雑記帳 2013年 9月
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 大東亜戦争からもうすぐ70年、戦後の日本に育った世代が大半を占める時代です。この日本に安倍政権が再登板し、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げています。
 今こそ私たちは、なぜ日本はアメリカを相手に戦争したのか、あの戦争は日本の犯罪だったのか、東京裁判は正当だったのか…など、歴史を正しく検証し、日本が歩んできた道を見つめ直すときだと思います。
 そしてもうひとつ、日本の戦後教育を問い直し、まずは教育費が家計にとって大きな負担となるなどといった状況を改め、全ての子どもたちにしっかりした学力を習得させる仕組みを整えなくてはなりません。同時に、日本人であることに誇りと自信を持ち、国際社会の一員として堂々と生きていってほしいと思うのです。
 これからの日々、この2つをライフワークとして取り組んでいくつもりです。

  

 零捌(08)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 零玖(09)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱零(10)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱壱(11)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱(12)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 拾月 拾壹月 拾貳月

 (13)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 拾月 拾壹月 拾貳月
 (14)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月


                                        (文中敬称略)

【読書231】 『竹林 はるか遠く』
   (ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ 著&監訳、 都竹恵子 訳、 ハート出版)


 1945年7月29日の真夜中、ソ連兵が満蒙国境を越えるという知らせを受けて、当時11歳であった擁子は姉の好(こう、16歳)と母との3人で、身につけられるだけの荷物を持って羅南(ラナム、現在の日本海に面した、北朝鮮とロシアの国境付近の町)の家をあとにした。満州鉄道に勤める父とともに、一家は羅南に移り住んでいて、擁子はここで生まれていてまだ日本を知らない。

 日本の敗戦によって、満蒙に移住した日本人のうち、兵士や民間男子の多くはソ連軍の捕虜となってシベリアへ抑留され、婦女子は独力による引き上げを余儀なくされた。帰国までには、抗日パルチザンの執拗な追跡、日本を憎む韓国人たちの迫害、強盗・略奪・強姦に遭うものも多く、欠乏する食料、襲い来る寒波など、筆舌に尽くせぬ困難を越えなくてはならない帰国行であった。
 擁子たちも、頭を丸坊主にして男の子に変装しながら、羅南〜京城〜釜山…福岡から日本に入り、京都に留まる。しかし、彼女たちの住まいは「京都駅」の構内であった。
 「京都駅」に住みながら、母は「学問は大事です」と言って、擁子と好を学校へ入れる。母は、片時も離さなかった風呂敷の端に、貯金通帳といくばくかの現金を縫いこんで隠し、途中の何回かの検問の目をくぐってきたのだった。
 学費は1年間分を払い込んだものの、暮らしは日々の食べ物を拾い集める毎日であった。戦災を受けなかった京都では、擁子が通う学校の子どもたちは小ぎれいな服装をしていたけれど、擁子はつぎはぎの服と口をあけた靴を細縄で縛って登校していた。
 そんな京都駅で寝起きする日々の中で、母が亡くなる。………。


 擁子は長じてアメリカ人と結婚しアメリカに渡るが、この本は、1986年(昭和61年)にアメリカで出版され、アメリカ教育課程の副読本として採用されている。戦争の恐怖とその中を生き抜いた少女のたくましさが、多くの子どもたちに感銘を与えているが、出版が戦後16年を経た後であった理由を、筆者は「あまりに悲惨な思い出なので、しばらくは書くことができなかった」と語っている。
(以下、本文へ)



9月28日(木) 中国無人機 CH-4


 世界の航空機メーカーが最新鋭機を披露する展示会が、中国・北京で開かれていて、中国の最新型無人機「CH-4」が注目を浴びているようすが、テレビに映し出されていた。
 「CH-4」は、腹にミサイルも抱えていて、攻撃能力も備えているという。今月9日には尖閣諸島上空に中国無人機が侵入し、自衛隊機が緊急発進する事態も起きている。
 「領空侵犯を繰り返した場合は撃墜も考えられる」という日本政府のコメントに、中共軍の高官は「撃墜は戦争行為とみなす」と宣言している。
 

 日本も、早速無人飛行機を飛ばして、天安門の上を旋回させなきゃ!


   
9月26日(水) 日本ってすごい!
  
成立年  名 前 府県 業 種
 ① 578 金剛組  大阪府  寺社建築 
 ② 587  池坊華道会 京都府 活け花
 ③ 705  慶雲館 山梨県 旅館
 ④ 717 古まん  兵庫県 旅館
 ⑤ 718 法師  石川県  旅館 


 ある本を読んでいたら、「世界最古の企業ベスト5は、全て日本企業だ」とあった。
 ベスト1は、寺社建築を手がける金剛組(大阪府、578年(飛鳥時代)創業)で、聖徳太子とともに四天王寺の建立を手がけたという。日本では、伝統や文化を伝承されていて、歴史がつながっていることを証明している。


 日本は、国家としても世界最古の国家。ひとつの国が成立して以来、国家としての形態が世界で一番古くから継続している国である。日本神話では紀元前660年2月11日(旧暦、神武天皇の元年1月1日)、神武天皇が初代天皇として即位され、この日を日本の建国の日としている。ギネスブックは、日本を世界最古の国と認定している。
 そして、日本の皇室は世界で最も古い皇室・王室である。歴史学的には、日本の国家成立は4世紀の大和朝廷の成立。次に古い君主国はデンマークで、建国は10世紀ごろである。
 世界最古の共和国は、イタリア半島の中東部に位置する「サンマリノ」。周囲は全てイタリアで、世界で5番目に小さな国(ミニ国家)である。成立は4世紀はじめごろとされている。


   
9月24日(火) 嘘、誤魔化し、不当逮捕、腐敗、… 悪の巣窟「中共」
      - 薄煕来裁判の無期懲役支持の書き込みは、中国政府主導の「官製コメント」 -


 『判決公判は22日、山東省済南市の裁判所で行われた。薄被告は貧困層や保守派に根強い支持があるのに、ネット上では支持するコメントは確認できなかった。この問題をめぐり、取材に応じた複数のネット関係者が「一般の書き込みをブロックした」と証言した。
 北京の大手ニュースサイト運営者によれば、判決公判の数日前、地元公安局のネット担当者から、「白号」(ホワイトリスト)と呼ばれる約3万人分のアカウントを渡された。担当者は、「これらのアカウントでの書き込みを削除する必要はない。これ以外はすべて『黒号』(ブラックリスト)とし、書き込めないようにせよ」と指示したという。白号を使って投稿したのは公安局が雇った“ネット工作部隊”とみられる』と、産経ニュースWEB版が伝えている。

 西側諸国ならば国がひっくり返るほどのスキャンダルなのに、中共(やロシア・北朝鮮)ならばそれも当然とばかり、たいしたニュースにもならないところが、中共が悪の権化である証明だ。
 


  
9月19日(木) 大震災、園児死亡の幼稚園に1億7千万円の賠償判決 
          
幼稚園=政府・園児=国民と読み替えると…。
      - 大震災で津波に巻き込まれ園児が亡くなった責任は幼稚園にとの判決 -


 読売新聞の社説はこう述べる。
 『津波から園児の命を守れなかった責任は、幼稚園にある。幼い子供を預かる施設への警鐘と言える賠償命令だ。
 東日本大震災の直後、宮城県石巻市の私立幼稚園の送迎バスが津波に巻き込まれ、園児らが死亡した事故で、仙台地裁は幼稚園側に約1億7700万円の損害賠償を命じた。
 死亡した園児4人の両親が「園の対応の悪さが引き起こした人災だ」と訴えていた。判決は「津波に関する情報収集義務を怠った」と結論付け、訴えを認めた。
 幼い園児は、危険を回避する能力が大人ほど発達していない。津波襲来の際などには、自らの判断で避難することは困難だ。
 判決が「園長、教諭を信頼して指導に従うほかに生命身体を守る手立てがない」と指摘したのは、もっともである。』と。

 幼稚園=政府、園児=国民と、そっくりそのまま読み替えることができる。すなわち、
 『津波・原発事故から国民の命を守れなかった責任は、政府にある。情報量が限られている国民を預かる国家・政府への警鐘と言える賠償命令だ。
 東日本大震災の直後、福島県を中心に東北各県の沿岸部の住民は津波に巻き込まれ、また福島原発の事故により東北と関東の一部の地域の住民は放射能に汚染され、故郷を追われて避難生活を余儀なくされている。
 被災住民が、「国と政治家、東電の対応の悪さが引き起こした人災だ」と訴えを起こしたのに対して、検察は「津波・原発事故に関する情報収集義務を怠った」と結論付け、訴えを認めるべきではないのか。
 情報量が限られている国民は、危険を回避する能力が国家・政府に比べて著しく小さい。津波襲来や原発事故の際などには、自らの判断で津波の規模や放射能被害を判断して避難することは困難だ。
 検察・裁判所が「住民は、国家・政府を信頼して指導に従うほかに生命身体を守る手立てがない」と指摘・判断するのは、もっともである。』と読み替えると、納得できる文章になるのではないか。


 先日、津波・原発事故に対する対応を誤って、おびただしい数の国民に甚大な被害を生じさせたとして、当時、事故処理を指導した菅直人元首相ら政府首脳が訴えられた。検察は「違反事項はないとして「不起訴」の判断を下し」、訴訟を起こすこともしなかったことは、周知の通りである。
 が、判断を誤って園児を津波で死亡させた幼稚園が有罪ならば、津波は想定外だとしても、そこから生じた原発事故に冷却水の注入判断を誤った(妨害した)り、漏れ出た放射能の飛散予測をアメリカから受け取りながら適切な処置をせず、被爆・被災程度を拡大した責任は、何倍かの大きさで問われて当然だろう。
 それが責任なしだったら、政治は結果について何の責任も問われないということになる。「幼い園児は、危険を回避する能力が大人ほど発達していない。津波襲来の際などには、自らの判断で避難することは困難だ」という判決を下した司法と、その判決を支持した読売新聞は、「情報量が限られている国民は、危険を回避する能力が国家・政府に比べて著しく小さい。津波襲来や原発事故の際などには、自らの判断で津波の規模や放射能被害を判断して避難することは困難だ」という事実を前に、国と当時の総理・経産相らの責任について、どう論じ判断するのだろうか。


   
9月15日(日) 日本国憲法を美しい日本語で


 「春はあけぼの。ようよう白くなりゆくやまぎわ すこし明かりて 紫だちたる雲の…」「徒然なるままに日暮らしすずりに向かいて、 心にうつりゆくよしなし事を…」「ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず。…」「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり …」、ご存知、枕草子、徒然草、方丈記、そして平家物語の冒頭だが、中学・高校のころに覚えたこれらの一節は、その日本語の美しさゆえに今も諳(そら)んじて口にすることができる。
 それに対して日本国憲法は、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と始まる前文冒頭も、その前文の中の今まで幾度となく繰り返して聞いた、有名な一節「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という文も、全く覚えることができない。
 これはなぜかと考えてみると、日本国憲法はアメリカ人が作り英語で書いた原文を日本語に訳したものなので、単語それぞれは格調高く、中に盛られた精神は崇高であっても、日本人の心に響かないのである。「ようよう白くなりゆくやまぎわ すこし明かりて 紫だちたる雲の…」という文は、読む日本人の目の前にくっきりとその風景を描き出すけれど、日本国憲法のセンテンスは日本人の琴線に響かない。だから、書かれた文言は平和を希求する宣言ではあっても、どこか欺瞞に満ちていて、我々のはらわたに響いてこない。
 教育勅語は「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ 我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此 レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス…」を、小学校にあがると意味もわからないままに暗誦させられたというが、我が家の母上は今もスラスラとのたまう。意味は…よくわからんと言う。
 教育勅語は、明治23年に公布されたもので、国民の培うべき徳行を説くものである。山縣有朋内閣のもと井上 毅(いのうえ こわし)が中心となって作成し、明治天皇が文部大臣を介して国民に付与した。
 「ちんおもうにわがこうそこうそう…」という語感・リズムが快いし、その意味するところ「私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国をお始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこにお築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。…」と綴られた文章も、日本人の成り立ちや歴史に根ざしたものであり、心根に染み入るものであったからこそ、人びとは命のある限り口にする文言となったのであろう。
 やはり「日本国憲法」は、日本人の言葉で書かれ、日本人の存在意義を表す文言で綴られてこそ、日本人が大切にする憲法となることができるのである。


   
9月14日(土) ガキ大将国家への抑止力


 中共は共産党の一党独裁が続き、トップの政治判断が法律に優先する、前近代的国家である。韓国は民主主義国家として日米と価値観を同じにする近代国家だと思っていたが、最近は日韓基本条約で解決済みの徴用工や慰安婦の賠償を日本に求めたり、戦前に日本や日本人と結託して築いた財産を没収するという「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」なんて遡及法を定めて、過去の事案を法律の番人たる裁判所が裁こうとしている。
 中韓は、もはやとても近代国家とは言い難く、その時の為政者の判断でどうにでも変わる、悪代官が統治する日本の江戸時代の様相である。それを恥じないのだから、子どもの世界でもある。
 「敵進我退、敵駐我撹、敵疲我打、敵退我追」(毛沢東、遊撃戦論)は中共の戦いの基本だから、力の空白があれば躊躇なく相手を進撃しなければならない。この「力の信奉者」を相手にするとき、決してやってはならないことは、力のバランスを崩すことである。こいつは俺よりも弱いな…と思えば、力ずくで屈服させようとするのは、ガキ大将がすぐに考えることだ。
 国際社会の監視があるなんて能天気なことを言っているのは、何も知らない不勉強をさらしているようなものだろう。中共は、米軍がベトナムから撤退(73年)するや西沙諸島パラセルをベトナムから奪い(74年)、ソ連航空部隊がカムラン湾飛行場から撤退(84年)するや南沙諸島に進出してスプラトリーを占拠(88年)、米海軍がフィリピンから撤退(92年)するやスカロボ岩礁を占領してしまった。チベット、新疆ウイグル地区、内モンゴルの征服・制圧・同化の不法性については、今さら言うまでもない。


 今、日本は何をなすべきか。 
(以下、「日本は今 264」へ)

   
9月11日(水) 尖閣国有化から1年 - 周辺海域は、実質、中共の領海 -

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)の国有化から今日で丸1年が経過する。カツオやマグロなどの好漁場でもある周辺海域はこの間、日中がにらみ合う緊迫の海となり、連日、中共の海洋監視船「海監」が接近・領海侵犯を繰り返し、操業する日本の漁船に近づいて「直ちにこの海域から出なさい」と警告してくるという。沖縄から漁に出る船はほとんどいなくなった。
 この状況は、中共による実質的な支配がなされていると言わねばならないのではないか。これを1年…3年…5年…と繰り返していけば、世界はここは中共が支配する海と認識するだろうし、そのうち中共の漁船が出てきて堂々と操業することになるのではないか。
 マスコミやコメンティターの面々は、「中共と首脳会談も開けない状況は異常だ」と、どういう過程を経れば首脳会談が実現するのかも示すこともできずに、繰り返している。とにかく、話し合えというのだ。
 しかし、日中首脳会談が開かれなくても、何の支障もない。この1年間、会談はなくても、何の差しさわりもなかった。むしろ、菅 直人が胡錦濤の前でメモを読みあげながら会談した当時のほうが、漁船衝突事件・東シナ海の油田掘削開始・空母建造・「戦争に備えよ」演説…など、軋轢が生じている。
 …略…。
 日本は、他国の感情には理解を示しつつも、我が国の立場で堂々と歴史認識を持てばよいのである。世界に向かって日本の正当性をしっかりと発信し、中韓に対しては是々非々の対応を貫くことだ。そうすることが、日本の支援による(いや、もう支援はゴメンだけれど)辛亥革命の成功や大韓民国の成立など、彼らの国際社会への目を開くことにつながる。



9月10日(火) 全国学力テスト結果 三重県は今回も全国最下位レベル
  - 学テ結果 全国最下位に衝撃の静岡知事 激怒! 「校長名公表したい」 -


 静岡県の川勝平太知事は、今年4月に行われた全国学力テストで小学生の基礎的学力を問う国語Aの平均正答率が同県は全国最下位だったことに関連して、「(成績順に、県内の)下から100校か、平均点以下の校長先生の名前を公表したい」と述べた。


 三重県はと見ると、
   国語A  国語B  算数A  算数B  国語A  国語B  算数A  算数B
三重県 60.3 46.7 75.8 55.3 75.0 65.8 63.2 39.3
順位 41 44 41 44 46 41 29 38
 全国公立 62.7 49.4 77.2 58.4 76.4 67.4 63.7 41.5
静岡県 57.7 47.3 76.2 56.6 77.1 68.7 65.0 44.6
・黄色は小学校、水色は中学校。国語・算数(数学)とも、Aは基礎、Bは応用力を見る問題。


 静岡県は、小学国語Aでこそ三重県の下位に甘んじているけれど、他の7項目で三重県を上回っている。小学国語Aの全国最下位がよほどショックだったのだろうが、これで激怒ならば、三重県の鈴木英敬知事は脳卒中で入院だ。伊勢新聞は、三重県の結果を「学力テストで県内小中学校 すべて全国平均以下」と伝えている。
 三重県は中学数学を除くあとの6つの項目で40位以下、小学校国語Bと算数Bは下から4番目、中学校国語Aに至っては、下には断トツ最下位の沖縄(69.2)がいるだけで、全国47都道府県中46位である。
 鈴木英敬は三重県に立候補したときの公約に、「全国学テで下位に甘んじている三重県の学力を向上させる」ことを掲げていた。その後、どんな具体的な手を打ったのか。今回の結果を目にして、どんなコメントを出したのか…、聞こえてこない。
 教育は国家百年の計である。津市長になった前葉泰幸にも、立候補のときに『津市の発展のためには人材の育成は欠かせない。津市の教育の底上げを図ってくれ』と話したところ、「教育はみんなに話しても返事が返ってきませんから、票になりません。選挙の材料にはできませんが、当選の暁には梃入れを考えます」と言ってくれたが、教育改革には現場を変えていく努力が必要だ。三教組との折衝や軋轢を越えなくてはならないし、本格的に取り組むとなると勢力の要る課題である。かつて、北川正恭に具体的な提案をしたこともあったが、かの北川にしても手も足も出ない課題であった。
 しかし、全国最低レベルの三重県教育が、このままでよいわけはない。県民とともに三教組の壁を乗り越え、現場の教育体制を整えて教育レベルを向上させる取り組みが、必ずや実現することを諦めずに進めていきたいと思っている。


【262】 消費税増税の前に -どこへいった、構造改革-   2013.09.10


 「増税の前にやるべきことがある」、かつては増税の前には国家の無駄遣いを見直して、政官が襟を正した姿を国民の前に示し、もって増税をお願いしようという議論が盛んであった。公務員改革・国政改革の諸懸案は、何も実行されないままに現在に至っているが、その進捗を求める声もどこかへいってしまったままに、増税議論だけが盛んである。
 第一次安倍内閣(2006年9月-2007年8月)の行革担当相だった渡部喜美(現みんなの党党首)は官僚の幹部人事を内閣府が一元的に握る内閣人事局の創設を掲げた公務員改革法の成立に奮闘し、安倍内閣のあとを継いだ福田康夫・麻生太郎内閣の後退によって成立が危ぶまれたこの法案を、民主党の賛成を得て成立させている。しかし、伊吹文明幹事長、町村金吾官房長官(いずれも当時)の暗躍などで骨抜きにされていく同法の扱いに怒って自民党を飛び出し、「みんなの党」を結成したのは周知の通りだ。
 民主党は2009年、『国民の生活が第一』のスローガンのもと、バラマキ4K政策(子ども手当、高校無償化、(農家の)戸別補償制度、高速道路無料化)を掲げて政権後退を果たすわけだけれど、その財源はどこにある…と問われて、『国政の無駄を省けば12兆円が浮く』と算用している。
 事実、当時の天下り法人数は約4600、天下り役人の人数は約28000人で、費やされる国費はおよそ12兆6000億円と言われていた(2005年時、衆院調査局調べ。)
 (以下、本文へ)


   
9月8日(日) 祝! オリンピック東京開催

 
 午前5時20分、ブエノスアイレスの五輪セレモニー会場から、「2020年オリンピックが東京で開催されることに決定した」と伝えた。イスタンブールとの決戦投票は、60対36(棄権1)の大差で、東京が選ばれた。
 前回の東京オリンピックの開会式を、僕は京都鴨川ボーリング場のテレビで見ていた。カラー放送が始まったばかりだったが、成果の煙が吸い込まれていったあの空の青さが印象的だった。
 日本は、その紺碧の空に飛翔するように、その後、成長を続けた。今、安定政権のもと、このオリンピックを契機として、世界に羽ばたく日本を創り上げていきたい。


    
9月1日(日) 消費増税は見送るべき


 消費税率の引き上げに関する集中点検会合の有識者ヒアリングで、予定通り来年4月に税率を8%に引き上げることへの賛成・容認意見が7割以上に上った。秋の臨時国会を控えて財務省の息がかかった与党増税派からも一層“引き上げ圧力”が強まるのは必至だ。
 ここで増税を見送るとなると、三党合意で成立した増税法を改定して国会審議にかけなくてはならない。1%ずつの段階的増税には、計算や徴収などにかかる手間も大変だという。
 しかし、それでもここは「消費税増税を見送るべき」だと思う。その理由は、増税は必ず景気の足を引っ張り、成長への足かせになる。黒田日銀総裁は、「増税しても経済成長は止まらない」と自信ありげだが、仮に株価が14000円前後をうろうろしていると、「それ見たことか。成長実体のないアベノミクスは頓挫した」と言いはやす連中が必ず出てくる。14000円でも民主党政権下での7500円に比べれば倍に近い上げ幅だが、批判する輩は14000円でも…15000円でも…評価することはない。
 本来、税収の増加は、強い経済を作り上げ、収益の増加によって増収を図るべきである。消費税のアップは政権の約束であり、財政赤字の膨らむ日本はここで増税しなければ国際的な信用を失くすなんて言っている、財務省の回し者のような政治家や学者がいる。三党合意では景気判断が優先すると書いてあるし、3%の消費税増税は7.5兆円なのだから、「それぐらいは経済の活性化で稼ぎ出しますよ」と世界に向かって発信すれば良い。消費税増税見送り…と言っただけで、円安・株高に大きく振れて、景気は上向き、7.5兆円の増収ぐらい瞬く間だ。
 今、アベノミクスを足踏みさせるわけにはいかない。とにかく景気浮揚策を次々に打ち出し、増収によって税収を増やすこと! その一点に、焦点を定めることだ。


   
8月28日(水) 海老沼、感動の金メダル!


 柔道の世界選手権リオデジャネイロ大会第2日は27日、男女2階級が行われ、男子66キロ級は、ロンドン五輪銅メダルの海老沼 匡が、決勝でアザマト・ムカノフ(カザフスタン)を破り、世界選手権2連覇を飾った。
 テレビの決勝戦中継を見ていたら、中盤から攻勢に出た海老沼に対し、相手は立ったまま左腕を取り逆手に間接を決めに来た。寝技の中で逆手を取るのはオーケーだが、立ったままで逆手を取りに行くのは危険技として禁止されている。当然、即失格敗戦のはずだ。
 しかし、審判は主審も2人の副審も知らん顔。左手を逆手に抱えられて顔をしかめる海老沼の表情を見ながら、そのまま試合を続行させている。倒れ込んで、ようやく「待て」がかかったが、海老沼は左手を抱えてうずくまっている。が、主審は試合続行を促す。
 左手は使えず、ぶらりと垂らしたまま、右手一本で相手の襟を掴もうとする海老沼…。ここまで指導をとられていて劣勢のまま残り時間はあと1分、もうダメだ…とテレビを見ながら僕も覚悟した。 …と、ここで「放映時間が切れましたので中継を終わります」とアナウンスがあり、試合途中なのに画面が途切れた。
 「フジテレビなんて、もう一生見やん」と憤りながらも、あの劣勢振りでは到底勝てまいと、負けるところを見なくて済んだかという安堵感もどこかに抱きつつ、続く「めざましテレビ」を見ていたら、女子アナが「海老沼選手が金メダルを取りました」と言う。
 半信半疑だった。あの状態で、勝てるわけがないと思っていたからだ。VTRを見たら、右手一本で左の襟を取り、そのまま押し込んでいって、下がる相手の左足を右足で刈る「大内狩り」。ムカノフを仰向けにして、見事な一本勝ちであった。


 絶体絶命からの一本勝ち。底力とは、こんな力をいうのだろう。井上康生監督の指導が浸透し、日本柔道の形が出来上がってきている。


   
8月27日(火) 5・4・3・2・1…、あれっ?

 宇宙航空研究開発機構(JAXA(ジャクサ))が鹿児島県肝付町(きもつきちょう)の内之浦宇宙空間観測所でから宇宙を目指した新型ロケット「イプシロン」1号機は、27日午後1時45分に打ち上げの予定だった。



打ち上げは、カウントダウン中の発射19秒前に異常が検知され、中止された。

 ロケットを管理するコンピューターや回線にトラブルが起きた可能性がある。JAXAは原因究明を急ぎ、早期の打ち上げ再挑戦を目指す。

 イプシロンは、同日午後1時45分に打ち上げの予定だった。ロケットの姿勢がわずかにずれていると地上側のコンピューターが誤検知し、点火前に自動停止した。JAXAは別の方法で確かめたが、ロケットに異常はなく、機体のコンピューターから地上のコンピューターにデータが送られる際に異常があった可能性があるとみて調べている。



【読書228】 
日本を讒(ざん)する人々
           2013.08.20
   渡部昇一、金 美齢、八木秀次       
PHP

    (平成21年8月18日 民主党政権成立を目前にしての鼎談)


【読書227】 日本を弑する人々 
   渡部昇一、稲田朋美、八木秀次   PHP
      
2013.08.2



8月20日(月) 図 書 館

 図書館をのぞいて、4冊の本を借りてきた。「日本を弑する人々」「日本を讒する人々」「日本人としての政治の授業」「日本再生計画」である。
 だから僕は『右翼』と言われるのか。自分としては、右も左もない、至極真っ当な日本人のつもりなのだが。
 ただ、以前から述べているように、現今の日本の歴史観を縛る、「大東亜戦争は侵略戦争であり、われわれの先人は戦争犯罪人であった」という東京裁判の結果に対して検証を加え、正しく歴史を伝えることは、日本という国家の名誉と日本民族の誇りを取り戻すために、極めて大切な事跡の実証であると思う。


8月15日(木) 終戦記念日と靖国参拝

 なぜ、日本は大東亜戦争を戦ったのか…。その問いに対する答えなくして、「終戦記念日」を感懐することはできない。大東亜戦争に大儀がなければ、終戦記念日を英霊に対する尊崇の思いをもって迎えることができないからである。
 では、なぜ日本は大東亜戦争を戦ったのか…。当時、地球の表面の64%近くを支配していた西欧列強の帝国主義的植民地化に対して、その支配に屈せず自主独立の道を歩んでいた日本を西欧諸国は看過することはできなかった。ロシアを退けて朝鮮・中国へと進出し、アジア諸国への影響力を持ち始めた日本を、特に遅れてきた帝国主義国家のアメリカは放置しておくことができなかったのである。
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 そして次回からは、「日本のために命を捧げた先人の御霊に礼を尽くすことの、どこが避難されるのですか」と堂々と言って、新年、春秋の例大祭、終戦記念日に、必ず靖国参拝を実行することにしたい。いわれのないイチャモンには揺るがない日本を貫いていくことが、世界で認められることの第一歩だろう。
(以下、「日本は今、259」へ)


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