第7日 9月20日(金)  ボローニアGC 
  
 朝、ホテルを出てから、また道に迷った。ホテルの近くへ戻っていったら、夜勤明けで家に帰る途中のフロント嬢に会った。
 手を振って、「※@★£♂≦▼%」と言っている。なんか、「荷物、忘れなかった?」と言っているみたい。
 「おい、誰か忘れ物しなかったか」と確かめると、橋っさん…「オルゴールを入れた紙袋を忘れた!」。


 この女の子に会わなかったら、34万円の
 オルゴールが、ホテルの備品になるところだった →

 
  日本から持っていった地図が、違うゴルフ場のもので、迷走すること2時間…。


 途中、道端に座っているおじさんに尋ねたら、持っているワインのビンで、「あっちだ」と指し示してくれた。でも隊長、反対方向へブィーッと走り出した。うしろでおじさんが、「コラーッ、こっちだぁ」とどなっている。「あっちだと言っるよ」と言うと、「あんな酔っ払い、反対のことを言うとるに決まっとる」と隊長、さらに反対へ突っ走る
  
 でも、たどり着いた。
  
ンで、これは何をしているのかと言うと、また、ゴルフ場のあるエリアの入り口にゲートがあるのです。       →


 インターホンを押しても応答がない。「弱ったな」と言っていたら、中から車が出てきたので、その車と入れ違いにもぐりこんだ。程なく、ゴルフ場のフェアウエイが見えてきた。


← ボローニャGCは静かな林間コース。
 9番パー4、ティショットで池を越えてくる。
 左ドッグレッグのホールで、グリーンはこの右
 手にある。



 ヨーロッパ最終戦だったので、何とか頑張りたかったのだが、章くんは前夜に冷やしたのか肩が痛くて棄権。橋っさんも腹を冷やして棄権。村上隊長ひとりのラウンドになってしまった。


          このゴルフ場も人影はなく、静かだった →


 隊長がスタートしてからハーフを上がってくるまで、9番横のテラスでコーヒーを飲みながら待っていたのだけれど、この間、プレーヤーは誰も上がってこなかった。結局この日は、隊長の他に1組2人の客があっただけ。ヨーロッパのゴルフ人口は、まだまだ少ないことが実感された。


 (この旅行記には、ゴルフ場の写真が少ないことにお気づきでしょうか。実は「週刊ゴルフ・
 ダイジェスト誌」に『ヨーロッパ・ゴルフ紀行』が紹介されて、そのときにコースの写真を提
 供したのです。返してくれるものだと思っていたのですが、もう2年ほどになるから、帰って
 こないでしょうね。ネガも残っていないので、この旅行記のゴルフコースの写真は、ほとんど
 ないのです。)



 ラウンドのあと、ボローニャの町にある「モランディ美術館」を訪ねた。
 ジョルジョ・モランディ(Giorgio Morandi, 1890-1964年)は、ボローニャに生まれたイタリアの画家。20世紀イタリア美術史において最も重視される画家の一人である。
 さまざまな芸術運動が生まれては消えていった20世紀において、独自のスタイルを確立し、静物画を中心にひたすら自己の芸術を探求した画家であった。初期には未来派や形而上絵画の運動に近付いたこともあったが、生涯にわたって特定の画派や運動に深入りすることなく、独自の道を歩んだ。


     ボローニャのチントロ(中心部)へ向かう →
 


← ボローニャの町の中心、マッジョーレ広場。


 右側のサン・ペトロニオ教会(Basilica di San Petronio)は、ファサードの大理石装飾が下半分しか完成していないままという中途半端な姿で有名だ。14世紀末にサン・ピエトロ大聖堂よりも大きい教会を造ろうと建設が始まったが、財政難で中断したという。

 
 
 モランディ美術館(Museo Morandi)は、マッジョーレ広場に面した、市庁舎(写真の正面の建物)の一角にあった。
 ボローニャで生まれ、生涯をボローニャで過ごしたジョルジョ・モランディは、独特な色彩の静物画、風景画を数多く残している。この美術館にも、油彩画・水彩画をはじめ、彼の作品が多数展示され、実際に絵の題材になった瓶や缶なども含め、創作に使用していた部屋が再現されてもいた。
 展示されていた絵は、彼が好んだ静物画が多かった。描かれている静物は、色彩や筆遣い、背景との関係などで、さまざまな違いをもって表現されていた。これは、その時々の彼の思念を表したものなのか、それれとも彼が捉えた光の量による違いなのだろうか。
 ただ、それらの作品のいずれからも、穏やかなぬくもりを感じることができた。古都ボローニャでの静かに過ぎていく日常にあって、周りのものに何気ない愛情を注ぐモランディの息遣いが聞こえてくるような美術館であった。


 市庁舎の窓から外を見ると、
  歴史的建造物の一角にカフェテラスが →

 
街角ではお年寄りが
大声で議論していました。






 1990年、三重県立美術館で開催されたモランディ展で彼の作品を見た隊長は、是非、ボローニャの美術館を訪ねたいと思い続けてきて、今日、その念願が叶ったのである。
 やっぱり隊長は、芸術家だった!
 
 


 
 ひとつ裏道へ入ってみると、いろいろなお店やさんが軒を並べていました。        →
 





 
← 八百屋さんの店先


 このマツタケ、3本で12800リラ(?)かな。とすれば、日本円で700円ほどだから、むっちゃ安い?!
  
  
 本屋さんは、日本のように本を展示するような広い店舗はなく、間口5間で15坪ほどの店で、客は欲しい本を店員さんに告げると、奥の倉庫から出してきてくれるシステムでした。立ち読みはできないなぁ。
  

     これは街角の売店。週刊誌を買いました →

 


 さて、今日の「ボローニャGC」でのゴルフと、「モランディ美術館」の訪問で、今回のヨーロッパ遠征の予定は全て終了である。
 でも、今日は20日…。章くんたちがイタリヤを後にするのは22日…。ゴルフと美術館をそれぞれ1日ずつ予定していたので、それを今日1日で済ませてしまったため、明日の予定が何もなく、1日空いてしまった。
 「じゃあ、ベネッイア(ベニス)へかフィレンツェに行こう。どちらがいい?」と隊長が言う。ン…『明日、このあたりでゴルフ場を探そう』と言うんじゃないかと思っていたのだけれど、章くんと橋っさんの体調不良を気遣って、仏心にかられたのだろうか。
 ルネッサンスの華の都「フィレンツェ」はもちろん魅力的だけれども、ここでは、アドリア海の真珠と称えられる水上の幻都「ベネッイア」を見てみたい…、海の上に町が浮かんでいるなんて、他所では見ることのできない光景だから…ということで、古都ボローニャを散策してのち、夜になってからベネッイアへ向かって出発した。


← ガソリンを入れて、ベネッイアへ



 ところが途中のパト−バで眠くなってしまい、飛び込んだのがホテル「ビリ」という5つ星…。しかもスイートしか空いてないという。夜も遅かったので豪華ルームに泊まることにして、懸命の価格交渉の結果3人で34000円で妥結…。
 通された部屋は、ツインベッドの部屋のほかにシングルの部屋があり、さらに応接・ダイニングの部屋がついている。ベッドや家具がとてもシックでかつ堅牢な造りだ。いい部屋というのは、調度品が豪華だ。
 この夜は夢もゴージャスなはずだったのだが、いびきも歯ぎしりも知らずに、ベッドに入るとすぐに熟睡してしまった。



   
  
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ヨーロッパ・ゴルフ紀行 P.2 

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