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第1日 2月12日(日) 中国国際航空(China Air)
みんなに2月10日からタイへ行くと言ったので、月初めから何度も友人たちに壮行会をしてもらったのに、航空券が取れず、結局、12日の出発になった。
だから10・11日は、誰にも会わないように家に隠れていて、12日の早朝、「
津なぎさまち港」から高速船に乗り込み、こっそりと
中部国際空港(セントレア)へ渡った。
出発の朝の伊勢湾はベタ凪。油を流したような海とはこのことか。→
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章くんくんが乗った、
「中国国際航空(CA)機」。 |
13時00分、章くんたちを乗せたCA909便が飛び立った。「チャイナエアラインにしては、正確なスタートじゃないか」と思ったのだが、正確なのはここまでで、あとは往復ともにシッチャカメッチャカ。「もう二度と中共の飛行機には乗らんぞ」と思わされる出来事が続いたのである。
中華人民共和国の飛行機に乗っていながら、章くん、反共台湾人の黄文雄の書いた「中国人の本性」「日韓が絶対に教えない歴史」という本
を読んでいたのが悪かったのだろうか。
飛び立ってから1時間半、雲の切れ目から陸地が見えた。その形から「遼東半島」かと思った途端、三国干渉が思い出され、またムッとした。三国干渉に中国の作意はないけれど、以後の出来事に対して「正しい歴史認識を…」と口では言いながら、歴史を政治の道具に使おうとする中共を、章くんはどうも好きになれない。
満州建国は清朝崩壊による満州国人の悲願の達成であり、中国各地で展開された戦闘はそこが戦争の現場であったことの結果である…といった議論は他日に譲るとして、出てきた機内食はとても美味しかった。
飛行機は降下を始めた。北京空港が近いのだろう。 眼下に赤茶けた華北平野が広がり、規則正しい長方形の畑地のところどころに、ポツンポツンと集落が見える。飛行機は高度を下げて着陸の態勢に入った。北京の市街はどこだ。はるかに続く畑の彼方に目を凝らしても、高い建物などはどこにも見えない。
午後4時(現地時間3時)、中部国際空港を飛び立ってから3時間で、
北京空港に到着、空港は2008年の北京五輪、2010年の上海万博を控えてか、至るところが工事中だ。それにしても砂埃の舞うだだっ広い敷地の中に横たわる、ガランとした空港である。ペンキのはげたピンクの塔の上で、むき出しのレーダーが回っていた
【拡大】。
中国大陸 |
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日本海を越えて
初めて見えた陸
地。遼東半島か
なぁ! |
タダッ広い華北平原は見事
に整地され、広い農地のと
ころどころに集落が見られ
た。これが「人民公社」か。 |
北京空港近郊。
大きな建物は
何もない。 |
レーダー塔↑
北京空港は砂ぼ
こりの中にたた
ずむ、広いだけ
の空港だ |
搭乗待ちの5時間を過ごした北京空港内も殺風景だ。飛行機が着くとバラバラッと人が降りてくるが、すぐにどこかに散っていって、ロビー、レストラン、免税店には人影が見られない。
ちょっと休憩しようと、章くん、喫茶コーナーへ入った。もとより人民元は持っていない。「ジャパニーズYEN OK?」と聞くと「OK」と言うので、章くん、コーヒーとマフィンを頼んだ。焦げ臭いコーヒー400円、かすかすのマフィン300円…は空港価格で高い。
北京空港の風景 |
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北京空港内の通路 |
人影まばらなカウンター |
手荷物検査機、薄暗い片隅に、
ポツンと1台置かれていた。 |
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国際線待合室内の喫茶コーナー |
コーヒー400円、
マフィン300円は高いぞ |
人影のない免税店。
品数も少ない。 |
午後7時30分(北京時間午後6時30分)、フライトまでにはまだ2時間ほどある。ちょっとお腹が空いた章くんは、何か食べようとレストランに入った。レジの横の壁一面に写真付きのメニューが貼り付けられていて、中国語とローマ字で料理の名前が書いてあり、値段が数字で表示されている。単位はもちろん人民元だ。章くんが頼んだ「BIBINBA TEISYOKU」は「65人民元」で、「ジャパニーズYEN」と言うと、レジの女の子が電算機に「1000」と打ち込んで示してきた。1000円というわけだ。
従業員たちは、レジでも、厨房でも、声高に喋り合っていて、カン高い話し声がレストランいっぱいに響いている。テレビが、フセイン裁判の映像を映し出していた。
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レストラン |
日本食も揃っている |
何でビビンバ定食を食べてんだ |
午後9時35分(北京時間午後8時35分)、予定の時間から10分ほど遅れて、バンコク(曼谷)往きCA909便は飛び立った。窓の下には、漆黒の大地が広がっている。
日本や欧米諸国の大都市の夜景に比べれば、淋しい限りの光である。ポツン…ポツン…と黄色い灯りが点在しているほどで、きらびやかな赤や青の光の広がりや帯はどこを探しても見られない。
北京空港から飛び立つ |
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外はすっかり暮れた。空
港内のライトは少なく暗
い。 |
20時、受付準備を始め
た、チャイナ・エアーの
搭乗ゲイトのカウンター |
地上へ向けてシャッターを
切った何枚かのうちの最も
光の多い1枚。北京近郊の
地上は、かくも暗い。 |
日本の経済界はネコも杓子も中国詣で、国家の根幹にかかわる歴史認識についても「とにかく謝ってしまえ」とか言って中国に取り入っているが、もてはやされている中国経済の実体とは、この程度のものだ。
中国にある経済的魅力とは、タダのような広い土地とタダのような人件費、そして汲み尽くせぬ人間の多さであろう。しかし、法的整備も未発達で、一党独裁の共産党と結ばねば何も進まないこの国の不透明さは、正常な商取引の相手としては不的確すぎる。
足元の大地の暗さは、章くんに、中国との付き合いはほどほどの相手として見極めることが大切ではないかと、問いかけているようであった。
機内食を食べてウトウトしていると、ドーンと着陸の衝撃があって、飛行機が停止した。
時計を見ると午前1時30分(北京時間午前0時30分)、北京空港を飛び立ってから4時間、バンコクにしては早すぎる。
と、ハッチが開いて、白衣を着た医師が4人、手に手に医療器具を持って足早に乗り込んできた。手には太い注射器をむき出しにして持ち、ジュラルミンケースやダンボールに入った薬を抱えている。続いて、黒い制服に金モールの肩章をつけた男女が4名…公安警察員だろ
うか…が、大きな声で怒鳴り合うように話しながら続いていく。
後ろのほうの座席で、病人が出たようだ。機内を医師と黒服の男女が、携帯電話で何かを話しながら、あわただしく往き来し始めた。ビニルの手袋をしたアテンダントが、血や薬品の滲みたガーゼをナイロン袋に入れて運んでいく。
やがて、7〜8名の緑の軍服に赤と金色の階級章をつけた男女が現れ、出入り口や通路の要所に立った。ものの本の写真で見たことがある、人民解放軍の兵士だ。
悪性の伝染病患者が出て、機内の全員はこのままどこかへ隔離されるのか。それとも焼却処理されて「中国航空機、行方不明」と新聞に載るのか。
章くん、機内の風景を数枚の写真に収め、人民解放軍の一人にレンズを向けると、「ノー」と厳しい顔で制止された。
隣の席のおじさんは中国人らしい。座席の前の袋に備え付けの本を取り出し、その中の地図を広げて、『ここはどこだ』と尋ねたら、おじさん「
南宇(ナンジン)」と指で指し示してくれた。
南宇は中国最南部の都市、まだ中国の国内だ。窓の外には、ガラクタが積み上げられた、殺風景な田舎空港の風景が、黄色い電球の光に浮かんでいる。隣のおじさんの落ち着き様から推察すると、焼却処理だけは免れたみたいだ。
午前3時(北京時間2時)、離陸。
午前4時(北京時間3時)、ハノイ上空を通過と機内のスクリーンに表示。
予定から3時間遅れて、機は午前5時20分(タイ時間3時20分、
ここから以下はタイ時間)、
バンコク国際(ドン・ムアン)空港に着いた。北京空港から8時間、中部国際空港を飛び立ってから16時間余が経っている。外気温25.4度。入国審査を終えて、荷物を受け取り、タクシーカウンターへ並ぶ。
出発4日前にやっと取れたホテルの名前は「
エレガンス・スゥイーツ」。「シャングリラ」とか「マリオット」ならば名前を言っただけで分るのだが、運ちゃんに地図を見せて、「ユーノゥ?」と聞くと、しばらく考え込んで「ウ〜」と言葉にならない返事を返してきた。
空港から30分。ごみごみとした小さな路地を何度も曲がっていく。両側にはバラック小屋が並び、歩道には家財道具や屋台の形骸が積み上げられ放置されている。間もなく朝食を並べて開店するのだろうが、それにしても国際的野良猫の章くんでさえも心配になるほどの、何とも薄汚い一角である。
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ガイドブックには、必ずメーター
をつけたタクシーを 利用すること。
メーターなしの談合タクシーは、ぼ
られる…と書いてある。 |
突き当りの右手に、これから11泊を過ごす「エレガンス・スゥイーツ」があった。空港からのタクシーメーターは227Bt(バーツ、1Bt=約3円)を指している。チップ込みで300Btも渡せばいいかと思ったのだが、運ちゃん、「トールロード…350」と言っている。そうか、高速道路代を立て替えていてくれたからなと思い直して350Btと、さらにチップを50Bt、計400Btを渡しておいた。
後日に聞いたところでは、空港のタクシーカウンターで申し込むと、その時点で50Btが加算されるらしい。その50Bt+メーター227Bt+高速道路60Bt(ぐらい)=337Btで、運ちゃんの言う「350Bt」は良心的な相場。チップをはずんで400Btを渡したのは、妥当といったところか。
時刻は午前5時前、それでも章くんクラスが利用する1泊4800円の一流ホテル(?)はフロントマンが出迎えてくれる。半分以上は何を言っているのか解らない英語でやり取りしながら、鍵を受け取って最上階のスイートルームへ。(このホテルの名前は「エレガンス・スイーツ」。全室がスイートルームなのだ。)
黒人のベルボーイが、キャディバッグを担いで案内してくれた。チップを100Bt渡したら、翌日からゴルフから帰った章くんを見つけると、キャディバッグをタクシーから奪い取って運んでくれた。彼はこれから、毎日100Btの固定収入を確保したわけである。
荷物を解(ほど)いて、部屋に備え付けのコーヒーを入れて飲んだころには、午前6時になろうとしていた。もう30分もすれば夜が明ける。今日のゴルフは、中止にしよう。
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