1月24日(月) 日本経済のお勉強 その@
− 日本経済、中国に抜かれて世界第3位に転落 −
かつて世界第2位を誇った日本経済は、中国に抜かれて、第3位に転落しました。日本経済の何が中国にしてやられたのか…。GDP(国内総生産)の数字においてです。
そこで、GDPって何だ…というのが今日のテーマです。GDPとは、国の経済規模を測る数字です。かつて世界の18%を誇った日本のGDPは、今やや8%に落ち込み、この数字を見ただけでも、日本経済に昔日の元気はないですね。
この問題では、では日本経済を再生するためにはどうすればよいのかというところまで論じてこそ目的を達成するというものでしょう。追々、その点を考えていくつもりですが、まず今日は、GDPって何だ…という基礎の基礎を定義しておきたいと思います。
GDPとは、「Gross Domestic Product」の略で、直訳すれば「全・国内・生産」となり、通常「国内総生産」という言葉で流通している。各国の国内で1年間に新しく生産された物品やサービスの合計金額です。
例えば。ある会社が1本100円で売る予定の鉛筆を、40円で原材料を買ってきて製品に仕上げ、100円で売ると、この会社が計上した国内総生産に対する金額(これを経済用語で「付加価値」と言いますが、早い話が稼いだお金=荒利益です)は60円です。原材料を全て日本国内で生産されたものを使えば、原材料会社が40円、鉛筆会社が60円の粗利益を稼ぎ出したことになり、日本国内での付加価値は100円を計上することができます。日本中で生産された付加価値を合計すると、それが日本のGDPになり、2010年は539兆円でした。
農林水産業、建設・不動産、電気・ガス・水道、金融、卸・小売業、公務員を含むサービス業など、あらゆる産業が含まれますが、資源に乏しく、加工型産業が圧倒的に多いわが国では、GDPの大部分は企業の生産活動が生み出しています。ですから、元気で豊かな日本にするためには、産業・企業の生産高(付加価値)を大きく向上させていくしか方法はないということが、当たり前の話ですがまず言えるると思います。
以前は、国の経済規模を表すには、GNPという言葉がよく使われていました。GDPとどう違うのか、なぜ使われなくなったのでしょうか。
【今日はここまで。つづきは また近日…】
1月30日(日) 日本経済のお勉強 そのA
− ユニクロは、日本の経済にどんな役割を果たしているか −
GNPは、Gross NNational Productの略で、「国民総生産」と訳します。その国の国民が、国内国外を問わず、世界のどこかで生産した付加価値を合計したものです。それに対して、GDPは、その国の中で、生産者がどこの国の人であっても、とにかく生産した付加価値を合計したものです。
先にあげた鉛筆会社の例で見てみましょう。100円で鉛筆を売る会社が、日本国内で原材料を調達して40円で仕入れ、60円の粗利益を上乗せして100円で売ったとすれば、GDPもGNPも100円です。
しかし、外国にある外国の会社から原材料を40円で仕入れたとしたら、日本のGDPもGNPも60円です。さらに、原材料も加工も外国企業が行った製品を80円で仕入れれば、日本のGDPもGNPも20円にしかなりません。
ここで考えたいことは、日本の会社が外国に工場を建て、現地で原材料を生産し、現地の人を雇って加工した製品を、日本に80円で仕入れ100円で売ったとしたら、日本のGDPは20円で、GNPは100円となります。
GNPが増えた場合、その会社の利益は増大しますが、日本国内の雇用や景気にはつながらず、日本の付加価値は上がりません。すなわち、日本が元気になり、国民が豊かになるには、日本国内での生産高…GDPを増やすことが大切なのです。
お金やモノが、たいして海を越えて移動しなかった時代には、GDPとGNPはそれほど変わりませんでした。でも、世界はグローバル化の時代を迎えて、各国の企業が海外に工場や営業所を多数構えるようになると、GDPとGNPは大きく異なるようになります。その国の経済力を測るには、その国の国内で生産した価値を測るのが適切だろう(実際に景気の良し悪しも国内生産額のほうが実感に一致します)ということで、先進国の多くがGDPを採用するようになり、日本も1981年から両方を、83年からはGDPだけを発表しています。
昨今は、人件費の安い中国や東南アジアに工場をつくり、そこで作ったものを日本に持ち込んで大量に売りさばくという企業が増えました。それが悪いことだとは言いませんが、やはり日本経済の底上げを図り、景気を扶養させるためには、むしろ外国企業の日本進出を積極的に進め、日本国内でモノやサービスを生み出すことが大切なのです。世界基準として、国の経済規模を表す数字がGNPからGDPに切り替えられたということからも、経済・生産の体制はどうあるべきかが見えてくるのではないでしょうか。
GNPでなく、GDPを増やさなくてはなりません。例えば、ユニクロを展開するファーストリテイリングは、2010年8月に発表した第1四半期業績によると、売上高2634億6400万円(前年同期比39.8%増)、営業利益610億6000万円(49.1%増)、経常利益586億4900万円(58.2%増)、当期利益348億5300万円(57.2%増)【流通ニュース】とありますが、生産のほとんどを中国で行っているユニクロの売上高がいかに向上しようと、どうでもいいことなのです。ユニクロが儲けるのは結構なことだと思いますが、それはユニクロの経営者と社員にとっての喜びであって、GDPの増大にはさほどかかわりのない…、すなわち日本経済の浮揚にはたいした役割を果たさない大増益だからです。
それでは、GDPを増大させる…、 国内での生産を増やすためにはどうすればよいのでしょうか。 …
【今日はここまで。つづきは また近日に…】
1月21日(金) 坂本竜馬の経済力
− それがなけりゃ、西郷も大久保も相手にしませんよ −
森田芳監督、堺雅人・仲間由紀恵らが出演して映画化された「武士の家計簿」の原作者、磯田道史氏(歴史学者、茨城大学人文学部准教授)が、坂本竜馬についてこう述べている。
『 竜馬がピストルを持っていたという話は有名ですが、普通のライフルの小銃が1丁30両、今で言うと900万円ぐらいで、拳銃のほうが高いですから1丁で数千万円の価値があった。それを2・3丁は持っていた。
竜馬の実家の才谷家は土佐の豪農で、藩から貰う収入のほか、10ヘクタール以上ある所有地からの小作料や、金融資産の利息などを合わせると、年間4000万円以上あって、藩の家老の子弟と同じような屋敷と料理で育っている。子どものころから、大きいことに慣れていた。
竜馬の活動資金は海援隊の稼ぎから出ていて、海援隊は、1回の取引で1〜2千丁の銃を運んでいる。それを何十回と繰り返しているから、その経済活動の規模は数十万石の大名に匹敵していた。竜馬の発言力は、それで担保されていたんです。ただの素浪人だったら、西郷も大久保も相手にしませんよ。』
明治維新も結局は金だったか! ただ、間違っちゃいけないのは、金がなくては世の中は動かないということなんだけれど、金があっても、それを使う人間がパープーでは、すぐにボロが出てしまい、やっぱり世の中は動かないということである。
金はあるけれど器が伴わないから恥をかいているものは多い。でも、器に比して金がないものは、もっともっともっともっと…多い。
1月16日(日) 糖衣をまとった毒薬
第二次菅内閣がスタートした。国家観もない内閣に何の期待をすることもないが、スタート直後のしばらくは静観するのがエチケットというものだろうカラ、その出航を見つめていることにしよう。
それにしても、ここまでの民主党政権の歩みはボロボロであった。「生活が第一」と掲げた政策の、子ども手当て・農家の個別保障…などバラマキは全て財源不足で実現できず、安全保障では自由主義諸国の信頼を揺るがせ、尖閣問題では国辱的責任逃れの外交に終始してしまった。
政権交代とはこういうことだったかと、今更ながら歴史の教訓を思い起こしている。権力を簒奪するものは、いつも耳に快い大衆迎合の言葉をささやきながら政権をわが手に収め、権力の座に据わると私利私欲を貪(むさぼ)るのが常だからだ。
今、読んでいる本の一節に、ロシア革命で成立したソビエト共産党政権の政策は『糖衣をまとった毒薬』だと書いている。
マルクス主義では、「資本主義の発展により矛盾が増大すると、社会革命(社会主義革命、共産主義革命)が発生し、プロレタリア独裁の段階を経由して、市場・貨幣・賃金労働などが廃絶された新しい無階級社会である共産主義社会が生まれ、階級抑圧の機構としての国家・軍隊・戦争なども消滅する」としているが、その理念はそれとして、その政権は外交・謀略・暴力などあらゆる手段を講じ、また手段を選ばず、他国政府を覆滅させることによって共産主義を拡大させることを第一義の使命としている点において、当時の日本をはじめ諸国が危険視したのである。
1919年3月にモスクワにおいて開催された共産党大会において、レーニンとポルシェビキは共産主義インターナショナル(通称コミンテルン)という世界革命組織をつくりあげた。各国共産党は、第1条に暴力革命とプロレタリアート独裁を掲げる、21か条の綱領を受け入れることが第一義の絶対条件だと規定されたのである。
こののち、コミンテルンは世界各地で活動を活発化していくが、ヨーロッパや日本では活動を抑えられた彼らは、その矛先を列強に分割統治され、混乱を極めていた清朝末期の支那に定め、いわゆる「カラハン宣言」という甘言を提示したのである。その内容は、「ソビエト政府は中国政府が諸外国と結んだ一切の条約を破棄する目的をもって、中国と協議に入る。…略…、中国の領土にして簒奪したものおよび居留地の全てを中国に返還し、…略…、中ソ両国は満州や東支鉄道の運営に際して特別条約を結ぶ」と謳っている。アヘン戦争以来80年の外国支配を受けてきた支那の政府や民衆にとっては、この宣言は甘美な福音のごとく聞こえたことだろう。
けれども、アイグン条約、北京条約で帝政ロシアが奪った広大な中国領土を、ソ連(ロシア)は今日に至るまで1平方センチメートルも返してはいない。満州にいたってはこれを実質的に占領して支配し、東支鉄道の権益を奪い、さらに旅順の租借も要求している。まさに、カラハン宣言は、『糖衣をまとった毒薬』だったのである。
そして、ソビエト共産党政権は、当時の中国を代表する孫文の国民党政府の政治顧問にボロヂンを送り込み、葉剣英・周恩来ら共産党分子を軍の要職に就けることに成功した。やがて孫文の死去により、国民党の北京政府は共産等の支配に委ねられることになり、コミンテルンの指示のもとほどなく支那には武漢共産党政権が誕生して、蒋介石政府と対立抗争を繰り返しつつ、日本との泥沼の戦争へと突入していくことになる。
現今の中国共産党による、一党独裁・国民の搾取・少数民族への弾圧・周辺諸国への横暴は、見ての通りである。
つい、話が長くなってしまったが、民主党のマニフェストも『糖衣をまとった毒薬』だったということか。いや、民主党には共産党政権ほどの残虐さはないだろうから、毒薬といった世の中を変えてるほどの効き目はない。
むしろ、嘘も吐(つ)き通せば真実になるというのに、そこまで貫く覚悟もなく、思いつきの域を出ない幼稚さで米軍基地の国外移転と言ってみたり、政権をとれば金権問題はどうにでもなるとかつての闇将軍にわが身を重ねた豪腕の幻想もあわれで、この政権交代は日本に混乱をもたらした効果以外の何ものも生まなかった。
いや、歴史に学ぶことの大切さを再確認させてくれたことが成果であったか。では、今の日本の
次なる展開は…、世界に認められる一人前の国家となることが、先ず第一だろう。
1月12日(水) 豊中の遺体姉妹は、負債4億円
大阪と夜中の遺体で発見された姉妹の借金を重ねた経緯が報じられている。姉妹は少なくとも約5100万円に上る相続税を抱え、2001年以降、国税当局に所有不動産を差し押さえられた。一方で4億円以上を借金して同マンションを建てたが、その経営に失敗するなどして、次第に困窮していった。その後、マンションは裁判所の強制管理物件になっている(読売新聞、要約)とのことだ。誰か、余計な知恵をつけたものがいるんだろうか。
それにしても、マンション経営に失敗したら、死ぬしかないということか。失敗した人に暖かい手を差し伸べる社会のシステムもなく、人情も…もうないのか、この国は…! 騙してやろうというものはいても…。
巷にはタイガーマスクが現れて社会の隅の小さな灯を守ろうとしているというのに、政治がアホやから望むべくもないが、子育ても、老人介護も、再チャレンジも、社会が支援していくシステムをつくらなくてはならない。みんなの中に支え合う…、人を愛し、地域を支え、国を守る意識や体制ができてくれば、この国の活力も取り戻すことができ、さらには産業の復興も推進される。そのためには、人を元気にすることが一番なのだ。
1月11 日(火) 日本はホントに文明国家か?
− 「大阪のマンションで、63歳と61歳の姉妹が餓死」に思う −
『 8日午前10時頃、大阪府豊中市曽根西町2のマンション5階の一室で、女性2人が死亡しているのを豊中署員らが見つけた。
二人は極度にやせ細っており、同署はこの部屋に住む60歳代の姉妹が餓死か病死したとみて、司法解剖して死因を調べる。
発表によると、マフラーやはんてん姿で、1人が和室の布団のそばで、もう1人はリビングで倒れていた。死後20日以上たっており、遺体の状況から、ほぼ同時期に死亡したとみられる。玄関ドアには内側からチェーンがかけられ、室内に大量のゴミが散乱。電気やガスは止められ、室内から見つかった現金は100円硬貨数枚だけだったという。(以下略)』(読売新聞)
テレビでも報じられていたから、このニュースをご存知の方は多いことだろう。60歳代の姉妹が都会のマンションの室内で餓死するなんて、あまりの悲惨さに耳を疑った。
二人は、かつては住まいにしていたマンションのオーナーであり、近所の土地も保有していた資産家の姉妹であったというが、今はマンションも差し押さえられて、多額の借金を抱えていたとか。彼女たちが財産を失ったいきさつは解らないが、餓死しなければならない境遇に至る前に、周囲は何らかのアドバイスをすることができなかったのか。例えば、差し押さえに赴いた係官は、仕事として差し押さえを実行するのは致し方ないとしても、その境遇を見ているのだから、関係の機関と相談するなり、あるいは姉妹に相談に行くようにとアドバイスするなりの行動は、して当然ではないか。
『電気やガスは止められ』というのも、納得がいかない。電力会社やガス会社は営利を目的とする民間会社だから、金を払わないときは供給停止にするのは当然だと言うのだろうか。
電気・ガス・水道などは、言うまでもなくライフラインである。その供給を止められるということは、日々の食事の用意もできず、風呂はもちろん、この寒さの中で暖を取る手段もなくなってしまう。生活手段を根こそぎ奪い、当事者の生きる気力をも奪い取ってしまう行為である。それが人間の生活にとってどれほど悲惨なことであるかを思えば、高利貸しの取立て以上の悪どさであり、「金払わんから、止(と)めます」では済まされまい。
そもそも、電力会社やガス会社は、国や地方の許認可行政の対象会社であり、その権益は行政によって保護されている、公共企業としての性格を持っている。人々の安定した生活に対して社会的な責任を負っているわけで、「金払わんから、止めます」では何の自覚もないと言われても仕方がない。
今回の場合、少なくとも供給停止が死に直結することは容易に想像され、その事態を避けるべく関係の機関と相談して、しかるべき処置を講じるべきであった。姉妹の死について、関西電力・大阪ガスの道議的責任は、問われて当然であろう。
政治の責任も問われる。民主党政府は「国民の生活が第一」なんてキャッチフレーズを謳い上げているが、魂のこもらない虚しさがうつろに響く。物が溢れ、物質文明の豊かさを謳歌している、今の日本にあって、なぜこんな悲惨な出来事が起きるのだろう。
政治や行政や企業といった社会の仕組みが、人に対する慈しみをなくしているからではないか。国を愛することができないものが、地域を、隣人を、愛することはできない…ということは、先日来述べてきたから、ここではくりかえさないが、やはり戦後の日本が失った精神的な支柱のひとつに隣人を大切にするという心の持ち様があって、それを喪失した社会は連帯もない、殺伐として脆弱な社会である。
自己責任は当然である。ただ、社会の中で力尽きた人に、死を選ばせるしかない仕組みを当然とは言えない。不幸にして現代社会の仕組みからこぼれてしまった人には、最低限の生きる道を保障する仕組みがなくてはなるまい。それこそが文明社会の存在理由であり、また、その仕組みから、人々の連帯が芽生えてくることも事実である。
1月10日(月、成人の日) 新成人の国家観 −誇るべき祖国を持たない不幸−
今日、新成人を迎えたのは124万人で、戦後最低の人数だという。失われた20年といわれる日本の日々の中で育ってきた新成人たちは、就職氷河期、借金大国日本…といった現実を突きつけられながら大人になったわけである。
彼らの目標とする大人は、母親37%、父親35%、教師、祖父母…と続くという。堅実と評価するべきなのか。そうとしか言えないのが淋しい。日本の若者には、先達に誇るべき日本人を持たないのだろうか。いや、日本人にも、世界に誇るべき偉人は数多くいる。しかし、それらの先人を誇るという教育を受けてこなかったのが不幸なのだ。
加えて、日本の国を誇るという国家観もない。東京裁判史観を基盤とする、大東亜戦争において日本は近隣諸国に迷惑をかけた犯罪国家であると教えられて育った、気の毒な世代である。
新成人よ、君たちのお父さんおじいさんたちは、欧米列強に侵略されたアジアの国々に民族自決の活力を与え、独立を実現させる道を開いた戦いをしてきたのだ。
(以下、「日本は今」へ)
1月9日(日) 山のあなたのなほ遠く −人間は幸せにはなれない−
12月に、高1のとき、遠くにの山を見て、「あの山に向こうには何があるのだろう」と、自転車を駆って出かけたという話をしました。
【参照】
今日、
パスカルの「パンセ」に、『
わたしたちに願望がある限り、わたしたちは幸せになることはない。どんな状態にあるときにも、願望はもっと幸せな状態を描き出して見せるから。そして、もしその幸せな状態に到達したら、わたしたちはその新しい状態にふさわしい別の願望を持つからである』という言葉を見つけました。
あの山の向こうには何があるのか…と抱く疑問は、人間を幸せにしないのですね。でも、その疑問を抱いてしまったら仕方がない。そして、それが人間の進歩につながる原動力だということは疑う余地はないでしょう。
人間は幸せにはなれない生き物なのです。でも、進歩することはできる。それが幸せを実現する手段でないことは解っているけれど…!
1月7日(金) 新春歌謡ショー
友人に入場券を貰ったので、松坂市民文化会館へ「新春歌謡ショー」を見に行ってきました。午後2時30分の開演から、6時過ぎの終焉まで、たっぷりの歌謡ショーでした。
後半、竹島宏、瀬口侑希、真木ことみ…といった、全国に名を知られている、いわゆるメジャー歌手が登場すると、その豊かな声量と正確な歌唱力に圧倒されました。
高く低く…ビンビンと響く歌声でした。それでいて、聞く人の耳に快く、音を外すことなく(竹島くん、ちょっと外れた箇所があったけれど…と、章くんは見逃しません)、さすがにみんな安心して浸りながら聞くことのできるステージでした。
章くんの歌は、ここは高くて出ないから…と、素人だから許してもらえるだろうという甘えがどこかにあったのですが、音を外す歌というものは聞き苦しく、まだ練習中だからなんて言い訳しながらの歌は見苦しいものだということが、改めて解ったように思います。
豊かにたっぷりと、それでいて正確に…、歌とはあのように歌わなくてはいけないものかと思わされました。
勉強になりました!
1月2日(日) 名まえは「チャー」です。
縁の下から出てきて、いつの間にか我が家の一員になっていた、茶トラの子猫…。小さいときから家の中で育っていないせいか、警戒心が強くて、僕に触らせもしなかったのに、今日、突如…、僕の足元に来て、45×45cmほどの電気カーペットに乗せている、僕の足の上に座った。
僕は、彼を刺激しないように、極力 足を動かさないようにしていたのだけれど、そのうちに痺れが切れてきて、そっと足を抜いてみた。それでも茶トラは知らん顔…、警戒する様子もなく座っていて、そのうち眠ってしまった。
人間関係が成立した(というのかな…人猫関係が正立というべきかな)僕は、大満足!。『こいつぁ春から、縁起がいいわぃ!』
名前をつけました。茶色だから、「チャー」といいます。そのまま…だって?
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