ハワイ・ゴルフ紀行
その7
ハワイ         10


第8日


マカハ・リゾート・  http://www.makahavalleycc.com/


 午前5時30分起床。今朝もパンとコーヒーを持っての出発である。午前8時04分スタートのマカハ・バレーGCまで、1時間少々かかる予定なので、6時30分に出ることにしたのだ。
 H1を西へ終点まで走り、その延長の92号マカハ・バレーGC線を西海岸沿いに北上する。途中、ところどころで渋滞…。ハワイでは、皆んなが遊びに来ているのだから通勤ラッシュはないと思っていたのだが、働いている人はいるわけだから、やはりラッシュはあるのだ。信号毎に、長い車の列ができている。
 予定よりもかなり遅れて、目的地マカハ・リゾートの付近に到着した。時計はもう午前8時になろうとしている。ところが、93号からマカハへと入っていく曲がりマカハ渓谷  パンフレットから角がわからない。
 ハワイ島でもそうだったが、ここマウイ島でも、いや世界各地のほとんどのところがそうなのだが、日本のように「○○ゴルフ場→」といった看板を掲げてはいない。環境条例などで屋外広告は厳しく規制されているのだろう、「マウイ・リゾート」といった類の案内板もなく、町の名前がかかれた小さな標識が、かろうじて立っているぐらいである。
 道の傍らに、「Makua Beach」と書かれた看板を見つけた。地図と照らし合わせると、明らかにマカハ・バレーを通り過ぎている。Uターンして取って返したのだが、やはりマカハへ入っていく道が見つからない。
 2往復したのち、「これ、どうかな」と曲がってみたのは、両側が草茫々のところどころ舗装がはげている狭い道…。心細い思いで走ること約5分、視界の先にクラブハウスだろうか、白亜の建物が見えてきた。近づいていくと、コースのグリーンとピンフラッグが見えた。間違いない、着いた。でも、時計は8時20分。またまた遅刻だ…。


マカハ・バレーGC
 バッグを下ろして、章くんが車を駐車場へ回している間に、ヤスヱがクラブハウスに飛び込む。「私たちは日本から来たのよ。だから20分ぐらいの遅刻は大目に見て、すぐにスタートさせてね」とねじ込むためだ。でも、章くんがクラブハウスへ入っていくと、ヤスヱはまだ受付でウロウロしていて、女の子が何か言っている。
 実は、このマカハ・リゾートGCは、章くんがインターネットで予約を依頼した、アメリカの予約代行「Tee Time」社から、「予約完了確認書」が届いておらず、章くんは申し込んだ画面だけをプリントアウトして持ってきている。当然、この日のスタートタイムは判らず、昨日、アロハ・ホテルから電話を入れて、「アキラ イイダの予約は入っているか? スタートは何時何分か?」と確認したのである。
 突撃ヤスヱがもたもたしているのを見て、女の子が予約代行社の確認書を出せと言っているのかと思った章くんは、「Tee Time社へ申し込んだのだが、確認書が送られてきていない。何度も催促したのだが、送られてこなかったのだ」と、かなり高度の英語を使って懸命に説明したのである。女の子は、笑顔で章くんに何か言っている。「いや、確認書は受け取っていないンだ」とさらに説明する章くんに、ヤスヱが「確認書の件は解った。ここまで車で来たのか…って聞いてるのよ」と助け舟。………、くっそう、この女だけには馬鹿にされたくなかったのに!


 無事(?)スタート手続きも終えて、早速にマカハ・バレーGCスタートである。昨日の77に気を良くした章くんは、この日はバックティからのプレーだ。
 1番はパーであがったものの、2・3・4番をボギー。5番でダボと来てガックリ。6番ボギー、7・8番をダボとし、9番をパーとするも、アウトは4ボギー3ダボで46。
 インは10・11番でボギーを叩くものの、12・13・14・15・16番とパーを続けてここまで2オーバー。しかし、17番206Yパー3で池へ入れてトリプルの6。18番もボギーとして42。トータル88と、このハワイ遠征中のワースト記録にしてしまった。


 ホールアウト…。全ラウンドを終了したという安堵感からか、それほど疲れているわけでもないのだろうけど、テラスの椅子に座るとしばらく立ち上がれない。ようやく一息ついて売店まで歩いていき、章くんはホットドッグとコーラを買った。
 売店のおねぇちゃんは、身の丈180cmはあろうかという黒人の女の子…。肌は黒光りしていて、ランランと輝く双眸が獲物を狙うように鋭く、大迫力だ! 冷凍庫から「これ貰うね」とコーラを取り出したヤスヱを「オゥ、ノォ」と叱り、これを持っていけと、後ろのガラスケースから出したものを渡してくれた。いつもなら、「何であれはいけないのさ」とか「あれでなくてはいやだ」ぐらいのことは言うヤスヱも、女の子の大迫力に一言の文句もない。


 軽食で腹の虫を抑えて、マカハ・リゾートをあとにしたのは、午後1時を少し回ったころであった。十分に、もう1ラウンドできる時間であったが、お二人には明日の帰国を控えてお買い物が待っている。早目にホテルへ戻ってシャワーに入り、衣服を整えて、ワイキキの町へ繰り出すご予定なのだ。


 青い海原にヨットが浮かび、はるかに続くH1も渋滞海岸線に白い波が砕けて散る。穏やかに晴れ渡った太平洋を眺めながら、東海岸沿いの93号線を帰ってきたところ、ホノルルに近づくにしたがって車の数が増えてきた。H1も市内にかかる頃から渋滞でノロノロになってしまって、ホテルに帰りついたのは、3時になろうかという時刻であった。
 ここで、お召し物を替えてお買い物に繰り出すお二人とは別に、土産を買う予定もない章くんは、「風の谷」へ行ってみることにした。


風の谷(ヌアヌ・パリ展望台)
 「風の谷」とは章くんの命名で、正式には「ヌアヌ・パリ展望台」という。コオラウ山脈の途中にある断崖の上の展望台で、カイルアからハワイカイあたりの景観を一望することができる絶好のビューポイントだ。ほぼ垂直に切り立った崖の高さはおよそ900m…。海から吹く風は、岩壁で谷の一番奥のこの展望台へ集められ、渦を巻いて吹き抜けていく。風の強さは半端でなく、まっすぐに歩けないこともあるほどだ。
 30年ほど前にハワイを訪れた章くんは、大パノラマの眺望もさることながら、強風ゆえに、このビューポイントの印象が強烈に残っている。ヌアヌ・パリ展望台から展望台に立ったとたん、同じツアーでここを訪れた、美人の奥様も…口うるさい親父さんも…アフロヘアのおねえちゃんも…ハゲのおっさんでさえ、皆んな頭の毛が天に向かって逆立っていた。その思い出の地を、訪ねてみようと思ったのである。
 ふたたびH1に乗って東へ走り、63号に乗り換える。このあたりはホノルルの山の手で、道路の両側に大きな豪邸が続く。やがて道はコオラオ山の山腹にかかり約5Km、右手へ折れる小道を入ると、ほどなく駐車場にたどり着く。 
 展望台からの眺望は、足元にゴルフ・コースやカイルアの町、左手の海には有名な小島「チャイナマンズ・ハット」…、その彼方は太平洋の大海原だ。
 
風の谷 パノラマ















 ↑ ヌアヌ・パリ展望台からの眺望  
     バシャバシャと撮った5枚の写真を 手作りでつなぎ合わせてあるので
    少しお見苦しい点はご容赦願いたい。



 それにしても、この風の強いこと…。オアフ島の背骨とも言えるコウウラ山脈の、海に面した壁なので、常に海から吹き上げる北東の風を壁面が集めて、最奥部のこの展望台に吹きつけている。


← どれほどひどい風かというと、記念写真を撮っていたカップルの男が、両手を開いて羽ばたいていた。Tシャツはまくれ上がり、今にも飛び立ちそうであった。


 展望台の一角に、戦いの様子を描いたパネルが掲示されていた。ここは、1795年、ハワイ島から上陸したカメハメハ大王の軍隊がこの地でオアフ軍を撃破、ハワイ諸島の統一を成し遂げた歴史的な場所でもある。

 ハワイ全島の支配を目指すカメハメハが、オアフ島を奪おうとワイキキに上陸した当時,オアフ島はすでにマウイ島の首長カラニクプレに支配されていた。両者の間には火蓋が切って落とされ、幾多の戦いののち、ついにカメハメハはカラニクプレの軍勢をコウウラ山脈の切れ目の崖っぷち、ここヌアヌ・パリへ追い込んだのである。
 この戦いで崖から突き落とされた兵士は約400人とある。槍,刀、そして西洋の鉄砲で戦った戦闘の中で、カメハメハはカラニクプレ軍にはなかった大砲を有していた。結果、戦いは西洋文明と協調し近代兵器を採り入れて戦ったカメハメハの勝利に終わり、この後、カウアイ島も戦うことなく支配下に入れて,ついにカメハメハはハワイのすべての島を統治することとなった。カメハメハ、最後の激戦地…、それがこのヌアヌ・パリである。





ロイヤル・ハワイアン・ショッピングセンター
 ホテルに帰ると、滋子さんとヤスヱはすでに出かけたあとであった。章くん、早速シャワーに入り服を替えて、待ち合わせのロイヤル・ハワイアン・ショッピングセンターの玄関へと向かう。カラカウア大通りの右手に見えるロイヤル・ハワイアン・ショッピングセンター
 待ち合わせの6時までには、まだ20分ほどある。章くんも、買うあてもなくショッピングセンターの店をのぞいてみた。約100店が軒を並べるこのセンターの様相は多彩だ。高級ブランドからハワイのアイテムを揃えた店、そして各種レストランなど…。
 軽さとデザインパターンの多さで大人気、日本よりも1〜2割安く買えるとガイドブックに出ていた「レスポートサック」というカバンの店をのぞいた。ヤスヱがいる。買う気もないくせに、例によって店員にあれこれと尋ねている。
 一計を案じた章くん、女物の可愛いポーチを小脇に抱えて、ヤスヱに気づかない振りをして棚のバッグを物色していると、案の定、見つけたヤスヱが食いついてきた。「あら、章くん、女物のバッグ買うの? 誰の…、スナック? カントリー? 三味線?」と寄ってきた。「孫の土産さ」と答えると、「3歳の孫が、ポーチを持つかぃ」とからむ。「お前に見つかったからには、もう買わん。日本で、これを持っている女を見つかったら、バレバレやもんなぁ」と笑いながら、章くん、可愛いポーチを棚に戻した。
 6時、向こうから滋子さんが歩いてきた。手ぶらだ。「お土産は?」と聞くと「ご飯食べてから、また」。
 昨夜のような宣伝・看板・店構えだけが立派な「ロブスター&クラブ」なんて店は願い下げだ。ハワイ最後の夜なんだから、思い残すことのない美味い料理を食べようということになったのだが、さて…どこへ行こうとなると、当てはない。



「シェラトン・モアナ・サーフライシェラトン・モアナ・サーフライダーダー」の「バニヤン・ウイング」
 レストランをのぞきながらカラカウア通りをぶらぶら歩いていると、ギリシャ神殿のような白亜の殿堂が見えてきた。「シェラトン・モアナ・サーフライダー」、プライベートビーチを持つワイキキ最古のホテルだ。ここの新館オーシャンビューは「タワー・ウイング」、シックな旧館は「バニヤン・ウイング」と呼ばれているが、どちらもとても優雅で豪華な雰囲気である。受付で「予約はしてないんだけど、食事はできるかい」と聞くと、「OK、プリーズ」と通してくれた。
 テラスのコーナーに設けられた舞台ではハワイアンバンドが演奏を行い、30前後の妖艶な美女がフラダンスを踊っている。シェラトン・ワイキキの子どもたちの学芸会とは、一味も二味も違う。ハワイアン・フラは、こうでなくっちゃ…。章くんたちの席はバンドの後ろ側、バニヤン・ウイング・テラス席の中央部である。左右の30ほどのテーブルはほぼ満席、半分以上が日本人客であった。
 係りのウエイトレスは、けい子さんという朝鮮系だと思われるが、日本語がぺらぺらのご婦人であった。丁寧に注文を聞いてくれ、章くんが「ハワイらしい食べ物を…」と頼むと、「じゃあ、マヒマヒがお勧め。オイシイデスヨ」と言う。滋子さんはシーフード、ヤスヱはステーキを頼んだ。シェラトンのオーシャンテラス
 マヒマヒは和名をシイラ、英名はドルフィン・フィッシュ(Dolphin Fish)と言う。イルカのように船に寄り添って身軽に泳ぐ習性に由来する。ハワイ名のマヒマヒ(mahimahi)は「力強い」という意味の「mahi」に関係があり、この魚を釣り上げるとき、あるいは釣ってからも、ひどく暴れるからこの名がついたものと思われる。
 マヒマヒは世界の熱帯と温帯の海で表層を回遊する魚で、体長は平均1.5mほど。淡泊で弾力のある白身の魚で、ハワイではとてもポピュラーな食材だ。マヒマヒのステーキといえば最上級の料理であり、水分が多く柔らかい白身の肉は刺身としても人気がある。もっともポピュラーな食べ方はソテー、店によって味の差はあるけれども、美味しく味付けすることは料理方法によっていかようにも工夫できるはずである。
 出てきた料理を食べてみると、どうもぱさぱさしていて淡泊すぎる印象だ。味にコクも特徴もない。ハワイ的といえばそうなのかも知れないが、「シェラトン・モアナ」の「バニヤン・ウイング」が腕に縒りをかけた料理である。絶妙の味加減を期待したのが、無理というものではないだろう。
 けい子さんが自信たっぷりに、「どうです、おいしいですか」とやってきた。章くんは、「まずまずです」とか答えようとしていたら、ヤスヱが「全然美味しくない。かすかすの味だと言ってるわよ」とバラしてしまった。
 すると、けい子さん「それは困りましたね。じゃぁ、料理を取り替えます」とこともなげに言う。「エッ、取り替えるなんて…」と戸惑う章くんに対して、「私がお勧めした料理ですからね。不味ければ取り替えるの当然です」とけい子さんは当たり前のように言う。さすがは「シェラトン・モアナ」、料理が客の口に合わなければ取り替えるてくれる。章くん、今度はグリル・チキンを頼んだ。
 さころが、このグリル・チキンも、ソースが口に合わないのかイマイチの味である。「これも不味い」と言うと、またヤスヱが「取り替えて」と言うかも知れないので、「どう?」と尋ねるのに対し、ここは章くん、ぐっと飲み込んで「まずまずの味だ」とにこやかに答える。
 けい子さんのサービスに感謝して、20ドルのチップをはずんだところ、章くんが「これは美味しいですね」と賞賛したパンを、帰りがけに5個袋に入れてくれた。「シェラトン・モワイキキの夜景アナ・サーフライダー」の「バニヤン・ウイング」…、味はイマイチだけれども、サービスは満点で、お薦めのレストランである。


インターナショナル・マーケット
 食事を済ませたのち、章くんは二人と別れて、ワイキキの夜を散策しながら、また「インターナショナル・マーケット」へと繰り出した。今夜こそは、幼児用のムームーを買わなくては、もう明日はホノルル空港から帰途に就く。


 
 マーケットの入り口の店で、「何をお探しですか」と流暢な日本語で声を掛けられた。聞いてみると、店番のアルバイトをしている日本人の女の子で、オーナーも日本人の女の人だと言っていた。インターナショナル・マーケット
 章くん、ショーケースの中でエメラルドブルーに輝くブレスレットを見つけて、「これ、幾ら?」と聞くと、「150jです」。来た来た…と章くんはほくそ笑む。「で、幾らになるのさ」と聞くと、計算機を取り出してきてブツブツ言いながらキーを叩き、「え〜っと、146jですかねぇ」と答える。「そんなん、値引きしたうちには入らんじゃンか」と抗議すると、「バイトの私には、ここまでが精一杯…」と面白くも何ともない。「また、オーナーのおばちゃんが居るときに来るわ」とこの店を後にした。
 さて、お目当てのム−ム−屋にやってきた。先夜にのぞいて、数の豊富さとオリジナルなデザインの品が揃っていたようなので、孫の寧音(ねいね)の土産はここで買おうと算段していたのである。
 ぶらりと入って、女の子の服を物色していると、「何才のお子さんですか」と45才ほどの東南アジア系の、少し色の黒い女の人が相手をしてくれた。「3才と1ヶ月、でも大きいよ」と答えると、「では、これなどどうでしょう」と見つくろって3〜4点を並べてくれた。そのうちの、赤地に白でハワイプリントの模様が染め抜かれているムームーの値段は46ドル。「これ、幾らになる?」と聞くと、「43ドル」とここでも小刻みな値段を言う。「じゃあ、この赤と青とを2つ買うから、合計70ドルでどう」とさらに聞くと、「ムリムリお客さん、2つで82ドル…」とあくまで細かい。結局、5点の合計254ドルを215ドルにしてもらって、娘と孫の土産が揃った。
 それにしても、今はもう、30年前、ケンジロウくんにブレスレットを売ったおばさんのように、定価の3倍ほどの値段を吹っかけて、丁々発止の値引き交渉をする店はないのだろうか。そういえば、この店、全ての商品に値段票がついていた。30年前のおばちゃんの店に並ぶ商品には、値段票なんて野暮なものは全然なかったものなぁ。




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