7月30日(土) 津 花火!
トドーンッ! あたりを揺るがす轟音が響いた。開幕を知らせる、10号玉の打ち上げだ。
午後8時、西丸之内のマンション7階からのぞいたのだが、一部が市役所の陰に隠れてしまう。
「じゃぁ、出かけてみるか」と岩田川沿いに歩いていった。
岩田橋界隈にはたくさんの人が出ていた。椅子を持ち出して、橋の上や、曽野横の歩道に座って見物している。
章くんは、岩田橋のすぐ東にある、歩行者専用の渡橋まで行って、その中ほどに陣取った。
そこからだと、岩田川の河口で上げている花火は、川の真ん中に打ちあがり、花火が開くと火影が川面をいっぱいに染めた。
7月26日(水) 御堂筋に並ぶブロンズ像に、赤い服
大阪のメーンストリート御堂筋に並ぶ、高村光太郎やロダンらが作った少女や婦人像19体に、25日朝、赤い服が着せられていた。平松大阪市長は、「被害届は出さない。」としているが、服は市職員3人が1時間がかりで撤去した。(読売オンラインより)
それぞれの服はブロンズ像のサイズに合わせて作られていたというから、採寸・型抜き・裁断・縫製とかなり時間と労力をかけた力作でないかと思われる。右の写真を見ても、よくお似合いだ。
折角だから、1週間ほどこのままにしておいたらいいのに…と思う。道行く人も、いつもと違った趣向の美術品を見ることが出来る。
放置しておくと、そのうちペンキを塗ったり、改造したりしようとする輩が出てくるかもしれないから…と心配するのだろうけれど、ペンキを塗ったり破壊したりする輩は遊び心・風流心とは別の次元にいるのだから、ここで粋な計らいをしようがしまいが犯行に及ぶときは及ぶ。
次元が違うということは、この服を着せた人たちは、ブロンズ像を損ねるなんてことはこれっぽっちもしていないことからもうかがい知れよう。裸じゃね…と、服を着せていったのだから、ちょっといい話だと思うのだが…。
7月25日(火) 集中と休憩 − 僕の気分転換術 −
ここ一ヶ月ほど、社業の出版物の原稿を書いている。ホントは、7月15日に脱稿していなくてはならなかったのだが、原稿は遅れるのが常である。しかし、8月25日にはどうしても本にしなくてはならないので、逆算すると今週いっぱいがギリギリの締切期限だ。
毎日、深夜0時ごろから机に向かい始め、朝の5〜6時ぐらいまでが、一応の執筆時間である。それで、寝るのは午前8時ごろから、お昼の0〜2時ごろまで…。ベッドに入るのが10時、11時になるなんてのは、日常茶飯事である。全てのページが書きあがるまでは際限の無い仕事なので、昨日などは区切りがつかなくて、お昼の12時まで書いていた。ベッドに入ったのはお昼過ぎ、起きてきたのは午後6時ごろだった。こんな日が続いている。
夜中に仕事なんかせずに、朝の9時から机に向かい、午後6時までやればいいじゃないかとみんなは言うのだけれど、昼間は電話は鳴り、来客があったりして、集中が途切れてしまう。原稿書きというのは、一定の思考形態のもとで作業を続けることが肝要で、前のページと違う観点で次のページを書いていては、内容の統一したものは出来ない。だから、思考が途切れると、またもとの思考レベルまで戻るのに、ある程度の時間がかかるというものなのである。邪魔が入らない、夜中に作業するという理由がわかっていただけただろうか。
その仕事中、「どうも、良いアイデァが湧かないな」とか、「ちょっと疲れてきたな」ということがある。そこで、休憩したり気分転換を図ったりするわけだが、僕はその方法として、面白いなと思っている本を読んだり、このことについて書いてみたいなと思っている小文(このインターネットのブログなど)を綴ったりする。ちなみに、今、机の横に置いてある本は、「ローマ人の物語24(塩野七生)」「逆説の日本史17(井沢元彦)」「韓非子を見よ(守屋 洋)」、そして「勝つ日本(石原慎太郎)」である。
本を読むのも、小文を書くのも、原稿書きという文筆作業の延長のようなものだから、気分転換にはならないだろうと思われるかもしれないが、社業として書いている原稿を作っていくのと自分の興味の対象である読書や小文作成は、使う脳の領域が違うようである。原稿に行き詰まって、「勝つ日本」を読むと、次は何が書いてあるのかとページをめくっていくことにワクワクするし、「中国は悪い奴だなぁ、許せん!」(国際社会では、日本のような戦略なき国家は平和ボケと呼ばれるのであって、悪い奴が当たり前なのだが)と、能が活性化するのである。
ン…、この小文作成にもちょっと飽きてきたなぁ。原稿書きに、戻ることにしよう。
7月24日(日) エビアン・マスターズで宮里 藍、優勝!
フランスのエビアン・マスターズGC(パー72)で、米女子プロゴルフツアーのエビアン・マスターズの最終ラウンドが行われ、4バーディー、2ボギーの70で回った宮里藍が、通算15アンダーの273でこの大会2年ぶりの優勝を果たした。
エビアン・マスターズGCはレマン湖のほとり →
宮里 藍は、今季米ツアー初勝利で、通算7勝目。なでしこジャパンの世界制覇も記憶に新しいところで、日本女子の

活躍が目覚しい。
← 5番ホールのティショット。後ろに見えるのはレマン湖。
エビアンの町は、スイス・ジュネーブ空港からレマン湖沿いを反時計回りに車を走らせて、1時間ほどで着く。
観光地や保養地として有名なエビアンだが、まず、水がおいしい。街の中には天然水の水くみ場が数カ所あり、地元の人は大きな容器を持って出掛けて飲料水にあてている。
中世のヨーロッパをそのまま残したような町並みは風情があり、食べ物も美味しい。直径20センチほどのチーズをテーブルの上で熱して溶かし、パンにつけて食べる「チーズフォンデュ」の有名店には、プロたちも集うとか。
気候も、今は気温30℃前後あるものの、湿度が低くさわやかだ。
スイスでゴルフ…、いいなぁ。藍ちゃん優勝記念ツアーを計画しよう!
7月19日(火) 台風がやってきた!
大型で強い台風6号は、高知県の馬路村で降り始めからの総雨量が1199ミリに達し、全国の観測史上最大記録を更新した。
三重県内でも多気郡大台町で1000ミリの降雨量を記録し、2004年9月の台風21号による豪雨で17名の死者・不明者を出している領内地区では、多くの世帯が避難したという。
台風好きの章くん、千載一遇のチャンスとばかり、

「津みなとまち港」に行ってみた。
いつもは鏡のような伊勢湾も、吹き付ける風に白波立っていて、東面は打ち寄せる波頭がコンクリート壁を越えて、駐車してある車の上にかぶさってきている。まさかここまでは来ないだろう…と先端まで行かなかった章くんのスボンも、想定外の大波をかぶってびしょ濡れになってしまった。
駐車場のフェニックスも強風に吹き千切れそう →
これで、波にさらわれたら、「警報の出ている中、海を見に行った無謀な中年のおっさんが行方不明」と新聞に載ることになるのかな。
7月21日(木) 米スペースシャトル 最終便

米スペースシャトルの最終便となる「アトランティス」が、13日間の任務を終え帰還した。飛行機のように滑空して着陸する独特の風景もこれが見納めだ。
月明かりの中、ケネディ宇宙センターに
着陸する「アトランティス」 →
1981年の「コロンビア」初打ち上げ以来、宇宙への人類の夢を乗せた135回の飛行には、日本人宇宙飛行士7人を含め16か国355人が搭乗した。
宇宙を身近な存在にしたシャトルの30年間の功績は大きい。86年の「チャレンジャー」、2003年の「コロンビア」など、痛ましい事故で計14人の命が奪われたが、宇宙を目指す取り組みはくじけることはなかった。
あれもこれもと欲張って、費用の高騰を招いたことは反省材料だ。今後は、宇宙への足がロシアのロケット頼りになる。米国は民間会社が新たな宇宙船を開発中であり、中国も宇宙戦略を推進している。技術の共有などは、望めない環境になるのかもしれない。
← 日本時間9日午前0時29分、(米東部時間8日午前11時29分)、ケネディ宇宙センターから打ち上げられたときの写真も撮ってあります。
日本は、シャトル計画の当初から有人宇宙技術を学ぶ足場にしようと、積極的に参加してきた。若田光一さんが、2年後の宇宙ステーション船長に指名されるなど、日本人飛行士の成長は著しいが、これからの宇宙への足はどうするのか。
08年の宇宙基本法成立に伴い、内閣に宇宙開発戦略本部を設け、政策を立案する体制は築いた日本だが、その翌年発足した民主党政権は、宇宙まで手が回っていない。昨年の事業仕分けでは予算に厳しい枠をはめた。シャトル後の宇宙で、日本は何に取り組むのか。
小惑星探査機「はやぶさ」の宇宙技術は、世界を驚愕させた。太陽電池だけで数十億Kmを飛行して帰還する技術など、アメリカにも中国にも無い。
宇宙開発は、国を挙げて取り組むべき国家プロジェクトである。「2番じゃダメなんですか」なんて発想では、参加も出来ない世界だ。「はやぶさ」の実績をもとに、さらに上回る研究を官民を挙げて支援し、この分野の日本の存在を確かなものにしたいものである。
7月17日(日) 暑いので、名古屋へ
「冷房の効いているデパートへ行こう」と思って、お昼過ぎから名古屋に出かけた。JR高島屋の混雑ふりはどうだ。「暑いときはデパートへ」って、考えることは

みんな同じだなぁ。
クリアランスセールをやっていたので、ゴルフウェアーを2枚ほど買って、栄の松坂屋へ…。ゴルフ用品の品揃えは、こちらのほうが豊富だ。
松坂屋のパーラーで →
先日のラウンド中に食べたカキ氷のおいしかった記憶を引きずっていて、どこへ行っても氷を注文してしまう。ただ、氷はやっぱり炎天下で食べてこそあのおいしさなのであって、デパートの冷房の中ではその有り難さもすこし色あせる。
それに、ゴルフ場でも500円だったのに、この1050円は高すぎるんじゃないかい? ン、
ゴルフ場はひと山いくらの地代だけれど、ここは坪あたり何百万円だから、仕方ないか(苦笑)!
ゴルフ靴を一足買ってきた。「履いてみるだけでも結構ですから…」という店員くんの勧めに従って、足を通したのが運の尽きだった。足を包み込むような本皮のフィット感に

脱げなくなって、「これ、貰うよ」と買ってしまった。
夕方、小腹が空いた。松坂屋から南へ100mの角にある、「上海小龍包館」へ入って、フカヒレの姿煮と冷麺を食べた。
「上海小龍包館」→
← フカヒレの姿煮。
タイで食べたら半値以下だけど…なんてことを言っていてはいけないのか。
何せ、ここは坪あたり何百万円の名古屋の栄だぁ(笑)!
7月18日(月) なでしこジャパン 世界一!
サッカーW杯ドイツ大会で「なでしこジャパン」が、アメリカに勝って奇跡の優勝を果たした。
『あきらめなければ勝てる』『信じれば勝てる』、それを実現した勝利であった。
7月18日(月) 全英オープン 2011
第140回 全英オープンは、英サンドイッチのロイヤル・セントジョージズGC(7211ヤード、パー70)で最終ラウンドが行われ、前日首位のダレン・クラーク(英、42歳)が、1イーグル、1バーディー、3ボギーの70で回り、通算5アンダー
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ロイヤル・セントジョージズG |
でメジャー初優勝を果たした。
舞台となったロイヤル・セントジョージズGCを見ると、荒涼たる原野、吹き付ける強風、突然に襲う驟雨、1999年に訪れたアイルランドのゴルフ場を思い出す。ティグラウンドに立つと、フェアウエイが見えない。「あのあたり」と見当を付けて打つ。ナイスショットでも、起伏の激しいフェアウエイに跳ねたボールはどこに転ぶか分らない。「これがホントのゴルフ場か」と、感動を覚えたものである。
優勝したダレン・クラークは英国人とはいうものの、北アイルランドの出身である。2000年の「アクセンチュア・マッチプレー選手権」決勝戦でタイガー・ウッズを4アンド3の大差で破って初優勝を飾る。この快挙により、クラークは世界的な知名度を獲得した。日本が大好きな選手としてもよく知られるダレンは、初来日は1997年であったが、2001年の「中日クラウンズ」で日本ツアー初優勝を飾り、2004年と2005年の「三井住友VISA太平洋マスターズ」で大会2連覇を達成した。
アイルランドを訪問して、人々の素朴で鷹揚な優しさに接した章

くんは、アイリッシュの彼に特別な親近感を覚えている。
野草が風に揺れている 5番 419Y パー4 →
日本選手は池田勇太が38位。石川・藤田らのほかの選手は、予選を通過できなかった。コースの荒々しさを見せられたら、それだけで驚いてしまってゴルフにならないことだろう。
昔、全英オープンにまったく歯が立たなかった尾崎将司が、「こんなのゴルフ場じゃねぇ」とつぶやいて、予選敗退してきた。いつも言うが、日本のツアーもコースのセッティングをもっと難しくして、見せかけのアンダーパーを競っているのでなく、ホントの実力を培うようにしないと、世界に通用する強いゴルファーは育たない。
7月16日(土) そばの空木とメナード青山
暑い日が続きます。「こんな日は、ちょっと涼しい伊賀の山の中へ、おいしいソバを食べに行こう」と、扶美ちゃんを誘って、夕方6時半から車を走らせました。
十割そば。手焼きの伊賀焼きの器に盛られて出てくる。→
まずは「そばがき」2つ、欠かせない定番です。ソバの香りと歯ごたえのよい「十割そば」、そして、温かい「鶏南蛮そば」に、天麩羅の盛り合わせを作ってもらい、ホントにおいしいソバなのですが、食べきれずに残し

てしまいました。
↑ 天麩羅の盛り合わせ
最後に出してくれる 濃厚なソバ湯 →
そば湯は、そばを茹で上げたお湯だから、これにはそばを打つときに用いられる打ち粉が溶け込んでいたり、そばに含まれている栄養が溶け出しています。
そば粉のデンプンはジアスターゼによる消化が非常に早く、水で十分だといわれるほど粘着度が低い、つまり水に良く溶けるので、そばの後口と呼ばれるそば湯を飲むことは、栄養補給にも意味のあることです。
そばを食べたあと茹で湯を飲む風習は、元禄時代に広がったとか。上澄みの湯はほんのりした甘みがあるようですが、底のほうの濃厚な湯は栄養価も高くミルキーな味わいで、章くんは底派です。

帰りは、十六夜の煌々たる月に導かれるまま、とっぷりと暮れた山道を南へ走り、メナード青山を抜けて帰ってきました。エリアに入ると、ホテルの周りに色とりどりのイルミネーションが点されています。
数年前、クリスマスのころに見に行ったことがありましたが、夏場の今もイルミネーションが見られるとは思っていなかったので、ちょっとびっくり…。ホテルの駐車場に車を停めて、ケイタイ写真を撮ってきました。
← イルミネーショ
ンの上に輝く十六夜の月
山肌に並ぶ
イルミネーションの下
から →
← これはホテルホームページより
8月12〜14日、花火大会もあるらしい。
7月14日(木) 前席ベルト装着義務違反!
僕は車のシートベルトをする習慣が無いので、1年に1回ほど捕まる。今夜も赤信号で止まっていたら、車の窓をコンコンと叩くものがいるので、開けてみたらお巡りさんだった。
「シートベルトをしていませんね」と言うので、「ああそうか、ご苦労さん」と免許証を差し出した。「後ろのパトカーに乗ってください」と言うのには、「その必要は無い。ここでいいよ」と言って、作成された告知書にサインと拇印を捺してきた。
2009年12月のあと、1年2ヶ月空けて、2011年(今年)の2月7日と今夜に捕まっている。今年の場合は2回とも夜間で、近頃のお巡りさんは夜でもシートベルトの装着を暗視する訓練を受けているのだ。警察も努力しているということか。
が、シートベルトは他人に迷惑を及ぼす行為でなく、装着の義務を感じていないと主張している僕の非装着違反を捕まえるよりも、もっと一生懸命に検挙率を上げなくてはならない案件は、他に山積しているじゃないか。シートベルト違反なんかを挙げている暇があったら、世の中の公序良俗を乱す行為を取り締まるのが、警察の使命だろう。 …というのは、八つ当たりか(笑)。
7月13日(水) チェリーレイクGC 「85」
チェリーレイクでは、8月4・5日に三重県オープンの本戦が開催される。それで、フェアウエイを絞り

、ラフを延ばす、メンテナンスが始まっている。
この日の章くんは、東コースを「45」、お昼を食べた後の南コースは1番522Yパー5でいきなりバーディ。ひとつ気合を入れるか…と回っていって、6番まで1オーバー。
7番175Yパー3 →
ここで、5番アイアンのティショットを右に吹かして池へ入れてしまった。こんなことは絶対にしなかったのに…と思いながら、池の手前にドロップして放った第3打目も下を掬って、また池へ…。
このホール、+4の「7」。南コースのトータルは「40」となってしまった。
← 昼食は冷しゃぶ
少し手ごたえは出来てきたように思うのだが、すぐにダボを叩いたり、考えられないようなミスショットをする。ラウンドを通じての集中力も、まだイマイチなのだろう。
右肘の治療とともに、精神力を回復させるのも課題である。
7月11日(月) 全米女子オープン

2011年度の全米女子オープンが、アメリカ・コロラド州の「ザ・ブロードモアGC」(7041Yパー71)で行われ、予選2日目が終わったところで宮里美香が−5、宮里藍が−4をマークし、第1・2位で折り返した。
この試合は雷にたたられて、第3ラウンドがサスペンデッドで途中中断…。7月11日、第3日目の残りを消化したのち、そのままの組み合わせでファイナルラウンドへ入ることになった。
こりゃあ見なくてはならないなぁと思い、全ての予定を犠牲にして、午前4時からテレビにかじりついた。
「ザ・ブロードモアGC」18番 →
ここは7041Yでパー71。女子の試合も7000Yを越える(しかもパー71)ようになったか。
462Yパー4というホールもあったなぁ。
← 3ラウンド目、宮里美香の16番
結局、この日も雷によって中断し、また12日(火)の午前4時55分から残りのホールのプレーを放送することになった。
が、この時点では宮里美香も宮崎藍も+1となっていて、トップの韓国人選手に5打差を付けられていた。予定山積のこの頃である。また朝まで寝ずに我慢するほどの材料もなく、決勝ラウンドは失礼させていただいた。
結局、宮里美香は+1の5位、宮里藍は+2の6位であった。優勝は、リュー・ソヨンとソ・ヒキョンの韓国勢同士のプレーオフで争われ、リュー・ソヨンがこれを制して、米国ツアー初勝利をメジャーで飾る快挙を遂げた。
7月10日(日) 高校野球で71―0、
日本記録は…?
全国高校野球選手権の兵庫大会1回戦で、姫路工が56長短打を放ち「71―0」で氷上西を下した。5回コールドだから、9回までの記録ではない。
過去の最多得点はどうかと調べてみたら、1998年7月18日の青森県大会で東奥義塾は深浦を相手に「
122−0」(7回コールド)で勝っている。攻撃の内訳も凄まじく、打者149人、ヒット86、四死球36、本塁打7、三塁打21、二塁打31、そして盗塁78。三振は僅か1。対する深浦はノーヒットで、アウトのうち三振は18。因みに試合時間は僅か(?)3時間47分と、プロ野球と変わらない。
それまで高校野球史上最多得点試合として62年間その座にあったのは、1936年の埼玉県大会で豊岡実が松山中を相手に記録した「72−0」で、28安打に44四死球、失策15で大勝している。さすがに戦前のことで、大敗した松山中は、この結果によってお叱りを受けたのか、翌年から軟式へ降格(!)。再び硬式野球部になったのは戦後だったというエピソードも残っているとか。
さらに1999年の青森県大会では、前年、東奥義塾に122点という日本記録で負けた深浦が、この年も青森戸山に4回までに54点を取られる大敗(深浦が先攻だったので5回裏の青森戸山の攻撃はなし)を喫している。翌日の新聞は、『失点は去年の半分以下』と大きく採り上げ、その健闘を称えたとか。
近頃は、甲子園に出場してくるような強豪校は選手もセミプロ化しているところが多く、こんな泥くさい高校野球の姿は見られない。100点取られてもまだ試合を投げない選手たち…、部員全員がピッチャーズマウンドに立ったのだろうか? 泣いても5回が終わるまでは許してもらえないんだから、高校野球はやっぱり厳しい世界だ???
7月9日(土) そうはイカン…、今日は「90」
− 三重フェニックスCC −
2日の「80」で復活の兆しを感じたのだが、今日の三重フェニックスCCのラウンドは46・44の「90」。
(以下、「ゴルフ99」へ)
レストランから見えている18番グリーン →
7月6日(水) あの「政権交代」とは、何だったのか?
政権交代は、日本にとって何だったのか。通過点だったのだろう。この体たらくを見せられては、もはや二度と民主党に政権が戻ることはないだろうが、自民党が(まだまだなのかも知れないが)以前よりもマシな政党になっていることは間違いない。
民主党は解体して、新しい政権の受け皿になりうる政党を結成しなければなるまい。離散集合、再編成を繰り返して、日本の政治は成熟していくのだろう。
7月4日(月) 国家観のない菅民主党政権
菅民主党政権は、日本の将来像をどのように描いているのだろう。目の前に起こっていることに対応するのが精一杯で、国家百年の計を基盤にしてことに当たっているとはとても思えない。
「浜岡原発の即時停止を要請する」と、福島大に発電所の事故を受けての突然の発表は、国民の原発へのぬぐいきれない不安に迎合したコメントにしか過ぎない。最大限譲るとしても、市民活動家の目線から見た方策であって、とても国家の政策を立案するものとしての政策とは言いがたい。この突然の要請のあと、中電浜岡は停止を余儀なくされたし、点検のため休止していた他の原発も再開への住民の同意が得られず、軒並み休止状態のままである。
夏を迎えて急増する電力需要にどう対処するのか。節電…というほかはなく、冷房温度を下げるなの合言葉のもと、熱中症患者は6月段階で昨年比の3倍に膨れ上がっている。
さらには、企業などの大口利用者には25%といった節電義務を求めるなど、日本経済に与える影響をどう考えているのだろうか。(何も考えてはいないのが、ホントだったりして…!)企業の生産業務に対する影響は計り知れず、作業の停止に追い込まれているところもある。自動車など大手メーカーは休日を木金曜日に変更するなどの対応策を講じているが、これを契機として、生産拠点を海外へ移すところも出てくるだろう。
思いつきの政策で、日本をジリ貧に追い込む菅民主党政権…。日本は、この市民活動家集団と共倒れになるしかないのだろうか。
7月2日(土) 蕎麦どころ「空木(うつぎ)」
ゴルフのあと、青山リゾートを越えて、伊賀市諸木の蕎麦どころ「空木」まで走って行った。
ゴルフは午後のスループレーだから、お風呂に入って上がってきたのが午後6時過ぎ。店は7時までだったとか聞いていたので電話を入れると、「到着まで、開けて待っています」と嬉しいお言葉。6時50分ごろに到着した。
このお店はもともと白山町の大三駅近くにあったのだが、冷涼な気候、清冽な水など、蕎麦作りにより適した環境を求めて、伊賀市の山の中へ古民家を見つけて引っ越したという本格派である。もとあった店からは25Km、津市内からだと45Kmの山中へ行ってしまったのだ。津からだと1時間はかかる。それでも「そば」というと、「空木」と言ってしまう。
(以下、「物見遊山224」へ)
7月2日(土) 今年2ラウンド目は「80」
−白山ヴィレッジGC−
6月24日の本年初ラウンド以来1週間、今日は白山ヴィレッジGCへ出かけた。キンジロウくんのメンバーになってからの初ラウンドである。
キングコースからのスタート、0.+2.−1.0.+1.0.0.+1.+1=40。 スループレーだから、そのままロイヤルコースへ、−1.+1.+1.+1.0.+1.0.+1.0=40。
ちょっと手ごたえをつかんだようである。パットがよく打てて、35パット。キングの8・9番のボギーは連続3パット、ロイヤルでも3パットを2回しているから褒められたものではないが、1パットが5回。アプローチはもともと下手なのだが、少し戻ってきたかなといった感触だ。でも、肘痛を抱えて、不安定なことも事実…。ホントの復活は、肘痛を直したときということだ!
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