12月27日(火) 「渋滞はしても、事故が少なくなるから」 役人根性
近頃、交差点で信号が変わるとき、車両を全てストップさせて、通行者だけを渡らせる時間帯を設けているところが多いらしい。いわゆるスクランブル交差点だが、
現在は日本全国で300箇所以上あるらしい。
スクランブル交差点は、交通事故の防止…特に歩行者の事故が少なくなる利点があるようだが、通常の交差点よりも交通容量が小さいために渋滞を招くことも多い。地方都市ではモータリゼーションの進展や都市の衰退による歩行者の減少と自動車の増加により、交通渋滞の原因とされ、通常の信号機に戻すケースもしばしば見られている。
先日、交差点のスクランブル化について、愛知県警の幹部がテレビで答えているのを見て、ちょっと変だぞと思った。「交通事故の防止に役立ちますが、渋滞を引き起こすという指摘もありますね」と言うインタビュアーに対して、その幹部は「事故は確実に減少しますので、これからも進めていきたいと思っています」と答えていたのだ。
事故の防止を願う気持ちはわからないこともないが、警察行政を担当する幹部職員が、事故防止という自分たちの目的を最優先させた、内向きの発想しかできないのは残念と言うしかない。ここでは、事故防止とともに、車の流れが円滑化することによって得られる社会的な利益も考えなくてはいけないし、渋滞による国民(県民)の時間を制限・菊脱することは基本的に避けねばならないという視点が欠落している。
自分たちのご都合主義で、公共や国民のことは後回しにするというのは、お上(公務員)の発想のもっとも傲慢なところで、社会の発展や経済の伸張を大きく阻害してきた点であることを、当事者は紳士に反省しなければならないのではないか。
愛知県警幹部の発想は、県警内部に向いた思考であって、広く公のための視野がない。警察行政はこんな発想だから、シートベルト着用を義務として法制化したりするのだ。自動車メーカーと図って、シートベルトを装着する方法を簡素化し、啓蒙することは結構だが、装着していなくとも誰に迷惑をかけるものでもないシートベルトを義務化し、自発的装着物件に過ぎないものを罰則まで設けるというのは、立法の趣旨を間違っている。
だから、「渋滞はしても、事故が少なくなるから」という発想・発言になるのだろう。
…と、シートベルトをせずに走ってばかりいて、年に1回は検挙されている章くんは言っています。
12月22日(水) 尖閣映像流出の職員を処分 −本人は辞職−
尖閣諸島沖の中国漁船衝突を巡る映像を流出させた神戸海上保安部所属の巡視艇「うらなみ」元主任航海士の海上保安官(43)を、警視庁は国家公務員法(守秘義務)違反容疑で東京地検に書類送検、海上保安庁もこの海上保安官を1年間の停職処分にすると発表した。海上保安官は、今日付けで辞職した。
『法治国家だから仕方がない』と、彼の辞職を放置していていいのだろうか。国民は、彼を守るべき何かの意思表示を、行動を、起こさなければいけないのではないか。
中国漁船の犯罪を写している衝突映像が、国民が納得する説明もなく一部の関係者にしか公開されずにいた状況を、「真実はこれだ」とネット上に流出させた彼の行為は、ある解釈によると国家公務員の守秘義務違反にあたるのかもしれない。「愛国無罪」とひとくくりに言うつもりもないが、あるワイドショーのコメンテーターのように「法律があるのですから、それに触れる行為は処罰しないと、中国と同じレベルになる」というのも、通り一遍の薄っぺらな言い方だ。
犯罪行為を犯した中国人船長を、法の番人たる地検が「超法規的手段」で釈放したことを見ても、法律の適用は弾力的でありうるし、またそうであることが望ましい。『天網恢々、疎にして洩らさず』の通り、許せぬ犯罪行為とお目こぼしの違反がある。
そして、今回の流出行為は、国民の8割が望んでいたことであり、それを実現させた保安官を結果として辞職に追い込んでしまったこの国の体制と、守りきれなかった市民パワーの脆弱さに、暗澹たる思いを抱くのである。高まる市民の声があれば、処分は免れないとしても、「今回はお叱りおく(訓告)」ということでみんなが笑顔で納得しての結論が得られたのではないか。
坂本竜馬にうつつを抜かしながら、海上保安官の辞職を可哀想で済ませるこの国は、ホントに再生するのだろうか?
12月21日(火) 真夜中のテレビ ー 眠いのに… ー
午前2時、ふとつけたテレビに、漫才師の片方のジュニアなんとかくんと、お笑い芸人(多分)の丸顔くんとの、トーク番組が流れている。
コーヒーを飲みながら、見るともなく見ていた。何と面白くもないことを、よくまぁあれほど次々としゃべることができるものだ。
しかも、自分たちで笑い合っている。「おばぁさんが交差点を渡っていて、途中で赤になってしもたんや」、ワハハハハーッ…とやっているわけだ。会場には、何を言っても笑う若い女の子を集めて、付き合い笑いで盛り上がっているのだから、彼らのトークの腕が上がるわけもない。
眠いのに、何をくだらんことを喋べくっとるんじゃい。ヤスキヨの全盛期を知る僕としては、素人の兄ちゃんの立ち話みたいなトークを聞かされてもシラケルだけ、こいつらプロか…と。こんな番組を流しているテレビ局にも、腹が立ってきた(怒!)。
12月20日(月) クリスマスイルミネーション「家族亭」

なんか食べようと思って車を走らせていたら、松阪に来てしまいました。最近は、松阪で遊ぶことが多いので、習性ですね。
「じゃぁ、焼肉にするか」と「家族亭」に向かいました。実はこの店、この
HPに紹介していますが、クリスマスも近い今日は見事なイルミネーションが出迎えてくれました。
光のドームをくぐっていきます →
いつもの「極上ネギ塩タン」に、今日は「厚切り上塩タン(裏メニュー)」を頼んで食べ比べてみました。う〜ん、章くんには、厚切り上塩タンのコリッとした歯ごたえよりも、いつもの極上ネギ塩タンのずしっとした食感のほうが合っているみたいです。
← 極上カルビ(実は裏メニューで普通メニューと同じ値段)
そのほか、ケジャン(渡り蟹の醤油漬け)や極上ハラミなどを食べ、最後に
ユッケ入り石焼ビビンバ(→)でおしまい。
いつ行っても、当たり外れのない、しっかりした味のお店です。帰り道も、もちろん光のドームをくぐって帰ってきました。
12月18日(土) 職務怠慢だろう
縁組を繰り返して姓を変え、別人を装うなどして、不正融資、詐欺、パスポートの不正取得などにかかわる事例が多発している。これに関して、市区町村は書類に不備などがない限り受理せざるを得ないうえ、申請内容を確認する時間も人手も足りないため、そのまま受理せざるを得ないという。
明らかにおかしいものに対応できないほど、市町村役場って忙しいのか? お昼どき、昔のように窓口にお客さんがあっても「休憩時間中」の表示を立てて、向こうでお茶を飲んでいるということはなくなったけれど、交代で休憩もきちんと取っているようだし、徹夜で業務をこなしているということも聞いたことがない。わが社のような暇な会社でも、業務の集中時には、社員は年に4〜5回、会社に泊まりこんでいる。
縁組を繰り返して姓を変え、別人を装うなどの不自然な戸籍登録は、窓口でチェックするのが当たり前じゃないか。
業務怠慢だろう!
12月17日(金) 橋がついたよ
−県道42号をまたぐ、中勢バイパスの跨橋が架けられました−
昨日の深夜、伊勢自動車道から降りてきたら、市内へ向かう県道42号が通行止めだった。交差する中勢バイパスが、現在は平面交差であるのを立体交差にするために、橋を架けているのだ。

工事が行われることは知っていたので迂回路に回って帰ってきたのだが、今日、午後4時ごろに通ったら、見事に橋が架かっていた。科学技術はすごいね!
中央の黒いのが、昨夜に架けられた橋梁 →
実に大きなものです。
左側の10mほどがまだつながっていないけれど、中勢バイパスが県道をまたいで走る日は近い。松阪から鈴鹿までの全面開通は…?
12月15日(水) 真実を見抜く力を −もう騙されまへんで、中国の微笑外交には−
「日中関係は改善の方向…公明代表と会談の中国副主席」と読売新聞が報じている。民主党の岡田幹事長は中国要人との面会が調整されずに訪中を断念した経緯があるが、公明党の山口代表にはすんなりと面談をセットした対応も興味深いが、ここでは、尖閣問題で恫喝され、レアアース禁輸で締め上げられ、フジタ社員4人の逮捕拘束で震え上がった日本は、中国高官(習近平国家副主席)の優しいお言葉を得て、ほっと安堵の胸を撫で下ろしている…という、この新聞の論調からは、そんな政治やマスコミの姿が浮かび上がることに興味を覚えた。
だが、これまで何度となく中国に煮え湯を飲まされてきた日本よ…、政治家もマスコミも国民も、もう気づいてもいいだろう。「中国のウソに、もうこれ以上騙されないぞ」と!
東シナ海に引く日中中間線について双方の主張の折り合いがつかなかったとき、当時の中国の最高指導者「ケ小平」は、「難しい問題は、将来の知恵にゆだねましょう」と笑顔で提案し、当時の中国にとって喉から手が出るほど欲しかった、日本からの莫大なODA(
政府開発援助)と企業の投資・技術を持ち帰っていった。その後の東シナ海は、中国が地下資源を掘削し、中国漁船が日本の排他的水域に入り込んで操業する海になっている。日本はそれでも、首相が「東シナ海を友愛の海に…」などと言っている暢気(のんき)さである。
直近では、毒入り餃子事件があった。中国国営(河北省が管理)の天洋食品から輸入した餃子に、基準の100〜400倍という高濃度の殺虫剤メタミドポスが検出された事件だ。天養食品の社長は「製造工程で問題はなく、私たちこそ被害者だ」と涙を流して訴え、河北省検疫局長も、公安(中国の警察)の副局長も、「中国国内で混入されたとは考えられない。日本側は中国と協力して、客観的にこの問題を調べてほしい」とテレビカメラの前で言い放つ始末だ。事件は後に天養食品の社員が逮捕されて犯行を認めたが、その結果は中国国内に知らされてはいない。
中国は、詭弁をろうし、時に意図的にウソを言っても、自らの責任は絶対に認めない。事実を歪曲して発表し、それを押し通して既成事実化を図ろうとする。チベットやウイグルの侵略・占拠も無理の上に無理を通していて、そのやり方は中国共産党政権の基本方針であり、さらに言えば中国の歴史を貫く太い柱である。
今やでっち上げであることが明白な南京虐殺30万人説を国際社会にばら撒き、アメリカ議会ではマイク・ホンダ議員を使って、「日本非難決議」をさせている。独裁、民族抗争、貧困、無知に揺れ動くアフリカの国々に手を突っ込み、独裁者に武器を供与して住民の虐殺に手を貸してまでアフリカの資源を獲得し、さらにはアフリカの票を取りまとめて日本の安保理常任理事国入りを強硬に反対したのも、中国である。
平和ボケしている日本は、この危険極まりない隣国への警戒を、あまりにもうかつに構えすぎている。尖閣で衝突したときには中国を許すな…と叫んでも、尖閣近海に哨戒船を派遣しながら『日中関係は好転している』と中国に言葉(虚言である)を掛けられると、それで政治家は肩の荷を下ろした気分になり、マスコミは無責任に仲の良いことはいいことだと書き、国民の関心も1ヶ月もすれば「エコポイントが終わる」「海老蔵の鼻がつぶれた」へと移る。
今、日本にとって何が大切で、どう対処していかなくてはならないのか。少なくとも、13億人の国民に真実を知らさないことが、統治手段の第一である国を、信用してはならない、心を許してはならないことだけは、知っておかなければなるまい。
12月14日(火) 山のあなたの空遠く
仕事で名張へ行った。この地は、昭和40年ごろに母の仕事の関係で半年ほど住んだことがある。当時、僕は高校1年生だったから、名張駅から午前7時過ぎの電車に乗って、津の高校まで通っていた。僕自身は通学が大変だという思いもなかったけれど、勉学に支障があるという母の判断で、高2になる前にまた津へ戻った。
仕事を終えた午後4時、当時住んでいたところを訪ねてみた。車で表通りを通った程度だから、昔の家がどうなっているのかなどはわからなかったが、大阪への通勤圏として開発が進んできた名張は大きく変貌していて、40年前の面影はない。

住んでいた近くを名張川が流れていた。橋がかけられていて、木造の欄干に腰掛けて辺りを眺めたりしていた。その橋はコンクリートの立派なものに作り替えられていたけれど、もとあった位置に今も架けられていた。
今日、通ったら、欄干の改修工事中だった。→
そのころのある日、橋の上から川の向こうの山を眺め、ふと「あの山の向こうには、何があるのだろう」と思った。当時は、行動範囲は自転車で走ることができるところに限られていたから、遠くに見える山には「じゃぁ、今から行ってみよう」というわけにはいかない。
その後は、「あの山の向こうには桃源郷が開けているのではないか」、「頂からは眺望が開け、向こう側には大平原が広がっているのではないか」など、興味は募るばかり…。
夏休みが始まった日、僕は自転車を駆って、あの山の尾根を越える冒険に出発した。当時は、山仕事の車が一台やっと通れるほどの細い道がつづら折に続いていた。舗装などない登り道で、自転車を押しての登山行であった。
やがて登りが終わった。尾根を越えたのだ。木々の茂みが途切れたところから、向こう側の眺望が開ける。桃源郷か、大平原か…と胸弾ませて登ってきた僕の目に飛び込んできたのは、山あいに開けた狭い田畑の中に、わずかな人家が散在し、その向こうにはまた、山また山が続いている風景だった。
「さらに、あの山の向こうには…」とは、もう思わなかったようである。僕はそこで自転車をもと来た道に向け、下り道を一気に駆け下りた。
この日、僕は、山の向こうには、特別なものは何もないことを知った。山の向こうにも、そこここで見かけるものと同じ、人々の暮らしがあるだけなのだ。
『
山のあなたの空遠く 「幸(住むと人のいふ。 噫、われひとと尋めゆきて、 涙さしぐみ、かへりきぬ。 山のあなたになほ遠く 「幸(」住むと人のいふ 』。
(カール・ブッセ。明治38年、上田敏の翻訳詩集『海潮音』所収)
「山のあなた」の描く世界を…、身をもって知った、章くん、高1の夏休みであった。
今、その山は開かれて、大団地が広がっている。章くんが息を切らして登った山道は、拡幅されて、バスが通る2車線道路だ。
「幸」は、ほら、身の回り…、日々の暮らしの中にあるじゃないか… とは、人間の知恵が導き出した、あまりに通俗的過ぎる結論だと、高1のときに「山のあなた」を見た章くんは思うのだが…。
12月10日(金) 意外にきれいな安濃川
「毎朝の犬の散歩で、ゴルフしても一向に疲れない」という一言で、章くん、歩かなくっちゃと一念発起して歩くことを心がけている。

今日も、電車で名古屋へ出かけるのに、津駅まで歩いていった。我が家から30分…、まだまだ一日の徒歩量としては十分とは言えない。帰り…は、タクシーで帰ってしまった。
さて、往路、バイパスを北へ歩いて「安濃津橋」からあの鵜川の流れを見ると、たくさんの渡り鳥が川面に下りて羽を休めていました。
川の中に、白く鳥たちがいるのが、わかりますか。→
しばらく見ていて、その水がとてもきれいであることに気づきました。川底が、くっきりと見えるのです。
← 川底の砂までが見透かせます。安濃川の流れって、
意外にきれいなのですね。
風紋が広がる川面が、陽光を受けてキラキラと光ります。自然の、なんと美しいことでしょうか。
12月9日(水) ベランダから富士山が…?
あっちゃんからの電話が鳴って、「ベランダから富士山が見えるの」と言っている。津市の北部に位置して、11階にある彼女の部屋からは、伊勢湾の海面や四日市コンビナートの煙突などが見える。
それにしても富士山とは…。いや、章くん、小学生のときに津海岸から富士山を見たことがある。あれからン十年を経ていて、大気の透明度もかなり落ちていると思われるが、CО2規制にも熱心な日本だから、ひょっとしたら空気もきれいになっているかもし

れない…と、あっちゃんちへ駆けつけた。0020-
「ほら…」と指差す方向を見ると、はるかかなたに確かに雪をいただいた山が見える。裾野の広がりも雄大で、そんじょそこらの山ではない。
ジーッと目を凝らして見てください。
画面の真ん中に、雪を抱いた山が見えてくるでしょう→
しかし、しかしである。方向が違う。あっちゃんのマンションから、ゴルフ練習場の網の左手に見えるということは、北北東の方向である。あっちゃんのコンピュータでグーグルの地図を呼び出し、富士山の方向へ線を引いてみると東北東である。
「こりゃぁ、あっちゃん、違うよ」と言うと、「あっらぁ〜、そうなの」と言いつつ、電話をかけている。「あっ、おじさん。さっきのお山ねぇ、富士山じゃないみたい」と言っている。さすがは、あっちゃん、マンションの管理人のおじさんに、「富士山が見える」と教えてあげたらしい。
おじさん、「そうですか。まぁ、方角から言って、中部山岳のどこかの山だと思っていたんですか…」と答えている。判っていたのに、違うとは言わなかったんだ。
それなのに、章くん、「方角が違うよ。富士山じゃないよ」なんて、即座に言っていいのか? あっちゃんをがっかりさせたら、洋が怒って出てくるぞ!
が…、あの山は「御嶽山」だと思う。家に帰って、こっそり方角の延長ライン上にある山を探してみた。御嶽山は富士山と同じ独立峰だし、開田高原などの広い裾野を持っている。
12月1日(火) 好漢 伊藤 洋を偲ぶ会
わが同期生に伊藤 洋なる男がいる。… いや、いた。昨年6月に胃ガンのため死去した。早すぎる逝去であった。
洋は、東大を卒業後、研究室から31歳のときアメリカに渡り、IBМで研究を続けることになった。同級生のあっちゃん(淳子さん)と結婚して3年、2人しての渡米であり、科学者としての環境も整い、前途を嘱望されての日々であった。
そんな、洋・あっちゃん夫妻を不幸が襲う。道端の自販機で飲み物を買うため停めた車が、助手席にあっちゃんを乗せたまま、坂道を走り出したのである。必死に追う洋…。しかし、追いつくべくもなく、横転した車から助け出されたあっちゃんは、一命こそ取り留めたものの、首から下の神経の機能を失っていた。
それから、2人の、美しくも壮絶な人生が始まる。洋は、肢体が不自由なあっちゃんの世話を一身に引き受けながら研究に邁進し、「日本高分子学会賞」をはじめ、日米20に余るアワードを受け、世界の化学学会に伊藤ありの実績を積み上げていった。あっちゃんは、不自由さをものともせずに、電動車いすに乗って巧みに移動し、特殊なマウスを操作してコンピュータを使い、口に絵筆をくわえて水彩画を描いてみせた。くじけない2人の姿は、同級生のみんなにとっても、求心力のある存在であり、誇りであった。
昨年の初め、同級生のヤスエから電話…「洋君がガンなの」。医療先進国のアメリカなのに、洋の病状は進む一方で、僕は「今どきのガンは、しっかり治療すれば大丈夫」なんて言っていたのだが、6月、「洋君がなくなった」との知らせを受け取ることになる。
ノーベル賞も順番待ちとまで言われた男にとって、あまりに早い死は、遣り残したことが多すぎるだろうと思う。何にも増して、あっちゃんを残して死ぬなん

て…、それ以上の無念はなかっただろう。
11月28日(日)、そんな伊藤 洋を偲ぶ会が催された。同級生の有志はもちろん、洋の研究仲間、恩師、後輩たち…、その幅広い活躍と、誰からも信頼され慕われる人柄を物語る参会者であった。
交遊録にはノーベル賞受賞者の根岸栄一氏の名前も見られたし、参会者の中には将来のノーベル賞候補者が何人も見られた。みんな、カリフォルニアの洋・あっちゃん夫妻の家でご厄介になった面々である。
洋の唯一の欠点は、そのあまりに早い逝去だ。どうしても許されない大罪は、あっちゃんを残しての早逝である。
それでも、みんなの胸に残る人生を駆け抜けていったのだから、やっぱり「立派だった…」と言わねばなるまい。
独りになったあっちゃんは、7月、日本に帰国して、今はマンションでの一人暮らしを始めた。先日は車椅子のまま乗り込める車を買って、お出かけもしたいと元気である。あっちゃんを応援をして、洋に「俺も、もうちょっとみんなと楽しくやりたかったな」と、あまりに早かった死去を後悔させてやらなくっちゃ…!
このベージのトップへ 飯田 章のHPへ