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【184】 民主党 ひとり勝ち  - 2009 衆議院選挙 -     2009.09.01

 
党派別当選者数
 政党 当選 小選
挙区
比例 公示前 増減
民主 308 221 87 115 +191
自民 119 64 55 300 -181
公明 21 0 21 31 -10
共産 9 0 9 9 0
社民 7 3 4 7 0
国民 3 3 0 4 - 1
みんな 5 2 3 4 + 1
改革 0 0 0 1 - 1
日本 1 1 0 0 + 1
諸派 1 0 1 1 0
無所属 6 6 6 0
     欠員2  
合計 480 300 180 480  
 「政権交代は日本の課題である」と繰り返してき
たけれど、民主党が勝ちすぎたという感が否めない
【参照】。 自公の減少分(-181と-10)をそっくり
そのままいただいて、公示前議席の3倍近くに増や
してしまった。日本人の一過性ナダレ現象というも
のだろう。
 しばらくは鳩山新政権のお手並み拝見といきたい
が、諸制度の改新、予算の洗い直し、外交の現実的
転換、そして何よりも雑居政党であることの難しさ
に直面することだろうと思われる。国民も少々のこ
とには目をつぶって、この政権を見守っていきたい。
 ただ、そんな中にも3ヶ月ぐらいの間に、目玉政
策をひとつ実現させて、国民の期待をつなぎとめる
ことが必要だろう。大衆は、一過性のナダレなのだ
から、無策のままに半年も待ってはくれない。
 まずは9月中旬の臨時国会あとの組閣人事が見も
のだが、「民主党、お前もか」と言わせないために
も年内に大衆迎合型の施策が必要で、基礎年金一律
7万円支給へ年末にまとめ上げる予算に道筋を示すなどは、最も幅広い支持を集めることができる、解りやすい政策ではないだろうか。
  
 それにしても、小選挙区制選挙のすさまじさを目の当たりにした思いであった。開票速報を伝えるテレビ画面は、民主党候補の次々の当選と、自民党の大物議員の落選を映し出していく。中川昭一の落選はやんぬるかなの思いで見ていたが、町村、武部…と続いたときには自民党はもたんなぁと思い、野田聖子の落選には自民党崩壊を実感した。伊吹文明・山崎 拓・与謝野薫の落選にはもはや何の感想も無し、小池百合子の落選には、自民党は女性総裁を担ぐことも封印されたかと思った。
 私は前項に-自民党解党の選挙が始まる-と書いたが、この結果を招いた原動力は、民主党の魅力というよりも、自民党の自滅であろう。長年の自民党単独政権の緩みに国民の怒りは鬱積していたのだが、政権に胡坐をかく自民党は、それを読みきれていなかった。気づいてはいたのだが、油断か弛緩か能力不足か、手当する方法を見出すことができなかったというべきか。
 敗戦の弁を述べる麻生太郎は、まだ「小泉改革の行き過ぎた部分が色濃く残り…」などと言っている。選挙の直前に曲がりなりにも日本経済が上を向いたと発表できたのは、派遣を切り、リストラを進め、下請けを締め上げて、大企業が息を吹き返したからであって、それこそが小泉改革の成果であった。その後の政権が改革を頓挫させ、セーフティネットの整備を怠っているのに、景気は回復したなどと平気でウソをつくものだから、国民の怒りが爆発したのである。
 それらに気づかないところに、自民党の賞味期限切れが現れている。慢心・退廃したところに、人材は育たない。現に、解党的出直しを強いられている現在だが、人材不足は否めない。総裁候補が見当たらないのである。
 前回の総裁選立候補者で生き残っているのは石原伸晃・石破 茂だけれども、それに谷垣禎一を加えても、自民党を再生させるリーダーとして自他共に認める力量は備わっていない。安倍普三はまだ禊(みそぎ)が終わっていないし、まさか比例復活当選組を党の顔にするわけにもいくまい。あとはその他大勢…。鳩山邦生で鳩ポッポ国会対決では笑い話だし、いっそのこと、加藤紘一・古賀 誠…、いや森 善朗にお戻り願うか。…、そう考えてくると、参議院比例だけれど桝添要一しかいなくなってしまう。
 9月中旬の臨時国会で、麻生太郎を首班指名の候補とするのも馬鹿げた話だ。自民党の議員は、支持するつもりも無い麻生太郎の名前を書くというのだろうか。次の候補者を擁立する時間が無いなどと情けないことを言っていないで、やれば出来るところを見せなければいけない場面だろう。
 ついつい自民党の話題になってしまった。それほど自民党というのは、話題も多く面白い政党であったのだけれど、政権から離れると、今後は表舞台に顔を出す機会も少なくなっていって、段々と忘れ去られていくのだろう。日本の将来のために、保守本流政党として捲土重来を期して欲しいと思う。


 民主党にしても、各省庁に政務三役(大臣、副大臣、政務官)として約100人の国会議員を送り込むとしているが、新人議員が多い上に、民主党議員の脇の甘さは折り紙つきだから、官僚にいいように取り込まれるのではないか。こちらも、今までに行政を担当した経験のある議員は少なく、人材難は否めないところだ。


 暫定税率の廃止、高速道路の無料化など…、まずは民主党のお手並み拝見と行きましょうか。基礎年金一律7万円支給も、来年度からなどとは言わない。段階的に3万円・4万円…と年度を追うごとに予算措置を講じれば国民の納得は得られるのだろうけれど、40年後に…なんて言っていたら、次回の選挙では逆ナダレの前に政権は吹っ飛ぶことを覚悟せねばならない。



【183】 2009 政権交代の夏 -民主党が政権を取るということの意味- 2009.08.24
     

 全ては麻生総裁の選出から始まった。アキバ系の軽薄短な支持者に派手な黄色い声援を送られたからと言って、国民に人気があると勘違いした自民党が、彼を選挙の顔にしようと総裁に担いだところから、全ての歯車が狂いだした。いや、彼を担がねばならなかったことが、すでに歯車が狂いだしていたことの証しであった。
 「解散は、私が決める」との決まり文句を繰り返しながら、最早や麻生太郎には解散へ踏み切る自信も勝算もなかった。選挙の顔としての役割を期待されて登場した2008年9月に「解散」を打っていたら、以前にも書いたように【参照 166】、彼は間違いなく史上最短内閣の総理大臣として歴史に名を残していたことだろう。
 その後も勝機を見出せぬままに、「解散」はずるずると先延ばしされることになり、その間に、公務員改革の後退による渡辺離党、「ホントは優勢民営化に賛成でなかった」発言、盟友の中川昭一の酩酊会見による辞任、郵政人事を巡る鳩山邦生の離反、さらに、自身の国会答弁程度の漢字が読めないという無学さなどが露呈され、内閣支持率は下落の一方をたどるばかりであった。
 そして、政権発足以来、「解散は、私が決める」とただ繰り返しながら、一度も反転攻勢の機会を掴むこともなく、任期満了に1ヶ月も残っていない8月、追い詰められての「雪隠詰め解散」となってしまった。


 私はこのサイトへ、2002年から「健全な国へ、政権交代を(2002.4.15、【39】)」とか「民主党と自由党の合併-政権交代の切り札となれるか-2003.7.28、【67】)」等々、「この国を掃除するには政権交代が必要」と書いてきた。
 そして、2007年、安倍(晋三)内閣の崩壊で、自民党政権の終焉…すなわち次の総選挙において政権交代が避けられないであろうことを指摘し、「…政権交代が現実の重みをもって迫っている今、次の内閣を率いるものは、自民党政権幕引き内閣と揶揄されようと、、内政・外交に不退転の決意と責任を持ってあたる内閣総理大臣を望むものである【139】」と書いた。
 安倍内閣の「戦後レジウムからの脱却」に同調するところがあったし、安倍のあと、小泉改革を引継ぎ、安倍の志を継承する誰かが、その後の総理大臣を務めることに、まだ期待するところがあったのである。
 (この項の趣旨から逸脱して余談になるが、小泉純一郎はあと5年は改革を続行するべきであったし、そうすれば今の時期の政権交代はなかったと思う。小泉首相の退任により、改革は不十分なまま中断し、中途半端なものに終わってしまった。格差社会や原理主義社会を招いたなどと、現在噴出している問題は小泉改革にその源があるかのようにいわれているが、とんでもない話で、改革が継続して推進されていれば、構造改革による失業や非正規雇用へのセーフティネットは整備され、公務員改革は前進し、地方分権は多くを委譲されて、改革は完成を見たはずである。
 ところが、安倍内閣はその政治的稚拙さからいたずらに時間を浪費し、福田内閣ではその反動的体質から改革は頓挫…むしろ逆行し、麻生内閣に至っては改革どころか迷走するだけであった。その後の3内閣が改革を推進しなかった結果、社会に閉塞感を蔓延させ、国民の不信を買い、政権交代を招いたというのが、今日までの政治的状況である。)
 したがって私は、安倍のあとを継ぐ自民党総裁選が麻生と福田で争われるのを見て、「この自民党に期待するものは、何もありません。心置きなく政権交代を…【141】」と書き、福田内閣のスタートには「この内閣の政治体質は旧時代の自民党であり、この政治状況を改めるにはやっぱり政権交代しかない
【142】」、さらに、2008年、福田総理辞任には「日本が再生するためには、自民党政権の終焉が条件なのである【161】」と書いてきた。


 繰り返しになるが、今日の日本を掃除するには、政権交代しかないのである。政官業の癒着と続出する不祥事、膨大な特殊法人への天下りなどの官僚の横暴、崩壊している年金などの無為・無策ぶり、それらに対応できない政治の無能さ、国民の間のあきらめと政治不信などを見ると、この状況を招いた自民党長期政権の責任は大きい。
 麻生首相や公明党の太田代表は、選挙の演説で「責任を果たすことができるのは自公政権だけ」と声高に言っているけれども、今まで自民党・公明党に任せてきた結果がこれなのだから、今さら麻生太郎や太田昭宏に、それを言う資格はない。これまで政権を預かってきたのにできなかったという、自覚すらないのだろうか。
 ここは、わが国の政治の歪みや社会の澱みを是正して、この国のかたちを正すために、政権の交代が歴史の必然なのである。

 「民主党のマニフェストは財源を示しえないバラ撒き政策だ」という指摘もあるが、財源はあるのかないのか、見つけて来れるのか来れないのか、民主党にやらせてみるべきだろう。自民党がやったならば、昨日までと変わらない。50年間できなかったのに、明日からはやりますと言ったところで、泥沼に首まで浸かってきている連中にできるわけがない。
 政権の座にない民主党に具体的な政権構想を描けといっても、官庁から資料は届かず、官僚から正確な数値や報告が出てこない現状では無理な部分も多い。鳩山代表が言うように、「政権を取ったら具体的な財源や青写真を示します」と言うのがむべないところだろう。


 8月30日、日本の憲政史上に新たな1ページが開かれる。


 ならばその日から、経済は活性化し、官僚は心を入れ替えて働き、この国の仕組みは一新されるのだろうか。残念ながら、その前日と何ら変わらない日々が繰り返されることだろう。政権交代とは、そういうものなのだ。劇的に変わったりたら、むしろ社会は混乱してしまう。
 政権が移譲されるということで、社会に新たな緊張感が生まれるのが重要なのである。政権担当能力のある2大政党が存在すれば、お互いは責任ある政策を打ち出して政治に当たろうとするであろうし、国民の信頼をつなぐことができなければ野党に転落するから懸命に政治を行おうとする。
 万年野党が言う批判は責任のない論議でしかないし、万年与党は下野する心配もないのだから好き放題を繰り返すことになる。どんな不祥事を起こしても政権は安泰だとタカをくくって、空き放題を繰り返し、政治を私物化する。長年の自民党政権がそうであったように…。
 その政治状況が是正されるのが、政権交代が実現する、平成21年8月30日なのである。


 ただ、民主党の政権運営に対しては、ある程度、温かい目で見ていく必要があると思われる。不祥事とか失政をお目こぼししろというのではなく、景気も二番底に向かう恐れが多分にあり、失業率も上がってきている現在、悠長なことは言っておられないことはよく解るのだが、官僚の抵抗や、新しい制度を整えていく過程、手続きの不慣れなどから、スピーディに進まない場合を想定しておくことが必要だと思うのである。もちろん民主党は、その状況がなぜ生じていて、どのように解決していくかを、国民に丁寧に説明していく義務を負っていることを忘れてはならない。


 そしてもうひとつ…、極めて大事な視点がある。民主党は旧社会党系議員や保守系議員が同居する『モザイク政党』であることだ。集団的自衛権の行使、インド洋での海自活動、核保持への議論、国家公務員総人件費の削減、郵政民営化の抜本的見直しなどに象徴されるイデオロギー面を、どのように現実的な政治活動に対応させていくか、しっかりと見定めていく必要がある。
 特に、教育問題に関心を払わざるを得ない私としては、小学校教諭から日教組を踏み台として民主党参議院会長に就いている輿石 東に注目したい。日教組の会合で、「私は日教組とともに戦っていく」「教育の政治的中立はありえない」と述べている輿石は、組織率ほぼ100%と言われる山梨県教組の委員長を務めたのち、旧社会党から国会議員となり、現在は日教組の政治団体である日本民主教育政治連盟(日政連)の会長でもある。
 参議院会長として、党内に隠然たる力を持つようになった輿石が、民主党政権の誕生の暁には文科相として入閣するようなことがあったら、日本の教育は、国旗掲揚・国歌斉唱の廃止、ゆとり教育の復活、組合専従の公認…などといった、日教組色に塗りつぶされていくのではないかと危惧している。
 全労連や連合などの労働団体を支持母体とする民主党が公務員改革や給与・総員の削減を本当に出来るのか…、輿石を初め横路・赤松など旧社会党出身議員が中枢に居て憲法や核保有・対北朝鮮などに関する正当な論議が可能なのか…。民主党が内在させるイデオロギー問題を克服し、国民から信頼される政治を実現する象徴として、まずは偏向したスタンスで教育をもてあそぶようなことをしないよう、しっかりと見守っていかねばならない。


 政権交代は、歴史の必然である。


 その歴史の教訓として、戦前、二大政党時代を実現しながら、足の引っ張りあいとスキャンダルにまみれて、国民の政治不信を招き、結果として5・15事件、2・26事件を引き起こして軍部の台頭を許した、民政党と政友会の抗争を忘れてはならない。民主党も自民党も、政党本来の国家観と政策をもって政治に当たることが肝要で、謀略や相手への誹謗中傷によって政権を奪取しようなどとしてはなるまい。
 そこで、民主党は政権を取ったらモザイクを一枚岩にするために、徹底した党内議論を繰り返し、揺るぎない政治姿勢を示して、政治の安定を図る必要があろう。民主党政権が、短日の間に国民にソッポを向かれ、崩壊の憂き目を見るならば、「またしてもか、民主党」という怒りは、民主党にとって致命的である。政界再編をも視野に入れて、安定した政党としての基盤を築き上げることが、日本の将来を拓くために、何よりも求められている民主党にとっての最重要課題である。


【182】 小沢問題に関する民主党第三者委員会報告           2009.06.10


     - 小沢前代表・検察・報道の問題点 -   【読売・産経新聞より抜粋】



 民主党の小沢代表代行(前代表)の資金管理団体を巡る政治資金規正法違反事件に関して、小沢氏の説明責任や検察の捜査の是非、メディアの報道などを有識者によって検証するため、同党が4月に設置した、第三者委員会(正式名称は「政治資金問題をめぐる政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会」。メンバーは座長の飯尾潤・政策研究大学院大教授、郷原信郎・名城大教授、桜井敬子・学習院大教授、服部孝章・立教大教授の4人)は、10日、報告書をとりまとめ、岡田幹事長に提出した。


 報告書は、今回の問題での民主党としての対応について、小沢氏の「政治家個人としての立場」と「党首としての立場」を切り離さず、混然一体として対応したことが事態の悪化を招いたとして、「政党の危機管理対応という観点から問題があった」と総括した。


 小沢氏の説明責任については、「自民党など他の政治家と比べて、突出した政治資金を集めているわけではないことを説明するほか、どういう目的で使われるのか、例を挙げるなどして説明することがあってもよかった」と指摘している。
 ただ、「検察に会計関係の書類がすべて押収されているので、現時点では(政治資金)収支報告書の支出の内訳以上の開示は困難だ」と小沢氏の対応に一定の理解を示した。


 一方で、検察の捜査については、「そもそも違反が成立するか否かに疑問があり、罰則を適用すべき重大・悪質な事案とは考えられない」「(検察の)捜査には多くの疑念がある」と捜査を批判。西松建設の違法献金事件で自民党国会議員への強制捜査が行われていないことについても、「取り扱いの不公平性を疑う」としている。
 公設秘書が逮捕・起訴された小沢一郎代表代行が代表職を辞任したことについて、「野党第一党の党首を辞任に追い込んだ重大な政治的な影響に関し、説明責任がある」と指摘し、検察側に説明を求めた。
 さらに「本件のような重大な政治的影響のある事案について、法相は、高度の政治的配慮から指揮権を発動する選択肢もあり得た」と、法相の指揮権発動にも言及している。
 また、小沢氏が、第三者委員会が行ったヒアリングに対して、「検察の権力行使をチェックする仕組みをつくることが重要」と述べたことを明らかにした。


 報道のあり方についても、NHKや産経新聞などの具体例を挙げたうえで、
 〈1〉検察やその関係者からとみられる情報に依存した報道が少なくなかった。背景には記者
   クラブに象徴される、当局と報道機関との不透明な関係があるとみられる
 〈2〉政治とカネの問題について「巨額献金事件」などの決めつけをはじめ、「有罪視報道」が
   展開された
 〈3〉検察の捜査のあり方への批判が十分に行われなかった
 ――などとして「多くの問題があった」と指摘した。


 いずれの指摘も、国民の目線から見ても疑問視される点である。検察は、特定の立場や利益に加担する捜査を行ってはならないのは言うまでもないことであって、今回の問題に対して、国民が納得する説明をするべきであろう。
 この問題で改めて思わされることは、検察もまた官僚であるということである。自民党長期政権の間、変革の波に洗われることもなく続いてきた官僚制度は、緩みを生み、傲慢を生じている。加えて検察・警察は、捜査権・逮捕拘留権などを持った組織であるだけに、その独走に歯止めがかからないという危険がある。
 警察・検察の裏金問題などはまさにその典型的な例であり、実名でその手口を克明に証言する内部告発が行われているのに、自分たちで捜査して、「そのような事実はありません」といけしゃぁしゃぁと発表する厚顔無恥さだ。「警察・検察に裏金はあると思いますか」と世論調査すれば、100%あると答えることだろう。国民の疑念に答えていないという証である。
 政権交代の暁には、民主党内閣は他の官僚組織とともに、警察・検察の組織や制度も改めることだろうが、ここにも政権交代を待たなければ実現しない、この国のチリ・ホコリがあるということを改めて思わされる。



【181】 「日本の景気は底を打った」…か???             2009.06.05
     -与謝野経済財政担当・財務・金融担当大臣の判断の危うさ-

 
 長期金利の指標となる10年最長期国債利回りが約8カ月ぶりの水準に上昇している。債券市場は売りが優勢で、国債利回りは3日まで3営業日連続で上昇(国債価格は下落)、一時は前日終値比0・01%高い年1・55%を付けた。1月に1・2%台だった長期金利は4月以降、上昇テンポが上がっている。
 転じて株価は、株高・債券安の傾向が続いていて、米ゼネラル・モーターズ(GM)の一時国有化決定で悪材料が出尽くしたとの投資家心理からか、日経平均株価は3日には4営業日連続で今年の最高値を更新した。さすがに4日は7日ぶりに反落したが、前日比-72円71銭と小幅の下げにとどまり、終値は9668円96銭と相変わらずの強含みの推移である。
 

 景気後退の要因となるといわれる長期金利の上昇だが、日銀は景気対策を実行したのに長期金利が上がらなかったらそれこそ問題と、この上昇を楽観的に受け止めている。5月下旬に発表した景気判断でも、輸出や生産に底打ちの動きが出ていることを踏まえ、「大幅に悪化している」から「悪化を続けている」に上方(?)修正…、悪化ペースの鈍化を示す表現に改めた。上方修正は、ゼロ金利政策を解除した06年7月以来、2年10カ月ぶりである。
 与謝野経済関連3閣僚兼務大臣も、1-3月期の実質成長率-15%(年間換算)という過去最大の落ち込みを経て、落ち込み幅が減少するであろう今期の見通しを、「景気は底を打った。これからは回復期に入る」と述べている。
 しかし、本当にそうなのか…?。与謝野大臣は、サブプライムローンに端を発した世界同時金融危機の際にも、「基盤整備の進んでいる日本は大丈夫。蚊に刺された程度のこと」と発言していた。結果はというと、株価は欧米以上の下げ幅を記録し、一時は87円まで上がった円相場の影響や欧米での売り上げ減から、トヨタやシャープなど日本を代表する大企業が軒並み大幅な減収を余儀なくされ、下請けの中小企業は塗炭の苦しみ…、解雇された人々が巷に溢れて大きな社会不安を引き起こしたのである。彼が『政策通』の評判を得ていることから、『与謝野をしても、この程度か。政治はみんなボンクラだ』と思わされた。その後も、何食わぬ顔で3閣僚を兼務し、日本経済の舵取りを淡々と続けているが、『解散と経済のことは、嘘をついてもいいんだ』と、親方(麻生総理)と二人で嘯(うそぶ)くつもりだろうか。
 日銀や与謝野大臣のコメントに乗せられてか、今年の3月19日には一時的に6996円をつけた株価(終値は7054.98円)が、今日は9600円をつけていることも理解に苦しむ。他に行き場のない投機資金が、割安感のある(実際に安い)日本の株式市場に流れ込んでいるのだろうが、切り立った稜線の上で踊りを踊っているようなもので、素人には近寄りがたい不気味さがある。
 長期金利上昇の彼方には株価の暴落が待っている…というのが、金融サイクルの図式だ。現在の長期金利の上昇は、各国が景気対策のために巨額の財政出動に動いた副作用である。日本でも14兆の補正予算を組むために、追加国債の発行を余儀なくされて、発行額が税収を上回ることになりそうである。景気対策の財源として主要国が国債発行を増やせば、需給バランスが崩れて債券安となり、長期金利の上昇がさらに加速しかねない。
 実体経済が壊滅的な打撃を受けている現在、米銀行のドル引き上げなどによって国家財政が揺らいでいる欧州から、今度の金融危機が発生するという指摘もある。不況の脱出のためにアメリカはこれから大幅な公費投入を行うだろうが、イランや北朝鮮などの問題を抱えて、経済はますます厳しくなることだろう。これでも、日本経済の未来は明るい…とのん気なことを言っていられるのだろうか。
 今年の後半以降に懸念されている、第二次金融危機を乗り越えるためには、政治がしっかりとした見通しを持って、経済を支えていくことが必要である。麻生内閣が発表した経済対策や過去最大の補正予算も、官僚の余生をバラ色にするための天下り機構への資金支給やばら撒き定額給付金などといったその場しのぎの対処策でなく、戦略的な展望を持って予算を投入していく取り組みが必要であった。
 それを実現していくためには、しがらみのない新政権の誕生を待つしかないのだろうか。



【180】 足利事件 菅家さん釈放 -裁かれる警察・検察-        2009.06.04


 昨日、「暴走する警察・検察」と、その捜査や取調べの様子に警鐘を鳴らしたところだったが、今日、「足利事件」で無期懲役が確定していた菅家利和さんが、1991年12月の逮捕以来、突然、17年ぶりに釈放されることになった。
 東京高検の渡辺恵一次席検事が、4日午前10時半過ぎから記者会見を行い、菅家さんを釈放する判断に至った経過を説明した。今日、朝から普段通り刑務作業をしていた菅家さんには、職員が「釈放だ」声をかけ、今日のうちに釈放されたという、唐突さであった。
 殺害された女児の下着に付着していた体液と菅家さんのDNAの型が一致しなかったことは既に報じられていたから、菅谷さんの冤罪は確実視されていた事件であったが、改めて、警察・検察の捜査の杜撰さ、そして、その誤りを自ら正そうとしない姿勢の傲慢さに、空恐ろしさを覚えずにはいられない。
 1993年秋、菅家さんに接見して「無罪だ」と確信したという佐藤博史弁護士は、DNAの再鑑定を裁判所に求め続けたが、最高裁は再鑑定を認めず、昨年2月再審請求した宇都宮地裁からも再鑑定は認められなかった。それでも再審に望みをかけ、3度目でようやく実現した再鑑定は、5月8日、検察・弁護側双方の鑑定者ともDNAは不一致との結果であった。検察は、男性の刑の執行を停止し、釈放した。前例のない事態である。検察が事実上、無罪を認めたものといえよう。
 警察が、決定的な証拠を得るために、進歩する科学技術を捜査に取り入れるのは欠かせない。ただ、鑑定の精度が飛躍的に向上したのは、新たな分析装置が導入された03年以降だ。それ以前に実施されたDNA鑑定は4000件を超えるという。裁判所や検察は、再鑑定の実施などについて、ここは真摯に対応していかねばならない。


 この事件が語る最も重要な教訓は、「髪の毛を引っ張られ、足蹴にされた」と菅家さんが語る、当時の警察の取り調べ方法の違法性は今さら繰り返すべくもないが、その捜査には証拠を基にした地道な客観的事実の積み重ねが求められるし、検察の起訴状には徹底した検証が必要であるという点であろう。
 さらに、当時の最高裁判事が、「当時の判断としては間違っていない」と語っているのには、開いた口が塞がらない。法の下に人を断罪するものには、毫の過ちもあってはなるまい。結果として誤っていたとすれば、その判断を不明とする身の処し方をしなければならない。それを、「当時の材料から判断するのならば、あの判断しかない」というのであれば、判決は常に冤罪であるかもしれないということを自ら宣言していることになる。
 「有罪」は、あらゆる客観的証拠に照らして下されるものでなくてはならない。裁判員制度がスタートした今、一般人をして「有罪」の判断に参加させようというのだから、警察・検察は明確な証拠を示して、被告人を起訴するべきである。


 最近の事例として、最高裁で死刑が宣告された、和歌山毒物カレーの林真須美被告の案件が思い出される。状況証拠の積み重ねだけで、『林被告以外に犯人は考えられない』と死刑を宣したのである。彼女を犯人だと指し示す証拠は、何一つない中で…。
 彼女の死刑執行命令に捺印できる法務大臣は、いないのではないか。



【179】元「あのねのね」の原田伸郎 立件か、びわこ放送を捜索    2009.06.02
     -目に余る警察・検察の暴走 と 麻生政権の体質


 元「あのねのね」のメンバーでタレントの原田伸郎が、許可を受けずにテレビ番組で猟銃を持ったとして、滋賀県警が銃刀法違反(所持)の疑いで、近く原田を書類送検する方針を固めたという(産経)。原田は2日、滋賀県警木之本署に出向き、任意の事情聴取を受けた。
 聴取後、原田は報道陣の取材に応じ、「いろいろな方にご心配をおかけして申し訳ない」と謝罪し、猟銃を持ったことについては、「私も含め、誰も法律違反との認識がなかった」とコメントしている。(読売)


 県公安委員会から猟銃所持の許可を受けていないままに、番組の中で地元猟友会の会員から猟銃を手渡され、約6秒間、手に持っていたとしての書類送検、事情聴取、立件検討である。法律の条文を盾にした警察の暴走であろう。公序良俗を犯す恐れもない、今回の原田伸郎の行為については、「法律に抵触していますから、今後は注意してください」というぐらいが、世の中の常識というものではないのか。
 法には、成文法と慣習(法)がある。成文法>慣習(法)の優先順位は当然としても、民法第92条(任意規定と異なる慣習)には、「法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う」。また、法の適用に関する通則法第3条(法律と同一の効力を有する慣習)=旧「法例第2条」には、「公の秩序又は善良の風俗に反しない慣習は、法令の規定により認められたもの又は法令に規定されていない事項に関するものに限り、法律と同一の効力を有する」とある。
 テレビ番組の中で許可を受けずに猟銃を受け取り、「結構、重いものですね」と言ったりしていた今回の原田伸郎の行為は、その違法性を認識していなかった者の、慣習的な行為である。成文法と慣習(法)に照らして云々の問題ではないが、『法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う』といった点についての配慮があってしかるべきであろう。


 平たく言えば、こんなことで、警察が立件するぞと騒いで、テレビ局への立ち入り検査や関係者への事情聴取を行ったりするのは、やりすぎ…警察権力の濫用だということである。「注意してください」が妥当で、せいぜい「叱りおく」といった程度の問題である。


 この警察の暴走は、麻生政権の体質と関連があるのではないか…といえば、勘ぐりすぎか。小沢民主党元代表の秘書の逮捕、草なぎ剛の逮捕と家宅捜査…など、一見、暴走とも指摘された彼らの動きは、漆間巌元警察庁長官を官邸の事務方トップの官房副長官に据えて、警察・検察の動きにお墨付きを与えた、麻生政権の体質が生んだ警察国家化ではないのか。
 文芸評論家の山崎行太郎は、そのブログの中で『 …、今回の「小沢民主党党首秘書逮捕事件」を企画立案し、麻生首相の了解の下に、東京地検特捜部を動かし、密かに指揮したのは「漆間巌」である… 』と書いている。『…、麻生首相が、歴史に名を残すとすれば、…、どのようなダーティな政治家でさえも、さすがにその一線だけは踏み越えなかったところの、いわゆる「国策捜査による政敵潰し」という「悪の政治学」に手を汚した政治家としてだろう。能力も人望もない卑小な政治家が国家のトップに立つと、いつでもこういうことになるということを、われわれ国民は知るべきである…』とも。


 先日の党首討論では、鳩山由紀夫民主党代表が、
『おかしな話ですよ。漆間官房副長官がおっしゃいましたよね。「自民党には捜査は及ばない」。及んでないんですよね。同じことをして、一方では秘書が逮捕・起訴され、他方ではなんにもおとがめなし。こんなバカなことが行われている。これが検察官僚のやることなのかと。我々はここで官僚国家に対して、しっかりとした歯止めをかけなければならない。そう真剣に思っているわけであります。
 …、小沢代行の説明責任について申し上げれば、私が幹事長時代に、第三者の方々に集まっていただいて、第三者委員会というものを作りました。そこに、もう既に小沢代行を呼んで、2時間ほどヒアリングしました。そこで、説明責任の部分がほとんど理解されたようでありますから、いずれ近いうちに報告書が出ますので、それをどうぞご覧になってください。
 もっと大事なことは、小沢代行の説明責任の話ばかりで、検察も第三者委員会に来るのを逃げましたし、メディアの方も逃げましたよ。誰も来ないですよ。おかしいんですよ。こういう一方的な国のあり方というものに対して、だから私たちは、上から目線の政府に対して、国民の目線に立った政治というものを今こそ作り上げていかなきゃならない。そう思っています』と述べている。


 それにしても、最近の警察・検察の暴走は空恐ろしいものを感じる。日本最大の権力機関が、政権を守ることと引き替えに、確たる国家ビジョンも政権担当能力もなく、警察検察を使うことによってその延命を図ろうとする政権の擁護を受け、ある恣意を持って動き始めたら、この国は「いつか来た道」を辿ることになるのではないか。
 そんな恐れを抱かせる政権であることも、極めて残念といわねばなるまい。


 これも、自民党長期政権が生んだ、ひとつの社会の澱(おり…沈殿物、とごりかす)なのだろう。この国の大掃除をかけた選挙が、この夏…始まる。  




【177】 民主党新代表に鳩山由紀夫            2009.05.16


 民主党の小沢一郎代表の辞任に伴う代表選で、今日、鳩山由紀夫幹事長が岡田克也副代表を下して新代表に選出された。
 投票数は220票(岩国衆院議員欠席)、鳩山由紀夫124票、岡田克也95票、無効1票であった。


 今の民主党が鳩山由紀夫を選んだことは、安定した選択と言うべきであろう。


 鳩山は1998年、新党さきがけを離党した菅直人らとともに、民主党を結成した際には70億ともいわれる巨額の資金を用意し、以来、党内最大派閥を率いて(鳩山グループ」(政権交代を実現する会))いる。いわば民主党は鳩山の党と言うべきだが、彼は幹事長代理を経て1999年9月から2002年12月まで党代表を務めたものの、統一補選での惨敗とその後の人事、また自由党との統一会派騒動をめぐっての党内混乱の責任を取る形で代表を辞任した。
 2005年9月、前原誠司が菅直人を2票差で破って党代表となったとき、その幹事長を務めたが、2006年に前原が偽メール事件で代表を辞したのに伴い辞任した。そのあとに成立した小沢一郎のもとでまた幹事長に就任、その後は一貫して小沢体制を支え続けてきている。
 政権交代を果たそうとしている現在の民主党の代表は、鳩山由紀夫こそが相応しいといえよう。二大政党による政治体制を悲願として戦い続けてきた小沢一郎が、自民党長期政権を倒して、民主党の総理大臣になることも、新生日本を築くためのひとつの象徴的な姿であったが、その志を果たせぬままに辞任を余儀なくされた今は、小沢体制を支え、ともに政権交代を目指してきた鳩山由紀夫がそのあとを継ぐことこそ、最も望ましい姿であろう。また、鳩山は民主党の象徴でもあるのだし…。
 

 代表就任に際して、鳩山は「愛のある政治」を掲げた。政治を司るものとして、基本的に忘れてはならない視点は、陽の当たらない人たちに対する配慮である。民主党の政策は、結党当初、新自由主義的な経済路線を大幅に掲げていたが、小沢民主党となった近年では、小泉政権以降自民党が明確に掲げるようになった新自由主義・新保守主義的政策への対抗から「生活が第一」をスローガンとし、所得格差・地域間格差の解消などを前面に出すようになった。
 党是から見ても、社会民主主義的といわれることは、民主党にとっても鳩山新代表にも本意ではないのかもしれないが、社会の隅に光を当てることこそが政治の役割である。近年盛んに言われる「自己責任」とか「市場原理」とかは、政治の力を必要としない部分において適用される考え方であって、生まれながらにして不平等な人間社会にあって、努力の及ばないところに生じる不具合については、政治がそれを是正する責任を負わなくてはならない。庶民の生活や、老人医療・介護の実態、中小零細企業の現実…などを知らない政治家など、存在理由もない。昨今の状況を見ていると、国民生活の現状を政治は何ら理解していないことを痛感させられるのである。


 自民党サイドは「岡田よりも、鳩山のほうが戦いやすい」というコメントを流し続けている。本音はそうではなかろう。政治的熟成度に欠ける岡田ならば、自民党も官僚たちも、赤子の手をひねるごとく御しやすいと考えていたことだろうが、民主党の結党以来11年、政権奪取に執念を燃やし、民主党の歩みと常に歩調をひとつにしてきた鳩山由紀夫は、もはや優柔不断なボンボン政治家ではない。政治の裏も表も知り尽くした、利権政治の改革に意欲を燃やす、次期政権党の代表である。
 それだけに、「リベラルは愛であり、この愛は友愛である」(祖父鳩山一郎が好んだ言葉)というスローガンばかりで政治はできない局面にも、直面することだろう。自民党が、100年に1度と言う経済危機に際して、24兆円もの補正予算を組みながら、何ら実効的な政策も打ち出すことができず、政権担当能力の喪失を露呈している現在、鳩山由紀夫の双肩にかかる責任は重い。民主党が生んだ初代内閣総理大臣として、日本の新しい姿を提示して欲しいと期待している。



【177】 小沢民主党代表 辞任                     2009.05.11
     

 民主党の小沢一郎代表は、11日午後、党本部で、記者会見し、代表を辞任する意向を正式表明した。西松建設の違法献金事件で公設秘書が逮捕・起訴されたことから、マスコミ各社が繰り返した世論調査で民主党の支持が下落し、「小沢代表はその責任を取るべきだ」との声が党内からも湧き起こっていることなどから、選挙を睨んでの辞任となったものである。
 

 コロコロと数値を変える世論調査に惑わされて、小沢一郎ともあろうものが辞任を決意するとは何ということか。
 今朝(5月12日)の日本テレビ「朝ズバ」で司会のみのもんたを初め、コメンティターの面々は、「小沢氏が記者会見で言ってることは全く理解できない」「辞任は遅きに失した」などと言いたい放題。『溺れる犬は叩け』という日本のマスコミの魔女狩り体質を見せ付けられて、胸の悪くなる思いであった。
 判決もまだ出ていない問題で、なぜ責任を追及して辞任を迫るのか。彼らの存在は日本をあるべき方向へ導く、有意義な存在なのか。それとも、そのヒステリー体質は、かつて日本を雪崩を打って大東亜戦争へと導いたように、また、戦後にあっては東京裁判史観を絶対として大東亜戦争を日本の犯罪だと断罪してきたように、大きく日本を誤らせる役割を演じているのではないか。


 民主党は、またしても自党の同士を守ることができなかった。しかも今回は、党首の首を奪られたのである。僕は以前にも書いたが、少し揺さぶられると、身内から厳しい批判の声が上がるという体質を改めない限り、この政党の明日はない。自民党は、支持率10%台であつたあの麻生首相をさえいまだ守って、支持率を回復させてきている。相手の勢力から甘い言葉をかけられると、自党の代表をこき下ろしているような議員のいる政党が、世間の信頼を得られるはずがない。


 みんな、この国を建て直すため小沢一郎が果たす役割の大きさに、思いをいたすことができないのだろうか。岡田克也が党首となって政権交代を果たしたとしても、小沢を党首として民主党が政権を取るのとは、改革の断行に大きな違いが出ることは否めない。小沢一郎は、自民党と官僚が牛耳ってきたこの国を改革するには、どこからどのように手をつければよいのかを熟知している。だからこそ、小沢の追い落としに、政権が筋書きを作り、検察が暗躍し、マスコミが煽るという、なりふり構わぬ手段を講じたのである。
 小沢の辞任で、利権勢力は胸を撫で下ろしていることだろう。あとの民主党の面々では、誰が党首として号令をかけても、チンプンカンプンな改革を言うだけで、悪代官と越後屋は、そんな民主党を操るのは赤子の手をひねるようなものだとほくそ笑んでいる。


 小沢辞任 … 政権が筋書きを作り、検察が暗躍し、マスコミが煽って … そして国民が踊らされる。世論調査、『小沢辞任を求める声が71%』といったように!




【176】 小沢民主党代表事務所強制捜査 第一秘書逮捕       2009.03.07
     - あからさまに仕掛けられた 小沢潰し -


 準大手ゼネコン「西松建設」からの企業献金に絡み、民主党の小沢代表の事務所が強制捜査を受け、大久保隆規公設第一秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕された。
 大久保秘書の逮捕容疑は、2006年10月ごろ、実際には西松建設の資金だったのに新政研(西松側の政治団体「新政治問題研究会」、もうひとつは「未来産業研究会(未来研)」)名義で献金100万円を陸山会の口座で受領。これを含め、03-06年の4年間で同社から2100万円の献金を受け取ったのに、政治資金収支報告書には新政研や未来研からの献金だったと虚偽の記載をした疑い。


 この捜査は、政権交代が確実視される衆議院選挙を見据えた、政権与党の意思が働いた国策捜査であることは明らかだ。


 そう考えられる第一の理由は、西松から献金を受けた政治家は(自民党にも)たくさんいるが、なぜ現在、小沢代表の関係だけを標的にして摘発逮捕しなければならないのかという疑問に、明確な答がないことである。その理由を、献金額が突出しているし証拠も確定していると、検察は説明していて、関係者によると、小沢代表の団体側は新政研と未来研が解散する06年までの11年間に総額約1億8000万円を受領、献金額や献金先団体も指定していたとしているが、金額の多寡によって罪が免れられるという性質の問題ではない。
 もしこの事件に着手するのならば、森元総理や二階経済産業大臣をはじめとする自民党議員の面々をも捜査の対象として同時に家宅捜索を行い、容疑が固まれば逮捕拘束するのが当然であろう。



 第二に、証拠隠滅の動きがあるとか海外逃亡の恐れがあるなどの場合を除いて、政治的に影響のある時期には捜査は進行させないというのも、検察の政治的中立を鮮明にするための不文律であった。ところが今回は、もう6ヶ月以内に衆議院選挙が行われることが確実になっているこの時期の、狙い済ました家宅捜索と逮捕である。この捜査が行われて、今、「小沢氏は代表を辞めるべきだと57%の世論が表明」「民主党の政党支持率は-7ポイントで22%(自民党と同率になった)」「民主党の各県連は選挙への影響は必至と憂慮」など、大きな影響が出ている。


 第三に、検察の捜査状況のリークが、あからさまに恣意的であることだ。例えば、「大久保隆規容疑者が、西松建設側へ請求書を送りつけて献金を要求していた」という記事が新聞やテレビで大々的に報じられたことを、皆さんは記憶しているだろう。捜査の過程で判明したと、まさに捜査の当事者しか知りえないことを、検察がマスコミにリークした記事であるが、ところが6日、「請求書を送りつけていたという事実はなかった」と訂正発表したのだ。それを報じたマスコミの扱いは微々たるものだった。ダーティ小沢のイメージを国民に焼付けたあと出された小さな訂正記事は、一度焼き付けられたレッテルをはがす役割は果たしえない。結果は、小沢民主党支持率の大幅ダウンである。
 そもそも政治資金といったものは、紙包みや買い物袋で議員宿舎などに持ち込まれ、領収書は後付でもっともらしく作られるというのが、政界の常識である。それがいいとはいわないが、裏の慣行を表の世界に引きずり出して形を整えようというのが政治資金規正法であり、したがってどこまで公表できるかについては自ずと限界があって、これまた政界の了解事項であった。小沢代表が最初の会見で、「この種のことは今まで司直の手が入ったことはない」といみじくも述べたのも、事実であると共に当然だったのである。
 ところが、死に体の麻生政権は形振り(なりふり)構わない禁じ手使いに踏み出した。ジャーナリストの田中良紹氏はブログ「内憂外患」(http://news.www.infoseek.co.jp/special/j-is/commons0903_004)の中で、麻生首相誕生時に「麻生政権は民主党の小沢代表をターゲットにスキャンダルを暴露する以外に生き延びる術はない」と予言していて、日本の仕組みの現状を「与党と官僚とが微妙な隙間を作りながら複雑に絡まり合い、どこに権力のポイントがあるのかを分からなくする日本の統治構造」といい、その構造を熟知し自由に操れる小沢一郎を潰せば民主党なんて恐るるに足りないというのが利権体制を享受する勢力(政権・与党・官僚・大マスコミ・経済界)の判断だと指摘している。
 

 そして第四に、漆間官房副長官が口を滑らせた「自民党議員には波及しない」という発言は、この捜査が政権と検察との間で仕組まれたものであることを物語っている。官僚トップである官房副長官が、なぜ捜査の進展について言及するのか…。自らが関与した計画であったことを、思わず誇らしげに語ったという証である。
 漆間官房副長官は的場前副長官(大蔵省出身)の後任で、警察庁長官を務めた警察OB。高級官僚の枠には各省庁の占める割合があり、当時の内閣官房では野田健内閣危機管理監と三谷秀史内閣情報官の2人の警察庁出身者がいたので、さらに漆間氏が官房副長官に登用されれば「警察偏重」とのブーイングが沸き起こるであろうことをあえて押し切りっての登用であった。
 麻生内閣が漆間副官房長官の起用を決めたのは、長年北朝鮮による拉致問題を担当していたことが報じられたが、他にも警察OBであることから現役警官から情報が得られ、小沢一郎民主党代表の持病である狭心症の状態や、民主党大物議員のマルチ商法スキャンダルを調査させるという目的であることも報じられている。(一部ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋)
 今になってみれば、民主党は小沢代表さえ葬れば恐るるに足りない存在だから、小沢のウイークポイントを探り狙い撃ちするための布陣であったかとの見方もできる。うがった推測のようだが、ごり押しした人事を見ても、案外これが正鵠を射ているのかもしれない。
 内閣と検察が手を組んだ陰謀が明るみに出れば、政権は吹っ飛ぶ。漆間副官房長官の誇らしげな口すべりをぼかすために、自民党議員の何かを摘発するぐらいのフェイントを使うことになるのだろうが、それも読み筋通りだから、内閣も検察も可愛いものである。


 それにしても、内閣と政権与党の権力の悪辣さを見せつけられた思いがした。

 
 上に紹介した田中良紹氏のブログにもあるように、日本の検察は悪いものを捕まえるのでなく、時の政権に邪魔なものを捕まえ排除する機関である。しかも、マスコミが検察発表をそのまま記事にする堕落ぶりでは、権力の向こうにいる本当の「悪」はのさばるばかりである。
 今回の小沢スキャンダルは、小沢一郎主導の国政改革を阻止しようとする、官僚・一部の自民党とマスコミ(あえて旧勢力と呼ぶことにする)の共同作業である。政権交代は仕方がないとしても、政権の本質を知る小沢一郎のいない民主党ならば、今の自民党と同じように、旧勢力にとっては手のひらの上で転がすことができると踏んでいる。しかし、小沢一郎が指揮する国政改革が断行されるならば、権力のあるところを熟知している小沢によって霞ヶ関は解体され、旧勢力の利権体制は崩壊する恐れがある。


 何が真実で、何がウソなのかを、自分の判断で見極めることが大切である。「おかしいな」と思ったら、そこには欺瞞がある。「政権交代がかかった総選挙を控えたこの時期に…おかしいな」と思ったら、そこには陰謀があると疑うことだ。そして、権力と手を結んでいる新聞やテレビだけに頼らずに、自分で情報を集め、照らし合わせて考えてみることである。
 ある民主党議員が言っていた「政権を取ったら、利権構造の中で甘い汁を吸っている3000人ぐらいを逮捕して、この国を掃除する」という言葉が、今回の小沢スキャンダルの裏返しとして現実味を帯びてきた。



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