雑記帳 2014年 9月 
 

 
  思いつき、メモ、ぼやき、他のジャンルに入らないことがら
 誰かに送ったメールの抜粋 … などを記していきます。
  ほとんど根拠のない、気楽な話の羅列ですから、ご用とお急
 ぎの方はのぞかないでください(笑)。   (文中敬称略)

 

    昨日ゴルフに行ったら、アキアカネが飛んでいた →
    
    

 零捌(08)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 零玖(09)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱零(10)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱壱(11)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱(12)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 拾月 拾壹月 拾貳月

 (13)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 拾月 拾壹月 拾貳月
 (14)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月



   
9月24日(水) 議員の政務活動費は実費精算に

 号泣議員が政務活動費の明細として届け出ていた費用のほとんどがウソであり、年間195回に及ぶ出張は、全く行っていなかったという。この野々村議員の場合、月額84万円の議員報酬と年2回の期末手当(約375万円)を支給されていたのだから、年間1383万円を得ているのだが、なおひと稼ぎしてやろうと思ったのだろう。
 この政務活動費は、各都道府県議員・市町村議員にそれぞれの条例に従って支給されていて(条例を制定するのは当の議員たちなのだから、まさにお手盛りである)、その額は東京都60万円、大阪・名古屋市50万円、わが三重県では津市5万円、亀山市2万円、また三重県会議員18万円(別に会派へ15万円×所属議員数、だから議員ひとり当たり33万円)といったように、自治体の規模などによってまちまちである。
 国会議員には「文書交通費」といえ呼称で月額100万円が支払われ、残額は返還不要だから、事実上そのまま懐に入る金だ。

 この野々村元議員の例に見るように、政務活動費の多くは政務実体のない支出に宛てられていると見て間違いないだろう。正当な政務活動に対してある程度の資金を援助していくことはやぶさかでないと思われる。むしろ実のある政務活動はしっかりとして欲しいと思うほどだが、支出の正当性をしっかりと精査する機能を備えておくことが、市民の納得を得る上でも、議員の潔白を証明する上でも必要である。
 その為に、一律支給を止めて、かかった実費を領収書を添えて議会事務局に請求し、その都度支給を受けるようにすることだ。民間企業の経理のやり方から見ても、それが至極当然の方法である。

 関連してもう一言! 議員の定数を半分にすること。議員の数を減らすと隅々の住民の声を吸い上げられないなどという議論を聞いたことがあるが、今のような資質も能力もない連中が政策に関係なく選挙上手で票を集めて議員になっている現状を見れば、より厳選された議員が市民の声を聞くシステムを整備して政治に当たるほうが良いに決まっている。
 議員定数を半分にすること。議員たちは自分のことだから手をつけたがらないだろうから、住民提案で議会に掛け、反対する議員をチェックすることにしたらいい。

   
9月14日(日) クアラルンプールにて

 新学期のあれこれも一段落したところで、マレーシヤに来ています。エァ・アジアが中部国際空港就航を記念して、格安の格安航空券を発売したことも、ここへ来た要因のひとつです。
 日本人のロングスティ人気第1位の国マレーシアとはどんな国なのか。その首都クアラルンプールは、本当に住みやすい町なのか。2週間足らずのスティでは、それを確かめるほどの材料はほとんど得られないかもしれませんが、マレーシァの人たちは親日的であること…、朝食は600円ほどのブレックファーストから300円ほどのお粥まであり、どちらもたくさんの人だかりができていたこと…、日本にある具象物は今のクアラルンプールには全てあり、何の不便も不都合も感じなかったこと…、そして、クアラルンプールに暮らす人びとには、躍進する国を支える躍動感と、現実を生きるたくましさを持っていること…を感じさせられています。

 この10月に乙部の自宅を引き払い、会社の事務所兼倉庫を住まいにして、海外へ出かける日々を増やそうとたくらんでいる僕は、クアラルンプールから「これからのお年賀のご挨拶なども省略せざるを得ず」と書いたハガキを、50センの切手を貼って、日本の友人・知人に出しました。50センは0.5リンギットで約17円、これでエァメールが届くのですから、マレーシァの物価の安さが判ろうというもの…。僕は、17円で転居届けを発送したわけです。

 クアラルンプールの滞在記は、また近日に!


   
9月3日(水) 日中・日韓首脳会談は必要か?

 中共がサンフランシスコの中心市街地「中華街」に従軍慰安婦像を建てようとしているという。自国の恥をものともせずに、歴史的事実として否定された慰安婦問題で、なお事実無根の日本の悪口を世界で言い続ける怨恨国家「韓国」と、『反日』を共通点として手を組み、日本を貶めるための方策をめぐらそうとするものである。
 
 こんな国々の首脳と、ホントに会談する必要があるのか? それも、靖国参拝という国家のために殉じた英霊の御霊に参ることを取りやめてまで…。
 日本の国の首相として当然なさねばなならないことを行い、それで「お会いしましょう」と言うならば会えばよい。会うための条件を並べ立て、それに従わないならば会わないというのならば、相手にしなければよい。
 国内にも、「中韓との首脳会談が実現しないのは異常だ」と言っているのがいるが、日本国の首相としての当然の責務と自らの信念を曲げて、相手の言う条件に従って会談を実現するほうが、よほど異常だろう。

   
9月2日(火) 小池清彦というおじさん山中光茂という兄ちゃん

 ビデオに録った先週のテレビ「これでいいのか日本の現状バトル」を見ていたら、防衛庁教育訓練局長などを歴任した小池清彦(現新潟県加茂市長)というおじさんが出席していて、「集団的自衛権が認められると徴兵制が復活し、自衛官が戦場に派遣されて、血を流し命を失うんですよ。」などと、とんでもないことを言っていた。ホントにこのおっさん、元防衛官僚で、日本の国防の実務を担ってきたのか。一昔前の防衛官僚とは、この程度のものだったのか。
 個別的自衛権だろうが集団的自衛権だろうが、国家間の紛争が生じれば、自衛隊員が国防のために命をかけるのは当然だろう。国民の生命財産を守り、安全平和に命をかける任務に勤しむからこそ、警察官や消防士や自衛官は国民の尊敬を受けてきている。自衛隊員として着任するときに、「自分の命は国に捧げる」と決意している。小池さんの発言は失礼に過ぎる。自衛隊員が血を流したり、命を失ったりするのは当然のことだ。その覚悟をもって任務に当たっている自衛隊員の精神を冒涜するものである。

 松阪市長の山中光茂も出ていて、「自分が海外奉仕に行ったときも、日本は戦わないから尊敬されていることを実感しました」「世界の常識でない考え方をする国だからこそ、日本は平和でありえた」なんて言って、「何言ってんだ、松阪牛が泣いてるぞ」と一蹴されていた。実に久しぶりに、昔の左翼学生運動家の議論を聞いているようだった。

   
9月1日(月) 常在戦場 -日中開戦、君は戦うか-

 「集団的自衛権を認めると戦争に巻き込まれる」という議論がある。かつては「自衛隊を持つと…」「安保条約を結ぶと」戦争に巻き込まれると言ったりした。
 昭和29(1954)年の自衛隊発足から60年が経った。昭和26(1951)年の旧安保条約、同35(1960)年の新安保条約の締結からそれぞれ63年、54年という長い時間が経ているが、日本は平和であり、繁栄を謳歌している。むしろ、自衛隊や安保があってこそ、今日の安定があることを否定するものは少ないのではないか。

 「集団的自衛権」の論議も同様であろう。かねてから申し上げてきたように、自衛権には個別も集団的もない。攻められたら戦うのみである。
 今や、武装しなければ責められることもないなどと言っているものは居まい。「非武装中立」という言葉は、あの朝日新聞の紙面からも、朝日が提供する現代用語辞典「知恵蔵」からも姿を消している。現代を語るのに、「非武装中立」では、何の説得力もないというわけだ。

 自衛隊があろうがなかろうが、安保条約が締結されていようがいまいが、戦争は起こるときには起こるということを知っているべきだ。国際法を無視して、自国の論理に反するものは力で制圧しようとする中華帝国が目の前にいる限り、日本の都合にかかわらず、ある日突然に衝突が起こることは、常日頃から覚悟しておかなくてはなるまい。
 世界を見るとき、住民の都合などは一切お構いなく戦端は開かれる。黒海の軍港が欲しいために、ある日突然に謎の武装集団に扮したロシア軍はクリミアに進行し、今やウクライナ東部は戦火に蹂躙されている。憎しみの連鎖の果てに、パレスチナとイスラエルは互いの殺戮を繰り返している。1914年には一人のセルビア人の放った銃弾から、戦闘員の戦死者は900万人、非戦闘員の死者は1,000万人、負傷者は2,200万人という未曾有の犠牲者を出した第一次世界大戦が起こっている。

 中共が共産党による一党独裁政治を改めない限り、日中の衝突はいずれ生じる。中共のチベット、新疆ウイグル、内モンゴルの制圧、インド・ベトナムへの侵攻、南シナ海での専横などを見れば、日本が中共の支配を受け入れない限り紛争は覚悟しなければならない。
 「憲法9条を守れ」「戦争放棄」といくら叫んでいても、彼我の軍事的均衡が崩れて、中共軍に有利な状況がつくられたら、人民解放軍は必ずやってくる。日本は先制攻撃をすることはない。しかし、領空領海侵犯は決して許さないし、国際法に則って侵犯者は撃退することは、常々明言しておくべきだし、行動でも示しておくことが必要だ。
 日本国民は、明日にでも「中共軍、尖閣上陸、沖縄制圧」の報が飛び込んでくる覚悟をもって、日常を生きねばならない。

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