雑記帳 2013年 5月
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  思いつき、メモ、ぼやき、他のジャンルに入らな
 いことがら、誰かに送ったメールの抜粋 … など
 を記していきます。
  ほとんど根拠のない、気楽な話の羅列ですから、
 ご用とお急ぎの方はのぞかないでください(笑)。
                (文中敬称略)


             大覚寺 4月4日 →


 零捌(08)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月
         陸月 質月 捌月 玖月 拾月
         拾壹月 拾貳月

 零玖(09)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月
         陸月 質月 捌月 玖月 拾月
         拾壹月 拾貳月

 壱零(10)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月
         陸月 質月 捌月 玖月 拾月
         拾壹月 拾貳月

 壱壱(11)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月
         陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱(12)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 拾月 拾壹月 拾貳月

 (13)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 拾月 拾壹月 拾貳月




   
5月24日(金) 死んだか? 橋下 徹!


 「従軍慰安婦」をめぐる橋下 徹の発言に対するバッシングが止まらない。「朝鮮人慰安婦問題」に、「当時は世界各国の軍に存在した」と言い、「日本軍に強制連行の証拠はない」と言う。ここまでは正論だが、「在沖米軍も性犯罪防止のためにもっと風俗産業を利用しては」などと言わずもがなの発言をし、「その発言は妥当ではない。女性の人権を冒涜している」と批判されると、「慰安婦はあってはならないこと」「従軍軍慰安婦は日本軍の犯罪行為」「かの戦争における旧日本軍の行為は侵略だった」などと口走っている。
 結局、何の信念もない、ちょっと弁の立つ、口先だけの薄っぺらな男だったということか。僕は、1月25日のこの欄に「ちょっとおかしい、橋下 徹」と書いたが、それでも『橋下が政治家として、旧体制との妥協でなく、一回り大きく脱皮できるかどうか…、新しい日本を築く真の改革を進めることができるか…、彼のこれからを見守っていきたいと思う』と書いて、彼のその後に期待した。
 ところが、新しい保守主義を基盤とした国づくりを進めるのかと思いきや、「自民党の議席独占は国を危うくする」などと、自分は慰安婦発言で落ち目になった維新に三行半を突きつけた「みんなの党」の渡辺代表の対応を「選挙目当て」と批判しながら、来る参院選でひとり勝ちしそうな自民党を何の根拠も示しえずに批判している。
 日本の将来を見据えているのなら、みんなの党との連携は絶縁にならないよう配慮をするべきだし、「慰安婦問題」にもより丁寧に自分の考えを説明するべきであって、「日本軍の犯罪」「日本はアジアの人々に多大な迷惑をかけた」など、口が裂けてもいうべき言葉ではなかったはずだ。これでは、その場しのぎの、信念のない発言を繰り返す男だということを露呈してしまったと言われても仕方がない。


 維新の会は、橋下 徹を自分の口から「謹慎します」と言わせて、「代表の一時辞任」という形で事態を収拾することだ。そして、民主的な保守としての道を学習しなおすべきだろう。橋下 徹のほかに看板となる顔のない維新の会は、新代表と執行部を石原新党の面々に明け渡すこともよしとしなければなるまい。
 もう一度修行しなおして、ホントに成長した橋下 徹が世間に認知されるようになれば、その時点で代表として再登板させればいいし、それが実現できなければ、政党再編成の中で新しい体制をつくっていけばいい。その過程で、石原御大が、最後のご奉公を演じてくれるだろう。


   
5月23日(木) 韓国・中国、この厄介な隣国


 韓国にパク・クネ大統領が誕生して、彼女は日本との提携の中で「漢口の奇跡」を成し遂げた故朴正キ大統領の娘だから、父の姿を間近に見てきて、対日姿勢を少しは是正するかと思った。しかし、米国議会での演説で表明された、「過去を反省しないものに未来はない」という歴史観に基づいた対日批判を聞くと、韓国という国は反日を基盤としない限り何事も成り立たない国であることを改めて知らされた。
 中共も、この国の中華思想に基づく覇権主義は、地政学的に日本の存在を許容するものではない。近い将来に共産党の一党独裁が終焉し、民主国家が成立したとしても、その長年の反日教育の遺産として、日本との付き合いは難しいものになることだろう。
 この今日的状況の下で、福沢諭吉の脱亜論を見直してみよう。この論説は、新聞『時事新報』紙上に1885年(明治18年)3月16日に掲載された無署名の社説である。福澤諭吉が執筆したとされているが、原文は無署名の社説である。(ウイキペディア引用)
 『まず、執筆者は交通手段の発達による西洋文明の伝播を「文明は猶麻疹の流行の如し」と表現する。それに対し、これを防ぐのではなく「其蔓延を助け、国民をして早く其気風に浴せしむる」ことこそが重要であると唱える。その点において日本は文明化を受け入れ、「独リ日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全洲の中に在て新に一機軸を出し」、アジア的価値観から抜け出した、つまり脱亜を果たした唯一の国だと評する。
 「不幸なるは近隣に国あり」として、支那(清)と朝鮮(李氏朝鮮)を挙げ、両者が近代化を拒否して儒教など旧態依然とした体制にのみ汲々とする点を指摘し「今の文明東漸の風潮に際し、迚も其独立を維持するの道ある可らず」と論じる。そして、甲申政変を念頭に置きつつ両国に志士が出て明治維新のように政治体制を変革できればよいが、そうでなければ両国は「今より数年を出でずして亡国と為り」、西洋諸国に分割されてしまうだろう、と予測する。
 その上で、このままでは西洋人は清・朝鮮両国と日本を同一視してしまうだろう、間接的ではあるが外交に支障が少なからず出ている事は「我日本国の一大不幸」であると危惧する。そして、「悪友を親しむ者は共に悪名を免かる可らず。我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」といい、東アジアの悪友とは、隣国という理由で特別な関係を持つのではなく朝鮮に対しては欧米諸国と同じような付き合いかたにして、日本は独自に近代化を進めて行くことが望ましいと結んでいる。「我ハ心ニ於テ・・・謝絶スルモノナリ」とは「心(感情)」という個人的な感情を表した表現である。』
 当時に比べれば世界はずっと近くなり、好むと好まざるとにかかわらず、何かと接点が生じるのは免れないのかもしれないが、是々非々の関係を確立することだろう。日本は大東亜戦争の清算は全て済ませているのだから、歴史に鑑みて反省すべきことは何もないし、軋轢を生もうとも言うべきことははっきりと言うことだ。『なぜ今、ことさら波風を立てることを言うのか』などという言い方をするものがいるが、諸般に配慮し続けてきた付き合いの結果が、竹島占拠、尖閣侵攻、教科書問題、歴史捏造、謝罪要求…などと、さまざまな問題を根本解決の出来ないままに長引かせてきたのである。
 中韓との付き合い方は、是は是・非は非として、深入りは避けることだ。中共も韓国も、日本との連携なくして、産業・経済は成り立たない。そのことを、実証しても良いのではないか。だから、日本は言うべきことをはっきりと言って、これでよければこの件についてはそのように処理させていただきましょう…というのが原則だろう。

       
5月21日(火) 与那国町長 10億円要求を撤回


 読売新聞が、沖縄県の与那国島(与那国町)への陸上自衛隊の沿岸監視部隊配備を巡り、国に市町村協力費(迷惑料)として10億円を要求していた与那国町の外間守吉町長が、この要求を撤回する意向を防衛省側に伝えていたことが、21日わかった…と伝えている。
 与那国町長も正気を取り戻したか、やれやれというところである。以前に僕は「国境防衛で金儲けをするな」と書いた(4月25日)。基地の設置には膨大な協力金が落ちることを、沖縄島の状況を見て、与那国町長も学習したのだろうが、沖縄のゆすりたかり体質を踏襲してしまったところに彼の誤謬があった。
 国を守るということは、もともと崇高な次元で論じられなければならない。そのために何かを犠牲にしろという要求は成り立たないが、自分たちは国やみんなのために何ができるかという思考が必要である。
 自衛隊の配備を契機として、与那国町の発展に出来るだけの協力をすることは当然なのだろう。が、それはあくまでも常識的な…みんなが平均的に納得できる範囲のものであって、10億円という金額が先にあっては与那国島防衛そのものが貶められる。
 与那国に自衛隊の国境守備隊が配備されたことによって、日本の国防に大きな安定がもたらされ、その国防に寄与した与那国が国民の感謝を受けながら発展していくことが、あるべき姿だと思う。



5月16(木)〜19(日)  福岡〜阿蘇〜高千穂〜熊本〜福岡


     詳細は「旅のブログ」にも記しています
  

 マレーシアに拠点を置くアジアのLCC(格安航空会社)「エア・アジア」がセントレアに就航した。その記念価格での売り出し価格「名古屋〜福岡片道758円(名古屋にちなんで)」で、九州へ行ってきた。


     早朝の阿蘇「草千里」、馬たちがのんびりと草を食む →


← 噴煙を上げる中岳噴火口


 阿蘇から南下、神々のふるさと「高千穂」へ。


     高千穂峡 真名井の滝 ↓









 高校時代の修学旅行で宿泊した杖立温泉に泊ったあと、
午前8時30分出発。11時、熊本に着いた。


 加藤清正、肥後52万石の熊本城 ↓
 

















 夕方、「大宰府天満宮」に到着↓





 参拝のあと、福岡都市高速に乗り、約1時間で福岡博多へ…。


 最後の夜は、やっぱり中州「なぎの木」↓








 章くんの定番「まぐろの刺身」はトロかと見まごう光沢の良さ、脂の乗りだ。「活イカのつくり」はその透明度の美しさはどうだ。『君の命、確かにいただくからね』と足をつつくと、その吸盤でしっかりと握り返してきた。
 そして、「天草大王の水炊き」。コリコリした歯応え、ふくよかに広がる香り、それでいて後味はすっきり。8年前と同じく、またまた食べ過ぎてしまった。


 福岡・札幌が往復1万円、東京よりも近くなった。ふぐ、かに、豚骨ラーメン、とうもろこし、… またまた忙しくなりそうだ。



5月15日(火) 安倍晋三を田中角栄の二の舞にするな


 アベノミクスのスタートダッシュに成功して、安倍首相の支持率が高い。株価は政権発足時の8000円台からあれよあれよという間に14000円を越え、円は100円と20円も安くなった。かねてより、円高株安が日本の経済低迷の原因だといわれながら、無為無策の20年間を続けてきたあと、日銀の尻を叩いただけで円安株高を実現してしまった。輸出に大きく依存する日本経済は『失われた20年の半分を取り返した』という声が聞かれるほど、明るい展望に沸いている。
 外交でもベトナム・タイ・インドなどを歴訪して対中包囲網を着々と築くとともに、ロシアとも中共をにらみつつ北方領土の返還と経済協力を、サウジ、トルコとは運転保守を含めた原発建設の受注までやらかしている。
 ただ、アジア諸国と連携しロシアや中東諸国との関係を深める安倍首相の動向は、中共や韓国の反日勢力は勿論、経済的な成功を収めようとしている今、アメリカなど西欧勢力からも警戒感を持って見られている。アジア連携の中心的役割を担い、ロシアの極東開発や中東とのエネルギー共有を果たしていくと、日本の新しい道を開こうとしてアメリカに潰された田中角栄の道をたどらせることになるのではないかという懸念がよぎる。
 角栄は圧倒的な人気と政治力を背景に、アメリカ一辺倒であった日本の政治を自主独立路線へと舵取りし、そのひとつとしてインドネシアとの結びつきを深めてその安価で豊富な石油に新しい日本のエネルギーの明日を開こうとした。日本への石油供給を独占的に牛耳ってきたアメリカメジャーは角栄を排除しようと、米上院に「ドアの前に置いてあった書類の中に、こんなものがあった」と言わせて、日本の検察にそれらの書類をリークしたのである。
 この出所不明の書類と免責保障を与えて反対尋問はしないとしたロッキード副社長コーチャンの一方的な言いっ放しの証言によって、角栄は逮捕される。裁判の過程でコーチャン証言の検証をと求めると、「米国人は聖書に手を置いて証言するから嘘は言わない」と検事は言い、東京地裁はそれを認めた。
 新聞やテレビは手柄を急ぐ検察の尻馬に乗るばかりで「総理の犯罪」と騒ぎたて、立花隆などといった漂流児をつくりだした。特捜部長だった伊藤栄寿に、「秋霜烈日」などという連載を書かせた新聞もあった。(以下、「日本は今、256」へ)
 


  
5月14日(月) 夏の参院選 三重の動向は


 先日、ある週刊誌に「凋落する民主党は夏の参院選でも1人区はほとんど当選は望めず、かろうじて岡田前副総理の地元である三重県と…の、2〜3区ぐらいしか…」という記事があった。今月号の正論(産経新聞社)でも、三重は高橋千秋(民主党)が優勢との判断がなされている。
 が、僕は吉川有美(自民党)が当選するのではないかと見ている。三重県全県を選挙区とする三重の参院選はいつも風まかせだ。自民党が強いわけでもなく、ましてや民主党が力を持っているわけでもなく、気分次第とも言うべきこの県の選挙民は、いつもムードで当選者を選んできた。
 昔、当時の自民党が押す四日市市長の九鬼を抑えて田川亮三を知事に選んだし、玄人筋には有利と見られていた尾崎副知事を落として北川正恭を知事に据えた。絶対通すからと当時の斉藤十郎参院議長のお墨付きを得て立候補した橋爪貴子でなく、どこが国政を担う要素なのかと首をかしげる高橋千秋を参議院へと送り出した。
 全て、必然でなく「風」である。県政や国政に求められる要素が勘案されるのでなく、新風を求めて結果を出している。田川県政は三教組の横暴を許して今日の三重県教育の荒廃を招いているし、北川県政はパフォーマンスばかりで、彼が突如として1000億円の県の貯蓄金のほとんど全てを使い果たして三重県から姿を消したあと、マニフェストだ何だとあれほど世間にアピールした地方自治先取り県政は、後任の野呂昭彦に全て否定されて、何の痕跡も残ってはいない。高橋千秋など、国会12年間で何をしたのか。芝博一とともに、三重県選出の現職参院議員(ともに民主党)は、もともとその任に堪えられるような人材ではなかったということだ。
 7月の参院選は、その高橋と吉川有美との争いだ。吉川 有美については、先日僕がお目にかかったKさんによると、「自民党三重県連も、まともな候補者は見つけられないのか。こんないかがわしい女を担ぐなんて…。今度の選挙は、僕たちの間では、『 どぶさらい Vs お水 』の争いと言っとるんです」と手厳しい。吉川が何でいかがわしいかというと、彼女の出身高校から東京農工大なんて進学できるわけがない。外国へちょっと行ってくるなんていう奥の手を使ったというわけだ。確かに東京農工大獣医科は偏差値63.5で、東北大学工学部の57.5をはるかにしのいでいる。まぁ、大学院終了というのは、また別の奥の手が使える話でもあるのだが…。
 しかしそれでも、今回は吉川有美の勝ちだろう。民主党の体たらくは全国民があきれているというのが実際のところで、岡田屋のボンボンが支えても持ちこたえられない状況だ。まぁ、自民党三重県連も何の智恵も組織力もないグータラの集まりだから、吉川を担いでの選挙を展開できるわけもない。まだしも、組織選挙では連合三重が支える民主党に分があるが、しかし、この逆風を跳ね返すだけの力はない。
 結果として、風に流れる三重県の選挙民の票は、岡田屋+連合の組織力を粉砕して、吉川有美の当選を打つことだろう。そして、またひとり、税金の無駄遣いの議員が誕生する。


5月6日(月) 白山ビレッジ
 
 例年になく忙しかった3月、4月…。なかなか出かけられなかったゴルフに、久しぶりに行ってきた。フェアウエイもすっかり緑に装いを変えて、ゴルフシーズンの到来である。
 今日は、章くん、半袖でのプレーだったが、それでも汗ばんだほど。
 「ダボは叩かんぞ」とスタートしたアウトはひとつのダボもなく42。ところが、昼食を食べてスタートした10番で3オン3パットのダボ。


 途中で食事したり飲酒したりするスポーツがあるか…と、章くん、またまた八つ当たり!
 
 
 
    
5月5日(日)  牡 丹


 白山ビレッジの練習場に出かけた帰り道、片田の西部清掃センターの横を通った。その土手の上に牡丹園があったのを思い出して、道端に車を停めて階段を上った。

 牡丹の季節は、例年、この5月の連休のころである。
 今年は総じて花の開花は早いのか、ここの牡丹も少し盛りを過ぎていて、多くの花はその大きな花びらを散らしていたけれど、まだ何本かの花は豪華な姿を誇らしげに揺らしていた。
「牡丹散って うちかさなりぬ 二三片」 蕪村

 
 でも、牡丹といえば木下利玄の『牡丹花は 咲き定まりて 確かなり 花の占めたる 位置の確かさ』、中学の国語の時間に習った歌だが、病床からの視点も迫ってくるものがあるし、牡丹の存在感も際立つ一首だと思う。
 正岡子規にも、「一輪の 牡丹かがやく 病間かな」の句がある。子規も結核の床についての句だから、病んだ身に牡丹の豪華さは心を打つものがあるのだろうか。


 中国が原産だが、日本に入ってきたのは古くて、平安時代とか…。中国では国花だ。 
 

 目を上げると、サツキがこぼれるように花をつけていた。季節は夏へ…。


    
5月3日(金) 憲法記念日


 今年の憲法記念日は、特別な意味を持って迎えた。自民党が結党以来の党是としながら、国民の敗戦トラウマによる戦争アレルギーと、それに便乗した反戦左翼の跋扈、そして党是をないがしろにしてきた自民党歴代内閣の怠慢…いや意気地のなさから、戦後67年の長きに渡って放置されてきた「憲法改正」が、安倍内閣の誕生を得て、いよいよ動き出したからである。
 自民党が昨年4月にまとめた「日本国憲法改正草案」を読んでみた。天皇を国家元首とし、国旗・国歌を定め、国防軍の位置付けと役割を明記している。選挙権は日本国籍を有するものにあると記し、表現の自由を謳いつつも公益公序を害する活動や結社はこれを認めない。
 また、新設項目として、国外において緊急事態が生じたとき、国は在外国民の保護に努めなければならない。国は教育環境の整備に努めなければならない。公務員の権利を制限することが出来る。内閣総理大臣は最高指揮官として、国防軍を指揮する。そして、第九章に「緊急事態」を設け法律と財政上の特権を認めている。
 反面、戦争の放棄は継続して掲げ、国際紛争の解決に武力は用いないとしている。が、その第2項に、前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではないと記している。
 

 それぞれの項目は、独立国の憲法としては至極当然の規定である。どの項目が、日本国憲法の規定としてふさわしくないというのか、改正反対を唱える人たちの真意がわからない。自らの国の国体を否定し、国を揺るがすことを是とするというのか。自国を自分たちの力で守れぬ国が、国際社会で役割を果たせるわけはなく、他国の人びとや国際社会での尊敬を得られるはずがない。
 そして何よりも、憲法は国の根幹をなす法規である。他国が日本を統治しようとする意図がそこここに見える現行憲法を改定し、自分たちで定めた憲法で国を掲げて国をまとめていこうというのは、当然過ぎる希望であろう。
 戦後67年、今年こそ新定憲法で、自主独立の新しい一歩を踏み出したいものである。


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