1  第1日 12日
(日)
中国国際航空(China Air)
 午後9時35分(北京時間午後8時35分)、予定の時間から10分ほど遅れて、バンコク(曼谷)往きCA909便は飛び立った。窓の下には、漆黒の大地が広がっている。日本や欧米諸国の大都市の夜景に比べれば、淋しい限りの光である。日本の経済界はネコも杓子も中国詣で、中国に取り入っているが、もてはやされている中国経済の実体とは、この程度のものだ。
 2 第2日
その1 
13日
(月)
チャオプラヤ・エクスプレス 橋下の船着場
 切符の買い方も、どこから乗るのかも、ダイヤも、何も判らない。人々の様子を見ていると、切符を買うこともなく船を待っている。ここから王宮へ行くには上流へ向かえばいいのだから、左から来るボートに乗ればいいわけだ。章くんはみんなの後ろに、おどおどとついていく。切符も買ってない。最悪、無賃乗車で罰金を払う覚悟を決め、やって来た船に飛び乗った。
第2日
その2
13日
(月)
ワット・プラケオ & トクトク 一回乗ってみたかったトクトク
章くんの前に、一台の「トクトク」寄ってきた。一度乗ってみたかった乗り物だ。メーターをつけていないトクトクは、料金は運転手と客との交渉である。
第2日
その3
13日
(月)
タイ式マッサージ ピースするジーン
第3日 14日
(火)
ザ・ロイヤルGC
カラオケとお酒が大好きというジーンは、23才の明るい女の子。カメラを向けると ピースをした
第4日 15日
(水)
パンヤパークGC
バンヤパーク
 「タイの人たちが自立する条件は何ですか」。そう聞いた章くんの問いに、周さんは「教育でしょう」と答えた。教育制度が整っていないから、若者に向上心がなく、また、その力も蓄えられない…と話された。この人たちは、タイの将来についても、心を砕いておられるのだ。
第5日 16日
(木)
ロイヤル・ジェイムズSC 
パートナーはチャムローン君という地元の20代後半とおぼしき男の子。ロングホールは全て2打で届くロングヒッター、本格的にゴルフの練習をしているらしく、なかなかの腕前であった。
第6日 17日
(金)
レイクウッドGC 混んでいるホールでは、マッサージつき
章くんのパットのラインを一生懸命に読んで教えてくれるのだが、ほとんど合っていない。 「クワ〜(右へ曲がる)」とか言って、章くんがその通り打ち、ストレートに抜けていくと、「ゴメンナサイ」と謝る。前が詰まったり、ダボを叩くと、マッサージをしてくれる。
第7日 18日
(土)
パインハーストGC
前の組も5人組。キャディさんと合計10人だから、みんながグリーンに上がってくると、すごい人数でごちゃごちゃしている。
第8日  19日
(日)
ユニコGC(2ラウンド) ロイヤル・ジェムズのキャディさん
なんという悲劇。タイまで来て、おっさんのキャディとは…。…、「How many yard ?」と聞いても反応がない。章くん、数少ない、知っているタイ語のひとつを切って「タオライ(どれだけという意味のタイ語)?」と聞くと、「ナンタラカンタラ〜」と答えてくれるのだが、さっぱり解らない。おじさん、タイ語オンリーなのだ。
10 第9日 20日
(月)
国会議事堂
…、1932年から国会議事堂としてタイの国政とともに歩んできた「旧国会議事堂」がある。イタリア産大理石で外壁を飾ってあり、1915年の完成以来、迎賓館として使われても来た、堂々たる宮殿である。
11 第10日
その1
21日
(火)
ラーマT世像
頭上にそびえるラーマ1世像に向かい、章くんは問う、「王よ、あなたは、あなたの民を守ったか。あなたの民を幸せにしたか」と。大王の建国の偉業の範疇には、一人の民の幸せは小さすぎて零れ落ちるささやかさなのだろうか。
12 第10日
その2
21日
(火)
ゴールデン・ブッダ 黄金仏(ゴールデン・ブッダ)
スコータイ王朝時代、田舎の末寺に祭られていたこの仏は、ビルマ軍の侵攻が頻繁となるにしたがって、略奪を防ぐために全身を黒い漆喰で固めたという。混乱の中で、いつしか人々の記憶から忘れ去られて数百年を経た1953年、この寺に移転されるとき、あまりの重さに使ったクレーンの操作ミスで漆喰の一部が剥げ、黄金の姿が現れたのである。高さ3m、重さ5.5t、時価120億円とも言われている。
13 第11日 22日
(水)
プレジデントCC(2ラウンド) ERST 9番ホール
タイの日本人会の月例会が、このコースで開かれているとのことだから、日本人の客も多いのかと思ったけれど、この日はそれらしい人の姿は見られなかった。コースは空いていて、章くん、今日は一人で回る。
14 第12日 23日
(木)
バンコクGC
12番368Yパー4のティショットで、「OK」の声がかかって打った章くんのボールが、歩き出した前の組のご婦人方の足元を抜けて行き、グリーン手前50Yほどのところまで転がってしまったのだ。
15 第13日 24日
(金)
北京空港
 ここから、信じられない出来事が起こる。名古屋へ向かう乗り継ぎ便CA159は8時25分の出発。ところがトランジットの手続きができないのだ。一旦、中国へ出国して、改めて名古屋へ飛ぶ手続きをしてくれというのである。なぜなのか、全く解らない。バッケージレーンへ行って荷物を引き取り、出国して再度中国国際航空の窓口へ着いた頃には、乗り継ぎ便はすでに飛び去ったあとであった。



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1997(平成9)年1月20日(月)〜24日(金)
ハワイ・ゴルフ紀行
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2006
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