第8日 9月21日(土) まぼろしの水上都市「ベネツィア」
車でも鉄道でも、この町を訪れる人は、左右に海を見ながらリベルタ橋を渡る。アドリア海の真珠「
ベネツィア」は、ラグーナ(潟)の上に浮かぶ水上のまぼろしである。
リベルタ橋を渡る。 左右は海 →
朝7時30分、ホテルで朝食を済ませ、チェックアウトのついでに両替もしてもらって、章くんたちは一路ベネツィアを目指す。
今日も細かい雨が降ったりやんだりしている。
車で行ける突き当たり、「ローマ広場」へ車を停め、あとは歩いてベネツィア見物…。
(
ベネツィア地図 をどうぞ。当時はこんなサイトはないし、章くんたちは地図も持たずに、ベネツィアの街を「こっちだろう」と言いながら、あてずっぽうに歩いていたのです。)
駐車場を一応探したのだが、見当たらないので、何台かの車が停めてあるその横へ、ゴンと停めてきた。「いいかなぁ」、「みんな停めとるから、いいやろ」といったいつもの調子で、さあ、ベネツィア探検へ出発である。
ベネツィアは、周囲11Kmの小さな島…、だから歩いて見て回るので十分である。でも、見るところは多くて、2〜3日ではとても回りきれない。
アドリア海に浮かぶラグーナ(潟)の上に浮かぶ街だから、土地は狭く、そのためにホテル代は高い。だから宿泊費は嵩(かさ)むけれども、やはり4・5日は滞在して、大運河の河畔のカフェでゆったりした時間を過ごしたいものである。
ベネツィア見物は歩き。運河のふちの小道、
ビルの間の迷路のような隘路を行く →
地図で見るとおり、ヴェネツィア本島は大きな
魚のような形をしているが、本島全体がたくさんの水路で
分けられて、小さな島々からできている。
その真ん中を全長約3kmにおよぶ逆S字形の「
カナル・グランデ(
Canal
Grande、
大運河)」が、北西から南東へ、市街を2つに分けながら湾曲して流れている。150をこえる小運河によって分けられた177の島々を、400におよぶ橋が結んでいる。
← 橋は歩行者専用です。
小さな露地を歩いていくと、
突然、広場に出たりします。 →
← 広場では、テントを張ってお店やさんが並んでいました。
これは
八百屋さん →
水の都ベネツィアの八百屋さんは、
船で店開きです。
← 色彩豊かに、新鮮な野菜・果物が
並んでいました。
街には、1台の車もない。 →
この街の交通機関は、バスもタクシーも船である。そうそう、手漕ぎのゴンドラも、忘れてはならない存在である。
「こんなに運河だらけで、落ちる人は居らんのかなぁ」と章くんが心配する。後日、日本へ帰ってから見た「旅情」のワンシーンで、写真を撮ろうとするキャサリン・ヘップバーンが、後ずさりして落ちていた。
一年に何人か、落ちているんだ、この街では…、運河へも、恋にも…。
← タクシー乗り場。
「運賃負けてくれ」と言ったら、「インターナショナルプライス(国際価格)だから、ダメだ」と言われた。
水上タクシー。かなりのスピードで走る。→
←
水上バス
(ヴァポ
レット)
ゴンドラ →
「なぜか、みんな立っているね。降りるところかな?」と思っていたら、これは「トラゲット」というゴンドラを使った渡し舟なのだ。700リラ(約50円)と安く、ほんの2・3分で対岸に着く。
ヴェネツィア中心部を流れる大運河に掛かる橋は、リアルト橋、アカデミア橋、スカルツィ橋と少なく、トラゲット(渡し舟)は橋の無い場所の行き来のため、住民の生活にしっかり根付いた乗り物なのだ。
満員になると出航…。激しく揺れる訳ではないが、意外と揺れる。捕まり棒や転落防止柵など無いので、微妙にバランスを取りながら乗らなければいけない。もし大運河に投げ出されてしまったら、自己責任で這い上がってこなければならないのだろう。かなり恥ずかし
い。
アカデミア美術館前からサンマルコ広場まで、水上バスに乗ってみた。3人で13500リラ(1000円ぐらい)。
と、さすがはベネツィア…、
ヴィヴァルディみたいな人が乗っていた。 →
← 船からの風景@
サンタ・マリア・ディラ・サルーテ教会。17世紀に建立された、八角形の円蓋をもつベネツィア・バロック建築の傑作。
船からの風景A →
リアルト橋が見えてきた。ベネツィア最大の橋で、中はアーケード街になっている。
10分ほどで、船はサン・マルコ広場へ着いた。
回廊のある建物に囲まれたサンマルコ広場はベネツィアの中心的な広場で、ドゥカーレ宮殿やサン・マルコ寺院などがある。世界で最も美しい広場とも称えられていて、観光名所であることのほか、ベネツィアの海からの玄関口でもある。近年の海水面の上昇で、満潮時には広場全体が水浸しになることもしばしば…。
映画「旅情」での2人は、この広場でめぐり合い、灼熱の恋に落ちる。
← サン・マルコ広場の正面奥に建つ「サン・マルコ寺院」
福音記者マルコにささげられた大聖堂である。ベネツィア総督の館であるドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)に隣接している。
建物内は、黄金に煌く壁や天井と、祭壇には2,000個もの眩い宝石が埋め込まれた黄金の衝立がある。この寺院が「黄金のパシリカ(教会)」と言われるゆえんだ。
サンマルコ広場で、ハトにえさをやる兄妹 →
えさをねだって、顔や肩に止まるハトに閉口して、『もうないよ』と両手を広げている姿が可愛い。
サンジョルジョ・
マッジョレー教会 →
サンマルコ広場から、海を挟んで対岸に煙っていた。
まさに、「海の上のまぼろし」である。
← イタリア海軍の揚陸艦がきていた。
こちらは、紛れもない「水上の現実」だ。紀元前3世紀のポエニ戦争の昔から、地中海に覇を唱えたイタリア(ローマ)海軍は、第二次世界大戦以降は大きな戦争に参加していないが、冷戦期は西側と東側の境界にあるということから、北大西洋条約機構
(NATO) の一員として重要な役割を担った。現在のイタリア海軍は軽空母を有する、世界でも有数の海軍である。
サン・マルコ広場からの帰りは、街中をぶらぶらと歩いて、ベネツィアン・グラスの店に入ってみた。
← 橋っさんは25万円のシャンデリアを、
章くんは17万円のベネツィアングラスを
買ってきました。
この類のものは、
ちょっと手が出なかったですね →
何のために生きているのと問えば、イタリア人は言う、『
マンジアーレ(食べること)、
カンターレ(歌うこと)、
アモーレ(愛すること)』と…。
幸福について考えるなら、人はイタリヤに行かなくてはならない。ベネッイアのリアルト橋に半日立って、人が生きるということはどういうことか、じっくりと見るがいい。
『たとえリラがどんどん下落しても、イタリア人は陽気に暮らす。高価な豪華本はいくらでもも出版されるし、レストランでは美味しい料理が出てくる。イタリアではただ地上に居るだけで幸せなのだ』と、作家の辻 邦生さんが何かの本に書いていた。
国貧しくして、民豊かなイタリア…。国豊かにして、民貧しい日本…。最近は、日本は国豊かにしてともいえなくなって、イタリアのほうが国債の格付けは上だけれども、勤勉のみが美徳であるとする日本人は、人の幸せな生き方の多様性をイタリア人から学ばなくてはならない。
甘く切なく奏でられるゴンドリエーレの舟歌の流れる中、ベネッイアは栄光の日々への追憶と興亡の歴史のロマンを秘めながら、アドリア海の水の上に、静かに…しかし、なお、あでやかにその姿を浮かべていた。
そして訪れた旅人たちは皆、この街で見た夢の数々を胸に、もと来たリベルタ橋を渡る。
いよいよ明日は、ミラノのマルペンサ空港からヨーロッパに別れを告げる。ベネツィアからミラノまでは250Km以上離れている。12時15分のフライトだ
から、10時過ぎには空港へ着かなくてはならない。
ベネツィアにはまだ3・4日ほど居たいところだが、再訪を楽しみにして、今日のうちに少しでもミラノの近くへたどり着こうと、明るいうちにベネツィアをあとにした。
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