

【175】 バラク・オバマ第44代アメリカ合衆国大統領誕生 2009.01.21
バラク・オバマ第44代アメリカ合衆国大統領の就任式が始まった。NHKが、むライブでその様子を映し出している。アメリカ史上初の黒人大統領の誕生を目撃しようと、式場周辺には200万人ともいわれる人々が詰め掛けている。歴史の証人として、この式典に立ち会おうという人々である。
1年前に民主党の大統領予備選に現れたとき、それほどの注目も集めなかったこのアフリカ系黒人候補は、民主党の候補者指名争いで圧倒的な人気を誇ったヒラリー・クリントン候補を破り、一躍、時代のヒーローに躍り出た。共和党の候補者マケインとは、一時、支持率を引き離されながら、巧みな弁舌(もちろんその背景には彼自身の情熱があるのだろうが)とブッシュ(共和党)大統領の失政に助けられて支持を広げ、世界金融危機を追い風にして、大統領に選出されたのである。1年前、いったい誰がオバマ大統領を思い描いていただろう。
オバマの生い立ちも、アメリカ大統領としては異例である。ケニア生まれの黒人ムスリム(イ
スラム教徒)である父とカンサス州生まれの母(白人)との間に1961年に生を受けたが、両親は離婚し、のち父親は自動車事故で死亡している。人類学者の母はハワイ大学でインドネシア人と知り合い再婚、インドネシアに渡ったのでオバマも10歳までジャカルタの小学校に通った。11歳になって母の実家であるハワイの祖父母(共に白人)のもとに帰り、以後はそこで育てられるが、母は2度目の離婚ののち、1995年に癌で亡くなっている。
高校卒業後、ロサンゼルスの私立オクシデンタル単科大学に入学。2年後、ニューヨーク州のコロンビア大学に編入し政治学、特に国際関係論を専攻して、1983年に同大学を卒業。ニューヨークやシカゴで教会が主導する地域振興事業などに従事したのち、1988年秋にハーバード大学ロースクールに入学し、法学博士の学位を取得した。修了後、シカゴに戻り、弁護士として法律事務所に勤務、人権派弁護士として頭角を現した。
政界進出は、貧困層救済の草の根社会活動を通して1996年にイリノイ州議会上院の議員に選出され、2000年には連邦議会下院議員選挙に出馬したが他の黒人候補に敗れた。
2003年1月、アメリカ合衆国上院議員選挙に民主党から出馬、7人で争った予備選挙を得票率53%で勝ち抜き同党の正式候補となった。2004年11月、共和党候補を得票率70%対27%の大差で破り、イリノイ州選出の上院議員に初当選した。アフリカ系上院議員としては史上5人目(選挙で選ばれた上院議員としては史上3人目)であった。
オバマは、「『全ての人は生まれながらにして平等であり、自由、そして幸福を追求する権利を持つ』という独立宣言を行ったアメリカ合衆国だからこそ、自分のような人生があり得たのだ」と述べている。
さらに「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ」「イラク戦争に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じアメリカに忠誠を誓う“アメリカ人”なのだ」と語り、その言葉が広く全米に中継されるとともに高い評価を広げていったのである。
午前1時45分(日本時間)、バラク・オバマ新大統領の姿が現れた。登場口から演壇に至る階段の左右に居並ぶ人たちと手を握り合いながら、ゆっくりと階段を下りてくる。47歳と5ヶ月、アメリカ史上5番目に若い大統領である。
アメリカ発の世界金融恐慌によって、パクス・アメリカーナの時代は終わった。世界経済を牛耳ったドルも、基軸通貨としての地位を失いつつある。
イギリスに産業革命の灯がともってから250年、アダム・スミスが「国富論」(1776年)を著してから230年、マックス・ウエーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1905年)によって近代資本主義を確立してから100年、ケインズが「雇用・利子および貨幣の一般理論」(1936)を発表してケインズ経済学を打ち立ててから70年、…新資本主義と形容されるアメリカの金融帝国主義は破綻を迎えている。
就任式が行われているリンカーン記念堂の玄関には、アメリカ第16代大統領エィブラハム・リンカーンの大きな像が座っている。そのリンカーンが宣して南北戦争が勃発した「奴隷解放宣言」(1862年)から120年、この記念堂の前で行われたキング牧師の“I
Have a Dream”(私には夢がある)で始まる演説(1963年)から45年、今、アメリカは初めての黒人大統領を抱いた。民族団結の象徴なのか、それとも大いなる混沌の始まりなのか。
アメリカは「60年前、私の父はレストランにさえ入れなかった」と語る新大統領を迎えて、よみがえることができるのだろうか。
午前2時05分(日本時間)、バラク・オバマは故リーンカーン大統領が用いた聖書に手を置
いて、「アメリカ合衆国と国民のために、全力を尽くします」と宣誓した。アメリカ合衆国第44代大統領の誕生である。
続く就任演説で、「今、アメリカは大きな危機の中にある。アメリカの威信が揺らいでいる。しかし、短い時間では無理かもしれないけれど、いつか私たちはそれらの困難を克服する。アメリカは偉大だ。もう一度、世界をリードする国だ。視線を落とすことなく、はるかな未来に向かって歩き出そう」と語る言葉の先には、どんな世界が待ち受けているのだろうか。
新大統領を取り巻く状況は、いかにも厳しい。まず、国内の経済の復興と民生の安定が緊急の課題である。そして同時に、イラク戦争の終結と中近東の和平も、早急に実現しなければならない懸案である。「世界の国々と語り合いながら」という彼の言葉は、国際的な協調を推し進めながら、諸問題を解決していくことを基調とする決意の表れなのだろう。
大きく後退したとはいえ、依然、アメリカは世界に絶大な影響力を持つ。その意味において、アメリカ合衆国と世界の安定のために、オバマ新大統領の前途が明るく開けたものであることを祈ってやまない。
【174】 吉田秋田県知事、全国学力テストの市町村別結果を公表 2008.12.25
先日、僕は、鳥取県の県議会が、4月に実施された全国学力テストの結果を県下の市町村別に公表する決議をしたことに、「当然だ」と賛意を示した【参照】。『テストを行っておいて結果を公表しないなんて、やらないのと同じだ』とも書いた。
秋田県下のある市町村の教育長は、「まさか公表するとは思わなかった。極めて遺憾」と反対理由も述べずに否定的な見解を示していた。反対の理由は言ったのかもしれないが、NHKのニュース画面では流れなかった。また、別の教育長は、「公表すれば、数字が一人歩きするのが恐い」とコメントして、やはり反対を表明していた。一人歩きしないように丁寧な説明をして、県民や市町村民の納得を得ることが大切なのである。その努力をせずして、結果が曲解されるのが恐いと述べるなど、教育行政にかかわるものとは思えない対応である。
また、文部省も「公表は前提としていない」とのコメントを発表し、古田秋田県知事の処置を遺憾としている。結果を公表して今後の実践への反省材料に活用しないというのならば、莫大な費用を費やして学力テストを実施する必要はない。文部省がこのテストを実施したのは、子どもたちの学力を客観的に分析し、今後の教育行政の資料とすることが、最大の目的であったはずである。良い結果を示した部分はそのまま伸ばし、結果が芳しくなかったところはその原因を分析して改善していくためのテストであったはずだ。
その結果は教育関係者のみが知っていれば良いことだというのだろうか。それこそ、責任も当事者意識も改善への明確な道も示しえない、閉鎖的な日本的談合体質そのものであろう。結果を世間の目から隔絶したところに置いて、次の対策もまたその結果も国民・県民・市町村民の査定を逃れようというのである。公表できないようなものから、良い結果が生まれるわけはない。
その意味で、教育関係者は無責任だ。公表を避けようとしていることは、結果を正面から受け止めようとしていないではないか。子どもたちに、「卑怯者であってはならない」と教えている教育者が、その結果から…世間の評価から逃げていて良いのだろうか。
堂々とその結果に正対し、良好な結果ならばそれを誇りとし、結果が悪ければそれを起点として次に結果を出せばよいのではないか。そうしてこそ、子どもたちのためにもなるのであり、自らの姿勢や業績を誇ることができるのであろう。
翻って、三重県はどうだろうか。三重県教職員組合(三教組)を有力な支持母体としている野呂三重県知事が、公表という判断を下すことはない。三重県教育界は、安堵していることだろう。そしてその結果が、最下位から数えて数番目の成績【参照】となって表われているということなのである。
【173】 原 辰徳読売巨人軍監督、WBC日本監督に就任 2008.12.10
- 日本の野球界も 人材不足 -
2009年のWBC日本監督に、読売巨人軍の原 辰徳監督の就任が決まった。日本の野球界も人材が枯渇していることの表れだろう。
今年のペナントレースを、夏場には13ゲームも離されていながら、巨人軍に逆転優勝をもたらした手腕を買われたというわけだが、一時13ゲームも離されたこと自体が凡庸な監督である証拠ではないのか。
今年の(今年に限らずであるが)大金を費やしての巨人軍の陣容を見れば、誰もが優勝候補の最王手に挙げたし、優勝して当然だろう。それを、開幕戦で「エースと4番を強奪した」ヤクルトに為すすべなく3連敗を喫し、宿敵中日にも無策のままに連敗を喫している。
これだけの巨大戦力を与えられて、智将であれば開幕から常に上位にいただろうし、ましてやひところはリーグ優勝を諦めるような13ゲーム差という位置にチームを落としてしまうようなことは考えられまい。後半、そのゲーム差をひっくり返した戦いにも、采配の妙などなく、ただワンパターンの戦いを繰り返すのみであった。監督の采配もコーチの指導もなくなって、開き直った選手たちが、本来の力を発揮してひっくりかえした優勝であったというべきだろう。
原の凡庸さは日本シリーズの結果にも表われている。戦力比較をすれば、シーズン前にはリーグ優勝さえも危ぶまれていた西部の若い力を引き出して日本シリーズに臨んだ伊東監督であったが、選手個々の戦力を比べればまだまだ巨人のほうが上であった。その西部を、ここぞというときの岸の登用(先発&リリーフ)で試合の流れを引き寄せ、日本一に導いた采配こそ、監督の力量というものであった。
WBC日本監督は伊東西部監督が就任するのが、本義なのではないか。日本一を達成した監督であり、戦力の劣る西部で巨人を倒したのだから、戦略も采配も原よりは上ということで間違いはない。
原はWBC監督候補にあがったとき、「球団がやれといわれれば…」と渡辺恒雄の意向を伺う発言をしている。インサイドワーク(処世術)は確実に上達しているのだが、肝心のインサイドベースボールの勉強が少しも進んでいないのだから、WBC監督に就任しても何の期待もできまい。
行き当たりばったりのゲームをして、運がよければ勝ち、さもなければ無策の惨敗を喫して帰ってくることだろう。「オリンピックも勝てなかった」と言いながら…。
【172】 Co2は地球温暖化の主犯ではない - 環境問題が語る問題 - 2008.11.10
日本は80年代から省エネを進めてきて、模範的なエネルギー効率のよい国家であったが、「京都議定書」では、『現在のような化石エネルギーの消費が続けば、21世紀の地球は前世紀より約4℃の温暖化が進み、生物種の約4割が絶滅して生態系は壊滅する』として、議長国であった日本は更に2012年までに6%の削減目標を受諾して閉会した。数値目標の基準年となった1990年の段階で、すでに日本は高いレベルの効率化を達成していたのだから、新しい目標を達成できるはずはなく、ロシアやアルゼンチンから排出権を莫大な費用を出して買い取り、世界各国から「日本は本気か」といぶかしがられている。
ここに、「地球温暖化の主犯はCo2ではない」とする、丸山茂徳東工大教授の論文を紹介しよう。日本だけでも年間1兆円もの予算を費やし、膨大な利権産業へと変貌しつつある地球温暖化防止キャンペーンよりも、丸山論文のほうが信憑性は高いと思われるから…。
『 日本政府やマスコミが「地球温暖化の主犯はCo2だ」というする拠りどころは、ゴア前米副大統領とともにノーベル平和賞(2007年)を受けたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の予言だが、IPCCは「Co2の可能性が高い」としか言っておらず、ちゃんと逃げ道を作っている。ところがテレビや新聞では、Co2が100%の犯人だと替わってしまった。
地球の温度はこの100年間に0.6℃上昇しているが、この程度の上下幅は地球の歴史上ありふれたことで、グリーンランドではわずか20年の間に10℃以上も上下している。
Co2が1ppm増加すると、温度は0.004℃ほど上がる。昨今の人為的Co2の排出量は、ちょう
ど毎年1.0~1.4ppm程度の増加で、これを温度に換算すると0.004~0.005℃の増加に過ぎない。近年の気温上昇は、Co2の増加が原因ではないのだ。
そして、1940年から80年までの40年間、世界が化石燃料を大量に使い始め、空気中のCo2濃度が急増(28ppmの増加)した期間を見ると、地球の温度は0.1℃下降している。これひとつをとっても、気温変化の要因は別にあって、Co2温暖化主犯説は崩壊している。
ならば、地球温暖化の原因は何か。「太陽活動の活発化」こそが最大の要因である。現在、太陽の活動はとても高まっていて、日光照射量は最大に達している。しかし、太陽エネルギーの照射だけでは地球の気温は-18℃にしかならず、太陽照射が大気を温めて温暖な気温となる。
大気が温められて気温が形成されるとなれば、Co2こそ要因ではないかと言いたいところながら、大気の主体は水蒸気である。水蒸気は雲にもなり、地球の50%は雲に覆われていて、雲の量が1%増えると気温は1℃下がると考えられている。
その雲の量に最も大きな影響を与えるのは「銀河宇宙線の飛来量(宇宙を飛び交う放射線)」
で、太陽の活動が活発になると大気中に入りにくくなる。銀河同士の衝突などが起こると銀河宇宙線の飛来量は大きく増え、雲が大量に増えて地球は寒冷化して凍りつく。(銀河宇宙線は大量照射すると生物は突然変異する。スターバスト(銀河同士の衝突で大量の星が形成される現象)が起こった23億年前や6億年前(カンブリア紀)にはゲノム上の大変革が生じて、たくさんの種類の生物が誕生している)
人類史の中でも、10世紀から12世紀はかなり暖かく(中世の温暖期)、グリーンランドにも緑地が広がり農場もあったが、16~17世紀に寒冷化し現在のような氷の大地となった。17世紀初頭(日本では関が原の合戦のころ)はかなり寒かったようで、アルプスの氷河が前進したり、イギリスのテムズ川が氷結した記録が残っている。当時は、太陽の黒点が少なく活動が低下していたことが明らかになっている。
銀河宇宙線の飛来に影響を与えるもうひとつの要因は「地球の磁場」で、今はどんどん弱くなっていて、あと1000年もすればゼロになる。250万年程前には、磁石が示す北と南が逆転した(松山逆磁極期)。磁場が弱くっていく過程では宇宙線が地球上に盛んに降り注いで、雲が多くなる。すなわち、地球気温は下がっていく。地球の公転軌道も2万~10万年の周期で変動(ミランコヴィッチ周期)し、日射量が変わることも考慮する必要があろう。
さらに「古気候」の変動にも照らして考えれば、地球の温度変化は6000年前に温暖化のピークを迎え、その後、冷却傾向にある。人類が誕生した600万年前から数えると、4度の氷河期があり、今、われわれは1万年ほどの間氷期にあって、人類は農業を初め、産業革命を成し遂げ、豊かな文明を築いてきた。が、太陽活動の減衰はすでに観測されていて、2035年までには寒冷化の兆候が現れるだろう。いや、5~10年の間に、その傾向がみえるはずだ。』
地球温暖化に与えるCo2の影響はまことに微々たるものであった。産業革命以前の大気中濃度は250ppmに対して、現在は381ppm。100年間に蓄積されたCo2は100ppmとなり、これを温度に換算すると0.4℃の上昇となる。Co2の増加が地球の気候に与える影響は、驚くほど少ない。しかも、上の文中にもあったように、空気中のCo2濃度が急増(28ppmの増加)した1940年から80年までの40年間を見ると、地球の温度は0.1℃下降している。
日本は、「温暖化防止に向かって一直線」という状態だが、個々にその努力を積み重ねていくことは結構なことかと思われ、地球温暖化をほんの少し遅らせる効果はあるかもしれないけれど、残念ながらそれを食い止めることはできない。なぜなら、日本以外の国は、アメリカやヨーロッパもCo2削減には本気ではなく、中国やインドにいたっては全くその気はないからだ。
「京都議定書」を守ることにヨーロッパは積極的で、現にCo2を減らしていると思われているかもしれない。が、複雑な計算は省くとして、京都議定書が締結されたのは1997年なのに、計算の基準とする年は1990年にさかのぼるとしているため、ドイツはこの年に公害垂れ流しの東ドイツを合併しているから実質的に+11%、イギリスは+5%、ロシアにいたっては+38%と増加枠を確保しているのである。
世界中で、「温暖化を防ぐために京都議定書を守りましょう」と言っているのは日本だけ、実質的に削減努力をしているのも日本だけで、政治的にはひとり負け…、他国は呆れ嘲笑している。「それでも意義がある」というと言うのならばそれも結構だが、地球温暖化の犯人ではないらしいCo2を、年間1兆円の国家予算を投じ、骨身を削る企業や個人の努力を重ね、そして莫大な費用を投じての排出権を買い取っていく日本の姿を考えれば、世界の現実に立ち返って再考しなければならない課題であろう。
さらに、環境問題は大きな利権…金儲けにつながっているという点も指摘しておきたい。身近な例では「レジ袋追放」である。レジ袋を作るのに石油が消費されるという説があるが、レジ袋が作られる石油成分はプラスチックや重油などとして使うことができずに燃やしていた部分を使っているので、石油のムダ遣いを有効利用しているというべきである。昔、石油コンビナードでは使うことのできない成分を煙突から炎を上げて燃やしていたけれど、今は水蒸気が上がっているだけで炎は見られない。以前には使われず燃やしていた成分が有効利用されていて、それがレジ袋になっているのだ。レジ袋がタダで供給されているのは、余りもので作られているので非常に安くできるからでもある。
また、小池元環境相は在任当時、「ごみのほとんどはレジ袋に包まれていて、レジ袋があるとごみが増える」などと言っていたが、レジ袋を無くしたら代わりのゴミ袋を作らなければならない。どうせ捨てて燃やしてしまうのだから、タダで貰ったものを使うのが一番良いのに、なぜレジ袋と同じ成分でできたポリエチレン製の袋を新たに買って使わなければならないのだろう。びっくりするような不合理ではないか。
レジ袋をやめれば、これまでレジ袋を作るために使っていた成分を煙突で燃やさねばならないことになって、Co2が増加する。また、買い物袋(=エコバッグ)を使えと勧めているが、エコバッグの材料はBTX成分といってプラスチックなどを作る高級成分である。年に1回、エコバッグを買い換えて古いものを燃やすとすると、石油を使う量はレジ袋を使い続ける比ではない。
レジ袋の追放は、ゴミ袋、エコバッグの売り上げ増大でスーパーの懐(ふところ)が潤うこと、環境省の仕事をふやすことが、『利点』であろうか。エネルギーの節約は経産省、食べ物は農水省、河・町づくりは国交省などが担当しているから、肝心の環境問題で環境省が存在を示すには「レジ袋」だ「クールビズ」だと言わなければならない。さらには、年間1兆円もの予算を獲得して膨大な仕事を作り、利権・天下り先を確保しようとしている。しかし、その環境行政には先がない。環境問題には、人類が目指すべき目標を見据え、地球の生命についての思考が必要なのである。
話を地球温暖化にもどそう。そもそも地球の気温は、生命の維持膨大なエネルギーを要する寒冷化よりも、人間も動物も植物も活動的になり、生産性も向上する温暖化のほうが望ましいことは確かである。
4~5世紀、ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン民族の大移動は、小規模な寒冷化によってヨーロッパ北部の生産が落ちたための南下であったし、同じ時期、日本にも大陸から1万人もの帰化人が南下してきている。ロシアの旅順租借は不凍港を求めた南下であり、13世紀のチンギス・ハーンの世界制覇も、乾燥地帯では膨れ上がった人口を養えなくなったがための膨張であった。気候こそが人類の歴史を作ってきたのである。
地球が寒冷化すれば、世界が養うことのできる人口は激減する。20世紀の初めに20億だった地球の人口は、21世紀初頭に60億を越えて、2006年には67億となった。わずか6年で7億増加した人口は、2050年には90億になる。その過程において、丸山教授は2020年ごろから人類社会に大混乱が生じると警告している。
爆発する人口に、食料は不足し、石油も枯渇する。寒冷化すれば、ニューヨーク・シアトル・北海道・トルコ・ロンドン以北に人は住めなくなり、世界の食糧生産はますます減少して飢餓に陥る人々が出る一方、莫大な化石燃料を燃やすことになる。
どうすればよいのか。ここでも、人類が目指すべき目標を見据え、地球規模の哲学的な思考が必要である。人口爆発、食糧危機、技術革新、世界国家…などなど。ただ、エゴイズムを押し通す国家の枠を人類が超えることができないとすれば、食糧生産を増大させて自給し、化石燃料から脱却して太陽エネルギーや風力発電などの低炭素社会を構築することが必要だろう。
2035年にも到来するという地球寒冷化…。行く末をしっかり見据えて進まなければ、ただ食うためだけに人間が争い殺し合い、文明も英知も何もかもを滅ぼす未来がやってくることになる。
【171】 田母神俊雄航空幕僚長(強制?)退職 2008.11.03
現職の航空自衛隊のトップが、「日中戦争は侵略戦争ではない。真珠湾攻撃はアメリカが仕掛けた罠にはまった」といった意味の懸賞論文を書き、更迭された。今日3日に誕生日を迎えて、定年退職だとか。
田母神俊雄航空幕僚長が書いた論文の内容は、今や多くの部分で検証されている昭和史の事実で、戦後史観こそが見直されなければならないときを迎えている。歴史の検証もせずに周辺諸国の抗議をかわすためにとにかく謝ることを繰り返してきた宮沢・村山・河野談話などは、わが国の戦後の日々にぬぐうことのできない暗い影を落としている。今も、政治的、社会的、思想的立場から、「日本は侵略国家だった」と叫ぶ知識人・学者などは多い。
ただ、現職の航空幕僚長が政府見解と異なる意見を公表したというところが、何んとも悩ましい。会社がテレビを売れと言っているのに、地域本部長がコンピュータで行けと公言したようなものである。政府としても更迭はいたし方のないところで、田母神航空幕僚長としては現職のうちは会社の方針もあることだから、意見の公表は思いとどまるべきであった…というのが僕の結論だがどうだろう。
ただ、この更迭を報じる報道の全てが、「こんな人が自衛隊のトップに居るなんて」という論調であるのが気にかかる。今や、東京裁判の誤謬は世界が認めるところなのだから、日本の歴史観も新しい見直しや検証をしっかりと行っていくときを迎えている。
中共・韓国や国内の一部勢力からの激しい反発は避けられないだろうが、しかしそれでも、歴史の真実を追究していく姿勢をもつことは、現代の日本を生きるものとして忘れてはならないことだろう。波風を立てないことが大切なのではなく、自分たちの祖父や父は侵略者で、日本は犯罪国家だったという烙印を取り除き、真実の歴史を知り正しい史観を確立して民族の誇りを持つことこそが、今の日本に生きるものの責務なのである。
大東亜戦争に敗れてGHQの統治を受け、言いたいことも言えない時代には、受け入れなければならなかった理不尽もあったことだろう。周辺国家から浴びせられる忘恩の罵声も、じっと耐えて平和条約の締結にこぎつけなければならない時代の要請もあったのだろう。
これら先人の努力は労(ねぎら)うところ大としなければならないけれど、便宜的な、その場しのぎの諂(へつら)いは認められない。ただ相手の機嫌をとるだけの村山談話等が、その後の日本政府を縛り、外交をいかにゆがめてきたことか。謝り土下座するのは簡単だが、いったん頭を下げたことによって既成事実化したことを覆すことの困難さはいかばかりか。日本は今日もなおその呪縛に縛られ、日本人の心の中には言い知れぬ罪悪感が潜んでいることを思えば、彼らの罪深さは万死を以っても拭いきれるものではない。
歴史学者の秦 郁彦氏は田母神航空幕僚長の論文を「一方的な見方ばかりをつなぎ合わせた、自分勝手な解釈のもの」と決め付け、信憑性を疑う例として年代が1年違っていることを挙げていた。しかし、日本の朝鮮半島~中国大陸への進出は地政的な必然もあり、日本が日清戦争・日露戦争に勝利しなかったら、朝鮮半島は独立を果たしていなかったろうし、当時すでにロシアの支配地であった満州は「江東64屯の悲劇」に見られるように、ロシア領に組み入れられていたことだろう。
宗主国の清による搾取・統治に安住し、民政もなかった李氏朝鮮に独立を促し社会整備を推進してきたのは、日本の指導援助があってのことである。満州を経て朝鮮に進出していたロシアの勢力を駆逐し、朝鮮を独立させたのも日本であったが、ついに朝鮮は独力にて独立国家を経営することはできなかった。
これらは、中国・韓国から見れば、日本の内政干渉・侵略であると主張するところであろうが、秦氏はその主張を入れて、多くの史家の指摘する、当時の中韓には当事者能力がなかったとする主張を、一方からしか見ていないと指摘するのだろうか。
また、中国大陸を戦場として戦った日本軍を侵略者だと非難するならば、当時の欧米列強は全て侵略者であり、アジアの各地に植民地を広げていった英仏蘭独西米などは、等しく非難されなければならない。ひとり日本ばかりを「侵略国家」と非難するのは、それこそ一方しか見ていない主張である。ましてや、インカ帝国を滅ぼしたスペイン(西班牙)や、先住民であるアメリカインディアンを壊滅させたアメリカ、アボリジニの生存権を奪ったオーストラリア…などは、ジェノサイド(民族浄化)を図った極悪人としてナチスドイツと同じように断罪されなければならないのではないのか。
帝国主義全盛のあの時代、海外派兵は歴史の必然であった。日本の戦国時代に、織田信長の浅井・朝倉攻めを非難する史家はいない。日本の中国出兵は、それと同じ論理である。それだけの国力があり、派兵先があれば、派兵することが国家の論理であり、いやいや他国の領土は侵すべからず…などと言っているのは、時代の見えない判断である。
ましてや、清朝の最大版図内にあったというだけで、独立国家であったチベットを武力で併合し、新疆ウイグル地区を領土に納め、ベトナムへ武力侵攻した中共が、日本を「侵略国家」と非難するなど、本末転倒した話である。
田母神航空幕僚長の論文は、日本の新しい史観の中で主張されている内容であり、その正当性は多くの史家の支持するところである。むしろ、戦後63年を経た現在、日本政府にこそ、東京裁判史観の見直しを促したい。日本としての歴史を確立し、民族の誇りを語り継ぎ、子どもたちに教えるときが、到来しているのではないか。そして、この機会を逃せば、大東亜戦争の語り部が高齢となり、居なくなってしまう懸念をするべきであろう。
【170】 パルチザンの物語は永遠なれ -北朝鮮の後継者問題- 2008.11.01
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軽い気持ちで【雑記帳】に書き始めたのですが、ついつい長くなってしまったので、本文として載せたほうがいいかなと思い、「日本は、今(政治)」のこのページへ転載(コピー)しました。
突然ですが、北朝鮮の後継者は、金正日の次男「金正哲」に決定したようです。
2~3日前にテレビで、フランスの脳外科の医師団が北京へ向かう姿が報じられていました。フランスから北京へ向かう医師など珍しくもありませんが、彼らはその後ピョンヤンへ向かう一行でした。美食の限りを尽くし、大酒をあおってきた金正日朝鮮人民民主主義共和国総統は、まず通風を病み、やがて心臓病、次に高血圧から脳溢血か脳卒中か、とにかく脳に重大な症状を発症しているようです。
9月9日の建国祭にわれらが将軍様の姿がないなんて考えられないことで、先軍政治の北朝鮮にあって軍事パレードを朝鮮人民軍最高司令官が閲兵しないなんてことはないのですが、この日、とうとう彼は姿を見せませんでした。米国の苦し紛れの「テロ国家指定解除」はかなりの良薬だと思ったのですが、特効薬とはならなかったようですね。
9月14日、朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」が、『私も最高司令官である前にひとりの人間であり…』と、偉大なる指導者金正日の「人間宣言」を掲載しました。そして、2002年以来、金正哲の母の高英姫を「尊敬するオモニム(母上さま)」として偶像化キャンペーンを張っています。北朝鮮では、偉大なる指導者の母もまた偶像でなくてはならないからです。(高英姫は在日の帰国者で、元踊り子。2004年に乳癌で死亡しています。)
金正日には、2001年に成田空港で拘束された長男の正男と、三男の正雲がいますが、二人の母親に偶像化のキャンペーンはないし、正男は各地を走り回ってさまざまな人脈や利権を手中にしているけれども、政務や党務の経験がないのが致命的で、初めから後継者としての意志はなかったのかもしれません。正雲は年若く、後継者レースの候補者としては未知数…、妹婿の○○○(誰だったっけ?)が推薦していますが、金正哲が健在な限り出番はないでしょう。
金正哲は、現在、平壌の朝鮮労働党の庁舎内の執務室(一説によると、秘密の通路でしかその部屋に行くことはできないらしい)で、後継者としての帝王学を学習中…。昨年、27歳で政権の中枢である党組織指導部副部長の要職に就いています。生母の高英姫が偉大なるオモニムとして称えられる一方、後見人には、平壌の実力者である党指導部第一副部長の李済鋼が付いて指導していますから、これからは彼自身も大衆の前に祖国を発展させる英雄としての物語と共に表われることでしょう。
先軍政治50周年が2010年であり、金日成誕生100周年が2012年ですから、このあたりで後継者としての指名がなされるものと思われます。スムーズな継承のためには、それまで金正日には生きていてもらわなければなりません。北朝鮮には、「首領の在任期間中に後継者を選ぶ」というマニュアルが成文として存在しています。そうしなければ、体制が瓦解するからです。金正日の健康が危ぶまれている今日、北朝鮮にとって後継者の決定は喫緊の重大事です。
今年6月28日の労働新聞に掲載されていました、「パルチザンの物語は永遠なれ」という政論も注目すべき一文です。「朝鮮革命の伝統は永遠に白頭山の血筋である…」と綴るその論調は、金正日から金正哲への継承を促し、称えるものでした。もちろん北朝鮮の公論は、金正日の了承を得ています。彼の病状如何によっては、ドラマの展開は早送りされるかもしれません。
【169】 乱高下する株価、迷走する政局 2008.10.27
世界金融危機
株価の値下がりが止まらない。これを書いている今日27日(月)には日経平均が7486円とバブル崩壊後の最安値をあっさりと下回った。失われた10年といわれた低迷期を下回る安値である。
世界の金融市場の混乱から、比較的地盤整備が進み安定しているといわれる日本の「円」が買われ、ドルに対しては94円(ほんの2ヶ月前には110円台)、ユーロには123円(同170円)だったものが、サブプライムローンに端を発したアメリカの金融破綻を契機に、20~30%ほども跳ね上がっているのだ。
僕は先月の18日の【雑記帳】に、いずれ日経平均は1万円を割り込み、世界金融の混乱は経済規模が小さな国や後進国・発展途上国が財政破綻を生じる国が現れ、不況・インフレ・物不足に襲われた国民の暴発が起こるのではないかと書いた。それからちょうど1ヶ月で、当時12000円台にあった日本の株価は8000円を割り込んで4000円以上値下がりしているし、世界ではアイスランド・ウクライナ・ハンガリー…などといった国々へ、IMFの援助が行われている。
世界は1929年の大恐慌以来の混乱に陥っている。当時に比べれば金融情勢は整備されていて情報は敏速に共有できるし、何よりもひとつの国が単独で利益や防御を確保できる時代ではないから、混乱の度合いはまだしも浅いが、しかしその分だけ幅広い。
サブプライムローンというペテンをアメリカ金融界が考え出したペテンに世界の金融界のプロが踊ったというのも笑止な話だ。僕は今年の年頭、【146】(中段)で「アメリカのサブプライムローンの危うさ…中略…は、当時から歴然たる懸念材料であった。この住宅バブルがはじければ、世界経済を支配するアメリカでの経済破綻だけに、全世界に与える影響は日本の失われた10年の比ではない。世界が抱える危うさに、こころするべきであろう。」と書いた。それ見たことか…などと言うつもりは毛頭ないが、基幹産業を輸出に頼る日本経済としては、この世界不況は腰を据えてかかる必要がある。
他方、庶民レベルとしては、「海外旅行や輸入品が安くなった」といった受け止め方をして、この嵐の過ぎ去るのをじっと待つのが最善の策だろう。持っている株が値下がりしてしまった人は、持ちこたえることだ。売らなければ損はない、5年もすれば日本の株は元に戻る。いや、もっと早いかもしれない。
今の日本の株価は異常な安値で、比較的金融事情は安定しているのに、欧米よりも下落率が大きい。外人の投資が60%という得意な事情がここにはあって、日本市場よりも本国のほうが優先されるから資金は引き上げられる。日本の株価は、いずれ劇的に回復するだろうが、とすれば今が買い時…などと勧めるつもりもない。株で大穴を空けた人の悲惨さを、嫌というほど見てきているからだ。利食いをするならば、自己責任でリスクを覚悟するのは鉄則である。
政 局 - 現状では解散できない。年明け早々か… -
世界金融危機を前にして、いつ解散するのがいいのかわからなくなつているのが麻生首相である。世直し期待…、政権交代…、事務所を開いてしまった議員…など、いろいろな方面から寄せられる「早期解散」の声を前に、「解散は私が判断する」と漫画チックに大見得を切る麻生さんだが、解散は霧の彼方にかすんでいて、その時期は見えてはいまい。新政権発足時の余りの支持率の低さに解散を躊躇していたら、金融危機という大波をかぶって右往左往…、今はいつ解散するのがいいのかの判断もつきかねているというのがホントのところだろう。
「庶民感覚がわかっていない」「いつ政治のことをじっくりと考えるのだ」と批判されている麻生首相の高級ホテルバーでの連日の会合は、週に4日とも5日とも言われる頻繁さだ。「政治のあれこれを論議・相談しているのだろう」という好意的な見方もあるが、僕はひとりになるのが恐い麻生太郎の夜の過ごし方なのだろうと思っている。
漫画が好きだという麻生首相は、押し寄せる難題に沈思独考する強靭な思考形態は、失礼ながら持ち合わせていないと思う。彼の演説やぶら下がり会見を聞いていても、内からにじみ出る不壊の哲学やそれに裏打ちされた確然たる言葉は出てこない。だから、気の合う連中とワイワイガヤガヤと時間を過ごす中で明日の言動を模索し、疲れ果てたのち官邸へは寝に帰るという毎日なのだろう。そんな彼には、目の前の政治日程をこなしていくことが救いでもあるのだ。
文芸春秋11月号に寄せた「国会の冒頭、堂々とわが自民党の政策を小沢代表にぶつけ、その賛否をただしたうえで国民に信を問おうと思う」の一節は、冒頭解散を書いているじゃないかと迫られる材料にされているが、当時と今では政治を取り巻く状況が大きく違うことも事実なのだから、「書いていることとやっていることが違う」などと言うつもりはない。それよりも「難局であるほど夜明けは近いと思う。… 私は楽観する。… 私は逃げない。… 途中で勝負を諦めない」と繰り返す言葉の中に、いたずらに自分を鼓舞する危うさを感じるのは、私もまた漫画世代だからだろうか(苦笑)。
現在の政治状況のものとでは、麻生太郎は解散の決断はできまい。「金融危機・世界不況の前では政局よりも政策…、解散すれば自民党が負けるから…」など、解散を先送りする理由はいくらでもあるが、それならば先に送れば状況は好転するのかといえば、それへの答えも持ち合わせてはいないはずた。むしろ、これから経済状況はますます悪化し、内閣支持率は低下する一方だろう。ならば今、「医療の再生」(著書「とてつもない日本」より)とか、「年金の公的資金化」(文春2月の「基礎年金は全額税方式」という発言)といった、思い切った安定策をひとつ争点にして解散に踏み切ることも一策かと思うが、政権交代は避けられないであろう選挙に打って出る決断はできないといったところか。
僕がここに「解散はできまい」と書いているぐらいでは解散しないだろうけれど、朝日と毎日あたりが「解散はできまい」と書いたら(読売はそうは書けない)、麻生太郎のことだから、即座に「解散!」と言うかもしれない。漫画チックだから…(笑)。
再び世界金融危機と日本の対応
サブプライムローンに端を発したといわれる「端」とは、アメリカの住宅専門金融機関「フレディマック(米連邦住宅貸付抵当公社)」と「ファニーメイ(米連邦住宅抵当金庫)」の2社が、住宅バブルの崩壊により、8月に発表した4-6月期決算で、それぞれ8億2千万ドル(約821億円)と23億ドル(約2300億円)の巨額赤字を計上したことであった。
2社ともにその名称が示すように政府系金融機関として設立され、自ら社債を発行したり証券の保証をしたりして資金の調達や需要の拡大を図ってきたのだが、米財務省は両社を「政府支援機関」と呼び、両社の社債を「政府機関債」(GSE債)と呼んでいたのである。GSE債は米国債と同等の信用を持つ金融商品として、米国内はもちろん世界各国が買い求め、日本でも政府、日銀を初めとして、農林中金や三菱UFJ、日本生命などが大量に保有していた。
ところが、両社は1970年と1988年にニューヨーク証券取引所に上場して株式会社となっていて、法律上、米国政府の保証は一切ない存在となっていた。それにもかかわらず、誰もが両者を準公的機関と信じ込み、その社債はアメリカ政府の保証があって安全だと信じていたというのだから、世界の金融のプロも当てにならない。
世界に広がった住宅ローン担保証券は約12兆ドル(1279兆円)に広がっていて、そのうちの5兆ドルをフレディマックとファニーメイが保証している(日本の実質GDP=国内総生産561兆円とほぼ同額)。9月、影響の重大さを考えて米連邦政府は両社に公的資金を注入することを決定したが、その膨大な社債や保証する証券にどれぐらいの焦げ付きがあるのかは誰にもわからない。両社の株価は、それぞれ今年初め40ドル・34ドルあったのが、9月には7ドルと5ドルになってしまった。
こうして始まったアメリカの金融不安は9月15日世界5大投資銀行のひとつ「リーマン・ブラザーズ」の経営破綻(負債総額6130億ドル=約63兆8千億円)、16日に米保険最大手AIGに850億ドル(=約9兆円)の公的資金注入、25日にはアメリカの銀行史上最大の破綻…ワシントン・ミューチュアルが倒れた(総資産3097億ドル=約32兆8千億円)。投資銀行第1位と2位のゴールドマンサックスとモルガンスタンレーは投資銀行の看板を下ろしてFRBの直接指揮下に置かれ、3位のメリルリンチはバンクオブアメリカに買収された。さらにモルガンスタンレーは三菱UFJに20%の出資を仰ぐなど、米国金融界には激震が走っているのである。
巨額の注入資金を必要としている米国の国債は大丈夫なのか。総資金は1兆8千ドル(=191兆円)に達するともいわれ、それだけの資金がFRBiにあるのかどうか懸念する向きもあるという。もし更なる資金調達が必要であるとしたら米国債の追加発行が必要となるが、国際金融機関が米国債を引き受ける場面をどのように想定しているかはわからない。いずれにしても、米国と米国債への信用が著しく低下していることは確かだろう。
その米国債を世界で一番多く保有しているのが日本である(5500億ドル=約57兆円)。かつて橋本元総理が米国の大学での講演で、「もし日本が米国債を売ったら」と話しただけで、その相場が下落したというのは有名な話だ。
日本は米国との結びつきから、今、米国債を売りに出すことはないだろうが、ヨーロッパでは手放し続け、アメリカの危機をヨーロッパの利益にしようという計算だ。ユーロをドルに代わる基軸通貨にしようと目論んでいるのではないかとすら思われるが、そのユーロ圏自体も今回の世界金融危機からは逃れられずに、各国は対応に追われ苦しんでいる。
ここではヨーロッパの事態はひとまず置いて、日本の今後について考えてみたい。三菱UFJのモルガンへの出資や野村ホールディングスのリーマンアジア・欧州・中東部門買収はリスクを取りつつも世界に打って出ようとする日本の金融機関の試みである。他にも、みずほコーポレート銀行…メリルリンチ(金融)、新生銀行…GEコンシューマー・ファイナンス(金融)、東京海上…フィラディルフィア・コンソリティティッド(保険)、東芝…ウェスティングハウス(原子力)、武田薬品…ミレニアム・ファーマシューティカルズ(製薬)、ソニー…グレースノート(IT)、リコー…アイコンオフィスソリューション(機器販売)、三井化学…シルビューテクノロジー(化学)、藤倉化成…レッドスポット(化学)などなど、実に数多くの企業がアメリカ企業を買収して世界進出を視野に入れている。早晩、中国やインドの企業がアメリカ企業を買収して進出する時代が来ることだろう。今はアメリカとしても、かつてのように日本バッシングに出ることはない。
もがき苦しむ巨象アメリカ…、その厩舎へ飼料(資金)を手にして入っていくことは、日本と日本企業の明日を開くのか、それとも単にたかられて終わりなのか。企業のこれからは、各企業の努力に期待すると書くに留めるが、今回の金融危機で何よりも懸念されるのは、日本の金融機関が抱える破綻した米国金融機関の社債と、そして米国債そのものである。
例えばリーマンの回収不能といわれる無担保劣後債を日本の銀行は多く抱えている。都市銀行8社の債権総額は16億7千万ドル(約1753億円)、地銀30行の合計債権額は約630億円といわれる。今後、何年間かをかけて利益を積み上げなくてはならない金額であり、またこの損失のために貸し渋りや貸しはがしが生じるとしたら、金融の失敗を国民にしわ寄せすると批判されても仕方がないだろう。
そして、先述したように信用度が低下している米国債を、日本はこれ以上に引き受けなければならないのかという問題である。アメリカの金融危機は、今後さらに拡大することを覚悟しなければならない。FRBは公的資金注入を余儀なくされせ、米国債の発行も増加する。しかし、それを引き受けるのは日本(と中国?)以外にはもう見当たらない。米国債を引き受けるということは、アメリカのリスクをそのまま引き受けるということである。
日本は、アメリカの属国として従順に従ってきたからこそ経済的発展を遂げたということも、アメリカの傘の中で安住してきたからこそ安全を保証されてきたということも、事実である。しかし、今はアメリカのパートナーとして世界の秩序に役割を果たし、アメリカの誤謬を正していく立場を確保していかねばなるまい。安保理入りに反対され、拉致問題を無視して北朝鮮のテロ国家指定を解除されるなど、日本の存在はないがしろにされている。
アメリカは、1924年の排日移民法の制定以来、いや幕末の黒船来航以来と言うべきか、歴史的に日本を対等な国家として認めていないところがある。アメリカをして対等のパートナーと認識させることのできない、日本外交の脆弱さにも責任があるところだが、米国債の引き受けに際しては、これを担保にして、日本の要求をはっきりと伝えることである。アメリカに逆らう内閣は長続きしないという怪情報もあるが、それは国益を売ってアメリカと取引しようという売国奴が居るからだろう。一丸となってアメリカの圧力を排除する体制が日本に出来上がっていたら、アメリカにつけ込まれることもない。もちろん、アジアやヨーロッパ、アフリカなどの国々との連携も、常々怠ってはならないことである。
日本は世界経済を支える救世主となりうるのか。それとも、これからもアメリカの僕(しもべ)としてATM(現金自動支払機)の役割を負わされ、巨額の米国債を受け入れるのか。麻生太郎の決断を見せてもらおうではないか。
【168】 麻生新首相の代表質問と小沢次期首相の所信表明演説 2008.10.02
崖っぷちに追い詰められた自民党とひたひたと攻め寄せる民主党…、麻生新内閣が発足したことを受けての臨時国会の様相は、まさに今の与野党の有り様をそのまま写し取ったかのような様相であった。すなわち、政権与党の王道を忘れてタダをこねイチャモンをつける麻生首相…、受けて立とうじゃないかとこれに応じる小沢民主党代表…、くんずほぐれつの国会論戦であった。
まず、新内閣を発足させての国会だから、新首相が自らの信じる方策を述べる所信表明演説を行い、それに対して翌日には与野党の代表が質疑を行うというのが粗筋(あらすじ)である。ところが、1日の麻生首相の演説は民主党への注文と質問に大方の時間を割き、自らの所信はほんのさわりのみ…『元気で明るい日本』を築きます…と述べただけであった。いかにも麻生太郎らしい漫画チックさと言うか、新機軸だと自ら信じているであろうところが、また彼の軽さである。
民主党に振り回されて挫折した福田前首相を目の当たりにしてきて、「俺はあの轍は踏まないぞ」との思いが強すぎたのか、審議拒否して足元をすくおうとする民主党…、場当たり的な政策をばら撒く民主党…、政権交代選挙へひた走る民主党…に対して、『国会審議に応じる気はあるのか民主党、それぞれの財源を示せ民主党、解散総選挙を決めるのは俺だぞ民主党』と、その国会対策と諸政策を問いただすばかりであった。
所信表明演説では述べなかった麻生新首相の所信を、今日までの彼の言動や著書から拾って整理しておこう。
彼の日本観は著書の『とてつもない日本』に、『日本はまことに不思議な国だ。戦後、平和と安定を維持し、世界史上でもまれに見る経済的繁栄を実現した。ところが今日、やれ格差社会だ、少子化だ、教育崩壊だ…と騒ぎ、テレビでは識者と称する人が「なぜ日本はこんなにおかしくなったのか」と言っている。… しかし、本当に日本はそんなにダメな国なのか。私はそうは思わない、むしろ日本は諸外国と比べても経済的水準は相当高いし、国際的プレゼンスも高い。日本は諸外国から期待され評価されているし、実際に大きな底力を持っているのである』と書いている。だから、日本はとてつもない国なのだと…。
また、彼の世界観を知るうえで、平成18年の外務大臣当時に国際問題研究所で行った「自由と繁栄の孤」と題する講演が大きな手がかりとなると思われるので紐解いてみると、『日本外交の基本が日米同盟を基軸として、中国・韓国・ロシアなど近隣諸国との関係強化にあることは、今さら繰り返すまでもありませんが、これからの外交を考えるうえで、新しく付け加えるならば、民主主義・自由・人権・法的支配・市場経済といった「普遍的価値」を重視していきたいと考えています。また、ユーラシア大陸の外周に成長してきました新興の民主主義国をつなぎ合わせて「自由と繁栄の孤」を作り上げねばと思っています。具体的には、東南アジアのカンボジア・ラオス・ベトナム、そして中央アジアやコーカサス地方(グルジア・アゼルバイジャンなど)の国々は、人的・資源的に大切な国であります』と述べている。彼の視点が、東南アジアから、中央アジア、そして中東へと伸びていることが伺われる。
諸政策を、言動、著書、自民党政策から拾い出してみると、
「緊急課題」
① 経済対策 … 日本の経済は全治3年。 定額減税の実施。
② 暮らしの不安を解消する … 年金・医療制度を立て直す。 消費者庁を創設。
③ テロとの戦い … インド洋上給油の継続。
「政策」
① 経済 … 政策減税・規制改革・先端技術開発・財政再建路線・歳出削減・税制改革
② 社会保障 … 年金財源の確保、介護保険制度の確立。
③ 教育改革 … 学校再生。家庭の負担軽減。学校選択の自由化(校区の廃止)。
④ 地域再生 … 農業改革。食料自給率の引き上げ。建設業の新分野開拓転換支援。
⑤ 外交 … 日米同盟の強化。拉致問題の解決。新しい連携・秩序の構築。
⑥ 環境 … 環境・エネルギー新技術。それによる新しい需要・雇用。
「政治改革」
① 政府の簡素化 … 国の出先機関を地方へ移し、二重行政を廃止。
② 地方分権 … 権限と出先機関を地方へ移譲・移管。 道州制。
③ 国会改革 … 与野党間協議を促進して、国会審議を効率化。
④ 自民党改革 … 内閣を党が支える機能を高める。 党本部と地方組織の連携。
といったことを挙げているが、どれをどのように行っていくかは、所信表明しなかったので判らない。
それにしても、麻生新首相の物言いは、品位がない。言葉も、良く言えば単純明快だけれど、中学校の生徒会の質疑応答じゃないのだから、「総理、官僚が野党から求められた資料を提供するのに、自民党の事前了解を取るなんてことはやめると明言してください」と言う民主党議員の質疑に、理由も何も言わず、タダ一言「その気持ちはありません」なんて、そんなので良いのだろうか。なぜ、そうする必要はないのか…、少なくとも説明して、だからそうすることはしないというのが、論理と言うものだろう。総理の品格に、論理・説明・納得を得る…といった項目はないのだろうか。
昨日の麻生新首相の質問(笑)を受けた、本日の小沢民主党代表の答弁(笑)を見てみよう。小沢代表は、あえて「麻生首相の質問にお答えして、わたくしの所信(笑)を申し述べます」と言っていた。
小沢一郎が述べた、民主党の政策とは、
① 「天下り」や「税のムダ遣い」をなくし、予算を組み替え、2012年度には20兆5千
億円の財源を生み出す。
② 「消えた年金」は国が全額支払う。 国民健康保険の将来的な一元化。医師の5割増。
③ 1人当たり2万6千円の子ども手当てを中学卒業まで支給。公立高校の授業料を無料化。
④ パート、契約社員と正社員を均等待遇に。 最低賃金の全国平均を時給1000円に。
⑤ 農林漁業の所得保障制度を創設。 中小企業の法人税を原則半減。
と言う。
これが、今度の総選挙の民主党公約の根幹となることだろうが、なかなかに解り易くて良いのではないか。一般会計に特別会計をあわせて220兆円を俎板(まないた)の上に乗せるべきであるし、そこから20兆円をひねり出すのはわけもなく容易なことだ。政権交代の成果なのだろう。
個々の政策が具体的に示されていないから、景気浮揚はどうするのか、公務員改革はどのように、農林水産業の振興策は…など、しっかりと聞いていかなくてはならない点は多々あるが、まだ野党なのだから、所信表明はオマケだったということか。
いずれにしても、新首相が質問を連発し、野党党首が答弁する国会の幕開けは、いよいよ政権交代への足踏みである。
民主党も、オマケを本番に据え直して、政権担当への本気を国民にしっかりと示さなければならない。これならば、政権を預けても大丈夫と、国民が納得する政権構想を作り上げ、劇的に国民に示して、選挙戦を迎えることだ。
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