その1      


第3日 1月30日
フロリダキーズ 絵葉書より
フロリダキーズ
絵葉書より
フロリダ・キーズ
地図中の左下へ向かって、
海の上を行く道路が、   
フロリダキーズだ
。   




 今日も、フロリダの空は抜けるように青い。起きたとき、『ゴルフに行こうかな』とも思ったのだけれど、日本を出る前から決めていた「フロリダキーズ 洋上のドライブ」に出かけることにしよう。
 「フロリタキーズ」は、フロリダ半島の先端からメキシコ湾に向かって伸びる、約50の珊瑚礁の島々のことで、「キー」とはサンゴ礁の島の意味である。これらの小島は42個の橋で結ばれていて、その先端が「キーウエスト」と呼ばれる小島だ。
 島々を結ぶのは国道1号線(US-1)、はるかカナダ国境から、最果ての地、このキーウエストの先端で海に没する。今日は、この「世界で一番美しいドライブウエイ」といわれる
海の中の道を走ってみようというのである。


 午前6時30分起床、旅先での章くんの朝は早い。7時過ぎにホテルのコンチネンタルブ朝食を済ませて、7時40分には車のハンドルを握っていた。
 朝のマイアミ空港を右手に見て、東へ走る。朝日がまぶしい。マイアミの市内でUS−1とぶつかりこれを右折、南へ。あとは、このUS−1から外れないことだけを注意して、とにかく南へ…。
 マイアミの郊外へ出たUS−1は、やがて左右に潅木が茂る道にとさしかかる。フロリダ半島先端のマングローブの森だ。この辺りから先は、「エバーグレーズ」と呼ばれる大湿原地帯が広がっている。
 フロリダ州南端はほぼ全域が大湿原である。そこは深さ数cm、幅百数十Kmに及ぶ水溜りの世界だ。しかし、たかが水溜りと舐めていたら命取りである。何百種という鳥・水辺の魚貝類・植物に加えて、40種類に及ぶというヤブ蚊…、そして百万匹のワニくんが生息している。
 ここのワニ達は「くん」づけしたように、アリゲーターなる獰猛な爬虫類と違っておとなしい面々…、クロコダイルというハンドバッグで人類に貢献している一族だ。が、これはものの本に書いてあった話だから定かではない。半袖半ズボンで前に立ったら、「ちょうど、腹へっとったんや」とか言って(無言かな?)、ガブッと食べてくれるかも知れない。いや、その前に、フロリダ・ヤブ蚊にたかられて、悶絶死すると思う。…しかし、地球の温度があと1℃上がれば、水溜りは海になってしまって、ここの住人たちは全員ホームレスになってしまうなぁ…と、章くんは、そちらのほうもちょっと心配だ。


 目の前に海が開けた。サンゴ礁の海が輝いている。マイアミキーズ最初の橋を渡って、US−1はマイアミキーズ最初の島「キーラゴー」へと入っていく。
 ここで道は大きく右へ曲がって、いよいよ海上の道「オーバーシーズ・ハイウエイ」の始まりだ。終点のキーウエストまでは約180Km。左に大西洋、右にメキシコ湾を見て走る、大洋分水嶺の道である。
 マイアミキーズ始点の島「キーラゴー」は、サンゴ礁の上にできた島で、島内にはショップやホテルが並んでいる。島の周辺には珊瑚の海が広がっているが、珊瑚礁が造る浅瀬はダイバーには天国でも、船の航行には地獄である。しかも、この一帯は有名なハリケーン地帯…。16世紀ごろから盛んに行き交った中南米諸国との交易船が、座礁して難破する事故が後を絶たなかったという。
 事前にこれを知っていたら章くん、3ヶ月ぐらいの滞在計画を立て、潜水学校へも入って宝船捜索を展開したのに…。一瞬、帰国を延ばして、カリブ海へ潜ろうかとも考えたが、2月3日には、お母様の白内障の手術だから、何としても2日に帰らねばならない。章くんちは、母一人子一人なのである。
 車は、キーラゴー島を抜けて、幾つかの小島が並ぶ「アイラモラーダ」へとさしかかる。キーラゴーの島の中を走っている間は、マイアミ市内を走っているようなもので、市街地のドライブであった。一転し海の中にある家。人が住んでいる。どうやって帰るんだて、この一帯は、左右の海がよく見えて、文字通りオーバーシーズ・ハイウエイ…、海の上の道である。燦々と降るフロリダの太陽の光を受けて、サンゴ礁の広がる浅い海はさまざまな色に変化する。


← 海の中に家があった。人が住んでいる。
  どうやって帰るんだろう。





 やがて、フロリダキーズのちょうど真ん中に位置する「マラソン」の町に入った。たかがサンゴ礁の上に浮かぶ町だと、馬鹿にしてはいけない。この町には、ショッピングセンター・ホテル・病院…、さらには空港…、そして、何とゴルフ場まで揃っている。章くん、道端に車を停めて、コーラを買った。
 キーズ一帯の気候は、マイアミよりも冬は6℃ほど暖かく、逆に夏は6℃ほど涼しいという。降水量もマイアミの半分ほどで、夏の夕方にシャワーが降るほかは、一年中ほぼ毎日晴れの日が続くとか。だから、この島々には、アメリカ北部の人たちの別荘が多い。
 ここマラソンを境として、フロリダキーズは地形が一変する。ここまでの島々(アッパーキーズ)の形は、西に向かって走るUS−1に対して平行に…東西に長いのだが、この先の島々(ロゥアーキーズ)は垂直方向…南北に長い。
 アッパーキーズはサンゴ礁の上に海流や季節風などの影響で堆積物が東西に長く積もってきたのに対して、ここから先のロゥアーキーズはアメリカ大陸のアパラチア山脈の延長と考えられていて、すなわち大陸の一部が南へ伸びてきているのである。大地だから、サンゴ礁の上には見られなかった、松の木などが生えている。


 ここマラソンからフロリダキーズの後半が始まるわけだが、このセブンマイル・ブリッジ町を出ると、いきなりオーバーシー・ハイウエイのハイライト、「セブンマイル・ブリッジ」に出くわす。
 まずは橋の全容をカメラに収めようと、橋の手前のナイツキーに寄って、下からパチリ。全長7マイルだから11Kmほどの長さだ。向こうの端が霞んでいる。
 渡り始めると、両側の壁で左右の景色はよく見えないし、橋を登るときには太陽の光が逆光でまぶしい。この橋だけではないが、このハイウエイは全線が片側1車線の普通の道路だから、気をつけないと海オーバーシーハイウエイは全線1車線の普通の道へはまる。
 橋を渡って「ビッグパインキー」へ入ると、地名の通りの
松(パイン)並木だ。ここは、たくさんの小さな島々がたくさんの橋で結ばれている一帯だが、これらの島はラグーン(潟)でなくて、グラウンド(大地)なのだということが、松並木で判る。章くん、またひとつ、大自然のかけがえのなさを知った(と、生きもの地球紀行調)。途中の島。こんな小さな島がいっぱいある
 どこまでもキラキラと続く光の海…。南国の情緒たっぷりな島々…。途中ところどころで渋滞したので、その都度、車を駐車帯へ停めて、写真を撮ったり、飲み物やお菓子を買ったりしながらのドライブであった。


 42番目の橋を渡って、最果ての地「キーウエスト」の町へ入った。突き当たったところを右に曲がって、あとは道なりに行くと、この島の先端に出る。
 アメリカ大陸を発見したコロンブスは、このフロリダキーズの直ぐ西のバハマ諸島へ到達している。以来この島は、ヨーロッパや南米からの来訪者を受け入れた来たのだが、やって来たのは歓迎する客ばかりではなかった。疫病、伝染病、麻薬、征服者…などなど、そのほとんどが原住民にとっては厄災の種ともいうべきものが上陸して来て、ここからネイティブ・アメリカンの悲劇が始まったことは、歴史が物語る通りである。
 フロリダキーズ最大の町キーウエストは、ラテンモード溢れるにぎやかな街だ。一帯は長い間スペインの統治を受けてきたのだが、1822年にアメリカへ2000ドルで売り渡された。しかし、この町の陽気さは変わることはなく、カリブ海クルーズの港として…、葉巻タバコや製塩などの産業の拠点として…、世界最大のカジキマグロ釣り大会の会場として…などなど、今も大きな賑わいを見せている。キーウエスト空港はインターナショナル・エアポートであって、外国からの飛行機が着く。最南端ポイント


 章くん、駐車場に車を停めて、辺りを歩いてみることにした。人だかりのしているダルマ落とし(?)のようなモニュメントが「サザンモスト・ポイントUSA」(アメリカ最南端)の標識だ。


← サザンモスト・ポイントUSA


 島一番の繁華街「ウオール・ストリート」へ出てみようと、ホワイトヘッドSt.を西へ向かって歩いていると、「ヘミングウェイの家」に出くわした。
 ここキーウエストの亜熱帯性の気候は、色とりどりの動植物を育てる暖かさと、しかも海洋独特の爽やかさを持っている。そんな住みやすさが好まれたのか、南米色の濃いどこか怠惰な哀調に魅かれたのか、古くからここには100人を上回る芸術家たちが移り住んでいる。その中の一人が、巨匠ヘミングエウイ…。ヘミングウェイの家
 『キューバの老漁師サンチャゴは、もう84日の間、一匹の魚も釣り上げてなかった。85日目、彼はたった一人で小船に乗り、それまで行ったことのない遠くの海へ漁に出る。それまでに見たこともない巨大なカジキマグロに遭遇した彼は、4日に渡る死闘の末ついにこれを仕留める。獲物を曳いて帰る途中、襲い来る鮫との激闘… 』
 年老いた漁師と彼を慕う少年との人間愛…。世の中を達観しながらも、少年の尊敬を裏切るまいと、心のどこかに命の炎を燃やしていた老漁師は、ヘミングエウイ自身であったろう。小魚を得ていればたつきの道は絶えることもない彼が、命を賭けた漁に出かけたのはなぜか。きっと、人間の尊厳を、少年のまぶたに焼き付けるためであったろう…、そして、それこそがこの物語の主題なのだと、章くんは思う。
 海を舞台にした名作「老人と海」は、輝く海が広がる最果ての地…ここキーウエストに
居を構えてこその作品であった。女性スキャンダルの絶えなかったヘミング・ウエイだから、ここまで逃げてくれば女も追っかけては来るまいと思ったのか…。いや、スキャンダルを起こすということは、彼自身が女好きだということだから、禁断状態になって手を伸ばしても、すぐには女がいない地の果てへ、自分を隔離したのか…。キーウエスト 2
 いずれにしても、書き上げてから200回も読み直して加筆校正したというのは、最果ての地で孤独にさいなまれながらの状況に自分を置いてこその作業であったことだろう。世の中の女好きは、キーウエストへ隔離すれば良い…。そう、お前ぇのことだぁ!
(話が脱線した。このフロリダ紀行の3・4日目は簡単にして、3ページで終わろうと思っていたのに、文豪のおかげで、もう1ページ追加しなければならなくなったようである。)


 ヘミング・ウェイのお宅へお邪魔するまでもなかろうと、大文豪の遺魂に敬礼して家の前を通り過ぎ、しばらく行くと「ブルー・ヘブン」というシーフード・レストランがあった。道中で買い食いしながらここまで来たので、それほどお腹も減っていなかったのだが、何ンか食べてみようと、ふらりと店に入ってみた。
 カリビアンフードの店で、章くんはせっかくカリブ海の喉仏ぐらいまで来ているのだからと、食指の動いたカレーチキンをやめて、ジャークチキンを頼んだ。これが辛い! コーラとミネラルウオーターで口の中をキーウエストの町洗いながら食べた。34ドルだったから40ドルを置く。おかみさんが美人…、美味しかった。
 小さい島だから、10分も歩けば突き抜けてしまう。たどり着いたウオールSt界隈には、難破船博物館とか、水族館などがあったが、中で章くんの目を引いたのは「海洋財産協会」。説明書を読んでみると、「1622年にキーウエストの西で沈んだスペイン船から引き上げた財宝を展示している」とある。さすらいのギャンブラー章くんの目がキラリッと光った。「いずれは、このオレも…」と。
 中へ入って、他人がゲットしたお宝を拝んでも仕方がない(というよりも、入場料の10ドルがもったいなかった?のかも知れない。カリブの財宝を狙っている割には、意外とミミッチイ)。ここも素通りして、港まで行ってカリブ海クルーズの船みた。
 カリブ海周遊の豪華客船が入港中…。こんなにも素晴らしい海と船を見てしまい、いつかまた章くん、カリブ海クルーズも来なくてはならないことになった。
 赤い夕日がカリブの海へ沈む「サンセット」を見たかったのだが、今日のうちにマイアミのホテルまで帰る予定だから、夕日を見ているとここを出るのが午後6時過ぎ…、マイアミへ帰り着くのは11時ごろになってしまう。明日もこの辺りをブラブラするつもりならば、キーウエストで宿を探せばよいけれども、明日はマイアミ最難関のコースに挑戦するつもりなのだ。
             
オーバーシーズ・ハイウエイ途中の海岸
 時計を見ると2時30分過ぎ。ゆっくり帰れば、帰り道のどこかで、美しい夕焼けを見ることができるかも知れない。ぶらぶらと歩いて車を停めた駐車場まで戻り、キーウエストをあとにしたのが3時30分であった。
 帰りも往きに来た道と同じ道を帰るのだが、今度は西日を受けて、海の表情は心なしか朱みを帯びているようだ。刻々と様相を変えていく海を見ていると、単調なドライブも飽きない。


 キーウエストから約120Km。海上ハイウエイの3分の2を戻ったアイラモラーダで、ようやく陽は西に傾き、空を茜色に染め始めた。 フロリダキーズの夕焼け

 海岸へ降りて、しばし休憩…。先ほどまで、青く澄み渡っていた空は、見る見る黄金色から朱を流したように移り変わり、太陽が海面を金色に焦がしながら水平線の彼方に沈んでいく。燃え上がる海を行き交うヨットのシルエットが、消えていく西空の明かりの中へ溶け込んでいった。



 マイアミの市内へ入ったのは、9時になろうかという頃。これから市内を車で回ってレストランを探すのもおっくうだったので、コンビニへ寄って、ハンバーグ・肉の缶詰・グレープジュース・コーラ・ミネラルウオーター、それにデザート用のパフェとチョコレート、さまざまなお菓子を買って、「コンフォート・イン・マイアミ」へ戻った。
 シャワーを浴びて、食事を取り、パフェを食べてシアワセ…。歯みがいて、寝る。



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