。そんな意識だから、25年間も角田美代子一味の好き勝手な無法振りを許し、結果として大量殺人事件を許してしまう体たらくなのだ。
 警察は、事件を未然に防げなかった罪を自ら追及するべきだろう。警察の不作為が、結果として殺人に至った例は枚挙にいとまがない。この角田美代子の自殺を許した失態について、警察庁は事実関係の調査を始めたというが、国民が納得する形で検証しなければ、警察の威信が揺らぐことになる。


    
12月11日(火) 原発停止で、北海道は寒い冬


 政府や北海道電力が要請した「7%節電」が10日、北海道内でスタートした。全国で数値目標付きの節電を求められるのは、泊原子力発電所(北海道泊村)の再稼働が間に合わず、本州からの電力融通もままならない北海道だけ。道民は今冬、厳しい寒さの中で我慢や不便を強いられることになる。
 「原発が停止していても、電力は足りたじゃないですか」と、脱原発や、原発即時廃止論者は言う。「電力が不足する」というのは政府や電力会社が不安を煽るために言っていることで、「危機だと言われていたこの夏も、原発なしで乗り切れたじゃないか」というのだ。
 この人たちは、今、北海道の住人が寒さに耐えて節電していることを…、この夏、電力会社の要請に応じて操業を休止したり、夜間勤務に振り替えて、節電努力をしてきた町工場のことをも知った上で、「電力は足りているじゃないか」と言うのだろうか。
 夏はクーラーを入れるな、冬は寒さに耐えろ、早寝早起きして電気を点けるな、… 原発を止めるためには、それが当然なのか。ちょっと違うんじゃないか。
 

 今までに経験したことのない未曾有の大災害に巻き込まれて大事故を起こしてしまった福島原発を材料に、「脱原発」を叫んで議席獲得を目指すのは、安易に過ぎるし、責任ある政治姿勢とは言えない。
 無くて済むのならば、原発のみならず、一度落ちればほぼ全員が死亡する飛行機も、年間1万人という原発事故などとは桁違いの死亡事故を起こしてきた自動車も、無いほうがいいのではないか。しかし、そのリスクを補ってなお、利便性に富み有益だから、人は好んでそれらを使っている。それこそが科学技術のあり方であり、文明というものではないのか。
 人やものを検知して自動停止する自動車の機能を追及しているように、より安全な原発のあり方を求めて、研究や管理の方法を高めていくことこそ日本が進めていく原子力政策である。
 ひとり日本が脱原発の道を歩んだとしても、中共や韓国には数多くの原子力発電所が海岸べりに並んでいる。偏西風の風下にある日本は、中共や韓国に事故が起これば、列島全体に深刻な被害を受ける。ことは日本一国が「脱原発」と叫んで解決する問題ではない。
 脱原発によって不足するエネルギー、高騰するエネルギー料金、それによる日本産業の競争力の低下と空洞化、さらには外国企業の進出や外国資本の投資は望めず、日本は衰退するばかりではないか。
 繰り返すが、原子力活用の研究と安全管理を推進し、近隣諸国を初め世界の原子力技術に寄与していくことこそ、日本がとるべき道である。







    
12月5日(水) 平櫛田中展  三重県立美術館


   あっちゃんに「平櫛田中、素晴らしいよ」と教えてもらって、三重県立美術館に行ってきました。この美術館、ときどき素晴らしい展示物を並べるので、目が離せません。
 平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)は1872年(明治5年)岡山県後月郡西江原村(現・井原市西江原町)の田中家に生まれました。1882年(明治15年)に平櫛家の養子になったのですが、旧姓を通称に用いていました。
 

 1893年(明治26年)に、大阪の人形師・中谷省古に弟子入りして木彫の修行を始め、1897年(明治30年)に上京して高村光雲やその弟子の米原雲海らの指導を受けました。
 明治末期から大正初期にかけて、東京藝大の基礎となる東京美術学校を創立した岡倉天心に師事していますが、天心を敬愛していた田中は、東京藝大構内六角堂に安置されている田中作になる「岡倉天心像」に、藝大勤務時代には登校のたびに最敬礼していたといいます。


  1958年(昭和33)畢生の大作「鏡獅子」を戦中のブランクを
 経て、20年をかけて完成しました。この像は、日本の伝統
 芸能の殿堂、国立劇場のロビーに置かれています。
  高さ2メートルに及ぶ巨大彫刻ですが、完成時にはモデルの
 6代目尾上菊五郎はすでに故人となっていました。
          (写真はいずれもパンフレットから) →


 人形を製作するのにモデルの裸形から造り、その筋肉の張りや重心の位置などを調べていく方法は、人物を描くのに死人を解剖したりして人体の成り立ちから調べたというレオナルド・ダ・ヴィンチの科学的な手法と共通するものがありますね。


 1937年(昭和12年)から帝国芸術院会員、 戦後も活躍し1962年(昭和37年)文化勲章受章、 1965年(昭和40年)東京藝大名誉教授となっています。


 満100歳のとき、向こう30年間分の彫刻用木材を購入して世間をアッといわせた田中の名言に「今やらねばいつできる。わしがやらねば誰がやる」「六十,七十は洟垂れ小僧、男盛りは百から百から」があります。田中のバイタリティがうかがわれます。
 1979年(昭和54年)逝去、享年107歳。広辞苑に載っている実在の人物の中では、もっとも長命な人物だとか。


   
12月8日(土) 安倍晋三と橋下 徹
 

 今日、橋下 徹が津市役所西公園に来た。維新の会から立候補した松田直久の応援に駆けつけたのだ。自民党政治に戻せば公共工事優先の景気回復が図られるだろうが、これからの日本が勝負すべきはITやソフトであり、国際舞台に打って出るには英語教育の充実を図るべきだと説く。
 既得権に縛られている自民党に真の改革はできない。例えば、日本の農業はその美味しさと安全性で有望な輸出産業だが、株式会社の参入や大規模化には権益が損なわれる農協が大反対している。これらの壁を越える政治が必要だが、支援・献金を受けている自民党にそれはできないと言う。公務員組合の推薦を受けている民主党にも無理…と言うものの、それ以外に民主党は論評もしてもらえなかった。
 話は分りやすく、聞くものの耳にしっかりと届いてくる。具体例も大衆が『許せない』と思う実例を挙げて、切り口とするところなど、集まったみんなの心を掴むものであった。
 

 対して、11月25日(日)には、自民党新総裁の安倍晋三が津に来た。都ホテルで自民党支援者のパーティをこなした後、その下の真ん中広場で街宣を行った。日本の底力を信じ、景気を回復させて、世界での役割を果たす国にする。この景気の悪さは政治の責任だ…と話した。この選挙での勝利を確信し、政権を担当する意欲に溢れる演説であった。
 ただ、今日の橋下と比べると切れ味に欠けたのは、政権担当への責任感の表れだと解釈しておこう。


 別述するように、第3極結集へのゴタゴタで、この選挙で維新の会が躍進することは望めない。橋下徹は、選挙後の維新の会と自らの生き残りに腐心しなければなるまい。仮に、自公で単独過半数に届かず、維新が政権与党として入閣することがあったとしても、国政に議席を持たず、「原発・軍事・憲法」で石原慎太郎との距離を感じさせる橋下は、自らの存在を賭けて党内での立ち居地を確保していかねばならない。
 政権を担当する安倍晋三、自らのアイディンティティを賭けて存在を示さなければならない橋下徹、日本の近未来を賭けて、二人の新たな戦いが幕を開ける。


    
12月2日(日) 中央道笹子トンネル 崩壊事故


 山梨県の中央自動車道上り線の笹子トンネル(全長約4・7キロ)内で2日、天井が崩落して3台の車が下敷きになった事故は、死者7人という大惨事になった。
 道路として共用されている…、ましてや高速自動車道のトンネルが崩壊して、走っている自動車を押しつぶすなど、最初にテレビの画面を見たときには、中国で起こった出来事かと思った。日本の安全神話は、どこに行ってしまったのだろう。
 弱体化してきた、戦後の日本の現在の姿なのだと思う。自立した個々人が支える社会では、まさかというインフラ事故は起こらない。事故に至るまでにチェックが入って、未然に防ぐ機能が働くからである。
 ところが、社会全体にゆるみが生じてきている状態になると、今回のような考えられないミステイクス・アクシデントが生じる。
 この事故…、やはり戦後教育がもたらした日本社会の弛緩を象徴しているといえないだろうか。「戦後レジ−ムの見直し、脱却」の必要をひしひしと感じています。


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