ハワイ         10


第3日目    マウナ・ケアGC と ハワイ島一周


モーニング・コール
 昨日の朝、寝過ごしたヤスヱは、「これから毎朝、6時にモーニングコールを入れてね」と言う。「目覚まし時計、持って来てないンか」と聞くと、「ウン」と小声だ。
 ケイタイを持ってきていたから、ハワイで通話はできないとしてもアラームにセットしておけば目覚まし代わりになるはずだし、第一、部屋の時計にもタイム・コールの機能はついている。ヤスヱはカメラのフィルムも自分では入れることのできない機械音痴だが、その気になればタイム・コールぐらいは何とかできるだろう。
 要するに、甘えているわけだ。子どもが構って貰いたがっているのと一緒で、世話を焼いてもらうのが嬉しいのだ。それが判るので、章くん、「セットの仕方を教えてやる」とは言わずに、朝のコールをいれてやることにした。
 6時20分。「起きろー」とコールすると、「起きてるよ」と嬉しそうに出た。「もう6時20分よ。6時に起こしてって言ったでしょ」と、一言(ひとこと)ご注意を忘れなかった。


マウナ・ケアGC  http://www.maunakeabeachhotel.com
 今日の舞台は、マウナ・ケアGC。アメリカ有数の大富豪ロックフェラーがその大資本を投下して、ハワイ島最初の開発を行った、ここコハラ・コースト…。その中心的な施設として造られた18ホールは、ほとんどのホールからコバルトブルーの太平洋を望むことができ、また、多くのホールから4200mのマウナ・ケァ山を仰ぐことができる。
 ロバート・トレント・ジョーンズ・ジュニアの設計によるこのコースは、ハワイでも特に雨の少ないコハラ地域にあって、ザルのように水を吸い込む溶岩のマウナ・ケアGC クラブハウス上に、青々とした芝生が敷き詰められている。ロバートは、溶岩を砕いて土を作り、それを敷き詰めた上にさらに客土を置き、芝生を敷いていったとか。今、見事な輝きを見せているフェアウエイの下には、実は膨大な水の循環システムが組み込まれているという。
 1964年に完成したこのマウナ・ケアGCは、ハワイには珍しいアンジュレーションのあるフェアウェイと、120ものバンカーが景観と戦略性を高めていて、毎年、米ゴルフダイジェスト誌が選ぶ全米ベスト100コースの中でも、常に上位にランキングされている。
 今日のスタートは9時43分。このハワイツアーで、3日目にして初めてスタート時間に遅れなかったのだが、エントリーを依頼したアメリカの予約代行会社から「予約しました」のメールは来たけれど、ゴルフ場に提出する『予約完了通知書』が届いていない。やりとりしたメールをプロショップの受付の女の子に見せ、「これで良いか」と聞くと、「予約は入っているからOKだ」と受け付けてくれた。その女の子に「受付票」を貰ってスタート係りのおじさんに見せると、早速バッグを積んでくれて、「前は空いている。すぐにスタートしてOKだ」と言う。
 1番、素振りを3回ほどして打ったティショットは、目の覚めるような当たり。383Yパー4のセカンドは150Yほどの上りが残り、7番アイアンで打ったショットは少しショート。寄らず入らずのボギーのスタートであった。2番は358Y、海辺へ向かうパー4。2オン2パットのパー。


3番 261Y パー3
  そして3番。これが世界的に有名な海越えのパー3である。チャンピオンシップ・ティ(黒)からは261Y。バック(青)からは210Y。景色を見ると、黒ティ261Yの迫力に、このホールだけは黒ティから打つしかない。ティグラウンドからグリーンまでは、太平洋の荒波が黒い溶岩の岩場に砕ける海を越えていく。黒ティからは、220Y以上の海越えのキャリーボールを打たなけマウナ・ケア 3番パー3れば、対岸へ届かない。【拡大】
 ワンオンできればまさに極楽気分。生涯人に語れる思い出となるだろう。ここでナイスオン、バーディでも奪えれば、あとのホールなどどうでもよくなる。


← 3番261Yパー3をグリーンから撮ったもの。カートの止まっているところはバックティのカート置き場。チャンピオンシップ・ティは後ろの松林の3番パー3中! 【拡大】
   
   
   
                   
            3番の模式図(パンフレットより)→


 一旦、バックティに上がった章くんは、チャンピオンシップ・ティへと、急遽カートを走らせた。
 チャンピオンからは、少なくとも220Yのキャリー球が必要。章くん、迷わずドライバーを持った。チョロやトップはモチロンご法度だが、左へ引っ掛けたり、フックを打ったら、これもボールは太平洋の藻屑と消える。乾坤一擲、章くんの渾身のドライバーショットは、グリーン右のラフへ…。一発勝負のショットとしては、まぁこんなものだろう。
 しかし、ここでボギーでは、人に話はできない。これほど真剣にアプローチをしたことは、クラチャンの本戦でもなかったというほど集中して打ったサンドウエッジの27Yのショットは、ピンの左50cmに寄った。ホッと一息。が、この50cmを外したら、このホールの全てがご破算になる。十分なプレッシャーを感じながらのパットは、ちょっと引っ掛け気味ながら、50cmという近さに助けられてカップに落ちた。2オン1パットのナイス・パーである!
 レギュラーティ180Yから挑戦した2人。滋子さんは右へ刻んで、2オン2パット。ヤスヱマウラ・ケア3番。 ヤスヱのショットは海を越えた。は海越え…、果敢にグリーン方向へ打ってきて、越えたところのラフ。ややこしいところに止まっていて、3オン2パット。でも、「180Yの海越えに成功した」と満足そうであった。
 グリーンの手前30Yほどがラフやバンカーになっているから、やっと海を越えたヤスヱのショットは、キャリーで150Yほどだと思ったけれど、章くん、「へぇ、お前のドライバーは180Yも飛ぶのか」と、パーをとったものだから優しい。


マウナ・ケア山
 4番は413Yのパー4。打ち上げの難しいホールだ。ハンディ1番のホールを前にして、章くんのティショットは力が入り、悪い癖であるドロンとしたフックが出てしまった。セカンドの残りは、まだ250Yほどある。ハワイのゴルフ場では、ほとんどのコースでフェアウエイの走行が認められている。正確なヤーテージを確認するために、章くんは給水栓を求めて、ボールの付近を探し回る。給水栓の蓋に、グリーンまで何ヤードかを明記した標識が貼り付けてあるからだ。
 見つけた標識に書かれている、残りの距離は233Y。打ち上げとはいうものの、たいそうな距離が残っている。章くん、キャディバッグにウッドクラブはバッフィしか入れていなくて、これでは届かない。刻むことにして、4番アイアンで50Y地点に運び、そこから寄せきれずに3オン2パットのボギー。
 この4番からは、マウナ・ケア山をきれいに見ることができた。頂上の雪の上に、4〜5基の天文台が並んでいるのが肉眼で望まれる。
 1999年1月、日本が建設した直径8mのレンズを有するスバル望遠鏡が据えられた天文台が完成。山頂には、そのほかにもアメリカ・ヨーロッパ諸国・カナダなどの天文台が、現在10基以上並んでいるという。
 ハワイの最高峰4205mのこの山は、チリのアンデス山中、アフリカ西海岸のカナリー諸島山頂とともに、「晴天が多い・大気が安定している・水蒸気が少ない・夜空が暗い・交通の便がよい」という、天体観測の条件を満たしている。しかし、マウナケア山は、ハワイ語で”白い山”という意味。常夏の国にあって、冬にはその山頂に雪を抱マウナ・ケアGC き、神々しいまでに輝くこの山は、ハワイの人々にとっては神聖で侵すべからざる山なのだ。まだ今も進められようとしている天文台建設には、数多くの絶滅危惧種が現存するハワイに熱い視線を注ぐ、世界の自然愛護団体なども同調して、強い反対運動がある。


 ちょっと判りにくいですが、木々の向こうに、
 雪を抱いたマウナ・ケァ山が望まれます。
 白い雲は、山頂にかかる雲です。    →


一大事発生!
 5番593Yパー5は1パットのパー。6番は344Yと短いパー4。章くんのティショットはそこそこの当たりで、セカンドの残りは100Yくらいだ。
 ここで、一大事が発生! 給水栓を探してぐるぐると走り回っていたら、カートからデジカメを落としてしまって、しかもそれをカートで轢いてしまった。
 デジカメが壊れた。このあと撮った200枚ほどの写真は、全てピンボケ…! だから、このハワイ紀行に掲載する写真が、ここからはぐっと少なくなってしまう。デジカメのモニターをのぞくと、どうもピントが合っていない像しか表示されないので、章くんは「使い捨てカメラ」を買って、あとの6日間、パチパチと撮っておいた。だから、写真がないというわけではないのだが、ぐっとマウナ・ケアGC少なくなることをお断りしておかなければならない。
 デジカメを壊したショックで、このホール、3バットのボギー。次の7番204Yパー3、グリーン左に外して2オンした4mほどから4パットのトリプル6! 
 カメラを壊しながら回ってきた、この日のラウンドは、アウト44、イン40の84。うちパットが41(+5)。




 【 この後、デジカメが壊れて、使い捨てカメラの写真をスキャナで撮って貼り付けて
  います。拡大すると粒子が荒れてしまいますので、遺憾ながら「拡大中止」です。】


ハワイ島全図
ハワイ島地名図



ハワイ島一周ドライブ
 ホールアウトしたのが、午後2時を少し過ぎたころ。これから、ハワイ島一周ドライブへ出発だ。一周するのに5〜6時間、途中で休憩・食事をとらなければならないから、ホテルに帰るのは夜の10時頃という予定である。
 ガイドブックを見ると、「ハワイの夜のドライブは真っ暗闇の中の運転なので、避けたほうが賢明」とか書いてあるし、昨日立ち寄った近鉄観光でも、「夜は無謀運転が多いので、自分で走るのは危ないですよ(ツアーがいいですよ…という意味かな?)」と言われた。しかし、そんなことで躊躇するような章くんではない。
 ここ、コハラ・コーストを出発して、時計回りにハワイ島を一周する。19号線を東海岸に出て、ヒロまで下り、ヒロからは11号線でキラウエア火山の横を通って南下し、ナアレフから北上してコナへ戻る。うまくいけば、キラウエア火山の横を通る頃には日も暮れていることだろうから、吹き上げる火山の炎が赤く見えるかも知れない。
 ゴルフの途中で、女の子がサンドイッチとホットドッグを売りに来たのを買って食べたけれど、まだ昼食はとっていない。が、ここでレストランに入っていては出発が遅れてしまう。途中、適当なところで食事にすることにして、まずは北を向いて出発だ。
 しばらく北上したのち、カワイハエから19号線は西海岸に別れを告げて内陸へ入り、パーカー牧場が広がるコハラ山のふもとを横切って東海岸へ出る。山間から海岸べりへ出て行く道は一気に下っていくので、正面に開けてきた海の水平線が異常に高い。大きく迫ってくるような大海の迫力に、思わず呑みこまれるようであった。
 東海岸へ出ると、ハワイ島の風景は溶岩荒野が広がる西海岸の様相から一変する。年間の平均降水量が、西海岸のコナで1200mm、コハラで230mmに対して、東海岸のヒロでは3260mmと極端に多い。だから、東海岸一帯は鬱蒼とした森林に覆われ、海岸部にも豊かな緑が茂っている。ワイメア付近の民家
 途中の小さな町で、ガソリンスタンドに立ち寄った。どの種類のガソリンを入れればよいのか…、車のガソリンキャップの開け方も判らない。「聞いてくるわ」とヤスヱが飛び出して行き、50歳ぐらいの小柄なおばさんを連れてきた。おばさんは、クルクルとキャップを開け、章くんのクレジットカードを読み取らせて、たっぷりとガソリンを入れてくれた。「サンキュー」と章くん、お礼に5ドル札のチップを握らそうとしたが、「ノォ、ノォ」と言って手を出さない。無理やりポケットにねじ込んで、「サンキュー」と言うと、ちょっとはにかんだような顔をして、やっと「サンキュー」と笑ってくれた。
 ヤスヱたちはと見渡すと、どこにもいない。中でコーヒーでも飲んでいるのかと探しにいくと、「トイレ 借りてたの」と裏手から出てきた。手には、大きなブラシを持っている。「このブラシがキーホルダーになっている。トイレには鍵がかかっていて、使用するときは開けるんだって」と言いながら、ブラシの柄にチョコンとぶら下がっている鍵を見せる。章くんが、「ブラシが付いているということは、使用後は洗えということだろう」と言うと、「あっ、そうか」と笑ったが、掃除はせずに、そのまま鍵を返していた。


ノスタルジア漂う ヒロ
 海岸線を下ってヒロに着いたのが、午後5時。ヒロは、観光開発を目的として、溶岩台地に忽然と現れたコナとは違い、緑の多い大地にハワイ原住民が古くから住み着いてきたところ。ハワイ島に入植した日本からの移民も先ずこの地に入り、開墾の第一歩を記したのである。今もダウンタウンの商店街には、日本語で書かれた古い看板が見られる。ヒロの公園にあった大木
 アメリカ合衆国のハワイ島政庁が置かれ、この島の行政・経済の中心地であるヒロだが、世界へ発信されるハワイ情報の中に、その名まえを見出すことは少ない。
 かつては、活況を呈していたというヒロの街は、2度の津波に壊滅的な打撃を受けた。1946年のアラスカと60年のチリで起きた地震が、それぞれ大津波となってヒロ市を襲ったのである。
 アラスカとチリは太平洋を取り巻いて反対側に位置している。太平洋岸のどこで大地震が起きても、真ん中にあるハワイには津波がやって来るということか。アラスカから5時間、チリから15時間かけてやってきた津波は、ヒロ市の深奥部にまで深い爪あとを残した。。
ヒロには、津波の博物館がある。災害の記憶を風化させないため、世界で初めての津波博物館が建てられたのだ。
 市内の中心的なホテルのひとつが「ヒロ・ハワイアン・ホテル」。現在のオーナーが日産自動車であることにも、日本との強いつながりが思われる。ホテルの前、ヒロ湾に突き出たココナッツ・アイランドには、日本人移民によって作られた日本庭園「リリウオカラニ公園」がある。
ヒロのダウンタウン ダウンタウンの一角に車を停めて、食事をしようとレストランを探した。
 カメハメハ大通りに面したハタ・ビルディングは、1912年に建てられたルネッサンス様式の美しい建物で、その1階にある「カフェ・ペスト・ヒロ・ベイ」は、土地の素材と料理法で独創的なアイランド・オリジナルを出すという。章くんは、土地の野菜をピザ生地で包んで焼き上げた料理を頼んだ。
 大きな皿に乗せられて出てきた料理は、野菜嫌いの章くんにはとっても不味い。「私のステーキと替えてあげる」と、野菜好きのヤスヱに助け舟を出してもらい、7時間ぶりの食事にありついた。


ヒロからコナへ、198Km?
 ハワイのコーヒーは美味しい。日本人入植者も多くが開拓に従事したというコナ・コーヒー園は、世界的に有名なコーヒーの産地だから、ハワイでは、源産コーヒーが飲める。
 コーヒーを呑み終えたのが午後5時30分を少し回ったころ。ヒロからハワイ島の南端を回ってキンカメのあるコハラ・コーストまで、「地球の歩き方」の地図に載っている都市間の距離を足してみると丁度124になる。えっ〜と、1マイルは1.6Kmだから198Km…。ほとんど信号もない11号線をひた走るのだから、平均時速は50Kmぐらいでは確保できるだろう。すると、4時間…。10時ごろにはキンカメのシャワーに入ることができそうだ。
 ヒロ界隈は、広いグリーンベルトを配した片側2〜3車線の道路が走っている。折りしも仕事を終えた人たちの帰宅時間だろうか。広い道路に車が溢れている。ハワイへ来て初めて大量の車を見たが、それらの車も郊外へ出るとじきに周囲の自然の中へ吸収されていって、夕暮れがあたりを一面に覆う頃になるとヒロから南へ、11号線を南へ向かうのは、章くんたちとその前を行く4輪駆動車の2台だけとなってしまった。。
 前の車のスピードは90マイル(140Km)/hぐらいか。ほどなく章くんは振りちぎられてしまって、そのあとは70マイル(110Km)/hほどの巡航速度での単独行。ひたすら南を目指す。
 やがて日も暮れて、街灯などというものは一基もない暗闇の道路を、ひたすら走る。地図ではキラウエア火山の火口が、道の左手にあるはずなのだが、赤い火柱はおろか、ほのかな明かりも見えないままに通り過ぎてしまった。
 ヘッドライトの光の中を、ときどき野生の小動物が横切る。なんかメルヘンチックな世界のようだが、小動物のほとんどはイタチだ。天敵がいないのか、温暖で食べ物も豊富だからか、ハワイにはイタチが多い。溶岩荒野でも、人家の軒先でも、ワイキキのビル街でも、我が物顔で走り回るイタチを見た。まれに車に轢かれて、道路に張り付いている戦死者もいる。
 途中、行過ぎる町の名前が小さな看板に書かれていたりするのだが、日本のようにライトアップされているわけでもなく、ヘッドライトの光の中に浮かんだと思うと、すぐに行過ぎる。「しっかり読まんかい」と、助手席のヤスヱはハッパをかけられる。「だって私、目が近いし、暗いところではほとんど見えないもン」と、ヤスヱは弱気だ。思い出したように対向車が現れて、嵐のようなスピードですれ違っていく。
 「眠いなぁ」とヤスヱが目をこする。今日でゴルフ3連チャン…。プレーを終わってからのドライブだし、そろそろ疲れも溜まってきていることだろう。「目がふさぐぅ。前が見えン。まぶたが落ちる〜」とか言っている。ヒロから約1時間ほど走った。予定では、あと3〜4時間だ。
 道端に、可愛いホテルがあった。久し振りに見る文明の灯りは、妖しく揺れる誘蛾灯だ。3匹の蛾…、いや、滋子さんはモンシロチョウの可憐さだから、1羽の蝶と1匹の極楽トンボと1羽の毒蛾は、光に導かれるままにホテルのラウンジに入り、コーヒーを飲んだ。ガラスの向こうに、真っ暗な東太平洋が広がっていた。
 名前も知らないホテルに別れを告げて、章くんたちはまたコナを目指す。やがて11号線は、アップダウンがきつい曲がりくねった山道にさしかかった。ハワイ島最南部の山中を越える山岳ロードだ。右に左に体を振られる道を、「どうや、眠いなんて言うとる余裕はないやろ」とか言いながらしばらく走ると、やがて左手に海を臨む平坦な道路になった。西海岸沿いの道へ出たのだ。コナの灯り
 「あと1時間半ぐらいかな」などと言いながらしばらく走っていると、左前に大きな光の塊が見えてきた。『途中に、こんな大きな町があったかなぁ?』」と不思議に思いつつさらに行くと、「Air Port 7」の標識が見えた。『西海岸に空港ってコナ以外にあったか…。ン、この町…コナだ』と、現われた信号をいきなり左折すると、見覚えのある通りに出た。
 「何で、こんなに早く着いたンや??」、「まだ8時半…、あと1時間少々はかかるンじゃないのか」と不可解な思いであったが、食事をしながら考えていると、その原因に思い当たった。
 章くんは、ハワイへ着てから距離はマイル表示ばかりを目にしてきたものだから、ガイドブックに記載されていたヒロからコナまでの合計124をマイルだと思ってしまったのだが、距離の積算に使ったのは「地球の歩き方」、日本の本だ。すなわち124マイル(=198Km)ではなくて、124Kmだったのである。だから所要時間も4時間でなく2時間半…。10時に着くつもりが、8時半に着いたのだ。途中の地名もほとんど確認できず、自分がどこを走っているのかも判らないままに来たことが、混乱に拍車をかけたのである。


居酒屋 櫂
 ハワイ島は観光レジャーの島だから、夜は早い。9時から食事のできる店となると、若者で賑わうダンスのできる店とか、音楽がガンガンと鳴り響く騒がしい店か多い。
 滋子さんに、「お腹空いてますか」と尋ねると、さすがの大和なでしこも「空いてるわよ」と疲れと空腹で少しぶっきらぼう…。これは機嫌を取らなきゃと、添乗員兼務の章くんは、日本食の店「居酒屋 櫂」へ案内して、寿司・出汁巻き・味噌汁と熱い緑茶でサービスに努めた。
 この店は深夜の11時までやっている。章くんたちが行ったときも、日本人の家族連れやカップルなどで、大盛況であった。寿司も味噌汁も、日本で食べる味と全く同じ。あとで紹介記事を読んでみると、「食材のほとんどは、日本から取り寄せている」と書いてあった。それでいて、値段は決して高くはない。ハワイ情報を話してくれる女の子の対応も笑顔も優しくて、ちょっとハワイに疲れた夜は立ち寄ってみるといい。
 最後に出してくれた熱いお茶を飲んで、フッと一息ついたら、滋子さんの機嫌も直ったようである。今夜も、さぞかしよく眠れることだろう。




 前3ページへ  次5ページへ  世界ゴルフ紀行トップページへ
 

ハワイ・ゴルフ紀行
その4