ハワイ・ゴルフ紀行
その5
ハワイ         10


第4日目

キンカメ中庭のプライベートビーチ

古代神殿アフエナ・ヘイアウ
 今日のマウナ・ラニGCのスタートは12時15分。午前8時とゆっくりめの朝食を取った章くんたちは、キンカメのプライベートビーチと、その先の茅葺きの建物を見物しようと、中庭に出た。
 カマカホヌ(ハワイ語で「亀の目」という意味)と呼ばれている、キンカメのこのビーチは、波も穏やかで、小さな子供と一緒に海水浴を楽しむのも安心だ。この日も、まだ9時だというのに、何人もの人たちが波打ち際で遊んでいた。
 入り江の先端にある、茅葺きの古風な建物は、実は古代神殿アフエナ・ヘイアウ。もともと、このキンカメが建っている土地は、ハワイ島を平定したキングカメカメハ大王が居を構えた場所だ。海に突き出た先端の地に、彼は神を祀り、神殿を築いて祈りを捧げていたのである。
 今、この場所では、日暮れになるとハワイの王族の衣装を纏った一団がチャント(祝詞)を唱え、そのあとルアウショー(歌と踊りの宴会)が始まる。観光客はこのショーを見ながら、ビュッフェスタイルのディナーを楽しむという趣向だ。
 だから章くんは、この茅葺きの建物を観光用の施設だと思っていた。ビーチから飛び石のように置かれた溶岩の通路を渡って、茅葺き家屋の中をのぞいたりしていた。
 と、対岸から大きな声で、誰かが何かを叫んでいる。章くんたちに向かって、あまり平和でないことを言っているようだ。
 ヤスヱが、「ここ、立入禁止らしいよ」と言いながら、そそくさと引き返していく。少し遅れて引き返した章くんが見ていると、ヤスヱはそのおじさんに向かって、「すみません。ごめんなさい。知らなかったものですから…」と日本語で繰り返して、ペコペコ謝る仕草をしている。さすがはヤスヱ、知ったものには強いけれども、見ず知らずの人にはさからわない。そのあと、「ああいうときには、英語は全然わからないという振りをするのが一番よ」と、身内だけになると急に強気の発言であった。


コナ・コーヒー
 午前中、コナ・コーヒー農園へ行ってみたいとヤスヱが言い出した。「日本人移民のおばあさんがみえて、そのおばあさんに煎れてもらったコーヒーは忘れ得ないおいしさなんだって」と言う。「で、何という農園なんだ?」と聞くと、「それが判らないのさ」という返事。おいおい、ガイドブックに載っている農園だけでも32…。おばあさんの居る農園はどこ…と言って探して、今日中に見つけられるとは思えないけれど。
 ハワイ島コナ・コーヒーの歴史は、日本人移民の汗と希望と苦難の物語である。カイルア・コナから南へ20〜30分、ファラライ山麓一帯に広がるコーヒー農園から産出されるコーヒーは、弱酸性の火山性土壌、海からの温かい風と山からの冷たい風、適度な雨が育てるブランドである。1800年代の終わり頃、ハワイに移ってきた日本人入植者たちは、溶岩の荒野にコーヒーの苗木を植えて辛抱強く手をかけて育てた。1910年頃には、コナ・コーヒー栽培農家の90%が日本人であったという。その後、世界大恐慌や第2次世界大戦などの荒波を受け、コーヒー相場は決して安定したものではなかった。零細な資本で営む移民農家の経営が、楽でなかったことは想像に難くない。
 今、コナ・コーヒーの出荷額は年間650トン。ブラジル豆はその3000倍であり、しかも物価高のハワイ産ということで、コナ・コーヒーはブラジルの7〜8倍の値段。100%純正のものは1ポンド(約450g)20ドルはするという。お土産店などでは5〜6ドルのコナ・コーヒーが売られているけれど、袋のどこかに小さく「コナ・コーヒー10%入り」などと書かれているらしい。
 コナ・コーストから南へ15マイル。海沿いの19号と、ひとつ山側に入った180号沿いの一帯には、山から海へと続く斜面にコーヒー農園が広がっている。道端のほとんどの家がコーヒー農家だ。「おばあさん、居るかどうか、一軒ずつ聞いて来いよ」とヤスヱをからかうと、「意地悪ッ、口利きたくないわ」と向こうを向いてしまった。コナコーヒー農園のテラス
 道沿いに、星条旗を掲げて大きな駐車場を備えた、いかにも観光客相手といった構えの建物があった。コナ・コーヒー・ショッピングセンターだ。
 入っていくと、テラスに10数本のポットに入れたコーヒーが置いてある。紙コップが添えられていて、椅子に座って呑み放題だ。章くん、早速一杯いただいて驚いた。ココナッツ味なのだ。ポットの1本1本が違った味で、スタンダードからアメリカン…なんてのは当然ながら、バニラ、チョコレートなど、いろいろの味のコーヒーを楽しむことができるのだ。スタンダードも香りがよく、飽きが来なくてお代わりが進む。採れたて煎りたてのコーヒーが、これほど薫り高く、これほど口ざわりがよいとは…。庭先のコーヒーの木に白い花が咲き、その向こうの木には赤い実がついていた。
 ヤスヱが、「看護婦さんたちのお土産、買っちゃった」と、両手にコーヒーの包みを抱えてきた。「美味しかったからね、お土産、コーヒーにしたわ」と見せた1ポンド袋が、5ドル(コナ・コーヒー10%入り)であったかどうかは知らない。


マウナ・ラニGC ノース  http://www.maunalani.com/japanese/マウナ・ラニGC


 マウナ・ラニ・リゾートの中に広がる36ホールのこのコースは、「マウナ・ラニGC ノース&サウスコース」というのだと思っていた。予約を頼んだアメリカの予約代行会社のサイトにも、「Mauna Lani North Course. South Course」と載っている。
 ところが、正式な名称は「
フランシス・H.イイ・ブラウン・ゴルフコース」という。設計者の名前を採ったのかとも思ったけれど、設計はH.フリント、R.F.カインそして、R.ネルソンの3人。じゃぁ、「フランシス・H.イイ・ブラウン」って誰なんだと調べたら、Wev Site の Hiro Kishikawa氏のページに、ここの土地を持っていたハワイの貴族だという記事を見つけた。
 ハワイに貴族が居たのかと驚いたが、カメハメハの一族か重臣ならば、ハワイの貴族で土地持ちだと考えられる。さらに、氏によると、この土地の所有者ブラウンさんと東急電鉄の五島昇社長とが意気投合して、東京オリンピックの1964年に東急がこの土地の開発を始め、20年の歳月を費やして1983年「マウナ・ラニ・ベイ・ホテル」とこのゴルフ場を完成したという。他のガイドブックには、このリゾートを日本人が開発したとは書いてないので、これ以上のことは分からないけれども、Kishikawa氏は東急の工事担当者と会って話をしたとも書いている。
 漆黒の溶岩荒野に出現した緑の36ホールは、今、世界で一番美しいコースと言われている。海の青、溶岩の黒、砕ける波の白、その風景の中を伸びる緑のベルト…。そのコントラストが、海や溶岩を巧みに取り入れたレイアウトに映えて、まさにマウナ・ラニ…天国の谷…と言われる空間にふさわしい美しさをかもし出している。
 今日はそのうちの、溶岩の中クラブハウスから1番ティへに延びるノースコースの18ホール(チャンピオン()6913Y レート74.0、トーナメント()6601Y 72.6、ミドル(白)6084Y 70.2、フォワード()5383Y 67.2)を回る。章くんは青ティ、滋子さんとヤスヱは白ティからだ。
 カ−トに乗って1番ティまで、右も左も溶岩が積み上げられた月世界のような荒涼たる景色の中を、ロングホール1ホール分ほど走ると、目にしみるような緑の芝生が現れた。1本の雑草もなく刈り揃えられた、美しいことこの上ない芝のようすである。
マウナ・ラニGC 1番412Yパー4、ティグラウンド前に据えられた溶岩の巨石が、なんとなく邪魔である。章くんのティショットは、右ドックレッグのコースの右角を越えて、残り160Yを切るナイスショット。セカンドを7番アイアンで難なく乗せてパー。簡単じゃないか。
 ヤスヱが、「ハワイ島最後のラウンドだから、何かニンジンをぶらさげてよ」と挑発的なことを言う。「じゃあ、僕が80、ヤスヱが90、滋子さんが95を切ったら、切れなかったものが来年またハワイに招待するということにしよう」と提案すると、「私と滋子さんはペアで、どちらか一人が達成したらOKということでね」と、保険をかけることを忘れない。
 せっかくのニンジンなのに、章くん、2番パー5ボギー、3番パー4ボギー、4番パー4をダボときた。もう4オーバー、これ以上は叩け5番パー3 レイアウトないとやって来た5番は157Yのパー35番157Yパー3 ヤーテージブックの写真より。ピンは手前、章くんのティショットは左前のバンカー。ちょっとライが悪くて、ドスンと打ったバンカーショットは向こうのバンカー。第3打、グリーンに乗っただけのところから、3パットして6となった。
 8番・9番もボギーとして、アウトは45。ニンジンどころではなくなってしまった。滋子さん51、ヤスヱは52。ニンジンの見直しを行うこととして、「章くん90、滋子さんとヤスヱは105」でインを争うことになった。章くんは44、滋子さんは53、ヤスヱは52で回ってくれば、来年は無料でハワイへ来ることができる。
 12番のレイアウト12番388Yパー4
 10番536Yパー5、章くんはパー。滋子さんボギーだけれど、ヤスヱは8とちょっと苦しい。
 11番は357Yパー4。章くん3パットしてボギー。滋子さんもヤスヱもボギー。
 12番、バックティからは溶岩を越えていく388Yのパー4。章くんはドライバー、8番アイアンとつないで2オン。4mを入れてバーディだ。滋子さんボギー、ヤスヱはダボ。
 13番も388Yのパー4。章くん2オン2パットのパー。滋子さんボギー、ヤスヱはまたダボ。
 ここまでの4ホールで章くんはイーブン。滋子さんは4オーバーだけれど、ヤスヱはすでに8オーバーだ。目標のハワイ招待スコアに、章くんは楽勝ムード、滋子さんもボギーペースだから53までまだ13打を残す余裕だ。ヤスヱはというと、あと5ホールで8打を残しているが、ダボペースの今日の調子では厳しい。「私、滋子さんの応援に回るからね」と転身して、滋子さんのフンドシで相撲を取ることを宣言。…ン、滋子さんは、フンドシを締めていないだろうって…。このハワイ10日間で、海水浴をしなかったので分からない。


終  盤
 14(127Yパー3)・15(494Yパー5)・16(431Yパー4)番をボギー・パー・ボギーとして、2オーバーでやってきた17番は、周りをぐるっと取り囲む溶岩のすり鉢の底にグリーンを据えた17番レイアウト17番119Yパー3 手前はティグラウンド、バンカーのこちらがグリーン119Yパー3。このコースの名物ホールである。
 ピッチングウエッジで打った章くんのショットは、ピンの奥7mに乗った。滋子さんのボールは、そのちょっと内側の6m、ヤスヱはグリーをオーバーして左奥のラフだ。
 章くん、触っただけのパットが3メートルほどオーバーして、返しが入らずボギー。この美しいホールでのパーを逃して、残念無念である。滋子さん、ソフトタッチで2パットのパー。ヤスヱ、奥から3mに付けた下りのパットをゴツンと入れてパー。何てことのない、17番 グリーン奥から見たところ簡単なホールなんじゃないか。ヒビッて損したァ。
 章くんたちの後ろの組は、60歳ぐらいのアメリカ人の夫婦。2人で回っているので、後ろを振り返るといつもカートに乗って待っている。この17番でも、章くんたちがティショットを終えてカートに乗り込むときには、既にティグラウンドの後ろに来て待っていた。「You are waiting every hole. aren't you?」とか声を掛けて手を振ると、「No ploblem」とか何とか言って、にこやかに手を振ってくれた。
 そういえば、以前ぺブルビーチに行ったときも難しい海越えのセカンドが残る8番ホールでは、海を越えない人が何度も打ち直すので、ティグラウンドにはいつも5〜6組が詰まってしまう。でも、待っている人たちは不平や不満を言ったりしていらだつこともなく、後ろの組のプレーを見物したり、海辺まで出て海岸を歩いたりしていて、前の組の人の何発目かのショットが見事に海を越えると、拍手を送っていた。大陸的というのか、他人のプレーに対して寛容である。
 18番(398Yパー4)、章くんはボギーとしてインは40。滋子さんも48と健闘して、2人ともハワイ招待の権利を確保した。ヤスヱは53だから1打オーバーしていて、あとの2人を招待しなければならないところだが、「私と滋子さんはペアよ。滋子さんが目標達成したから、誰も罰を受けるものはいないわ」と澄まし顔。他人には厳しいけれど、自分には寛容なヤスエである。


寿司 しおの
 プレーを終えたのが6時30分。そのままバッグを車に積み込んで、キンカメに帰り着いたのが7時30分。シャワーに入って着替え、夕食に行こうと出たのは、8時30分を回っていた。
 夜の早いハワイ島。今頃開いていて、「少し遅いけど、いい?」と言えるレストランはというと、やはり日本食の店になってしまう。で、銀座のすし屋で握っていたという「寿司しおの」へ出かけた。
 冷奴・じゃこオロシ・きつねうどん・寿司いろいろと取って、チップ込み148ドル。ついでに、「この近辺で、ロブスターの美味しい店はどこ?」と聞いて、「ハゴス」を教えてもらってきた。明日の夜は、ハゴスでロブスターだ!



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