2月25日(金) 脆弱すぎるぞ、日本
大切にされて育てられてきたからか。競争や争いを避けよと教えられてきたからか。今の日本の若者には、どうも覇気がないように思う。海外留学生の数も減少し、社会の不合理に対して声を上げる動きもない。若者だけでなく、政治家や、経営者、文化人などにも、批判されたりすることを極度に恐れる傾向があるのではないか。「やかましい。俺が正しい」と突き進むことができないでいるのだ。むら社会の日本の構造は、突出したり、異端であったりすると、寄って集ってつぶそうとすることも事実だが、それを跳ね除けて突き進もうとするところに、時代を開く鍵があるのではないのか。
政治の世界を見ると、世論調査の数字を気にする内閣では、大きな改革はなしえない。新しいことをするには、利権を持つ守旧派の頑強な抵抗を受けることは当然だし、改革の方法をめぐっても異論は続出するだろう。だから、リーダーは「誰が何と言おうと、命を懸けてこれをするんだ」という不退転の決意を見せることが必要だし、政治生命をなくすることになろうともやり遂げるのだという姿勢を示さなければならない。それでこそ同志はついてくるのだし、世論の協賛も得られるというものだろう。
有識者とか評論家というものほど、当てにならないものはないことも事実である。当てにならないということを前提にして、存在価値はないことはないのだろうが、彼らの言うことは決して責任を取らない虚言・妄言である。(僕のさまざまなコメントも、同類ではある(苦笑)。)彼らは、読者が欲していることしか言わない。耳障りな言葉を並べ立てることが、人気の秘密であることも知っている。だから中身は二の次で、読者受けする評論ばかりを羅列する。彼らこそ、批判されるのを恐れているのだ。(僕のコメントは人気には関係ないから、この辺は違う。)
拒絶されることを恐れてはならない。信じる道を、堂々と進むことだ。世の中は有為転変…、今や終身雇用なんてないものと思うべきで、実力次第でどのようにも生きられる。ただし、本当の実力あってこその話なのだから、自分に力をつけなければならないことは言うまでもない。
液状化の時代にあって、むしろ、自分だけはみんなと違うのだと思えばよいし、周囲と違うことを恐れる必要はない。今の日本、普通であることがおかしいとおもうことだ。
2月22日(火) 夕焼け、朝焼け、
21日、ベランダから見た夕焼け →
明日も、よい天気のようです。
←23日、午前6時43分
東の空に、すっごく赤くて大きな朝日が昇りました。
あまりに赤くて大きいので、そのまま「なぎさまち港」まで走っていって、海から上がるところをパチリ →
雲ひとつない朝の空が、美しい紅に染まっています。
この日の昼間の気温は15℃…。3月下旬の陽気だそうです。
夜からは、雨になりました。
2月21日(月) 逃亡者、小向美奈子
どろどろの男関係を繰り広げる沢尻エリカはどーでもいいけれど、小向美奈子には注目している。警察の追及を逃げ切れるかどうか…、フィリピンに潜伏して時間を稼ぎ、このあとフィリピンの森の中に姿を消すか、第3国へ脱出して行方をくらませることができるのか。
また、1ヶ月も時間を稼ぐことができれば、体から薬を抜くことができるのではないか。通常、10日もあれば薬物反応は検出されないとテレビも伝えている。ならば、ヤクの売人の証言だけで逮捕勾留さらに有罪にすることができるのだろうか。それこそ、恐ろしい話である。国家権力が気に入らない相手なら、町を徘徊しているイラン人に証言させて、「クスリを売りました」と言わせれば、みんな犯罪人に仕立てることができる。無実の人のバッグにそっとクスリを忍ばせてパクルなんて話も、テレビドラマではしょっちゅう出てくる話だ。
友人の話では、ブラジルまで行くことができればセーフだそうである。ブラジルで子どもを作れば、あの国は「ブラジルで生まれた子どもの親は引き渡さない」という法律があるそうだ。
ガンバレ、小向美奈子!
2月20日(日) ディナー・ショー
志摩のホテル「ソシア」にて、カラオケ発表会がありました。三川ゆり、鳳城朋美さんなど5名の歌手と17名の素人歌手が集って、午後4時から始まったディナーショーです。
プロ歌手の皆さんは3〜5曲を、アマ歌手はそれぞれ1曲ずつを歌います。第1部のアマが歌い終わったのが午後5時30分、休憩を挟んで、プロの皆さんの部が終了したのは8時30分を過ぎたころでした。
章くんが歌ったのは、水森かおりの「熊野古道」。12テーブル100名ほどのお客さんでしたが、皆さんが知っている歌がいいかなと思って、この曲にしました。スポットライトを浴び、観客の拍手をいただきながら歌うのは、なかなかに気持ちの良いものです。都はるみの心情も、理解が着ないことはないかな
それにしても、プロ歌手にはひどい連中がいる。出場したアマの皆さんよりも、明らかに下手なんですよ。まぁ、オリジナルのCDを出せば、それでプロなんですから、上手下手は関係ないと言われればそれまでですが…。
聞けば、志摩市在住の東(あずま)ナントカという作曲をする人が主催する会らしい。彼の作った曲を歌う歌手には声がかかったのでしょう。三川ゆり、鳳城朋美さんらは、DAMやUGAなどのカラオケにも曲が配信されている歌手ですが、誰も知らない歌しか歌わない歌手はひどい。やめたほうがいいと思うのですが、これも都はるみ現象なのでしょうか。
2月20日 スパルタ教育
米エール大学の中国系米国人教授、エイミー・チュアさん(48)が1月、英才教育で2人の娘を育てた体験記「タイガー・マザーの闘争賛歌」を出版し、論議を呼んでいる。チュア氏は、フィリピンから米国に移住した中国系の両親を持つ2世米国人である。
本の中で、チュアさんは子供の自尊心を重視する西洋式の教育に対し、子供を「ゴミ」と呼んで
叱咤激励する「中国式」の優越性を説くが、あまりの猛烈ママぶりに批判が噴出、大論争となっているという。著書では、自身が実践した「べからず」を列挙し、友人宅での外泊やテレビ、ゲーム、課外活動などを禁じ、最高の成績しか許さない方針を紹介している。
長女ソフィアさんが算数で2位になると、ドリルで2000問を解かせて首位を奪還。ソフィアさんにはピアノ、次女ルイーザさんにはバイオリンの練習を何時間も強制し、ルイーザさんから渡された誕生日のお祝いカードがおざなりだったため、突き返したという。
この本の抜粋を掲載したウォール・ストリート・ジャーナル紙の電子版には「モンスターだ」「自殺者が増える」などの書き込みが8000件近く殺到しているらしいが、チュアさんはABCテレビで「著書は回顧録、子育て本ではない。真意が誤解されている。」と述べている。
近頃は、ほめて伸ばす教育とか、叱ったり体罰は厳禁なんて指導がはやっている。教育評論家なんかが出てきて、「愛情いっぱいに…」とか、耳障りのいい無責任なことを言っている。ホントにそうかと、僕は疑っている。有り体に言えば、そんなのは世間に迎合している、彼らの処世が言わせている虚言だと思う。ほめて育てる教育の結果が、現在なのだ!
悪いことは悪い、悪いことをしたものは相応の罰を受ける、人間は差別を受けることはないが能力(結果)においては厳然たる差別がある…と教えることこそ、子どもにとって大切な真実ではないのか。そう教えられてきた時代のほうが、日本は精神的にも豊かであったし、みんながんばってきたのではないか。受験戦争を勝ち抜いてきた世代こそが、日本史上最高の学力を習得していたことも事実である。受験戦争…と言うけれど、当事者だった僕たちは、それほど過酷な毎日だとは全く思ってはいなかった。むしろ、受験があればこそがんばれたのだと思うし、その勉強を楽しむことができたのだとも思う。
子どもに大人と同等の人権があるとも思えない。人は生まれながらにして人間ではなく、学問して人間になっていくのである。学問の道半ばの子どもに、一人の人間としての資格を認めるなど、子ども自身にとっても迷惑な話だろうと思う。
コロンビア大学のメイ・ナイ教授(米移民史)によると、「チュアさんの教育は『中国式』ではなく、米国の上・中流家庭にみられる傾向の極端な例だ。」と話している。立派な人間になるためには、普通の人間よりも大きな責任を負い、多くの努力をしなくてはならない。それに耐え、乗り越えてこそ、高い地位と生活が約束されるのだ…と教えるのが本当だと思うのだが!
(立派な人間、普通の人間…なんて言ったら、それだけで当世教育評論家に叱られるかな?)
2月18日(金) 紅 梅
右肘痛で、去年の11月からクラブを握っていなかったのですが、このところの暖かさに誘われて、久しぶりにゴルフの練習に出かけました。
大きな木にいっぱいの花を咲かせている紅梅がありました。→
ゴルフは3ヶ月ぶりですから、クラブに当たるのがやっとです。まだ右肘の痛みはとれませんが、暖かくなってきたからちょっと痛みが和らいだかな…と!
2月18日(金) 大相撲の八百長
八百長問題を明らかにすると相撲協会は究明委員会までつくって取り組んでいるが、はたしてマナジリを決して糾弾すべき問題たろうか。
野見宿禰以来1300年の歴史を持つ相撲は、紆余曲折を繰り返しながらも、相撲ファンに愛されながら歴史を重ねてきている。目の肥えた相撲愛好者たちは、八百長なんて見破ることはたやすいだろうけれど、その人たちに支えられた相撲の人気はいっこうに衰えを見せない。すなわち、相撲を見ている人は、負け越して陥落する大関よりも、角番をしのぐ力士の姿に安堵しているのである。
江戸時代には諸藩諸侯のお抱えとして生き、明治期には元勲・国士を、昭和のはじめには政商や軍部将官を桟敷きに並べて、その存続を図ってきたのが相撲である。現在、国技館のいい桝席は、ほとんど大企業によって年間買われている。そこにも相撲界の知恵がある。時の権力を見極めてその懐に入り、文部省やマスコミなどとも折り合いをつけて、時代を潜り抜けてきたのだ。相撲協会という組織も、個々の力士たちも…。
地方巡業などでは、取り組みしているときにはもう次の巡業先への汽車のキップが買ってあって、下手にケガでもしようものならば汽車に乗れないじゃないかと叱られてしまう。だから、決まり手は押し出しや寄り切りが圧倒的で、転んだり土俵下へ転落するような決まり手は見られないという。見るほうも、納得のことである。
現在、十両以上の力士は62人(うち幕内36人)、幕下634人。力士のほか、日本相撲協会に属する人たちは、年寄、行司、床山、呼出、世話人、若者頭などがいて、合わせると約1000名になるという。これらの人々が、相撲社会という特殊な世帯で、肩を寄せ合って生きてきたのだ。
千秋楽で7勝7敗の十両力士に敗けてやるというのはごく当たり前の発想で、十両力士は給料100万円、幕下は無給なのだから、相手の力士がもしその一番で負け越して幕下へ落ちれば、家族が困窮するほど境遇がちがってくる。それが、明日はわが身かもしれない。
見るほうも、7勝7敗が勝つのを見て一安心…。魁皇や千代大海が、コロコロと大関陥落では、見ているほうもつらい(苦笑)。
相撲は、「和をもって尊しと為す」日本に生まれたものである。言わぬが花よ人生は…という浪花節日本が育ててきた興行である。談合社会の日本に咲いた仇だ花なのだ。
八百長撲滅なんて言ってないで、八百長を楽しめばいいんじゃないか。騙されるのを喜んでいるのが、正しい相撲の見方だ。「さっきの相撲は、見事な八百長だったねぇ」「相撲史に残る、手に汗握る名(八百長)勝負だった」といった具合に…。
2月12日(土) 三重県知事選候補者
4月10日投開票の三重県知事選には、すでに自・公・みんなの党の推薦で鈴木英敬(36)が出馬を表明しているが、民主党県連・連合三重・県議会の同党系会派「新政みえ」は、今日、参院議員の高橋千秋(54)を擁立することを決め、立候補を要請した。芝 博一県連代表は高橋擁立について、参院議員としての実績と知名度の高さをあげ、「三重県のリーダーとしてふさわしい」と述べたという。
三重県知事は、連合王国の三重県ならば、彼らの言うとおりその手先になって動いていればいいということで、いちおう全県的に知名度のある参院議員原色の高橋千秋の擁立を決めたのだろう。野呂昭彦に務まったのだから、連合三重の指示通りに動けば、誰にでもできるという判断だ。
民主党・連合三重も、田川県政以来、国政選挙も連勝して、せっかく王国を築いたのだから、今更自民党勢力に県政を渡すことは阻止しなければならず必死の取り組みだが、高橋も参議院議員を10年…、この歳月は無駄ではなかったようで、出馬を固辞している。今の形で三重県知事に当選したとしても、全てのことに連合三重の縛りがあって、やりたいことはやらせてもらえない。それに、高橋自身も読んでいるように、今回の知事選で民主党の現職議員では、まず当選は無理というものだろう。
われら三重県民としては、既成政党の枠にはまらず、大きな展望と不屈の実行力を持って、三重県独自の政策を推し進めてくれる、新たな候補者の出現を待ちたいところだが、三重県がこれまで送り出してきた政治家の顔ぶれを並べてみるに、期待するのが無理というものか!
2月9日(水) 三重県1区選出の代議士
自らが委員長を務める衆議院予算委員会で、不適正な言動氏携帯電話を操作していた(いずれの行為についても認め、謝罪している)と指弾されている
中井ひろし氏は、僕の住む衆議院三重第1選挙区の選出代議士である。
彼は、昨年、国家公安委員長在任中、週刊新潮に路上キスの現場を撮られ、「僕らの世代では、路上でキスする習慣などない」などとわけの分らない言い訳をしている。広く知られている、銀座ホステスとの付き合いにしても、「僕は独身だから(彼の妻だった順子さんは、1997年(平成9年)に中井の父徳次郎氏の介護疲れと法務大臣時代以後の夫の遊び癖が原因でうつ病になり自殺している)、不倫じゃない」なんて嘯(うそぶ)いている。
僕は、最近の日本社会のヒステリックな節操社会に辟易している。広い視野を持って大きな仕事をしていくならば、犯罪はいけないけれど少々私生活に問題があったとしても、潔癖でチマチマしたことしかできない男よりはよほどいいと思っている。でも、私生活はだらしないし、支離滅裂なことを言うばかりでやることは滅茶苦茶な人間は、国会議員をしていてはいけないと思う。
中井の仕事ぶりを見てみると、彼は「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」の会長代行を務めていた。また、拉致問題担当大臣だったのに、一度も所管の拉致問題対策本部事務局に顔を出していないことが判明している。
東アジアサッカー選手権に出場予定だった北朝鮮女子代表チームへのビザ発給に反対して、参加辞退させたと思ったら、2010年(平成22年)に民団(韓国系団体)の会合で外国人参政権を推進していく立場を明らかにする一方、2010年4月に実施予定の「高校無償化」をめぐり、朝鮮学校を対象から除外するよう文部科学大臣川端達夫に要請している。ところが、2010年(平成22年)4月には、来日中の元朝鮮労働党書記黄長Yと会談するなど、やることがハチャメチャである。
もと北朝鮮の工作員で大韓航空機爆破事件の犯人である金賢姫が来日したとき、中井は拉致担当大臣としてその対応の指揮を取った。しかし、重要な情報を一切引き出せなかったうえ、金元工作員の記者会見さえ行われなかったし、拉致疑惑者の写真確認もできず、被害者家族をはじめとする関係者から批判の声が上がった。
極めつけは、2010年11月29日におこなわれた議会開設120年記念式典において、秋篠宮文仁親王夫妻が天皇皇后両陛下の入場を起立して待っていたことに対し、「早く座れよ。こっちも座れないじゃないか」と野次を飛ばしたとされる事件である。これを報じた産経新聞は、民主党幹部の発言として、「中井は「国会議員を務めていることに無理がある」との指摘もなされた」と書いている。
こんなのを国務大臣や予算委員長にしなければならない民主党の人材枯渇は深刻だ。いやその前に、こんなのを国会議員に選出している、三重県1区の選挙民は恥を知るべきだろう。
三重県第1区には、もうひとり、先(2009年)の第45回衆議院議員総選挙では小選挙区で中井に敗れながら比例東海ブロックで復活した、
川崎二郎衆議院議員(自民党)がいる。復活を含めて9回目の当選で、この選挙後、谷垣禎一総裁の下で国会対策委員長に就任(川崎は谷垣派)。かねてより国対委員長の座を熱望していたとされ、念願のポストへの就任となった。
ところがその大柄(身長180cmはあると思う)から、2008年の参院補選時の対応に大して「独活の大木」(失礼!)と僕は呼んでいるのだが、そのウド振りを国会対策で早速に披露してくれた。
昨年6月、菅内閣の発足時に、江田参議院議長に対して野党はその強硬な国会運営を理由に「議長不信任案」を提出。ところが、江田議長は閉幕日に本会議を開かないという異例の措置で廃案にしてしまった。自民党国対としては、強烈な抗議をするところだろう。
また、菅内閣発足時に自民党は衆参2日ずつの予算委員会を要求したけれど、民主の樽床国対委員長(当時)は1日を主張…。話し合いを重ねるうちに、結局1回も開かずに済ましてしまった。政権が変わったときには必ず予算委員会を開くのがしきたりだったのに、この対応は国会運営の仕切りとしては暴挙だった。樽床を悪者にして「国会の慣例を守らない委員長は認められない」と委員長会談を拒否すれば、スタート直後の菅政権は委員長人事を再検討せざるを得なくなり、大きなダメージを受けるところであった。それを、数日後に、川崎は樽床とニコニコ顔で握手しているところをテレビに撮らせ、国会の日程なんかを話していた。
江田議長、樽床委員長に対する、野党第1党の国対委員長としてのこの対応…、僕が「独活の大木」と呼ぶ所以である。
その後の菅内閣の迷走振りを見ると、『あそこで菅首相を追い詰めなかったから、その後のフラフラ姿を国民の目に焼き付けることができたんだ』と、川崎二郎はその深謀遠慮振りをアピールしたいところかもしれないが、いやいや…そんな先読みができる玉ではない。こんなことをやっていたら民主党政権はなかなかつぶれず、大迷走が続く。迷惑するのは国民だ。
今日、公明党の
坂口 力議員が質問に立っていた。坂口力は、現在は公明党東海ブロックの比例代表議員だが、出身は津市白山町、中選挙区時代は三重県1区選出の国会議員であった。
テレビに映る坂口は、「民主党の年金改革案は信頼できない。絵に描いた餅だ」と舌鋒鋭く菅首相に迫っていた。しかし、つい5・6年前に腐りきっていた厚生労働省の大臣として年金改革案をまとめ、「百年安心の年金」と高らかに謳いあげていたのは、この坂口力であった。百年安心の意味は、100年後であっても現役の平均手取り収入の50%の年金給付水準を確保するというものであったが、1・2年で実現は無理なものであることが明らかになった。膨大な時間と労力と費用をかけて、何をやっていたんだ。
その御仁が、国会質問で、「民主党の年金案は…」と言うのだから節操を疑う。自身の口から、二度と「年金」という言葉は吐けないと肝に銘じているのだと思っていたが…。
中井ひろし、川崎二郎、坂口 力… 三重県第1区の選挙民の責任は重いね。
2月8日(火) 同志的結合
曽野綾子女子のエッセイの中に、「老人ホームに歌を歌いに行く人がいるが、その人たちは『慰問』と称しているけれども、実は自分たちが歌いたくて聞いてくれる人を探しに老人ホームへ行くのだ」と書いてあった。老人ホームの人たちも、「お歌いになりたいのだから、聞いて差し上げましょうよ」と言い合っているのだとか。
「本当の奉仕とは何なのか」をテーマにしたエッセイの一節であって、キリスト教的奉仕活動に身をささげようという彼女は、「奉仕とは、人の嫌がるようなことを、毎日のように、朝から晩まで、何年もたゆみなく行うこと」だと定義している。「そこには、命の危険、社会で除け者にされること、経済的大損失などがあっても、それを承知で仕えること」とも言っている。身の危険もなく、自分の生計に影響しない程度の出費で、思いつきに行うのは、奉仕とは言わず、その人にとっての楽しみなのだとのたまう。
話は、「同志」にも及ぶ。それは、何か危険で重要なことをするときに志を同じくする人を意味し、やらねばならないことに「血と金」を出す人のことだとある。命を失うかもしれない危険を覚悟をし、そのことのために自分の財産を差し出す決意を持っている、それが同志なのだ。火傷しない程度のところで、ガンバレと叫んでいて、自分は同志として信頼されていると思っているなら大間違いだというのである。
『同志』となるには覚悟が要る。振り返ってみるに、僕は今まで人と交わる全ての場合、同志的結合を前提にしてきたつもりだ。近年、大人になっての交わりには、同志的濃密さを求めるのは無理があるのかと、ふと思わされることが多いのも事実である。大人になると、ホントの信頼は成立しないということなのだろうか。
2月7日(月) 「ハイ、ご苦労さん」!
未明に飲み物を買いに行ったら、交差点の赤信号で後ろに止まったパトカーが、「前のクラウン、道路の左に寄って止まってください」と呼んでいる。「僕のことか?」と思いつつ、道路の左に寄せて止まると、若い警察官が降りてきた。このときも、まだ僕には何で止められたのか、思い当たることがない。
「シートベルトをしていないので、停めさせてもらいました」と言われて、「そうか」と合点がいった。
さすがは警察官、訓練しているのか、夜でも見えてるんですね。「ハイ、ご苦労さん」と右手の人指し指の拇印を捺してきた。僕はシートベルトをする習慣がないから、年に1〜2回は捕まるなぁ。
2月6日(日) 名古屋市長選 河村氏圧勝
− 現在の政治に対する市民の怒りの凄まじさを思い知れ −
午後8時、投票所の締め切りと同時に、NHKが「名古屋市長選 河村たかし氏 当選確実」、大村秀章の愛知県知事選当確を伝えた。大河ドラマ「江」のオープニング途中…、まだ開票も始まっていない時点での当確という『圧勝』であった。
市長選は河村66万、民主支援の石田22万と3分の1しか取れず、知事選は大村150万、自民系の徳重55万、民主の御園49万で、政権与党の民主党は2位にも食い込めなかった。
そして、名古屋市議会解散も7割強(賛成70万、反対25万)という圧倒的な賛成数で、国政のみならず、既得権をほしいままにする地方政治の現状に対しての、
市民の怒りがいかに凄まじいものかを如実に物語る結果となった。
民主党は終わっているが自民党もダメ…と、既成政党は国民から見放されている。市民は、地方行政に改革を実行している、革新的な首長にエールを送り、新しい風を期待していることも証明された。
大村愛知県知事の誕生には、ちょっと首をかしげるところもあるのだが、どうにもならない国や地方の仕組みに、一石を投じる役割を果たしてくれることを期待しよう。
それにしても、言われて久しい議員定数の削減も、政務調査費などという訳の分らない経費も、何の反省もなくお手盛りで受け取り、ろくに活動もしない(できない?)全国の県会・市会の議員たちよ。今日の選挙結果を刮目して見よ! そして、心あらば、明日はわが身であることを思え! そこから、自(おの)ずと議員たるものはいかに身を処すべきかが見えてくるだろう。
2月4日(金) 現金をバラ撒く政治は、国民をダメにする!
民主党のスローガン、「国民の生活が第一!」。かの豪腕氏は、「刑事被告人になっても民主党議員であることは辞めずに、国民の生活が第一を実現するためにがんばりたい」とおっしゃっている。
が、小沢一郎の…、すなわち民主党の言う「国民生活が第一!」は、国民の生活が向上していく仕組みを整えるのが政治の役割であるのに、現金・補助金をバラ撒くことがそれであると考えているところに誤りと卑しさがある。
「子ども手当」と称して現金を渡すなど、民主党がそれで票を買う買収と同じじゃないか。しかも、現金を受け取るほうの心に思いをいたさぬ、愚行であるというべきだろう。現金を貰ったときは嬉しいのかもしれないけれど、現金を貰って喜ぶ自分に気づいたとき、貰ったお金で子どもを育てたという思いを振り返ったとき、人はどこかに恥ずべき卑しさを感じるのではないだろうか。民主党の子ども手当ては、人の尊厳に踏み込む傲慢な政策である。
「社会で子どもを育てよう」というのも、子どもは親が育てるものだと思うけれど、子育て支援を社会が行うというのは結構なことだ。ならば、待機児童をなくすために保育所を整備することなどは喫緊の課題のはずなのに、この問題が問われてからもう10年にもなろうかという現在、その対策は遅々として進んでいない。
「農家の所得保障」然り。それでなくても、今まで日本の農業は補助金漬けであった。米価の政府買い上げなど、市場価格が追いつかない米を、補助金を出して政府が買い上げてきたのである。その結果、日本の農業は原価意識を持つこともなく、市場で通用する商品を作ろうとする工夫もなく、補助金がなければ立ちゆかないものになってしまっている。
『TPPで日本の農業はダメになる』と農家や農業関係者の多くは言うけれど、日本の農業はそれ以前の問題でダメになっているのである。農家の共同化、商品作物の開発、コストを削減して国際競争力を持つ農業を確立しないと、日本の農家の明日はない。それは、とりもなおさず、日本の食料自給に将来がないということである。
現金支給は、人間をダメにする。子ども手当てよりも、子どもを立派に育てていける社会環境の整備を進め、保障よりも、農業の構造改革を図るべきだろう。
2月3日(木) 大相撲の八百長
相撲界に、八百長問題で激震が走っている。でも、今更…というカンジだ。昔っからやっているに決まってるじゃないか。
あの「小さな大横綱」だって、ほとんどが八百長相撲だったと、幕内での15戦全敗記録を持っている元小結「板井」が証言している。(「板井は千代の富士グループの仲介・工作人として八百長を行っていた」と、板井の親方の大鳴戸が言っている。)
今まで、相撲協会は八百長疑惑が浮上するたび、「調査委員会」を組織して、「厳正なる調査の結果、そういう事実はございません」と臭いものに蓋をしてきた。身内の犯罪を身内が調査するなんて、そんなことを繰り返しているんだから、自浄作用は望むべくもない。結局、警察に押収されたケイタイ電話から、八百長依頼メールなどという動かぬ証拠を突きつけられて、身動きが取れなくなってしまった。
相撲協会なんて、腐っているものね。いよいよ、解散かな。解散しなきゃ、ホントに反省なんてしない連中だからね。
でも、相撲ファンはみんな、騙されていることを知りながら相撲を楽しんできたのだから、それはそれでいいような気もする。
長年の相撲界の伝統を破壊するような捜査情報を流出させた輩こそ懲戒に値する…と、前官房長官ならばおっしゃったかも…。
。
2月2日(水) 日本経済のお勉強B (
その@Aからの続きです)
− 日本経済再生のために −
日本経済再生のためには、GDPを増やす…、すなわち日本国内でモノやサービスを増やすことが不可欠であることはご理解いただけたと思いますが、では、そのために何をするべきでしょうか。
経済のあり方は大きく分けて、金融・資源・製造の3種があります。「金融」は世界に伍するノウハウや体制が、日本にはありません。近代資本主義が成長してきた激烈な競争体験が日本にはありませんし、金融には避けて通れない…よく時代劇に登場する、寝ている病人の布団を剥ぎ取っていくような過酷な非情さも必要ですが、日本人の国民性には合致しないところがあります。だから、日本の経済にはやたら規制が多いし、自由に競争させればすぐに敗れてきて、負けたものは不平不満すら社会の性にする。自由競争は、日本人には向かないのです。だからといって、自由競争をするなと言っているわけではありません。むしろ、弱点を認めた上で、国際競争に打って出ることを考えるべきです。しかし、国際金融情勢に慣れていない、かつ、規制の多い日本軽罪の現時点では、金融立国は無理と言うものです。
「資源」は、言うまでもなく日本はほとんどなく、20数兆円の原油・原料・食糧などを、外国からの輸入に頼っている現状です。むしろ、この分の外資を稼がなければ、日本は立ち行かなくなります。だから「製造」に国を託すしかない。環境型ビジネス・鉄道や原子力発電などのインフラ輸出・マンガやアニメなどのコンテンツビジネス・蓄電池や宇宙産業などの新技術など、新たな成長材料はあり、それらは体制に育てていかなくてはなりませんが、今の日本が勅命している経済的課題は、「日本のものづくり」をいかにして守り、大きくしていくかでしょう。
菅内閣は「法人税の5%軽減」を打ち出しました。日本の現在の法人税は約40%(国税27.99、地方税11.55、合計39.54%)で、世界で一番高い税率です。。第2位はアメリカで39.21%、3位はフランスで34.43%です。
日本の法人税が5%引き下げられるとして35%となりますが、フランスよりもまだ高くて、世界第2位…。これでは、法人税を下げた意味がありません。高い税率の日本の法人税ですが、利益を生み出せない企業が多い現状では、税収は見込めないわけですから、高い税率の意味もありません。ここは、思い切って25〜20%ぐらいにしてはどうでしょうか。それで景気が回復すれば、税金は入ってくるのですから現状のゼロよりもいいでしょうし、企業の足国が確かなものになればその時点で税率を30%に上げることも可能でしょう。
25〜20%ぐらいにしてはどうかという提案は、今のままでは外国企業に来てもらうどころか、日本を逃げ出す企業が続出する恐れがあるからです。現に、即年の日本企業の海外投資額は一昨年比44%と急増しています。企業の生産の中心が感慨へと流出していく「日本国内の空洞化」は、現実のものとなっていることが、この数字を見ただけでも理解されると思います。
さらに、家電、自動車など、日本のものづくりの中核をなす産業は、昨今、韓国などの新興国に激しく追い上げられています。いえ、すでに逆転しているというべきでしょうか、韓国のサムスン電子の純利益は日本の大手電機メーカーのそれをはるかに上回っていますし、世界市場で売り場の中央に並んでいるのは勧告製品だというのが現実です。韓国は、人口は日本の半分、GDPは5分の1程度、人件費もそれほど安いわけではありません。なのに、なぜここまで躍進したのか。最大の要因のひとつが、24%という法人税の安さです。
そしてもうひとつ、韓国では国家破綻かと言われた1997年のIMF機器のときに、企業の統廃合が進み、市場占有率の高い、高利益を追求できる会社が誕生しています。日本では、独占禁止法の縛りがあって、実現できない統合劇です。
ここで言えることは、世界の現実を見据えて、時代が要求する形に、日本は法律の改定を含めた構造変化を遂げなくてはならないということです。
TPPは、避けて通れない課題です。
【今日はここまで。続きは また近日…】
このベージのトップへ 飯田 章のHPへ