その1      


第4日 1月31日


 マイアミ最後の朝、外はまだ薄暗い。今朝はしっかりと寝て、7時30分ごろに起きようと思っていたのだけれど、6時にはパッチリと目が覚めてしまった。家では、起こさなければ昼まで寝ているくせに、旅先ではなぜこんなに目覚めがいいンだ。
 朝食を済ませ、7時20分ごろにホテルを出て、マイアキービスケー島へ渡る橋からミの市内を目指す。
 太陽の街マイアミの朝は早い。たくさんの人たちが、老いも若きも男も女も、朝から汗びっしょりでジョギングに勤しんでいる。


 マイアミはその温暖な気候ゆえに、リタイアした人たちの第2の人生の場…老人たちの町であると思われているようだが、この3日間、章くんが見てきただけでも、中南米への玄関口として、人と物が行き交う快活な都市である。
 フロリダは1492年のコロンブス到来以来、原住民全滅などの悲しい歴史を刻むスペイン統治時代を経て、1845年にアメリカの州になった。しかし、目に余る白人の先住民迫害はその後も続いていたし、また、南北戦争で開放された黒人たちに対する差別は、近年に至るまで公然と行われていたという。
 歴史の暗黒部分を残しながら、フロリダへは大資本が投下されていく。高速道路が建設され、1959年には飛行機の乗り入れが実現して、ニューヨークまで数時間の距離となった。
 今、フロリダへは年間数百万人の観光客が訪れ、物流の枢軸であるマイアミ・インターナショナル・エアポートは全米一の貨物取扱量を誇る。

キービスケーからダウンタウンを望む
 マイアミ市内を東へ通り抜けて、キービスケーン島へ渡った。海水浴客の押し寄せるマイアミビーチの南隣の島である。この島に、今日のゴルフ場「(Crandon Golf Course)クランドンGC」があるのだ。
 章くんがクランドンGCを知ったのは、日本を発つ前にインターネットでフロリダのゴルフ場を探していたときに、「フロリダで一番難しい(コースレートの高い)コース」と紹介されていたのが目に留まったからだ。腕前は省みずに、難しいコース好きの章くん、「マイアミに行ったら、このコースをぜひ訪ねてみよう」と思って来たのである。
 先日プレーした「ドラル・ゴルフ・リゾート」は、PGAツアー開催コースとして世界に知られている。マイアミでゴルフをするというのならば、やはり外せないコースだ。だから、ドラルだけは宿泊&ゴルフの予約を入れておいたのだけれど、あとはマイアミで考えることにしてやって来たので、今日のクランドンGCは、予約クランドンGC エントランスは入れていない。
 プロショップへ行って、「一人できたんだけれど、スタートできるかい」と聞くと、スタート管理のコンピューター画面を調べて、お兄ちゃん、「9時12分、3人だけどどうだ」と言う。もちろん、章くんに異存のあるわけはなく、「OK、サンキュー」とか言って料金を払い、バッグを下ろして、車を駐車場へ回す。
 クランドンGCは、7180Y、パー72。コースレートは76.2で、スロープは145と、全米でも屈指の難関コースである。
 パブリックだということは、ここへ来るまで知らなかった。島内の公園「グランド・パーク」の一角にあり、1972年にオープン、PGAシニアトーナメントが開催されているらしい。南と西はビスケーン湾に臨み、コース内の7つの池は塩湖である。
 コースの紹介に、ゴルフダイジェスト社の全米ベスト75位にランクされ、またゴルフウイークリー誌の最も難しいコースベスト10にランキングされたとある。パブリックなのに、プレーフィー179ドルは、納得というところかクランドンGC レイアウト
 フロリダには、もちろん平時30ドル前後の料金でプレーができるコースも多数ある。ただ、避寒地だからこの1月〜3月ごろのシーズンは全てに割高で、ホテル代などはオフシーズンの100%増しといった料金も珍しくない。平時30ドルのゴルフ場は50ドルぐらいにはなっているだろうけれども、50〜60ドルぐらいの料金のコースを探すのは、それほど難しくはない。ただ、せっかくフロリダまで来たのだから、名前の知られているコースで…というから、日本でも高いといわれているコースと、あまり変わらない料金を支払うことになるのである。


 コーヒーを飲んでいる間に、スタート時間になった。今日の同伴者はボストンから来たという男性2人。ボストンの今頃の気温は、昼間で5度、夜は−5度ぐらい、降ればほとんど雪でゴルフなんてできないと言っていた。50歳過ぎぐらいかと思っていたが、後で聞いたら39と40歳だと言う。外人は老けて見える。
 前を行くのは、陽気なおじさんの4人組。1番ホールのティショットを見ていたら、4人とも別方向に打って、全員、「今日は調子が良い」と笑う。

 章くんたちの順番になった。1番549Yパー5、いきなり池越えのティショット、しかもフェアウエイは左へ斜めに延びていて、真っ直ぐナイスショットすると向こうへ突き抜ける。左はずっと池で、自分の飛距離と相談の上、狙う方向を決めなくてはならない。
 章くんのティショットはちょっと右へ逃げて、向こうのセミラフ。ボールは浮いていて、3アイアンでナイスショット。3打は100Yをアプローチウエッジでオン。3オン2パットの絵に描いたようなパー。全米最難間ベスト10コースも、案外簡単じゃあないか。
 しかし、2番453Yパー4、セカンドをバッフィを持っても届かない。全米最難関ベスト10は伊達じゃない、ボギー。ホールハンディ1番だった。
 3番192Yパー3、海の上を打っていくショートホールだ。3アイアンで打ったボールは、見事対岸に届いてコロコロとグリーンにオンした。パー。
 4番638Yパー5、長すぎるー。ドライバー、バッフィ、バッフィと打っても届かない。アプローチで寄せてやろうと気負ってダフリ。遠くに乗って3パットのダボ。
 5番427Yパー4、ボギクランドンGC 5番パー4横のバンカーー。6番185Yパー3、パー。
 7番432Yパー4、長い上に、グリーン手前に池が入り込んできている。フェアウエイから200ヤードのバッフィ…、越えるわけがない。池ポチャのダボ。
 8番144Yパー3、パー。9番373Yパー4、ボギー。
 アウトは7オーバーで、ン…42? 43じゃあないのかと、スコアカードを見直したら、3398ヤードでパー35だった。難しいはずだ。


 10番563Yパー5、340〜360Y地点に海が横切っている。セカンドで、この入り江を越えていかねばならない。ドライバーがトップ気味だった章くんは、キャリー170Yのセカンドを要求され、バッフィを一生懸命に打って、やっと越えた。でも、ボギー。
 11番435YパークランドンGC 12番パー3、ボギー。
 12番178Yパー3、前の組のおじさんたちに追いついた。おじさんたちはレギュラーティから打っているから154Y。第1打は3人が池に入れて、打ち直しは2人が池に入れた。その2人は3回目も池に入れて、4回打ち直していたけれど、みんな上機嫌…。


← 前の4人組。全部で11回 ティショットして
 いった。でも、上機嫌!



 このラウンド中に2〜3組が詰まったホールが幾つかあったけれど、みんな、自分たちの順番が来るまで、周囲のホールのプレーや海を見ながら悠然と時間を過ごしている。他の人のプレーに拍手したりして、「遅っそいなぁ」なんてブツブツ言うような人は一人もいない。章くん、4番アイアンでグリーンオーバー。ボギー。
 13番438Yパー4、ボギー。
 14番554Yパー5
でパーが来たものの、15番451Yパー4でセカンドを右の池に入れて、4オン3パットのトリにしてしまった。クランドンGC 15番
 16番407Yパー4、ボギー。
 17番235Yパー3、1パットのパー。
 18番521Yパー5は左右に池(海)が迫る難しいホールだ。右のビスケーン湾までは270Yほどあるから、届くことはない。左の池に注意してと思って打ったドライバーショットが、右のラフに転がり込んでしまった。5番アイアンでガツンと出して、グリーンまで残りが150Y。得意の7番で打った第3打が、ピンの根元40センチに落ちて、トンと止まった。バーディ


 インも7オーバーになって、ン…44。3782Yのインはパーが37である。
 トータル86は、世界の難関に挑戦した結果としてはよしとしよう。
 …と、章くん、最近は自分に甘い。力が落ちてきているということなのかもしれない。


 クラブハウスのスナックで、ホットドッグとコーラでお腹を満たして、2時半…。マイアミビーチへ、金髪美人のビキニを見ようと行ってみることにした。
 ビーチは、地図ではすぐ北隣に位置しているのだが、直接渡る橋がないので、一度マイアミ市内に戻り、改めて市内から延びる橋を渡って入らねばならない。マイアミビーチ
 ビーチ一帯には、海岸に面して高級ホテルや立派なコンドミニアムが立ち並んでいる。リタイアして第2の人生をゆっくりと過ごそうとする人たちは、自宅を処分して、このコンドミニアムに移り住むのだと聞いた。
 中南米との物品交流の通り道であるマイアミは、麻薬などの不合法品が大量に流れているというし、不法移民なども多くて、残念ながら治安に不安を抱えていると言われる。立ち並ぶコンドミニアムはセキュリティもしっかりしていて、余生を送る人たちの安心を保障しているのだ。
 燦燦たる太陽の光を浴びて、金髪美人がひしめくマイアミビーチ…、中には肌を焼くためにビキニの水着を外している姿も見られるとか、何かの週刊誌で呼んだ覚えのある章くんは、駐車場へ車を預けるのももどかしく、ビーチへと走った。
 燦燦たる太陽…浜には…、家族連れや昔の金髪美人(であったろう)の姿は見られるけれど、ビキニギャルの姿はどこにも見られない。さっきまでは、「僕も余生はマイアミに来ようか」などと密かに思っていたのだけれど、なぜか「絶対にヤメタ」と決意を新たにしていたマイアミ市内のショッピングセンター


 ダウンタウンに戻って、店をのぞいたりしながら、ブラブラと歩く。町はたくさんの人で賑わっている。
 町のいたるところからスペイン語が聞こえてくるのは、南米の人たちが圧倒的に多い、このダウンタウンの特徴だろう。Tシャツ屋に寄って、娘の優紀たちの土産を5〜6枚買った。
 そろそろ夕暮れ…。「決して治安が良いとはいえないマイアミのダウンタウンには、日が沈むと、もうひとつの顔が現れる」と、何かの本で読んだ覚えがある。もうひとつの顔も見てみたい思いもあったけれど、命はもうひとつないので、車に乗ってダウンタウンを後にした。
 マイアミも今夜が最後…。ちょっと立ち去りがたい思いがマイアミの夕暮れして、あたりをぐるぐると車で回ってみた。
 グレーターマイアミと呼ばれるマイアミ市内から、また橋を渡ってビーチへも行ってみた。二人連れで、夕闇の迫る海岸通を散歩している観光客の姿もたくさん見かけた。この辺りの治安は、格段に改善されているのだろう。振り返るとダウンタウンに明かりが点り、夕焼けの中に瞬く町が綺麗だった。
 
カーサファンチョ(Casa Juancho)
 ホテルへ戻る途中、41号線沿いにあるスペイン料理店「カーサ・ファンチョ(Casa Juancho) 」へ寄ってみた。
 この店はスペインの古い城を連想させるインテリアデザインのレストラン。オリーブ油と香辛料をたっぷり使った肉と魚のソテー料理が人気メニューとのこと。スペイン統治の影を残すマイアミ最後の夜にふさわしいシチュエーションではないか。
 
カーサファンチョ玄関のニワトリ
← 玄関では、真っ赤なトリの置物が出迎えてくれる。チキンのトマトソース仕立てが美味いということか。
 店内は、結構な混雑だ。「1人、OK?」と入っていくと、カウンターの席に案内してくれた。

 メニューはスペイン語で英語の説明書きが添えてある。よく解らない章くんは、英語の単語を手がかりに「ジスワン、ジスワン…」とメニューを指差して注文した。何が出てきても食べるという覚悟が必要である。
 まずスープは、ロブスター・ビスク(8j)。海老・蟹など甲殻類を主材料にして煮詰めて作る濃厚なスープのことだ。章くん、これは解かる。そしカーサファンチョの店内て1品は、ハマグリと小エビのトマトソース煮(24j)。2品目は、骨抜きアヒルの焼き物(20j)。飲み物はコーラ、オレンジ・ジュース、ミネラルウォーター。それにデザートはクリームカスタード(7j)でフィニッシュ。
 アルコールが入ってテンションの上がった客が、ナンタラカンタラと巻き舌で喋っている。カッカッカーと笑いながら、喋っている客の背中を叩き、グラスを合わせて相槌をうっている男がいる。
 ラテンの妖艶な女の人が、テーブルに肘をついてあごを乗せ、横目で男の顔を見ながら、何かささやいている。やっぱり老後は、マイアミがいいかな。
 

 明朝は、8時にはホテルを出発しなければならない。部屋に帰って荷物の整理だ。


 荷造りを終え、帰り道のコンビニで買って来たケーキを食べて 幸せ…。寝る。



第5・6日 2月1日〜2日

マイアミ空港
 6時30分起床。午前8時10分、チェックアウト。
 8時30分 ハーツ営業所で車を返し、空港カウンターへ
 10時12分 マイアミ空港発
 午後1時 デトロイト着
   3時22分 デトロイト空港発 NW0069便


  … 日付変更線 通過 …


 2日  午後4時22分 関西空港到着 寒〜い。

                          マイアミ・ゴルフ紀行 


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マイアミ・ゴルフ紀行
その2