ハワイ・ゴルフ紀行
その7
ハワイ         10


第6日


さらばハワイ島
 ハワイ島最後の朝が明けた。朝食を済ませ、11時15分のフライト予定だから9時過ぎにはコナ空港へ着こうと、8時にキンカメを出た。
 チェックアウトはフロントへ行かなくても、混雑を避けるため昨夜のうちに部屋番号を記入した用紙と封筒が部屋に届けられていて、クレジットナンバーを書き込んでルームキーと一緒に封入、それをフロント横のチェックアウト・ボックスに放り込んで終わりである。追加の料金があれば、後日にクレジットから引き落とされる仕組みだ。
 駐車場で、5日間世話になった車とキンカメを入れて記念写真をパチリ。門番の大きなおばちゃんも、もう章くんの顔を覚えていて、パーキング・カードを見せるまでもなくゲートを開けてくれた。それも今回で終わり…、「サンさらばハワイ島 マウナ・ケア山キュー、グッバィ!」。
 ホテルを少し早く出たのは、昨日は中腹まで行ったのに厚い雲のベールに隠れて顔を見せなかった、ハワイの最高峰マウナ・ケア山に別れを告げたかったからである。空港入り口の信号を越えて、さらに10分ほど走る。19号ロードの右手前方、溶岩荒野の向こうにマウナ・ケァが見えてきた。
 さらに10分…。はるか彼方のマウナ・ケアは一向に近づいて来ないけれど、飛行機のフライト時間を考えるとここが限度。そろそろ引き返さないと、間に合わなくなる。道路の右側に車を停めて写真を撮り、Uターン。


 ダラーの営業所へレンタカーを返しにいった。こちらへ来いと、女の子が呼んでいる。ここ、ここ…と指示された場所へ車を止め荷物を降ろしてキーを返すと、書類を出せと言う。今までに返却のときに書類が要ると言われたことはなくて、どこへ入れたか判らない。捨ててしまったのじゃないだろうか、果たして持っているかどうかも定かでない。かばんをひっくりかえして探していたら、女の子が「ピンク、ピンク…」と言っている。ピンクの書類かと探したら、ガイドブックの間に挟まっていた。「整理が悪いね。ラッキーだけで旅してるってカンジだね」と、ヤスヱが冷ややかに笑う。くッそぅ、こいつだけには笑われたくなかったのに…。


厳しい搭乗検査
 ホノルルへ渡るのはアロハ航空、搭乗は早いもの順だ。そのつもりでマウナ・ケァ山へのご挨拶もそこそこに切り上げ、2時間も前にコナ空港へ着いていたのだけれど、土産物屋をのぞいて絵葉書なんかを買っていたら、いつの間にか長蛇の列ができていて一番後ろのほうに並ぶことハワイアン航空機(ホノルル空港にて)になった。
 搭乗検査がやけに厳しい。靴を脱ぐのは全員だが、章くんたち外国人は別のテントに連れて行かれ、全身を調べられる。若い女の子の調査官だったら、パンツも脱いでやろうかと章くんは思ったのだけれど、鼻髭のおっさんだったのでサービスはなし。体を金属探知管で調べてOK。女の人はもちろん女性の係官が調べるわけだが、滋子さんが出て来てから10分ほどしてもヤスヱが出てこない。見に行くとポケットのものを全て出して机に並べ、ナンタラカンタラと言っている。
 裸にされているわけではないからテントの外からのぞき込んで、「麻薬が見つかったンか?」と声を掛けると、「裁縫小物のハサミをポケットに入れていて、それがピーッと鳴った」んだと言う。「そらぁ、2ヶ月はブチ込まれるなぁ。また、迎えに来てやるわ」とからかっていると、だんだんマジな顔になってきてきた。これ以上冗談を言っていると、怒るか泣くかしそうだったので、「ハサミでは死刑にはならんわな」と言ったのだが、あまり慰めにはなっていなかったようである。20分ほどで、「無罪…無罪…」と言いながら走ってきた。
 最後尾からタラップを上がった章くんたちの座席は、ちょうど主翼のところしか空いていない。窓も汚れていて外はほとんど見えない状態だから、章くんは翼の切れ目から、土ぼこりで汚れた窓の向こうのハワイ島に別れを告げた。


ホノルル市街
 ホノルル空港着11時53分。到着ロピーと荷物受け取り場が遠くてちょっと迷ったけれど、無事に全ての荷物も揃って、次はレンタカーである。ここでは空港内にダラーの窓口があって、大きなおばちゃんがひとりで座っている。レンタカーの手続きも一通りわかったヤスヱが窓口へ行って交渉…。「一番大きなワンボックスカーを借りてきたわ。何でも積めるよ」と帰ってきた、追加80ドル(3日間)。
 車はちょっと離れた営業所に置いてあり、やはり空港前からシャトルバスに乗っていく。営業所へ行くと車は用意してくれてあって、「これに乗っていけ」とキーを渡してくれた。このワンボックスカー、2600キロほどしか走っていないほとんど新車だ。こんな高い車は、平坦で小さなオアフ島を走る人は誰も借りない。ハワイの高速道路H1 
 荷物を積んでレッツゴー。空港の横にフリーウエイのインターがあり、それに乗ってワイキキへ向かう。
 助手席にはヤスヱ。まず、空港インターから入ったフリーウエイH1を、ウエストへ走るのかイーストへ行くのか…。空港からホノルル市街は東に位置するわけだから、当然、イースト(東へ)を走らなければならない。ヤスヱはハワイは初めてだから、そんな知識はない。
「イーストか、ウエストか。どっちへ行くんだ?」と判っていながら意地悪く聞く章くんの問いかけに、ヤスヱはあてずっぽうに「イーストよ!」と答える。さすがはヤスヱ…、何の根拠もなく言った(と、あとで本人が言っていた)のが、ドンピシャリ。やがて車は、ホノルルの街中へと入っていく。
 今日のホテル「アロハサーフ・ホテル」は、ワイキキ街区のほぼ真ん中にある。そのあたりに下りていくICはどこだ。初めてのH1でハンドルを握っている章くんは、地図を見ている余裕がない。「どこだ、どこだ。どこで出るんだ」と言っていたら「WAIKIKI」と書かれた看板が見えた。何だ、簡単じゃないか…と言いつつ23番ICで下りた。
 ところが、そこからホテルを探して市内を走るのがたいへん。何せ、隣にいるナビゲーターが方向音痴! 通りの名まえは当然のことながら英語(ローマ字というべきか)で書かれていて、しかもハワイの呼び名だからややこしい。例えばハワイ大学前の通りの「University Ave.」は判りやすいけれど、「Liliuokarani Ave.」とあれば「リリウオカラニ通り」とローマ字読みせねばならず、結構長い地名が多いから読んでいる間に通り過ぎてしまう。ホノルルの町には大木が多い
 なかなか自分の現在地がつかめない。「次の角、どっちへ曲がるのや?」などと聞くものだから、ヤスヱはだんだんものを言わなくなってきた。
 これ以上追い詰めると、車から飛び降りるのではないかと思った章くんは、車を停めて地図を見る。しばらく走ってまた停まり、調べて走る。4回ほど停まると、ほぼ町の概観もわかったし、目指す通りへと入ってきた。
 この頃にはヤスヱも自分が走っている通りが確認できて、「3つ目の角を左…」などと声が出てきた。しかし信用していない章くんは、やっぱり車を停めて地図を確認し「3つ目の角を左だ」。方向音痴のナビゲーターはちょっと弱気…、言い返すこともない。


アロハサーフ・ホテル

 この日の宿「アロハサーフ・ホテル」に到着。部屋はシングルベッドがひとつ、バスタブは無くてシャワーのみ。キンカメのツインルームのシングルユースに比べると、手狭で粗末な部屋である。
 実は、このツアーの当初の宿は「ワイキキ・ゲートウエイ・ホテル」だったのだが、出発の前日の夜11時ごろに、この旅を世話してくれた旅行会社「ファースト・ワイズ」の松本君から電話があり、「現地でダブルブッキング(二重予約)をしていて、ホテルを変えてくれませんか。同等グレードのホテルを用意しますので」という話。翌日の出発で詳しい話もできず、「君たちも困ってるのだろうから、いいよ」と章くん、人の良いことを言ったのが失敗であった。
 だいたい、2人1部屋のツアーだったのを一人部屋追加料金を支払ったのだから、ツインルームのシングルユースでなくてはならないはずである。それを手狭なシングルルームに押し込めるとは、悪どい旅行会社だ。しかも、「ワイキキ・ゲートウエイ・ホテル」は窓からワイキキビーチが見えるし、館内には高級店が並ぶ。インターネットも無料で使い放題のサービスが付いている。
 それに引き換え、この「アロハサーフ・ホテル」は部屋・バスの粗末さに加えて、ビーチまで10分ほど歩かなくてはならない。旅行会社の変更お願いは、何が何でも聞いてはならないことを知った。
 早速、滋子さんとヤスヱからお叱りを受ける。「せっかく骨休めに来ているのに、こんなホテルでは気分が休まらないじゃない」、「旅の最後のホテルがこれでは、いい思い出が残らないでしょ、気分が悪いわ」。添乗員としての立場上、章くんは恐縮して、「ごもっともです。おひとり様、一泊5万円ほど出していただければシェラトン・クラスで空室をを探して参りますが、いかがでしょうか?」とご機嫌を伺う。内心では、『例年の貧乏旅行に比べれば、このぼろホテルでも上等さ』とも思っている。1泊5万円…3泊で15万円の追加と聞いて、さすがのワガママも黙った。「まぁ、私たちだけ別のホテルというのも、不便だしねぇ」とか言っている。ワイキキの浜からダイヤモンドヘッドを望む
 「アロハサーフ・ホテル」のフロントに一人日本語が話せる男の子が居て、「この近くでお薦めのレストランはどこだ」と聞くと、「どんな料理が食べたいのか」と言うので、「ハワイ料理がいい」と答えると、「ワイキキには、実はハワイ料理の店が無いんだよ」と言う。そして「オレ的には、シェラトンのバイキングがお薦めだ」と、今日的な日本語で案内してくれた。


オーシャンテラス・バイキング
 シャワーに入って着替え、少し休憩してから午後4時、ワイキキの町へと繰り出した。
 ワイキキビーチまでの10分ほどの間に、「ハイアット・リージェンシー」や「シェラトン」、「アウトリガー」などの大ホテルが肩を並べて威容を誇っている。添乗員の章くんとしては、『この辺のホテルならば幾らかかっても納得だけど、あのボロホテルで45万円もかかるなんて、添乗員分は無料じゃないの』と言われそうでこそばゆい。
 ピンクの建物アウトリガー・ワイキキ・オンザビーチ・ホテルの横を抜けて、ワイキキ・ビーチに出てみた。ハワイは初めてのヤスヱが、「なんて小さい砂浜なの。これって遠浅…? 世界のワイキキ・ビーチも、御殿場海岸(津にある海水浴場)にゃ勝てンね」と鼻で笑う。ヨットが波打ち際まで来ていたから、遠浅ってわけでもないだろう。
 隣にある「ロイヤルハワイ・ショッピングセンター」をのぞいてみた。3階建の建物には、高級ブランドからハワイの特産品、肉・中華・日本食のレストランなど、約100店舗が並んでいる。滋子さんとヤスヱはお土産を買う下見をしようと、店々をのぞいて歩いている。章くんは孫の寧音以外の土産は買わない。だから、女の子用の服を売っている店に立ち寄ったりしていたが、章くんはお目当てのマーケットがある。食事のあとで寄るつもりだ。
 午後4時40分。シェラトン・ワイキキ・ホテルのオーシャンテラス・バイキングに向かった。5時オープンとのことで、すでに2組ほどの人が並んでいる。受付が始まって、「リザベーション(予約は)?」と聞かれて、『えっ、皆んな予約してきてるのか』と思いつつ「ノー リザベーション」と答えたけれど、前から3組目だったので何とかオーシャンテラスに席をとってもらった。
シェラトンのハワイアン
 前の庭でフラダンスショーをやっている。6人ほどの女の子が、かわるがわるチームで登場して5〜6曲ほど踊ってくれたのだが、どうも小学校の学芸会のようでいただけない。やっばりフラダンスは、豊満なダンサーによる妖艶な踊りでなくてはならない。
 しかし、シェラトンのバイキングはさすが…、種類の多さは感激ものだ。マグロの刺身、骨付きリブ、サーロインステーキの切り分け、寿オーシャンビューからの夕日司、サラダ、果物、ソフトクリーム、ケーキ、プリン、シュークリームと食べて満腹!3人分227j+チップ20j=247j。
 西の海へ、夕日が落ちていく。サンセットはいつどこで見てもロマンチックだ。でも、ここワイキキビーチでも、期待した空も海も渾然となって黄金色に染まるといった、壮大な夕焼けは見られなかった。


インターナショナル・マーケット
 食後は、またショッピングセンターを歩くという滋子さん・ヤスヱと別れて、章くんは「インターナショナル・マインターナショナルマーケットの入り口ーケット」を訪ねた。
 このマーケット、カラカウア通りに入り口があるのだが、一歩マーケットの中へ足を踏み入れると、中は迷路のように広がっていて、樹齢100年以上の巨大なバニヤンツリーの周りに、いくつもの小さなお店が集まっている。店々をのぞいて冷やかしながら歩いていくと、熱帯の樹々に囲まれた滝があったりして、トロピカルな雰囲気が広がっている。小さなワゴンタイプの店の大半は韓国・中国・タイなど東アジアの人たちがやっていて、アクセサリーや小物類のお店が多い。
 このインターナショナルマーケットに、章くんはひとつの思い出がある。30年ほど前にハワイを訪ねたとき、同行したケンジロウくん(章くんの中学時代の同級生)が、このマーケットのある店でブレスレットを見つけた。若かりし頃の話で、もう時効だからバラしてもいいと思うのだが、当時ケンジロウくんはとあるスナックのママに惚れていて、彼女の腕にこのブレスレットを輝かせたいと思ったのである。
 「幾ら?」と聞くケンジロウくんに、屋台の裏で弁当をパクついていたおばちゃんはご飯を噛み噛み出てきて、「140ドルヨ」と片言の日本語で答える。「まけてよ」とケンジロウくんは、『インターナショナルマーケットでは値段の交渉がひとつの楽しみ』と言われるセオリーどおりの値切り交渉に入った。おばちゃん、「130…、120…」とか言っている。
 長引きそうな交渉に、章くんは「じゃぁ、先に行ってるからな」とその先の店をのぞいて歩いていると、ケンジロウくんが「70ドルに値切ってきた」とリボンをつけて綺麗に包装してもらった小箱を手にして走ってきた。マーケットの店「交渉すれば半値になる。粘り勝ちや」と笑顔である。
 しばらく行くと、とある店のウインドーに、全く同じブレスレットが並べられていた。店番の女の子に「これ幾ら?」と聞くと「35ドル! マダマダマケルヨ」。ケンジロウくんの顔から、血の気が引いた。
 …と、まぁ、インターナショナルマーケットはこのようなところなのである。章くんは、店々を冷やかして、丁々発止の交渉をするのを楽しみにして来たのである。
 女の子のムームーを吊るしている店があった。白い生地に赤くハワイらしい椰子の木々が描かれている。値段票を見ると「65j」と打たれている。子どものものにしては、ずいぶんと高い。かなりの値切り幅が期待できる。「いかがですか」と流暢な日本語を話すおばさんに、「幾らになるの?」とストレートに聞くと「63jにしますゥ」と冗談のようなことを言う。「40jでどう?」ときくと「62ドルぅ」と話にならない。「じゃぁ、この青い絵のと2つ買うから、合計80jでどう」と言ったら、おばちゃん、どこかへ行ってしまった。街頭パフォーマンス
 結局、この夜は何も買わずに、ホテルへの帰途に就いた。帰り道、路上に人だかりがしていて、その中心に赤茶色の男のブロンズ像が立っている。章くんもしばらく見ていたが、ブロンズ像は微動だにしない。
 と、その前を不思議そうに男の像を見ながら、2人の若い女の子が通った。やにわにこの像が動いて、女の子にバキューンと拳銃を撃ちながら襲い掛かった。「キャーッ」と逃げる女の子…、半ば予想していた風だったが、それでも通りがかりに急に動かれるとパニクる。その様子を期待していた観客は笑い合い、何分間も動かずに獲物を待ち続けた男の健闘に対しても、前に置かれた帽子へ1〜5jほどを喜捨していた。



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