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 平成20年4月6日に続いて、我が家のチビ(という名前のメス猫)
 が、この2月12日に、またまた子ネコを出産しました。

【このページは、上から日付順になっています。】

2月18日  チビ 出産!


 1月になって、母チビのお腹が目立って大きくなってきた。獣医さんに連れて行って、中絶と避妊手術をしてもらわなきゃと言ったところ、母上が「お腹が大きくなってからでは、かわいそうだ」とのたまう。「授かった命を摘んでしまうようなことはしてはならない」というわけである。
 「今度も5匹出てきたら、どーするんだ」と言ったら、「私が育てる」と、自分の身も要介護の母上が決然と言う。僕も中絶は嫌だなと思っていたから、母上の言葉につられて、「ええい、チビ。まかせとけー」と覚悟を決めた。
 2月になると、チビは僕の部屋においてあった段ボール箱に、自分で横穴を空けて出入りし始めた。今から考えると、出産場所を作っていたのだ。
 そして2月18日、朝、僕は耳慣れない「ミャァ、ミャァ」という声に目が覚めた。出産したんだ!
 6匹も7匹も生まれていたらどうしよう…と思うと、声のする箱の中をのぞく勇気が出ない。で、その日は一度も箱の中を見ていない。


 聞こえてくる鳴き声は、それほど重なってはいないし、姦(かしま)しくもない。5匹もいないな…と思いつつ、翌日、母チビが出て行った隙に、懐中電灯を照らして中をのぞいてみた。
 ダンボールの片隅に、白と黒の小さな塊りがうずくまっている。ン、2匹か…? よーく見てみても、やっぱり2匹だ。今度も5〜6匹は生まれてくると覚悟していたので、いっぺんに僕は元気になった。
 ダンボールだけでは寒いだろうから、膝当てを4つに切って、1枚を敷いてやった。


 新しい2つの命に幸多からんことを…!


2月26日  引 越 し
布団の上では、兄・姉たちが…


 出産から4〜5日の間は、僕の部屋(離れ)に白・黒・まっ茶たち…去年の4月に生まれた5匹を入れないようにして、母チビの産後の肥立ちと当面の子育てに専念するよう注意していたのだけれど、母上が玄関を開けたとき、雪之丞(白)・マホメット(茶2)・ワトちゃん(ぶち)が走り込んで来た。
 その3匹が、入れ替わり立ち代り、母チビが出入りする穴から、「ミャァ、ミャァ」と声のする箱の中を覗き込む。
 「こらこら」とその都度追い払ったのだが、母チビは覗かれるのが気に食わないのか、赤ちゃんを咥(くわ)えて引っ越してしまった。 
そっと毛布をめくると…。

 どこへ行ったと思いますが。僕のベッドの布団の中ですよ。


 「おいおい、僕はどこで寝るんだ」と言いながら、4〜5回、もとのダンボールへ戻したのだが、母チビは頑として譲らず、何度でもベッドの上へ運んでくる。
 とうとう僕も諦めて、昨日から赤ちゃんを踏み潰さないように注意しながら寝ている。


7月10日  我が家のブラック&ホワイト 大きくなりました。


 4ヵ月半…。大きくなったでしょう。


 同期の生まれというのは、仲が良いのですね。同じ釜の飯ならぬ、同じおっかさんのお乳を吸った仲だからでしょうか、いつも一緒に行動しています。
 遊びに出るのも一緒だし、寝るのも2匹で包まって寝ています。
 ときどき、先に生まれた兄さんたちの背中に乗ったりして寝ていますが、そのときも2匹一緒です。


 
9月16日(水) 猫の手も借りたい?

 夜、僕が倉庫にいたら、子ネコたちがやってきました。みんな寝静まってしまって、我が家でゴソゴソと動いているのは僕だけ…。誰も遊んでくれないから、「何やってるの?」と見に来たわけです。
 ところが、猫は狭いところが大好き…。積んである箱の中に入ったり、奥のほうを駆けずり回って遊び始めました。
 邪魔にもならないから『まぁ、いいか』と遊ばせておいたのですが、さて、用事を済ませて倉庫を閉めようとしたら、遊んでいる猫たちが外に出ようとしません。捕まえるのもイタチごっこで、あれを押さえればこれが逃げるという状態です。
 ン…、奴らの苦手なものを思い出したぞ! 掃除機を、「ゴーッ」とかけたら、みんな一斉に飛び出していきました。


2010.03.28  お手伝い? お邪魔? 

 この白い塊は、母チビです。僕が作業していたらやってきて、本や封筒の間にスペースを見つけ、眠り込んでしまいました。


 僕は、彼女の眠りを妨げないように、そっと本のページをめくっています。
 



2010.06.26 あ〜ぁ、おばあちゃんに叱られるぞ             

  おばあちゃん家(ち、母屋)の台所の網戸を破って、
  顔を出しているワトちゃんと新チビ。
      →


 今年の夏は特に暑かったからねぇ。網戸に頭を突っ込んで破り、顔を出しているのです。
 僕が通りかかったら、ジロリに睨んでいました。何か、叱られるかなと思っていたのでしょうか。
 「あ〜ぁ、おばぁちゃんに言いつけてやるからな。叱られるぞ」といいながら、記念写真を1枚パチリ…。

 おばぁちゃんに叱られたはずなのですが、翌日、通りかかったら、また2人で同じように顔を出していました。 
 

2010年10月11日(木) チビ、占領! 

 先日から急に寒くなって、夜の冷え込みが厳しくなった。夜中に原稿を書いたりすることの多い章くん、冷える足元を暖めるための『保温マット』を買ってきた。
 50cm四方ぐらいの小さなもので、机の下に置いた電気ストーブとともに使用して、足元が冷えるのを補うつもりだ。
 プラグをコンセントに差し込んでスイッチを入れると、小さな赤いランプが点灯した。通電OK…、これで足元の保温は万全だ。
 と…、そこへ母チビがやってきて、ゴロンと座り込んだ。それほど大きいとは思えないチビなのだが、マットのほとんどを占領している。
 おいおい、僕はどーすればいいんだ?


      「こりゃあ、暖かいわ」と座り込む 母チビ →


 チビに追われた僕の両足は、マットの端にチョコンと乗っけさせていただいている。時々、体の下に差し入れると、チビは前足でグイと抑えて、懲らしめのための軽爪を立てる。

 東シナ海を中国に占拠されたあとの日本漁船も、こんな様子なんだろうなぁ。


2010年11月23日(火)  新顔です。名前はまだありません。

 今年の6月ごろに生まれました。え〜っと、母チビの子か、その子のワトちゃんの子か、はっきりしません。ワトちゃんの子だと思うのですが、初めての出産だったので慣れなかったのか、育児放棄したワトちゃんの代わりに母チビが世話をしていましたから、『ど〜だったかな』と思ってしまうわけです。あるいは、母チビともワトちゃんとも血のつながりはなくて、どこかから迷い込んできたのかもしれません。

 ある日突然に、縁の下から走り出てきました。今は、おばあちゃんにえさを貰っていますし、僕のところへもご馳走(ネコ缶)を食べに寄るのですが、小さいときに家の中で育っていないので警戒心が強くて、まだ僕も抱かせてもらえません。
 2ヶ月ほど前までは近づくと逃げていってしまっていたのですが、今はエサを食べているときに撫でたりするのには平気になりました。でも、抱き上げようとすると逃げられます。
 それでも僕が机に向かっていると、近くに来て、この写真のようにじーっとこちらを見つめながら座っています。
 ン…、名前もつけずにいて、なつくわけがないだろう…って? そうですね、名前を考えなくてはいけませんね。まだ、オスかメスかもわからないので…。


 
2011年3月28日(月)
 
いつの間にか家族が増えました!

 おばあちゃんのベッドの上に固まっている、我が家の猫たちです。何匹いるかわかりますか?
 真ん中で首を上げてこちらを見ているのが母親のチビ…。あとはみんな、その子どもたちです。
 ここにいるのは、11匹。現在、2匹が外出中ですから、我が家には、今、13匹の猫ちゃんがいます。


 
2012年12月26日(水) 手伝おうか? −猫の手−


 深夜、倉庫でひとり、遣り残した仕事を片付けていると、ゴソゴソッと音がして、段ポールの横から「ニャーァ」とシロくんが顔を出した。
 寒い中を、年内にやってしまわなければならない仕事に追われている章くんを見て、「手伝おうか?」とやって来たのだ。
 まずは、積み上げた段ボール箱の一角に隙間を見つけ、おもむろにそこへ潜り込んで、章くんの仕事ぶりをチェックしている。
 暫くかまわずに、章くんが仕事に専念していると、「ニャ?(僕のことを構わんかい)」といってくる。「よしよし」と声をかけると、また穴倉に座り直して、暫くじっとチェッだ。


← ときどき、「ちょっとぉ」と顔を出してきます。


 面倒になってきて、章くん、「ニャァ」と言っても知らん振りをしていたら、プイといなくなった。
 あとに漂う寂寥感…。冷たくしなければよかったか…。


2014.03.15  別 離(わかれ)

 2012年5月、母上が介護施設へ入居しました。5年ほど前から週に3日ほど介護士さんに家に来てもらい、家事一般を手伝ってもらっていたのですが、ある日、介護士さんが家に来てくれたとき、台所で倒れて立てなくなっていた母上を発見したというのです。
 その頃の章くんは事務所で寝泊りする毎日で、2?3日に一度、母上やネコ君たちの様子を見に帰っていました。何よりも自宅は倉庫にしていましたから、仕事上の必要物は取りに帰らなくてはなりませんでした。畢竟、自宅での作業もあり、ネコ君たちが応援に駆けつけてくれることも多かったわけです。
 もちろん自宅に寝泊りすることもしょっちゅうだったのですが、章くんは離れに居ましたから、たとえ在宅時に母上に異変が生じたとしても、気づかなかったかもしれません。
 ケァマネージャーさんも「施設で介護してもらったほうが、目が行き届きます」と言って、心当たりを探してくれました。早速に…という要請もあって、「高齢者住宅介護施設に空きがありました」と見つけてきてくれて、その日のうちに入所しました。
 「高齢者住宅介護施設」とはアパートと介護施設が一緒になっているようなところで、部屋を借りて居住し、また食事や入浴をはじめ身の回りのことも個別に契約して依頼するというシステムです。
 4ヶ月ほどその施設にお世話になったのですが、介護度認定が「要介護4」となり、医療付の全介護施設へ入居しなくてはということになり、またケアマネージャーさんに奔走していただきました。そして9月末、「老人保健施設」へ入居したのです。

 母上の顛末はかいつまんで以上のようなことで、この先ももうひとりで生活することはできないでしょうから、ずっと介護施設のお世話になることになるのでしょうが、急な変転で、母上の入所のその日から、ネコ君たちのお世話は僕の担当になりました。
 母上と一緒にネコ君たちの面倒を見てくれていた薫子ちゃんにも時々助けてもらいながら、2日に1回、僕は深夜になることも多かったのですが、ネコ君たちのえさを運んで、自宅に通いました。前述したように倉庫としても使っていましたので、さまざまな作業をすることも多く、ネコ君たちの応援を得てもいたのです。
 10月、自宅の隣の土地が駐車場として売却されるという話が持ち上がり、我が家にも「一緒に駐車場にできれば、規模の上でも有益に活用できるのですか」という話…。僕は事務所(マンション)に住んでいますし、母上の入居以来、掃除もできず庭木も伸び放題で荒れるに任せていた家でしたから、ここは処分するのが最良という選択になりました。
 さて、ネコ君たちの身の振り方が一大事です。この頃には、最盛期13匹いた我が家のネコ君たちも、貰い手がついたり、成人したオス猫は自分の縄張りを求めて独立していったりして、5匹になっていました。そのうち薫子ちゃんが2軒の貰い手を見つけてきてくれて、残りは3匹…。
 母チビと姉チビ、そして、母上も居ない無人の家のどこに潜んでいるのか、僕が家に行くといつもどこかから飛び出してきて「ニャァ、ニャァ」とまとわりつき、僕が作業していると必ず横に座って付き合ってくれていた、甘えん坊の弟チビです。
 この3匹を、章くん、久居の従兄弟「和彦」の家に預けることにしました。和彦の家はネコを飼ったこともなくて、章くんの依頼をすんなりと受けてくれたわけではないのですが、「お前ンちは農家やから、納屋でもどこでもええ。住むところだけ確保してやってくれ。エサはキャットフードさえ切らさなければいい。周囲は畑やからトイレの心配はないやろ」という章くんの強引さに、「寝るところぐらいなら」と和彦も押し切られた形です。
 10月半ばの夜、3匹を3つのダンボール箱にそれぞれ1匹ずつ入れて運んでいきました。和彦の家までの約30分間、3匹はじっとそれぞれの箱の中で、暴れることもなく、また「ニャァ」とも鳴かずにいました。自分たちの運命を予感していたのでしょうか、あるいは新しい住家への期待をめぐらせていたのでしょうか。悪いようにするわけはないという章くんへの信頼が、3匹の安心感となっていたのだと、今も思うのです。自分は彼らの信頼を裏切った…!
 




 【今日はここまで…。続きは、また近日…】


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