雑記帳 2014年 6月 
 

 
  思いつき、メモ、ぼやき、他のジャンルに入らないことがら
 誰かに送ったメールの抜粋 … などを記していきます。
  ほとんど根拠のない、気楽な話の羅列ですから、ご用とお急
 ぎの方はのぞかないでください(笑)。   (文中敬称略)

 

              茶臼山高原 芝ざくらの丘 →

    

 零捌(08)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 零玖(09)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱零(10)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱壱(11)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱(12)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 拾月 拾壹月 拾貳月

 (13)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 拾月 拾壹月 拾貳月
 (14)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月



   

6月26日(木) スロヴェニア マリボール国立歌劇場「カルメン」
 

 三重県総合文化会館に「スロヴェニア マリボール国立歌劇場「カルメン」」がやってきた。総勢180名、マリボール歌劇場が引っ越してきたような公演だ。

 だいたい暇な章くんは、地元の催し物は、いつも一番安い席を買って、出来るだけ出かけることにしている。今日も、3階席の真ん中での観劇だ。
 席は、花道のかぶりつき以外は、どこの席もほとんど同じだと思っている。毛穴まで見なくてはならない美女の公演ならば最前列は貴重だけれど、あとは3階4階の席のほうが舞台の全体を見渡せる。ピアノコンサートは指先の動きが見える席もいいけれど、音が割れずによく届く天井近くの席もいいものだと思う。
 京都などでの歌舞伎は1ヶ月ぶっ通しの興行だから、学生時代には1番安い席を買って、何日も通ったりした。好きな役者の出し物だけを見るのだ。昔の菊之助(今の尾上菊五郎)はホントに華があってきれいだった。歌右衛門の女形は魅力的だったが、近くで見るものではないと思ったものだ。最近は(海老蔵はまだしも)何日も通わせる役者がいなくなった。 

 オーケストラを指揮するサイモン・ロビンソンのタクトが一閃されると、『トレアドル、ララ、ラララララ…』とお馴染みの曲が流れ始めた。楽団の音も繊細で際立っている。
 第1幕、縫製工場前の広場、多くの町の男や兵士達がたむろするところへ、伍長ドン・ホセを探しにやって来た村娘ミカエラの清らかな歌声が響く。

← 酒場で、カルメンを囲んでのおしゃべり

 第2幕の冒頭ですが、カルメンが歌う「ジプシーの歌」、そしてエスカミーリョの「闘牛士の歌」と、大きな盛り上がりを見せるシーンだ。ただ、この場面でも舞台の装置は簡単すぎる。はるかスロヴェニアから大勢で駆けつけてくれ、S席13000円の公演に舞台装置まで注文をつけるというのは過ぎたる望みであることは承知している。いつの日か、「スロヴェニア マリボール国立歌劇場」へ、あるいは「ウイーン オペラ座」へ出かける日を楽しみにすることにしよう。

 もうひとつ、この日のカルメン役のグアダルーペ・バリエントスのパワフルな歌声も魅力的であったが、今回来日しているヴェッセリーナ・カサノバの歌声を聴いてみたいというのが果たせぬ望みであった。
 この劇団は6月7日の札幌から7月2日の福岡まで、ほぼ毎日各地で公演をこなしている。翌27日が愛知芸術劇場、その翌日の28日が大阪フェスティバルホールでソリスト「ヴェッセリーナ・カサノヴァ」とあった。『こりゃぁ、大阪へ走らなくてはならないか』と一瞬思ったものの、まだそこまで「カルメン」に恋焦がれているわけでもない。
 …ということで、白山ビレッジの雨のゴルフを選んでしまった。


   
6月23日(月) 都議会ヤジ問題 

 お昼から調べものがあって机に向かいながらテレビをつけていたところ、どこもかしこもサッカーと東京都議会のヤジ問題を映している。
 晩婚化の課題点などについて質問に立った、みんなの党の女性都議会議員に、「早く結婚した方がいいんじゃないか」などとヤジを飛ばした議員を探し出し、「個人の尊厳を冒す」「女性を冒涜している」「セクハラだ」などと一斉に非難している。
 「早く結婚した方がいいんじゃないか」「あんたに言われたくないわ、大きなお世話よ」「がっはっはー!」で終わりだと思うのだが、世の中が真面目過ぎるようになったのか(ヒステリックになり過ぎと言うべきかな)、マスコミが飯のネタにするためか(もっと大事なネタが山積しているじゃないのか)、どうもみんながギスギスしていて世の中に余裕がなくなってきているように思う。
 こんなことでは、マイクを向けられたら、「あ〜、う〜」と言って、一言発するのに5分ぐらいを掛け、中身のない発言を繰り返すしかないなぁ。
 よき(?)時代、緒方竹虎(だったと思うが)は、国会で「あなたにはお妾(めかけ)さんが4人も5人もいるというが、いったいどう思っているのか」という質問に、「今さら別れるとか言って放り出すことはできないので、みんな大切にしています」と答えている。
 内閣総理大臣を務めた岸 信介は、新橋の芸者であった愛人の玉井よし(だったか)の葬式で、堂々と先頭で棺を担ぐ姿を雑誌のグラビアに撮らせていた。亡くなった玉井よしさんも満足だったことだろう。
 みんな、確かに自分の懐(ふところ)よりも国家の懐を優先させる度量の持ち主であった。

 今は、悪さもしないけれど自分の身の処理が第一で、公のことも考えられない輩が、真面目・誠実であるという理由で評価される時代だ。世の中が、ちまちまし過ぎているんだね。

 昔は良かった…なんていっているのは、やっぱり「トシ」かな(苦笑)。

   
6月20日(金) 河野談話-政府が検証報告
    
韓国と文言調整「元慰安婦」の裏付け調査せず

 時事通信 6月20日(金)16時40分配信は、『政府は20日午後、従軍慰安婦問題への旧日本軍の関与を認めて謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話の検証結果に関する報告書を公表した。報告書は(1)談話作成時に韓国側と文言調整していた(2)元慰安婦とされた女性への聞き取り調査では、事後の裏付け調査を行わなかった―ことを明記。日韓両政府が文言調整の事実を対外的に非公表とすることで一致していたことも明らかにした。
 安倍政権としては、談話作成の過程で韓国側の意見を一定程度反映させたことを強調するとともに、河野談話を継承する姿勢を示すことで、慰安婦問題に区切りを付けたい考え。ただ、韓国側は検証自体が談話の見直しにつながる動きだとして反発しており、日韓関係がさらに冷え込む可能性がある』と報じている。

 「正しい歴史認識を持て」とは、韓国自身が常々言い続けてきたことではないか。検証して、事実を明らかにしていくことを、なぜ非難する必要があるのか。
 結局、韓国が言う正しい歴史認識とは、自分達が主張することが正しい事実であって、それを否定する検証や事実の提示は全て正しい歴史に目を背ける行為だというわけだ。こんな態度では、歴史認識を共有できるわけがない。韓国の主張に屈服して受け入れるしか、解決の方法はないということだ。

 日本政府としては、次の段階として、「河野談話の見直し」検証の方法は学術的で揺るぎない正当性を持つものであることと、その結論は誰もが認める真実であることを公表して、世界の認識を改めるよう強く働きかけていくことだろう。
 そのために、「河野談話」への歴代内閣の認識を継承するという、現内閣の決定を正式に取り消し、その否定へ理由を明確に示して踏み出すことが必須である。


   
6月18日(水) 戦後体制史観

 K氏は94歳、県立高校の校長を30数年前に退職された。20年ほど前に奥様を亡くされ、以後は身の回りのことを自分でこなしてこられた。昨今は介護サービスを利用して、週3回ほど介護士さんの訪問を受けておられるが、今なお毎日の犬の散歩も欠かさず、矍鑠(かくしゃく)としてお元気である。
 そのK氏と話していたら、「安倍さんの政治は、日本を危うくする」と言われる。「軍備も増強せず、戦争の体制を整えなければ、どこも日本を攻めては来ない」と。
 社会の情勢に対しての見識も持たれていて、戦後の三重県教育界をリードして来られたK氏にして、この認識か…と驚いた。戦後の教育現場の主義主張は、まさしくそうであったと再認識もした。もちろん『それは違います。十分な抑止的戦力を持たなければ、中共はその権益を拡大するために、わが国の領海を横行し、南西諸島や沖縄は徐々に侵略を受けることは、南シナ海での現状を見れば明らかでしょう』と申し上げることはなかったけれど、戦後の日本を生きた人たちの意識には、戦力を持つことは悪であるという、批判を許さない認識があるのだと思い知った。
 これには、戦後の7年間に及ぶGHQの占領政策が絶対的な影響を及ぼしているのだろう。大東亜戦争を人類と平和に対する罪悪と断定した東京裁判の判決を、占領下の日本は絶対正義として受け入れ、一切の反論も批判も許されなかったのである。新聞もNHKも、GHQの検閲のもとで、「軍国日本は誤っていた。大東亜戦争は日本の犯罪である」というキャンペーンを張り、「平和日本は軍隊を持たない」という意識が無批判に植え付けられていった。
 完膚なきまでに破壊された戦争を経験し、占領から始まった戦後の日本を生きた人たちが、『軍隊・戦力・戦争』といった言葉や概念に無意識のうちに反対感情を抱くことは無理のないことだろう。だからといって、防衛力・抑止力を否定するわけにはいかない。
 そして…、やがて日本は、戦争を知らない世代の時代を迎える。その悲惨さを体験している人たちの戦争に対する嫌悪感と、「戦争は悲惨だ。起こしてはならない」と頭で理解し言葉で言っているだけの世代の反戦意識とは大きな差があることも確かで、現代は戦争への歯止めを忘れないことも不可欠だろう。
 その上で、国際社会の現実を見れば、攻められないための防衛力・抑止力を持つことは、戦争を始めないためにも必要なのだということを確認しなければならない。

   
6月17日(火) 集団的自衛権

 集団的自衛権とは、他の国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して防衛を行う国際法上の権利である。なお、第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反となる。(ウィキペディア百科事典より抜粋)

 日本の歴代内閣は、「日本は集団的自衛権を保持はしているが、憲法の規定に鑑みて、これを行使することはできない」との立場をとってきた。これに対して安倍内閣は、「集団的自衛権の行使は憲法解釈を変更することによって行使は可能である」ことを、今国会中に閣議決定することを目指しているが、『平和の党』を標榜する公明党はこれに難色を示し、与党内での協議が続いているところである。

 アメリカが圧倒的な軍事力を誇示し、中共が海洋進出する軍事力も持っていなかった頃は、「日本は戦えません」と言っていれば済んだのだが、今、中共はここ20年間に軍事予算を数十倍に増強し、東シナ海では中共の油田開発が進んで、中共艦船が毎日々々遊弋している。弱みを見せれば、中共は間違いなく力を以って制海権や領土を獲得しようと進出してくるであろうことは、南シナ海の現実を見ても明らかである。それに対して、我が国が抑止力を高める努力をすることは、国家としての義務であり、東アジアをはじめとする地域や世界全体への平和を保持する道である。

 端的に言えば、自衛権に個別的も集団的もない、やられないために自衛力を高めるのであって、中共の古賢である孫子も『強い敵を攻めるのは愚の骨頂』と言っているではないか。一朝事あるときは、全力で戦うんだというのは、日本のお父さんたちはみんな肝に銘じていることだ。


6月13-15日  金 沢 紀 行

① 九頭竜ダム永平寺   ② 粟津温泉「法師」  ③ 能登半島

④ 金沢 割烹「むら井」
 

 金沢香林坊のせせらぎの道沿いに、金沢の地の素材にこだわり、「人に思いやり、料理に真心、季節のめぐみたいせつに 後悔させません」を看板にかかげる、割烹「むら井」があります。

  日本海名産の「のどぐろ」の焼きもの →

⑤ 那谷寺    日本海さかな街


  
6月10日(火) 中共、「南京大虐殺・慰安婦」を世界記憶遺産登録へ

 韓国の聯合ニュースは10日、中国政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)に対し、日本が関与した 戦時中の従軍慰安婦の関連資料を記憶遺産に登録する申請を行ったと報じた。中国外務省が聯合ニュースの問い合わせに文書で回答した。同省は、申請は中国が単独で行い、対象の資料はすべて中国国内で見つかったものだと説明しているという。中国は今年4月、旧関東軍が作成した資料を発見したと公表しており、この資料が含まれている可能性がある。

 中共得意の宣伝謀略戦を展開しようということなのだろうが、日本も本腰を入れて『南京大虐殺・慰安婦』は歴史の捏造であることを、世界に向けて発信するべきときが来ている。
 世界では、今日までの中韓による大々的なプロバカンダによって、またそれに正対しようとしなかった歴代政府の怠慢によって、そして日本国内の自虐的反日勢力の言動によって、それを歴史の事実と思い込んできた人も多い。「日本軍による性奴隷制度は、日本の政府高官が認めているじゃないか」と根拠として挙げる人が特に欧米に多いことから、まずは「河野談話」の検証的否定から行なうことだろう。
 
 このニュースを、「報道ステーション」が報じていた。キャスターの古舘伊知郎が、「日本は相手の手に乗らないように、冷静な対応を…」と、相変わらず砂漠のダチョウのようなことを言っていた。
 冷静になって…、どうしろというのかな? キャスターってのは、具体策は言わないものなのか(苦笑)。


6月1日(日) 芝ざくらの丘バラの園


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