バンコク・ゴルフ紀行 2009 その5

   


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3月17日(火) タイ料理レストラン「サラ・リムナール」

 旅先では、朝早くに飛び起きる章くんだが、今朝は、ちょっとゆっくり…。8時前に一度目が覚めたけれど、今日は何の予定もないし、タイ4日間の疲れが体に重くのしかかり、また寝てしまって、ベッドから起き出したのは9時…。顔を洗って、9時半過ぎに朝食に降りていった。

              朝のチャオプラヤ川 →

 朝食会場「ベランダ」は、チャオプラヤ川の川面を渡る風が吹き抜けて爽やかだ。お世辞にも、キレイだとは言えなチャオプラヤ川だから、川面を渡って来る風もタイらしい臭いを運んできて、不快感を訴える人もいるらしいが、章くんは全く気にならない。臭いなんてしないと思うのだから、鈍感なのだろうか。いや、ここで食事している人はたくさんいるのだから、みんな気にならないのだろう。特に臭いに敏感な人が、ちょっと敬遠したいなぁとおっしゃるのであって、普通の人はここで美味しくお食事をいただいているのである。
 宿泊代に代金が含まれている朝食ブッフェは、午前7時から10時30分まで…。別料金で朝食アラカルトorセットのメニューが午前6時から11時30分まで用意されているから、もう少し寝ていたいのならばこちらを頼めばよい。

← 川べりのオープンテラス
 「ベランダ」での朝食風景


     デザートも盛りだくさん→

 食事のあと、ホテル内をひとめぐり…。章くん、13日に到着してから、早朝に出かけて夜帰ってくるパターンの繰り返しで、「オーサーズ・ラウンジ」でのお茶と「ノルマンディ」での食事のほかは、ホテル内を歩いていない。

中 庭 プール 朝のロビー

← ここはどういう場所かと
 いうと、喫煙コーナー。

  タバコはいつでもどこでも
 吸い放題のタイだが、
「オリ
 エンタル」内はタイじゃない
 から(笑)、禁煙だ!
     
← これは玄関。 今、使っているこの玄関は、実は裏口らしい。メインエントランスは川側の入り口だとか。というのは、このホテルが建てられたのは1887年だが、1869年にスエズ運河が開通していて、当時のヨーロッパからの客は、みんな客船でバンコクに入ったから、当然、川から上がったところが表玄関だったのである。

 船着場から見ると、ホテルの壁面に
ORIENTAL HOTELのレプリカが見える→


 まだ10時半…。奥ちゃんは夕方しか来ないから、昼間は町見物に周辺をぶらつき、夕方にもう一度ホテルへ戻って、食事をすることにしよう。
 ただ、出かける前に、チェックアウトをしておかねばならない。荷物は昨夜の内にあらかたまとめてある。コンシェルジェを呼んで、チェックアウトと荷物を夜まで預かってほしいと依頼した。

 11時前、「お荷物はフロントでおっしゃっていただけば分るようにしてお預かりします」と言ってくれたので、全ての荷物はそのまま部屋に置いて、手ぶらでホテルの船着場(ピア)からボートに乗った。

← ホテルの船着場からは、専用ボートが発着している。


 オリエンタル・バンコク・ホテル専用ピアからは、チャオプラヤー川の対岸にあるホテルのレストランや「ザ・オリエンタル・スパ」へ、また、バンコク・スカイトレインのサパーンタークシン駅に隣接するサートン船着場、ロイヤル・オーキッド・シェラトン・ホテル&タワーズに隣接しているバンコク最大のアンティークショッピングモール「リバーシティ」などとの間に、5〜10分間の間隔で専用ボートが運航されていて、これらの施設の利用客は無料で利用することが可能である。
 章くん、オリエンタル・バンコクからサートン船着場へ渡り、そこからチャオプラヤ・エクスプレスに乗り換えて、「ワット・アルン(暁の寺)」へと向かった。

 章くんはどういうわけか、ワット・アルン(暁の寺)好きである。その歴史や様子については、2003年のタイ・ゴルフ紀行その2に説明しているので、ここでは省略するが、この寺の社殿はみすぼらしく、安置されている仏像も、ワット・ブラケオ(エメラルド寺院)やワット・ポー(涅槃寺)に比べると見劣りする。
 それでもなおこの寺に惹かれるのは、陶片がちりばめられた大仏塔の威容であろう。空に屹立して聳えている塔は、陽光を浴びるとキラキラと魅惑の輝きを放つ。チャオプラヤ川に浮かぶボートから、光り輝く大仏塔を見るためには、東側から陽の当たる時間に…、すなわち午前中に訪れなくてはならない。(暁の寺といわれるごとく、朝日の昇る払暁が一番良いらしい。)

      船から見た大仏塔。高さは75mある →


 時刻は、午前11時30分。かろうじて、午前中に間に合ったというところだけれど、太陽はすでに南へ回っていて、東側の面が陽光に輝く時刻は過ぎていた。

 
← 下から見上げる大仏塔は
 青空に突き刺さるよう


  塔を支えるのは
   力持ちの小鬼たちだ →

 

 「ワット・アルン」が、バンコク市内の寺々とひと味違うのは、ここがヒンドゥ−色豊かな寺だからかもしれない。大仏塔とそれを取り巻く4基の小仏塔は、ヒンドゥー教の聖地カイサーラ山をイメージして造られたものであり、それらの塔を取り巻き、守り支える石像たちは、神鳥(ガルーダ)、妖精、神猿(ハヌマーン)など、タイ建国の神話「ラーマ・キエン物語」で大活躍する面々である。壁面に掘られた女神たちも、シバ神を思わせる肉感的ないでたちだ。

 大仏塔の正面には、ご本尊を祀る御堂があり、入り口の両脇を猿神が固めている。御堂の回廊には、120体の黄金に輝く仏様が並んでいて、その外側を兵士たちが守る。奥に祀られた本尊には、この寺を庇護したラーマ2世の遺骨が納められているという。

← 御堂の入り口を守る
 神猿(ハヌマーン)【拡大】

   回廊に並んでいる仏様 →



 川風に吹かれながら、寺の周囲をブラブラと歩いてみた。

← 顔をはめこんで記念撮影をする型枠が並んでいる。

 が…、これを無料だと思って利用すると、どこからとも
 なく人が現れ、撮影料40Btを要求される。よくよく
 見ると、 下の方に小さく40Bと書いてある。

   寺の周辺にはタイ
 の民族衣装を貸し出す
 店が並んでいて、写真
 撮影もしてくれる。
 200Bt   →


 お昼過ぎ、「ワット・アルン」をあとにして、寺の前の船着場から渡し舟で対岸のティアン船着場へ渡った。船賃は3Bt、所要時間は5分…。

 ティアン船着場からは、王宮寺院(ワット・プラケオ)や大涅槃仏で有名な涅槃寺(ワット・ポー)が近い。
 でも、章くん、今日はそれらの寺には寄らずに、「トクトク」に乗って「バイヨークスカイホテル」を目指す。その78階にある、「スカイレストラン」で昼食をとるつもりなのだ。
 時間はたっぷりあるのだからタクシーやトクトクに乗る必要もないのだが、「バイヨークタワー」は最寄りのBTSの駅(チットロム)から歩くと20分ほどある。バンコクの午後の暑さの中を歩いていくのはちょっとキツイかとトクトクにしたのだ。
 

   ランチ・バフェは
    11時〜14時 →



← 窓からの眺望は、
 もうひとつのご馳走



 ランチやディナーの客は、84階のオープン展望台へ無料で入れる。でも、章くんは高所恐怖症だったのだ。足がすくんで、外側のほうへ行けない。
 夜景を見ながらのディナーは、また一味違うロマチックさがあると思われる。しかし、ひとりじゃなぁ…と考えてしまう章くんであった。

 2時…、タクシーを拾おうとしばらく歩くと、マッサージ&スパ「ぺチャダ・スパ」の前に出たので中に入る。昼下りの店内は空いていて、それから2時間…、しっかりと揉んでもらった。

 4時30分、店を出てタクシーを拾い、オリエンタル・バンコクに戻った。
 
 午後6時、オリエンタルのロビーで奥ちゃんと落ち合い、ホテルのタイ料理レストラン「サラ・リムナール」へ向かう。お世話になった奥ちゃんに、タイ古典舞踊と宮廷料理を堪能してもらおうという趣向だ。

    「サラ・リムナール」はチャオプラヤ川の
      対岸にあるから、専用船に乗って向かう →

  
 


← 対岸の「サラ・リムナール」

 対岸には、有名なオリエンタル・ホテル・スパやフィットネスセンターもある。それぞれ、ホテルに宿泊していなくても利用することができる。 
 
 「サラ・リムナール」はタイ式建築で、靴を脱いで上がる。ドレスコードがあって、Tシャツや短パンなどは不可と聞いた。

 午後7時、飲み物を頼むと、前菜と一緒に運ばれてきた。その後も次々と食事が運ばれてきて、お腹もようやく落ち着いたという頃、コロコロという楽器の演奏が始まり、タイ古典舞踊の開演である。

      美しい娘の踊り。指先のしなりが、優雅で妖艶だ →
 


 タイの王宮で食されていた宮廷料理は、都がバンコクに移されてから生み出されたもので、ラーマ国王の王宮で発展、洗練されてきたものだとか。
 タイ料理として基本的には庶民の料理と変わりはないが、厳選された素材を使い、調理に多大な手間と時間をかけて作り出した、繊細な味と芸術の域ともいえる飾り付け(カービング。果物や野菜などを見事な技術で彫刻していく)が特徴である。
 全体の構成として、フランス料理などと同様に、オードブルからデザートまで、味のバランスが考えられたメニューが卓上に供される。
 この夜も、ここ「サラ・リムナール」の前の庭で、見事なカービングで切り出された野菜や果物を売っていた。


   たかが野菜と言うなかれ…、その作品はまさに芸術品である →



 食事もあらかた終わった頃、「ラーマーキエン物語」の古典劇が始まった。ラーマ王子が修羅王トッサカンとの激しい戦いの後、王妃シーダを救い出し、アヨータヤー国に平和を築くという一大抒情詩で、タイ建国を物語る神話劇である。


← ラーマ王子に味方する猿神(ハヌマーン)たち



 料理をつまみ、古典舞踊劇を見ながら、「タイについて、まだまだ学ばなくてはならないことが多いな」と奥ちゃんがつぶやく。
 タイに日々を過ごして、彼は何を見たのだろうか。この地で第二の人生を築くためには、物価が安くて住みやすく、いつでもゴルフができる…というだけでは、十分条件とはいえまい。
 それを聞く時間はないままに、「サラ・リムナール」での食事は終わってしまった。

                
帰りも、ホテルまで船で渡る →

 「今度会うのは、日本…、それともまた、バンコクでか?」。4日間をずっと付き合ってくれた旧友の情けに感謝しつつ、フロントで預けてあった荷物を受け取り、章くんはオリエンタル・バンコクの玄関からタクシーに乗った。
 手を振る奥ちゃんの姿はほどなく街の雑踏の中に消え、あとは人々でごった返す、熱帯の暑夜の喧騒が行き交うばかりであった。

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