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社業である「理科・社会科ノート」の出版の歴史を振り返り、苦労したけれど楽しかった
編集作業、出版中止かという危機も1度や2度ではなかったし、教科書会社、図書教材協会
との葛藤などを、お世話になったいろいろな先生との思い出とともに綴っていきます。
1.「理科ノート」誕生!
きっかけ 編集委員会 初版完成
* 章くんの仕事 … 日本写真新聞社の写真ニュース
2.
はじめての出版に
噴出する諸問題
難しすぎた(?)初版の内容 採算・経費 全面改訂
−印刷屋さんの抵抗−
3.2年目の全面改訂
改訂版完成
− 1年目を上回る採用数 −
「理科ノート」にかける先生たちの熱い思い
4.
県外への販売
ノートのカラー印刷はするべきでない
岐阜へ そして大阪へ
5.
教科書会社との談判
オイルショック
6.全国図書教材教具協会からのクレーム
内容証明郵便、 定価販売は、教材業者の勝手な言い分
値引き販売は法律違反ではない
−値引き分をポケットに入れたときは問題−
引販売が法律違反という根拠は 再販価格維持契約
=出版社と業者間だけのもの
『三重県の出版社が違法な値引き販売』と機関紙に掲載して全国へ配布
− 謝罪と訂正記事を要求−
7.
小理振組織の整備
富山春樹先生 足達充彦先生、 編集委員長 沖中隆男先生
編集委員会の毅然たる格式
理科教科書の採択が、2社に分かれる。出版のピンチ!
8.「社会科ノート」誕生
「社会科ノート」の作成は、三社研の責務、
県外販売、
定価販売
9.「社会科ノート」の改訂
生活科の導入、 生活科ノート、3学期届かず、
三社研役員会への出席
、
社会科ノートの採用増加
10.小理振の変遷