第5日 9月18日(水) GC デュ・ローザンヌ


  朝食はゴルフ場で取ることにして、起きて顔を洗ってすぐにチェックアウトし、タクシーを呼んでもらってゴルフ場へ向かった。ゴルフが終われば、夕方にはイタリア(ボローニャ)行きの列車に乗る予定だから、スイスではレンタカーを借りる必要がない。


 スイスでのゴルフは、花一杯の「GC デュ・ローザンヌ」。「ローザンヌでゴルフするんやから、市の名前をつけているのが一番の名門やろ」と、隊長はこのゴルフ場を予約した理由を説明する。
 フロントで受付をし、プレーフィを支払うときにちょっとアクシデント…。先払いするのは欧米では常識だが、現金でないとクレジットカードではダメだというのだ。スイスではほとんど滞在する予定のない章くんたちは、スイスフランの持ち合わせはタクシーと食事代ぐらいしか用意していない。
 「どうしてもダメなら、もう一度タクシーで町へ戻って両替を探すしかないよね。日本円じゃダメかな」などと言っていたら、レストランのおじさんがやってきて、「両替してあげるよ」と言ってくれた。
 

 お礼に30スイスフランを渡し、さらに朝食を食べていない章くんたちは、極上のブレックファーストを注文した。
 「極上といわれても、うちはブレックファーストは1種類しかないよ」とおじさんは笑う。
 

← 花いっぱいの「GC・デュ・ローザンヌ」

             隊長の練習風景 →


 ここも、スタートはいつでもどうぞ…という。で、スタート前に少し練習…。2〜3人のおじさんが打っていた。
 少し離れたところにあるアプローチ練習場では、10人ほどの学生と思しき一団が練習していた。ヨーロッパに来て、ゴルフ熱の高いゴルフ場を初めて見たなぁ。

 それでもヨーロッパのゴルフは、まだまだ一部のものの遊びの域から脱してはいない。ゴルフの発祥の地イギリスやアイルランドでこそ、ゴルフは求道的なスポーツにまで高められているけれど、大陸ヨーロッパではいろいろな書物に書かれている記事を見ても、金持ちの遊びというニュアンスである。


← 何人かのゴルファーの姿を見たといっても、
 やはりコースは閑散としていて静かだ。



 私たちの前は妙齢のおばちゃまの2人連れ。後ろからは、おばちゃまと息子夫婦。その後ろはおじさまが1人…、それぞれ手引きのカートにバッグを載せて、飄々とプレーしている。
 9番だったかのティグラウンドで、隊長が右のほうへパッカーンとティショットを打った。「どこへ打っとるねん、OBやんか、ガッハッハッハーッ」と笑っていたら、隣のホールでパットをしていたおばちゃまが、トコトコトコと歩いてきて、右手の人差し指を立て「チッチッチッチ、シィーッ!」とたしなめられてしまった。ゴメンナサイ!
  
 アルプスの山ふところ…、打球音が木々にこだまして余韻を響かせる。空気が澄み切っていて清々しい。あたりは静かで、こずえからは鳥たちのさえずりが聞こえる。


    アルプスの山ふところに抱かれた、
     静かなコース。 打球音が響く。 



 章くん、10番でロストして、87!


 ゴルフ終了後、両替商のおじさんのレストランでミルクとコーヒーを飲んだ。テラス席を渡る風が心地よい。
 「これから、列車でアルプスを越えて、ミラノへ行くんだ」と言うと、「明るいうちに行けば、アルプスの山が見られるよ」と教えてもらって、早速、タクシーを呼んでもらった。
 若いタクシーの運ちゃんに、「If it is fine, Have you seen the Alpus from this town ?」と現在完了形の経験用法なんか使って尋ねたら、「Plese you say English. (英語でしゃべれ)」と言われてしまった。「Can you see 〜?」と言ったら、「Oh, yes …」と解ったみたい。英会話は文法じゃない、単語の羅列が一番のようである。


 午後4時過ぎにローザンヌ駅を、ミラノ行き1等個室寝台で出発。映画でお馴染みの6人用個室…、他に客はいなかったので、6人分の寝台を引っ張り出し、そこへ3人で寝ッ転がってアルプスを越えた。


← ローザンヌ駅の
 待合室



 右側に赤いボックスが見えますか? これが自動日付印字機で、客は切符をここへ通して、乗車する日の日付を入れるのです。
 まぁ、入れ忘れてもどうってことはないと思いますが…、多分!


     「16時13分発ミラノ行きは、ここ4番ホームから
      発車します」と電光掲示板に出ています。    →



← 鉄道駅というのは、どこの国でも旅情がありますね。


 アルプスを越えていく、この列車に乗務するスイス−イタリアの国境管理官は27・8才の女の子だった。
 「パスポート プリーズ」とやって来た子に、章くんは上着の内ポケットから取り出して「どうぞ」と見せたけれど、村上隊長と橋っさんは、腹に巻いた貴重品バンドから取り出すために、いきなりベルトを外してズボンを下ろし始めた。
 あわやパンツも下ろそうかという勢いに、あわてた女の子は、「オウ ノォ…。オール ジャパニーズ? OK、OK!」と、そそくさと行ってしまった。昔、勝新太郎は、パンツに麻薬を隠して、ハワイの入管に逮捕されていたけど、パンツの中まで調べるなんてめったにないことなンだ。


← 山の上に古いお城が見えます。
 
 


 生憎の天気で
 アルプスは霧
 の彼方です→




 霧の間に見え隠れしていた山々も、いつしか夜の闇に包まれていった。
  

 午後7時40分、ミラノ中央駅に到着。

← ミラノ中央駅。構内は、車が走り抜ける広さだ。


 1931年に完成したこの中央駅は、22のホームがある、ヨーロッパの中でも最大の鉄道駅。大理石をふんだんに使って、彫刻がいっぱい…、とても重厚なつくりの駅である。

 駅のインフォメーションはすでに閉まっていて、宿を探そうと電話帳を広げていたら、「ワタシニ、マカセテクダサイ」と怪しげな日本語を操る兄ちゃんか登場した。首から、身分証明書のような物をぶら下げている。自作じゃないのか…。
 『ホテルを紹介するから、ここで3人分の宿泊料360000リラを自分に払え』と言う。ホテルの紹介だけで、その兄ちゃんが連れてってくれるわけでもなく、なんとも胡散臭い話なのだが、「まぁ、騙されても思い出さ。360000円じゃないし…(360000リラは18000円ぐらいである)」と兄ちゃんに金を払い、渡された地図を見ながら紹介された住所へ行ってみた。
 でも、ない…。ホテルどころか、建物もなくて公園があるだけだ。が、地図をよく見ると、通りを1本間違っている。気を取り直して行ってみると、これが安くて立派なホテルであった。紹介してくれた兄ちゃん、先に着いていて、マスターらしいチョビ髭のおじさんと話し込んでいる。章くんたちの顔を見ると「遅かったじゃないか」。案じてくれていたのかなぁ、胡散臭そうな奴だ…なんて言って、申し訳ないことだった。

         三ツ星ホテル「ボルガノ」。宿代は360000リラだ →


部屋へ荷物を置いて、フロントのチョビ髭くんに紹介してもらったレストランへ行くと、若者の多いピザ・ハウスだ。店内の騒々しさも、旅情を求める章くんたちには合わない。もう少しましな食べものの屋はないのかと、薄暗い通りを歩いていくと、海鮮料理の店を見つけた。
 隊長、イカの蒸したのを食べたいと言うのだけれど、イカはイタリア語で何というのか解からない。やおら隊長、イカの絵を描いた。さすがは美大出身である。これか…と見事なイカを皿に盛って持ってきてくれたので、「これをボイル、ボイル」と頼んだら、蒸しあげてケチャップで味付けして出してくれた。

← 陽気な海鮮レストラン、注文は絵を描く?


 すでに午後11時を過ぎていて、店は閉店準備を始めている。あとは4人の店のウエイターも一緒に飲んで、全然解からない言葉で喋くり合い、気がついたら午前0時を回っていた。



第6日 9月19日(木)  建立に500年 ミラノ大聖堂 


 朝、ホテルをチェックアウトしたあと、荷物を預かってもらい、ミラノ大聖堂を拝観に出かけた。今日は、ボローニャへ移動するだけである。

 ヨーロッパ随一の広さを持つミラノ中央駅

 ヨーロッパ各地を結ぶ20本の国際路線が発着するミラノ中央駅は、構内を自動車が走り抜けるその大きさにも驚かされたけれど、外壁や内装に施された装飾の見事なことは、駅そのものが芸術品である。

 
 中央駅から地下鉄に乗っていく。ミラノの地下鉄も、出札口は大混雑…、長蛇の列ができている。でも、長距離列車じゃないから根掘り葉掘り聞いている客はいない、ただ人が多いだけなので、10分ぐらいで切符を買うことができた。

← 地下鉄のホーム


 中央駅から地下鉄に乗って2区間、ドゥオモ駅の階段を上がると、135本の尖塔が天をつくミラノ大聖堂の威容が目の前にある。472年間の年月を要して、5年前に一応の完成をみたというが、今も尖塔の取り付けなどの工事は続いている。気が遠くなる大工事である。


 ミラノ・ドゥオモ(ミラノ大聖堂)→


 この大聖堂は、ミラノの象徴である。ドゥオーモ広場の北面に位置し、500万人のカトリック信者がいるといわれる世界最大の司教区であるミラノ大司教区を統括する、首都大司教の司教座聖堂であ。



 16世紀に造られたという祭壇や聖歌隊合唱席は重厚さが滲み出している。


← 大聖堂の内部。







 キリストの一生を描くステンドグラスの艶やかさには目を奪われる。幾何学的な模様の造形美がステンドグラスの本命かと思っていたのだけれど、日本の絵巻物を思わせる色鮮やかな絵ガラスが大聖堂の窓を飾っていた。

← 大聖堂の前のドゥオモ広場

 たたずむ騎馬象は、初代イタリア国王
 「ヴィットリオ・エマヌエル2世」



 荘厳な大聖堂を出ると、その右手に、世界最古のアーケード街といわれる、「ヴィットリオ・エマヌエルU世ガッレリア」がある。
 

 1865年〜1877年にかけて造られたが第二次世界大戦で破壊され、1946年に再建された。ヴィトン、フェラガモ、プラダなど、世界の有名店が軒を並べる。
 中央の丸天井には東西南北の美しいモザイク画があり、それぞれアメリカ、中国、アフリカ、ヨーロッパの4大大陸が表されている。

 ヴィットリオ・エマヌエル2世ガレリアの入り口→
 


← 中央の丸天井の下でパチリ

 ガレリア内のカフェでお茶を飲みながら通りを見ていると、韓国人の5〜6人の集団がやってきて、道端に敷物を広げて、洋服やみやげ物を売り出した。
 3歳ぐらいの女の子も一緒で、お父さんお母さんが店を広げている間は、その傍らでバタバタと飛ぶ小鳥のオモチャを追いかけて遊んでいる。
 と、あわてて包みを巻き上げ、店じまいを始めたと思うと、1分もしないうちに女の子ともどもどこかへ消えてしまった。警官の巡回だ。ここで物を売るのには許可がいるのか、それとも全面的に禁止なのか。とにかく、警官の姿を見つけると、すぐに雲隠れである。
 ところが、10分もすると、またもとのところへ戻ってきて、店を広げ始めた。女の子も、何もなかったように、鳥を追いかけて遊んでいる。
 ハワイの「インターナショナル・マーケット」でも韓国屋台が並ぶ景観を見たが、韓国の人たちの海外雄飛のパワーには圧倒される。世界のどこへでも出かけて生きていくバイタリティとガッツに溢れている。コリアン・プロゴルフアーが世界で活躍する原点は、ここにあるのだろう。


 アーケード街を西へ抜けるとスカラ座広場で、
 「レオナルド・ダ・ヴィンチ像」が立っている →

 







← スカラ座の裏手の「モンテ・ナポレオーネ通り」は、老舗ブランド店が軒を並べる、ステイタス通りだ。


 1軒のオルゴール店へ入って、橋っさん、34万円のオルゴールを買った。章くんもひとつと思って、小さいボールを真ん中でポコッと開けると、馬車に乗った男女がクルクルと回る可愛い一品を手にして、「いくら?」と聞いたら、「(日本円で)160万円」と言うので買うのをやめた。落としそうになった。
 「ルイ・ヴィトン」へ寄って、財布を買った。14万円…、ただし、会社の女の子に頼まれたもので、代金は預かってきている。章くんが14万円の財布を買うわけがない。第一、中に入れるものがない。

 「ヴィットリオ・エマヌエル2世ガレリア」入り口2階のバイキングレストランで昼食を済ませてから、中央駅に戻り、構内にあるレンタカー営業所でレンタカーを借りてホテルへ…。荷物を積んで、午後2時、ボローニャ向かう。
 国道9号線を南下する章くんたちが3車線の道路の真ン中を140km/hぐらいで走っていたところ、その左の高速車線を走る連中はピュン、ビューンと抜いていく。

← 制限速度は 確か 一番右は60Km/h
 真ん中は70Km/h、最速の左は80Km/h
 だったと思うのですが…。



 ラテン民族の運転は荒っぽい。章くんたちを追い抜いていった車は、180km/h以上は出ているだろう。それが、おばあちゃんなのである。ハンドルを持つと、ラテンの血が騒ぐのだろうか。「あたしゃ、カルメンの末裔だよ」なんて言いながら…。
 

 ボローニャへ入るのは、夜、暗くなってからになりそうだったので、途中から旅行案内書を見て、良さそうなホテルに予約の電話を入れた。
 そのホテル「アラ・ロッカ」は、この旅のうちで一番立派なホテルであった。
 近くへ行ってから迷って、「アラ・ロッカというホテルはどこ…?」と、道を行く男の人に尋ねたら、「あそこは高いからやめろ」と言われた。


 
 
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