第3日 9月16日(月) レ・ゴルフ・ナショナル
朝、ホテルの下から、子どもたちの声が聞こえる。窓からのぞいてみると、たくさんの子どもが通りの歩道に集まっている。スクールバスでも迎えに来るのかなと思っていると、子どもの数はどんどん増えるばかり
。
やがて左側の扉が、ガチャリと中から開けられて、子どもたちが吸い込まれていった。
ここ、学校なんだ。
通りに面した扉が入り口。となりはパン屋さん… →
そのあとも、お母さんに手を引かれたりしながら、子どもたちが次々とやってくる。
その子どもたちとすれ違う形で、章くんたちもヨーロッパ第1戦へ向けて出発だ。パリ名物の渋滞が始まるまでに、市内を抜け出さねばならない。
今日のコースは、フランスゴルフ連盟の直営コース「
レ・ゴルフ・ナショナル」。バリの中心部から、西へ、1時間と少々である。
フランス・フリーウエイを行く。もちろん、タダだ→
途中で5〜6回ほど間違いながら、それでも何とかたどり着くところは、さすがに隊長である。道に迷うことに臆していない…、慣れている。いつかは着くものと確信しているし、事実そうなる。
「レ・ゴルフ・ナショナル」はフランス大平原の真っ只中、見渡す限りの畑の中の6515m、パー72、コースレート74.6のチャンピオンコースである。
プロショップへ行って名前を告げ、料金を払うと、兄ちゃん、スターと時間を確認してタグをくれる。そのタグを貸してくれる手引きカートかキャディバッグに、ぶら下げておけばいい。
← スタート前にお茶。余裕を見せる隊長。
ヨーロッパのコースはワイルドだ。原っぱの草を刈ったところがフェアウエイで、短く刈り込んだところがグリーンといった調子…。このコースもほとんどのホールに池がからみ、フェアウエイを外せばヘビーラフ。決められたところへ打つのがゴルフであるという哲学が厳然とあるようだ。
ぐるっと見渡しても山はない。この大平原の真っ只中に立つと、フランスが偉大なる農業国であることが納得できる。 →
今回のツアーのゴルフの予定は4ラウンド。章くん、ボールは、まぁ10個も用意すれば十分だろうと出かけてきたのだけれど、この日のラウンドで9個を紛失してしまった。
ヤード杭がなくて、残りの距離はスプリンクラーの蓋に書いてあるのだが、その蓋を探すのが面倒なのである。残りの距離がはっきりと解からないまま打って、池に入れたのも多かったし、そうなると段々とラフへ打ち込んだボールを探す気力もなくなってきて、投げやりなゴルフをしてしまった。
横から見ると、ほとんどラフである。→
ン、スコア…?。橋っさんは休場、村上隊長とのマッチプレーだったので、ストロークはつけていなかったので…とアヤフヤにしようとしている。
章くん、この日のマッチは隊長に完敗…、先が思いやられる第一戦であった。
← ラウンドを終え、一息つく章くん。ボールを
9個も無くすラウンドに、憮然たる表情だ。
ゴルフ場には風呂もシャワーもなく、章くん、記念に買った黄色の帽子を頭に(朝、買ったから、上の写真でもかぶっている)、コースを後にした。
帰りは渋滞に巻き込まれてしまい、パリ市内に入るのにノロノロ…。章くん、隊長が運転する車の助手席で眠ってしまった。太てぇ野郎だ。
目を明けると、バスティーユ広場の記念塔が見えている。ホテルは、もうすぐだ。
まだ午後3時、ホテルでシャワーに入ったあと、市内を歩いてみることにした。
← 街角のカフェテラスで、ひと休み
ポンピドー文化セ
ンター →
ポンピドー文化センターは、フランス文化の最先端が集まるところ。玄関前の広場では、数組の大道芸人が得意のパフォーマンスを演じていた。
(足場が組まれているみたいですが、工事中ではありません。
これで、完成品です)
章くん、ポスターを数点買ってきた。
ポンピドー前のこの鉄のボックスは、何だと思いますか。→
そう、有料公衆トイレです。
コインを入れるとドアが開いて用を足すことができる。
すごいのはここから…、外へ出てドアを閉めると、便器と床に洗剤と水が流れて、しっかりと洗浄してくれるのだ。だから、次に使う人はピカピカツルツルのところで用を足せる。
← ポンピドーセンターの横のこの建物、何やら
ゆかしいたたずまいなのですが、何の建物か
名前が分りません。
今夜の食事は、原田画伯が予約してくれたフランス料理店「クゥポール」。「午後8時に予約しておいたからね」という画伯の指示に従って、その時間に行くと、まだ客はまばら…。
パリの夜は遅い。どこのレストランも、食事客のピークは午後10時ごろ…、午前2時頃までささやきあっている。この旅行中に、夕方の7時ごろ空腹を抱えてやっと見つけたのに、まだ開いていないレストランもあった。
一流レストランでも、パリは、ひとつひとつの席のテーブルが小さい。そこへ大男と大女が体を寄せ合い、「ムショムショ、チュビチュビ」と小声の早口で喋りまくるのが、フランスの食事風景である。まあ、ささやくようなフランス語の調子が、耳慣れない日本人には早口で喋りまくるように聞こえるのだろうが…。
今夜の食事には、もうひとりお客様があった。林 麻里子さんという、パリ在住の才媛。和歌山の病院の娘さんで、パリに来てから10数年、衣料品メーカーのLanvanに勤めて仕事一筋。「章くんと同じ大学の卒業だから、話が合うかと思ってね。彼女、独身だし…」という原田画伯のご配慮で
、お見合いである。
章くん、ゴルフ大敗のヤケクソで、
パリ名物の牡蠣料理を頼んだ。 →
麻里子さんは、京都大学文理学部の卒業生。章くんとは、学部も年も違うから、ゼミや出来事などでは共通の話題もないだろうと思い、「学食の素うどんが15円だったよね」と言うと、「えぇっ、私たちは35円でしたよ」と言う。彼女は41歳、章くんとは10歳近く年が違う。
「ひとりでパリ生活もいいけれど、いつまでもこのままでは…」と言っていた。パリに住むということだけで、人生は全うできない…と言うのも、ホントのところだろう。
時間はアッという間に過ぎて、午後10時。「じゃぁ、そろそろ帰ろうか」と隊長と橋っさん。「えっ、これからどこかへ繰り出すんじゃないのか?」と言うと、「お前さんたち二人を残しておいてやるから、どこへでも…」と冷たい返事である。
明日はヨーロッパ第2戦。今日、無様なゴルフであった章くんは、明日も泥沼というわけにはいかない。そして、麻里子さんとの話も、二人でこれ以上の何を話せというのか。隊長や橋っさんが居てくれてこそ、さまざまな話ができるのであって、まだ何の共有するものも見出せないのに、二人きりにされてどうしろというのだ。
「じゃぁ、また機会を見て連絡します」と、相手の立場も傷つけないように、精一杯の配慮をしたつもりが、章くん、これだけのセリフしか出て来ない。明日のゴルフぐらい、徹夜で行けばいいじゃないか、情けない…というところだが、なぜか良識的に住所と電話番号を教えてもらって、この夜は失礼した。
翌日の夜、スイスのローザンヌから、「昨夜はわざわざお出かけいただきましたのに、十分なおもてなしもできずに…」と電話を入れたし、帰国後も文書を添えて「貝新のしぐれ煮」を送ったりしたのだけれど、これからきっかけを作ろうかというには、パリはあまりにも遠い。その後、5〜6回のエアメールのやり取りの中に、「やっぱりパリは遠いですね」という繰り返しがあって、いつの間にか音信は途絶えてしまった。
第4日 9月17日(火) ゴルフ・デュ・シャンティ
今日の舞台はパリの郊外、フランス屈指の名門コース
「ゴルフ・デュ・シャンティ」。原田画伯はゴルフはしないのだが、「皆さんのゴルフを見せてもらおうか」と同行いただくことになった。シャンティ・ゴルフ場はパリから北へ1時間30分ほど、途中で画伯のご自
宅に寄り、同乗いただく予定だ。
6時15分、起床。ホテルのフロントへ「Can I have hot water?」と頼んで、ポットに入った熱い湯をもらい、橋っさんが日本からバッグの底に入れてきた「きつね呑兵衛」をすすり込み、朝食終了、出発。
パリ、7時00分。
まだ町に太陽の光は届いていません →
でも、町を走っていくと、もうパン屋さんの車が荷物を積み降ろししていたし、出勤途中の白人と黒人の女の子が談笑しながら歩いく一団にすれ違った。
ヨーロッパは階級社会だというけれど、アメリカよりも人種間の融合は進んでいるといった印象だ。
← 白人と黒人のおまわりさんも仕事中です。
朝もやに包まれている市街地をぶっ飛ばして原田画伯の自宅のある Vill emobill へ向かったのだけれど、近くに到達してから、また迷ってしまった。
最寄りと思われる駅から電話を入れると、「説明してもまた迷うから、僕がそこまで行きます」と言ってもらって、駅の売店で売っていたコーヒーを飲みながら待っていた。
これは、電車の駅です →
9時30分、駆けつけていただいた画伯を乗せて、予定よりも1時間30分遅れで出発…。
← 広い畑の中を、北へ向かって突っ走る。
街角のモニュメント →
今日のコースの「
ゴルフ・デュ・シャンティ」は、もとシャンティ公爵家の私有地内に造られたプライベートコースなのだが、昨年はフランスオープンが開催されたという、堂々たるチャンピオンコースである。
同行いただく原田画伯はゴルフ場へ行くのは初めて…。実はこのゴルフ場の予約は原田画伯に電話していただいたのだが、ご本人はゴルフのことはあまりご存知ない。
「その人たちのハンディは?」と聞かれて、身体の障害かと思ったという画伯は、「ハンディはないよ」。だからゴルフ場の人たちは、日本から3人のスクラッチプレーヤーが来ると思っていたことだろう。
やがて道はだだっ広い畑の中の道から、木々の間を縫っていく林間のコースとなり、ゴルフが近いことをうかがわせる。両側に繁る木の間から、並行する小川や、水鳥の舞う池が見え、いかにも中世ヨーロッパの貴族のお屋敷という雰囲気である。
「このあたりのはずなんだけど…」と原田画伯がつぶやく。近くで3〜4回尋ねたのだけれど、「あそこだよ」と教えてくれるところには、レンガ塀が続き、小さな鉄格子の門扉があるだけで、どう見
ても一般家庭の門でしかない。
ところが、これが「シャンティ・ゴルフ場」の正門だったのである。
門柱にしつらえられたインターホンを押すと応答があって、「I am ○○. ゴルフ、ゴルフ」と叫ぶと、リモコンなのだろう、鉄の扉がギィーッと開いた。
←
フランス屈指の名門コース「シャンティ
GC」の正門は、一般家庭の門のよう
門をくぐると、両側に大きな木が繁る並木道が続いている。扉こそ、章くんたちの家とあまり変わらないけれども、これからが月とスッポン…。門を入ってから玄関まで車で走るなんて、物語の世界である。この広大な敷地はみんな、シャンティ公爵家のものなのだ。
5分ほど走ると、クラブハウスが見えてきた。裏手の駐車場へ車を停めて、ゴルフシューズに履き替え、キャディバッグを担いでフロントへ向かった。
受付は、おじいさんとおばあさん(失礼)のお二人が座っていて、料金を払うとタグをくれる。クラブハウスの横の納屋に若いお兄ちゃんがいて、手引きのカートを貸してくれた。
クラブハウスは素朴な木小屋 →
クラブハウス前の練習グリーンにも人影はなく、コースは静か。人声も聞こえてこない。
「いつでも、好きなときにスタートをどうぞ」と言ってもらって、早速、1番ホールへ…。
実は、今日の夕方の列車でスイスへ向かう予定なのだ。ゴルフ場へ着いたのが1時間30分ほど遅れているので、一刻も早くスタートしようというわけである。
前も後ろも人影はなし。自分たちのペースで回ることができる。数ホール行ったとき、行き交ったホールで、20代かと思しき女の子の2サムのパーティを見かけた。ヨーロッパも、2人組が主流である。
このあとのスイスやイタリアもそうだったが、イギリスは別として、ヨーロッパのゴルフコースは総じて人影は
まばら…。1日に数組のお客でやっていく体制ができているのだろうか。
「ゴルフ場へは初めて来たけれど、気持ちのいいものだね」と原田画伯はご機嫌で、18ホールをずっと歩いて付き合ってくれた。
ティグラウンドが遠くへ行かなくてはいけないホールでは、章くんたちのティショットを、画伯は第二打地点で見ていてくれる。
「打ちますよー」と声を掛けると、「OK!」と手を上げてフェアウエイの真中で見ている。
「いいかな?」、
「当たらへんやろ」とパッカーンと打つと、ボールは画伯の頭上を超えてはるか彼方に落ちる。
「いやぁ、こんなところまで飛んでくるとは思わなかったのでビックリしたよ」と笑っておられた。
「いゃぁ、信ちゃん(隊長)のフォームはいいけど…。章くんのフォームはおかしいけれど、球はすごいね」と画伯が言うのを聞いて、「ゴルフのことは解らんはずなのに、さすがは画家やね。形はわかるのかな」と隊長が笑う。
隊 長 53・40の 83(下手なのか上手なのか分らん)。
橋っさん 61・44の105(体調が思わしくない。ゴルフをしたら治ってるジャン)。
章くん 43・45の 88(徹夜しても変わらなかったんじゃないか、意気地なし!)。
プレー終了後は、急いで車に戻り、靴を履き替えるのももどかしく出発、リヨン駅へと急がなければ…。
コースの近くにシャンティ家の居城があった。湖のほとりに佇む、瀟洒なお城である。でも時間がなくて、城門で写真を撮っただけ…。
シャンティ城。
青い尖塔を持つブルーシャトーである →
パリ市内に入って間もなく、通りにあった駅で原田画伯にお別れ…。画伯はここから、電車でご帰宅願う。「5分ぐらいだから」と、最後まで章くんたちに負担をかけない配慮をいただいた。
リヨン駅の近くで、例によって迷走…。近くまでは行くのだが、細かいところはやはり難しい。車の窓から隣の車のおじさんに、「ガラ リヨン、シルブフレィ?」と怒鳴ると、「ストレート、セカンドコーナー レフトターン」などと、身振りを交えながら怒鳴り返してくれる。2〜3人と怒鳴り合いながら、なんとか駅へとたどり
着いた。
パリ発南方面への列車が出るリヨン駅は、国際線の始発駅らしい大きな駅である。駅前広場の一角にあるエービスレンタカーの営業所に車を返し、バッグを担いで駅へ急ぐ。
午後6時06分、フランス新幹線(TGV)に乗って、スイスのローザンヌに向かう予定だ。
← パリの南の玄関口 リヨン駅。スイス・オーストリア・イタリアへ向かう国際線の始発駅だけあって、威風堂々たる駅である。
フランスの駅の出札口は長蛇の列である。切符を買う人ひとりひとりが時間がかかる。
いくつかある窓口はいずれも長蛇の列だ →
「○○へ行きたいのだけれど、何時のどこ行きに乗ればいいの? それで行くとどこで乗り換えて、何時に向こうへ着くの。もっと早い便はないの?」と根掘り葉掘り聞いている。
日本人なら後ろの人のことを考えて、出来るだけ敏速に済まそうとするものだが、こちらの人たちは、「やっと私の順番ね。ずいぶん待ったもの、納得のいくまで聞かなきゃね」といったカンジなのである。出札係も、時間表や地図を調べて、それに丁寧に答えているから立派だ。
隊長は、行き先と列車名、出発時間、座席の等級(1等と2等がある)、人数を紙に書き、クレジットカードとともに窓口に差し出す。出札係は、何も言わずに3人分の切符をくれた。この間2分…、日本人の段取りの良さを、フランス人は見習うべきだろう。
ヨーロッパの鉄道に、改札口での切符切りはない。入り口にある自動日付記入機へ自分で切符を通し、使用するその日の日付を印字して、列車に乗り込めばよい。到着駅にも改札はないから、切符は回収されない。それならば、無賃乗車が簡単にできるじゃないかと思われるが、車内で検札が必ず来る。
← フランスの誇る
TGV12L新幹線で国境を越える。
車掌の検札と国境警備員のパスポート検査があった。列車の検査は空港と違っていたって簡単、「はいっ」と見せて、終了である。
フランス大平原を
疾走 →
凄いスピードで走るこの新幹線、在来線と同じ線路を使い、平面交差の踏み切りもある。事故しないのかなぁ…。
隊長とビュッフェでホットドッグを食べコーヒーを飲んだ。
スイス「ローザンヌ駅」へ着いたのは、夜の9時55分…。今夜の宿探しが始まる。
← ローザンヌ駅へ到着。後ろの時計は
午後10時を示している。
タクシーに乗って、予約も何もしてないけれどとにかく行ってみようと、旅行案内書に載っているホテルへ連れて行ったもらった。でも満室…。ところがフロントの女の子がとても親切で、辺りのホテルに片っ端から電話をしてくれ、空いているホテルを探してくれた。世界のどこにも、親切な人はいるものである。
呼んでもらったタクシーに乗り、夜11時30分、たどり着いたホテルはシングルの3部屋が空いていて、この旅で初めての個室泊まり…。隊長のいびき、橋っさんの歯ぎしりとも、今夜はお別れ…!
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