思いつき、メモ、ぼやき、他のジャンルに入らないことがら、誰かに
 送ったメールの抜粋 … などを記していきます。
  ほとんど根拠のない、気楽な話の羅列ですから、ご用とお急ぎの方は
 のぞかないでください(笑)。



  零捌年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
飯田 章のホームページ 雑記帳 壱月


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 9月から、雑記帳の各項には近所で撮った花の写真を載せています。ところが僕は、花の名前がチンプンカンプン…、全然解りません。写真に名前がついてないのは知らない花ですし、名前が間違っているのもたくさんあると思います。お気づきの方は、こっそりメールで教えてくださいね。


12月30日(火)  
匂い立つオードリィの気品、「ローマの休日」

世界中の男性が
この王女に恋したのです。

 年末の買い物に立ち寄ったショッピングセンターで、名画DVDのセールをやっていた。「ローマの休日」「風と共に去りぬ」「哀愁」「若草物語」「旅愁」…など、それぞれ980円と安かったので12巻を買ってきた。年末年始は名画三昧だ。
 今日、早速、「ローマの休日」を見た。この映画を初めて見たのは高校3年生のときだったから、今から40年ほども前のことだ。ひとりで見に行ったのかって…。フフッ…。


 自由を求めて宿舎のホテルを抜け出したアン王女(オードリー・ヘップバーン)は、新聞記者のジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)と出会って、ローマでの一日を過ごす。道端で眠りこけていて、「送っていってやろう」と声をかけたジョーのあとを寝ぼけ眼でついてくる場面、初めてひとりで美容院に入って長い髪をバッサリと切ってしまうシーン、ソフトクリームをなめながら市場を歩き回る場面、カフェテラスでカメラマンのアービングに会うシーン、無免許のスクーターで走り回ってローマ市警に検挙される場面、有名な「真実の口」の場面、船上の乱闘シーン…など、何度見ても新鮮で、オードリーの可愛さが満ち溢れている。
 わけても、オードリーが王女としての義務と責任を自覚して、ホテルに帰った翌日、記者会見のシーンで見せたまばゆいばかりの気品は、この映画を見たものの誰をも魅了せずにはおかない、匂い立つばかりの高貴な美しさであった。


← 「真実の口」の名場面。王女である身分を隠している
  オードリーは恐くて口に手を入れられない。



 40年前、映画見物のデートに胸ときめかせた少年の歳月は紆余曲折を刻んできたけれど、世紀の名画はその歳月の中に少しも色褪せていない。




12月18日(木)  鳥取県議会 全国学力テスト結果の公表を決議
サイネリア


 当然じゃないか。テストを行っておいて結果を公表しないなんて、やらないのと同じだ。
 国は都道府県単位で結果を公表している。市町村別や学校別の結果についても、各教育委員会へは通知しているから、それらを公表するかどうかは各教委レベルの判断である。教委が公表に二の足を踏んでいると、大阪の橋本知事や今回の鳥取県議会のように、行政トップや県議会から尻をひっぱたかれることになるわけだ。
 実施したテストの結果が知りたいのは、子どもたちの父兄のみならず、ほとんどの国民が望んでいることである。公表したくないのは、教師と教育行政にかかわる関係者だけだろう。
 それにしても、自分(たち)が懸命に努力した仕事の成果の評価を受けることを、どうして嫌がるのだろう。大きな成果を挙げればそれを誇って、報酬に反映させるなどの道を開けばよいのだろうし、もし結果が悪ければ、次は成果を挙げるために、それを反省材料にして頑張ればよいだけの話ではないか。努力したくないから、公表を嫌がるのだとしか考えられない。
 一般企業では、各期の業績は個人・部課・営業所・支社、そして全社と詳細に公表され、厳しい評価が行われる。それが、次期の成果へと生かされていくのである。教育は評価に馴染まないというのは、教育界の逃げ・甘えであろう。公表しなくても済んできた…、結果が問われずにきたというところにこそ問題があったのであって、今、考え方を改め、堂々と胸を張って自らの結果と向かい合えばよいのではないか。


 全国学力テストの三重県の今年の結果は最下位から数えてひと桁の順位であったけれども、その結果をしっかりと受け止めて、来年〜3年後〜5年後には目覚しい結果を出せばよいのである。その取り組みをしないというのならば、それこそ教育にあたるものとして失格であり、評価に値する結果を出せない教師や学校・教委には、退場していただくしかない。


 
コデマリ
12月16日(火)  お召し列車と洗濯物



 松阪のカラオケ仲間の珠美ちゃんが、「もうじきお正月ね。おばあちゃんが言ってたんだけれど、昔、伊勢神宮に初詣される天皇陛下がお召し列車で伊勢線を通られると、沿線の家々には警察から『洗濯物を表に干してはいけない』という通達が回されたンだって。私の家は川井町だから、JRの線路からは遠く離れていて、洗濯物が見えるわけもないのにね。下着なんかを干していて、天皇陛下が風下をお通りになるといけないからでしょうね」と言う。
 おばあさんは珠美ちゃんに、「天皇様でなくても、人様から見えるところに、下着なんかを干していはいけないんだよ」と教えてくれたという。お召し列車が通る日には洗濯物を表に干さないという自制心は、下着は人に見えるところに干さないという恥じらいに通じる。昔はあった「恥の文化」は、今、どこへ行ってしまったのだろう。
 『商行為による利益は正当である』というキリスト教民主主義が日本にもたらされて100年余…、お金儲けは確かに悪いことではないのだけれど、そのことが目的となって、その他のものをないがしろにする価値観は嘆かわしい。結果が良ければ手段は問わない…というのは、普通の人間のすることではない。すなわち、そうして得た一時的な利益は、失うものも多いということである。


12月12日(金)  大きな月でしたね。
三輪神社の大鳥居と月


 東の空に、とても大きな月が昇りました。今夜は満月、しかも今夜の月は月軌道のうちでも地球に再接近の位置にいるとか。
 僕は夕刻、奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社にいました。三輪山の上に大きな月が登り、空全体を明るく照らしています。日本最古の神社とされるここ大神神社の祭神「大物主の命」が大和の地にお鎮まりになった太古の昔にも、大きな月がこの山を覆うように輝いていたことだろうという思いで、この明るく輝く月を眺めていました。


 今、午前0時。我が家に帰り、庭から月を眺めています。中天にある月は煌々と輝いて、地上の生きとし生けるものを照らしています。
 満月の光はパワーのもと…、優男(やさおとこ)を狼に変身させたりするのですから。





12月10日(水) 「岩滝神社(多気郡大紀町)」の餅撒き


 伊勢神宮の末社の多紀郡大紀町「岩瀧神社」で餅撒きがあった。国道42号線を三瀬谷を越えてしばらく行ったところの右側にある、小さなお社である。もうしばらく行くと、左側に「滝原神社」があって、この社は壮大だ。

 
「岩瀧神社」
の氏子である和夫ちゃんが、「8・9日の2日間、氏子が出合いで餅つきをする」と先日に言っていたので、「その餅をどーするんだ」と聞いたら、「例年12月10日に「岩瀧神社」の例祭があり、そのときに撒くンだ」と言う。地元の農家で採れたもち米を使って8臼の餅をつき、紅白の丸餅にして撒くのだとか。
 「じゃぁ、拾いに行くわ」と言ったのだか、餅拾いなんて子どものころから、もう40年ほどもやったことがない。昔は新築の建て前(棟上)や嫁入りの家を出る門出などでも餅を撒いたものだが、近頃はとんとお目にかからなくなった。
 拾った餅を入れる「ざる」も
和夫ちゃんに用意してもらって、定刻の正午の15分ほど前に「岩瀧神社」へと出かけた。地元のおじさん・おばさんたち70人ほどが集まって、壇上から撒かれる餅を待ち構えている。
 正午になった。氏子の役員たちが壇上へ上って、餅撒きが始まった。おじさん・おばさんたちの俊敏なこと…。バラバラっと落ちてくる餅を、まずは空中で掴み、地上へ落ちたものには瞬時に手が伸びる。
 章くんは、和夫ちゃんが用意してくれた「ザル」を前に置いて、しゃがみこんでいたのだが、撒き手のひとりは和夫ちゃんだから、章くんのザルをめがけて投げてくれる。たちまち章くんのザルには餅が30個ほども溜まった。たくさんの餅が、頭や顔に当たって痛い。「もう要らんぞぉ」と言ったのだが、和夫ちゃん、まだ投げてくる。結局、50個ほどの餅をゲットした。
 「先日の滝原神社の餅撒きでは、たくさんの人出で、3〜4個拾っただけだった」と、20個ほどを拾って笑顔のおじさんが言っていた。ここ「岩瀧神社」の餅撒きは、獲得率の高い穴場なのだ。
 和夫ちゃんの奥さんや親戚の人と合わせて150個ほどを拾った。「これで正月の餅はOKだね」などと言い合い、和夫ちゃん家(ち)で、早速に焼き餅と雑煮にしていただいてきた。
 「岩瀧神社」の祭礼日は、毎年12月10日と決まっているとのこと。来年は、あなたもいかがですか。




12月6日(土) 
三重テレビ・オンエア、カラオケバトル


 名古屋市北区の庄内緑地公園前にある「カラオケ・ステージ」で、三重テレビのオンエアを争うカラオケバトルが開催された。3位までに入れば1コーラス、4〜10位までに入れば5秒ほどの歌っている映像が流されるという趣向だ。
 3位以内は固いだろうと自信満々で、前日の5日の金曜日から名古屋泊まりで出かけたのだが、参加者41名のレベルの高さにびっくり…。近所のカラオケ店でうなっているおじさん・おばさんとはわけが違った。個人レッスンを受けているご婦人や、将来は歌手を目指している女の子など、玄人はだし…。前夜の不摂生が尾を引いて、声がかすれている章くん(と、言い訳がましい)は、ちょっとヒビッている。
 それでも、章くん、諦めてはいない。10位以内を目指し…、あわよくば3位以内の入賞を狙って、じっと順番を待った。
 そして、「エントリーナンバー33番『女のしぐれ宿』」と呼ばれ、いよいよ出番だ。この歌は角川博の11月新譜、バリバリの演歌である。「お前の声はフォークかムードミュージック」と言われている章くん向きではない曲だけれど、この声で演歌を歌ってこそのテクニックである。
 ニューミュージックやムード歌謡を歌えば、賞という賞は総嘗め(と、本人は思っている…笑)だろうが、ガキやヤングから黄色い応援を貰っても何の意味もない。やっぱり場末のおねえちゃんや人生の山坂を越えてきたおばさんたちの心を濡らしてこその歌である。以前、名古屋のクラブ・シャインのママに「あんたの声は子宮に響くわね」と言われたこの声で演歌を歌いあげるのが、章くんの目標なのだ。
 第一節、「酒ェを酌みィ」といい出だしである。「あぁ、ひとり呑む」という溜め息で歌うくだりでは、客席を見渡す余裕もあった。「さびしき心、とめェ〜どなく」という語りは客席の皆さんの子宮に届いただろうか。
 と、次のサビ…「情け いで湯の、しぐれの宿はぁ〜〜」の部分を、章くん、「おんなの宿はぁ〜〜」と歌ってしまった。歌詞の間違いは、大きく減点である。『ありゃ』と思いつつ、後半をなんとか歌い終えたのだけれど、結果は11〜15位グループ…。あと一歩で10位以内のオンエァだったのだが…。11〜15位は、声は流れないけれど、テレビ画面に顔写真は出るらしい(苦笑)。
 作詞家の小野田多恵子審査員の講評には「ブレスをしっかり…、溜めを作って…、音が口の中で回っています」などの留意事項を書いてくれてあったが、水野審査委員長の用紙にはただ一言、「女泣かせのいいお声です」。


← エリカ、これはピンクですね。






12月1日(月)  夜空の天体ショー、見ましたか? 
エリカ白です



 松阪での宴会に出かける途中だったから、午後6時前だったと思う。国道23号線が雲出川を渡る橋の上にさしかかると、道が太鼓状になっていて高くなり、西の夜空が目の前に広がった。
 と、その空に、三日月よりも細い月が揺り篭のように浮かび、その上に2つの明るい星が寄り添うように瞬いていた。とてもメルヘンチックな、天体ショーが繰り広げられていたのだ。
 2つの明るい星のひとつは、その輝きから紛れもなく金星で、もうひとつはおそらく木星だろう。夜空に瞬く無数の星の中でも、ひときわ明るい2つの星が、細い月に擁かれて瞬く光景は、神秘的にして幻想的であった。
 先日、テレビドキュメンタリーのビデオ、「コスモス」を見た後だったので、余計に興味を引いたのだろうか。直径150億光年の宇宙には数千億の銀河があり、それぞれの銀河はまた何千億個の星を擁しているという。夜空の彼方では、いつも生まれては消えていく星たちが綾なすドラマが繰り広げられているのだろうが、そのうちのひとつの偶然を目にしたことに、ちょっとハッピーな気分であった。


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