家々の間を縫って延びるコース
第2日 9月20日(月) 

   フェラーリ、ベンツ、ポルシェ


新興住宅地の中に広がる ハーフムーン・ベイGL カリフォルニア第2戦の舞台は、サンフランシスコを南に下がったリゾート地ハーフムーンベイGC。素晴らしいリンクスコースの中に、高級住宅街が広がっています。
 アウトは家々の庭先をかすめて打っていくレイアウト。2番で辺さんはスライスして右隣の家にガッチャーン! 恐る恐るのぞきに行くと家の人の姿は見えず、子犬ほどの大きさの猫がボールを前足で抱きかかえるようにしてうずくまっていました。丸々した猫を見て、辺さん「猫までリッチやン」。
 3番グリーンのうしろの池には、カモの餌をやる母子の姿がありました。そばに停まっている車は真っ赤なフェラーリ…。「トップするなよ。車、壊すぞ!」と辺さん、また心配しています。
 インは一転して太平洋を望むオーシャンコース…!。崖っ淵あり入り江あり砂地ありという、一筋縄ではいかない厄介なホールが続きます。息切れした章くんは、上がりの16・17・18番をトリ・ダボ・トリと叩いて95。
 スコアをまとめる秘訣は、一に最後のハーフを丁寧に回ること、二に上がりの3ホールをまとめること、三に最終ホールをパーで上がること。それをトリ・ダボ・トリでは、典型的な大叩きのケース。アメリカのコースにリベンジを誓って再挑戦に来たのに、こんなところで息切れしていていいのだろうか。

← 18番 418ヤード パー4。 はるか向こうに見えるグリーンまで、右側はずっと断崖絶壁が続く。セカンドが190ヤードほど残るが、グリーンの手前が大きくえぐれていて、入り江になっている。絶望的なスコアに身投げをする人がいるかも知れないので、柵がしつらえてある?

 この夜は芸術の街カーメルのコンドミニアム「コロニアルテラス・イン」に宿を取り、スーパーで買い物をして自炊。連日の肉に飽きていた皆は果物をたくさん買い込んで、フルーティな夕食でした。


第5日 9月21日(火)  鹿と野ウサギの「スパイグラスヒルGC」

 1番は、鬱蒼とした大木の間を狭いフェアウエイへ向けて打っていく林間コース。セカンド地点では鹿の親子が草を食み、コースのいたるところからリスや野ウサギたちが顔を出します。
 隊長・優ちゃん・橋っさんの第一組へは、シカゴの保険代理店ポールさんが加わりました。奥さんと一緒にこのモントレーへ遊びに来ていて、今日は旦那一人でのラウンド。アメリカ人なのに奥さんを放ったらかしでいいのか…えらいぞ。ポールはゴルフは下手、でも奥さんが美人! 

  鹿の親子が草を食み、野ウサギが飛び跳ねる、
           自然豊かなコースです →


 やがてコースは海辺へ出て、砂丘の間にフェアウエイが延びるリンクスコースへと豹変。ブッシュと砂地と、加えてこの日は風…。

 ただでさえもヘタリ気味のおじさんたちは、一打一打にプレッシャーのかかる風のリンクスに立ち向かう気力はすでになく、ダボ・ボギーを繰り返していきます。この日、90台が3人、100超が4人。92を叩いた章くん、明日からのペプルビーチ戦を控えて不安! ポールのことを下手くそなんて言えるのか!

← ここもコースの中を一般道路が通っていて、ほら、バスが走っているでしょう。

 今日と明日の泊まりは「ペプルビーチロッジ」。暖炉には柴が燃え、キングサイズのツインベッド、広いバスタブ、芝生のテラス…と豪華なロッジです。1人1泊約20,000円と、貧乏旅行の私たちの趣旨に反する超豪華版なのですが、ペプルビーチはこのロッジに泊まらないとプレーさせてくれないらしいんです。
 駐車エリアへ車をつけると、レッカー車が来て荷物を運んでくれます。部屋へ荷物を置いて私たちは、食事がてらカーメルの町へ出ることにしました。
 カーメルは家々に花が飾られて、いつ来ても美しい町。アメリカの芸術家の卵たちが集う町としても有名で、商店の中に絵を扱う店がたくさんあります。と、辺さんが大きな絵を買ったのにはビックリ!「この絵はきっと将来値上がりする」と妙に自信あり気に言うので、「そうなの?」と小声で隊長に聞くと、「あんなモン、幼稚園の子どもが描いたみたいなモンや!」とバッサリ!
 篝り火の赤々と燃えるレストランの中庭で夕食。隣のテーブルの夫婦が、私たちの日本語を聞いて、「5年程前に海兵隊の勤務で横須賀にいた。日本語は懐かしい」と話に加わってきました。「日本はいいところだ。また行きたいので、自分たちは今、日本語の勉強をしている」とその夫婦は言っていました。
 カリフォルニアワインを飲んで、幼稚園の子の描いた(?)絵を買った辺さん、ますます元気…。
ぺブルビーチ・ロッジの豪華な部屋
 ページプルビーチロッジにて  広い部屋、大きなベッド、金ピカのバスとトイレ…。
 「この写真をカミさんが見たら、『貧乏旅行やと聞いとったのに、あんたらッ、何という豪華なとこに泊まっとんのッ。 暖炉に赤々と火まで炊いて、何が食うや食わずの貧乏旅行や。 私ゃ、実家へ帰らしてもらいますわ!』って言うぞ」
、と 笑いながらくつろぐ村上隊長  →
 

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その1