雑記帳 2013年10月 



 
  思いつき、メモ、ぼやき、他のジャンルに入らないことがら
 誰かに送ったメールの抜粋 … などを記していきます。
  ほとんど根拠のない、気楽な話の羅列ですから、ご用とお急
 ぎの方はのぞかないでください(笑)。   (文中敬称略)

  

  
今月は、正真正銘の美女を!
   ミスワールドの栄冠に輝いた、フィリピン代表の
      ミーガン・ヤング(Megan Young)さん(23) →
    

 零捌(08)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 零玖(09)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱零(10)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱壱(11)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱(12)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 拾月 拾壹月 拾貳月

 (13)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 拾月 拾壹月 拾貳月
 (14)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月


                                      (文中敬称略)

    
10月20日(日) 
普通の韓国!
  
 韓国へ行ってきた。韓国片道888円という某航空会社のキャンペーンに応募したところ、当たってしまったので出かけたものである。空港利用料などを入れても運賃は5860円、我が家から名古屋往復ほどの料金だ。

 
← その韓国の2日目、町の散策に行くとソウル広場にたくさんのテントが張られて、いろいろな店が出ている。


 大勢の韓国人たちでにぎわっていて、昨今の日韓関係を考えるとあまり人混みの中へは行かないほうがいいかなとも思ったのだが、好奇心が自制心を上回っていた。
 
 

 後日、何のフェスティバルだったのか調べてみたのだけれど、それらしいイベントはない。日常的に行なわれている、物産展のようなものだったのだろうか。

    牛肉を売っていたテントの前に置かれていた
                牛くんのマスコット →


 この日はソウルの総合展示場COEXで世界サイバースペース総会」が開催されていて、世界の90カ国からIT分野の次官級以上の関係者や民間技術者など、約1000人が集まっているという。だから、街中にたくさんの警官隊の姿を見た。このイベン会場にも多くの警官がいたが、国際イベントとは関係はなかったのか。

   きれいな菓子工芸品。「ここの材料は○○、ここは
  ○○…」と説明してくれたのだが、おばさんの説明は
  オール韓国語だから、「ああ、うん」と相槌をうつし
  かなかった。                  →


 お店の人たちはとてもフレンドリーで、にこにこと優しく説明してくれた。「ジャパニーズ…?」と聞いてきた人もいたが、「イエス」と答えてもフレンドリーな感じは何ら変わらなかった。
  
 ソウル広場の北隣の「ソウル市フェスティバルホール」(ソウル市庁舎の一部)に入ると、入り口のところにこの映像が置かれていた。

独島は我が領土」とでも書いてあるのかな→

 でも、この旅行で地下鉄に乗ったら2度も席を譲ってくれた。韓国はお年寄りを大切にする国だし、僕のことを日本人だとは思わなかったのかもしれないが、日本では席を譲られた経験もないし(僕もそんな歳に見られるようになったかと、ちょっとショックだったが…)、少し心が和やかになるような経験であった。

 韓国は、どこへ行ってもほぼ日本語が通じる。あやふやな章くんの英語に対して、「日本語、大丈夫ですか」と聞いてくれて、日本語で応答してくれた、地下鉄案内所の女の子もいた(苦笑)。
 市内で道路案内板を見ていたら、「ドコヘイク?」と尋ねてくれて、「南大門」と言うと、懇切丁寧に道順を教えてくれたおじさんもいた。
 空港でも、地下鉄でも、船でも、もちろんお店やさんやレストランの人たちもとても親切だったし、タクシーの運転者さんなんかソウル駅ではわざわざ新高速鉄道の乗車口に回ってくれただけでなく、わずかなチップを渡そうとしたら、「いい、いい」と辞退していた。「少しだから」と無理やり渡してきたが、70歳前後だろうか、トランクの荷物を運んでくれて、その後になおチップを辞退する運転手さんに、古い韓国人の誇りのようなものを感じた。

← この子たちを「反日の徒」にしてはならないと
 思った。(国立子ども博物館の前にて)


 唯一、市庁舎の前でイベントのチラシを配っていたおばさんが、「ジャパニーズ?」と聞いてきて「イエス」と答えると、チラシを回収していったのには、何か違和感があった。
 韓国の個々の人たちには何のわだかまりもないのだろうけれど、やっぱり「反日」を標榜しなければならない韓国の政治に問題があるのだろう。だとすれば、政治家たちが政治的な思惑に走らずに、「親日融和」をみんなで打ち出せは、両国の友愛実現はそれほど遠い日のことではないと思うのだが。


   
10月16日(水) 百の民族に百の歴史あり

 文芸春秋10月号の「日中韓米4カ国の歴史観(対談)」を読んで、つくづく歴史はそれぞれの国の鏡であると思わされた。歴史は政権を取ったものが綴る、自らの名誉のための記録である。易姓革命によって王朝が交代して来た中国においては、先の政権を倒した自らの立ち位置を正統とする歴史が書かれ、今の中共は史上最も腐敗した共産主義政権と世界が評するとも、自国の覇権主義をひたすら貫くことを正義とする歴史を語る。
 小中華の韓国もまた、大東亜戦争の終戦まで何世紀にも渡って中国と日本の属国であった歴史を、日帝によって独立が踏みにじられたと言う。
 アメリカはインディアンの大地を血と暴力によって奪い取った過去を、独立戦争という美名の歴史に書き換えた。
 一方の栄光は他方の屈辱であり、歴史は常に勝者の記録でしかない。だから、例えば中韓が評価するような日本の歴史を完成することなどありえない。彼らの理解が得られる日本の歴史を望むならば、彼らにそれを書くことを依頼するしかない。
 日中韓の共通認識による歴史を…など、所詮は蜃気楼のようなものだ。中国の正義は韓国の服従だし、日本の正しい歴史は、中韓にとっては日本軍国主義だと言う。その中国は、かつて中ソの関係が悪化した当時、日本に「もっと軍備を」と要求していたのである。

 歴史とは、結局はその民族の履歴書なのだ。栄光、美点、長所、自らの正義を大きく綴り、屈辱、汚点、短所は小さく記す。世界中の誰も、中共が言う中共の歴史を信じるものはいない。それでも中共は、自らの歴史を声高に叫ぶ。「我々はチベットの民を、専制君主から解放した」と…。

 百の民族に、百の歴史あり! 我が日本は、世界最古の国家「日本」の歴史を完成しよう。私たちの祖先が、美しい山河のもとで八百万の神々とともにくにをつくり、やがてたおやかな国風文化を育んで、侘び寂びの世界から武士道という生き方へと哲していく過程を…。そして、略奪するだけの西欧の植民地支配からアジアの友邦を解放し、共栄する社会をつくろうとして大東亜戦争を戦った歴史を…、今、綴ろうではないか。
 アメリカの国力が疲弊し、戦後体制が揺らいできている現在、確たる民族の歴史を綴り上げ、民族の存在性と誇りを再確認して、新しい世界秩序の構築に役割を果たしていく日本を創っていくことが求められている。


   
10月12日(土) 国連人権委員会で日韓が応酬
 - 日本の反論「すでに謝罪し、賠償についても解決している」は、違うのではないか -

 『人権問題について話し合う国連総会の委員会で、韓国が従軍慰安婦問題で日本を念頭に謝罪を要求し、日韓が反論を繰り返す展開となりました。
 韓国の趙允旋(チョ・ユンソン)女性家族相が「責任ある政府が法的な責任を認識し、被害者が受け入れ可能な、適切な対応を取ることを強く勧告します」と述べ、慰安婦問題について10分の持ち時間の多くを費やし、「政府は法的責任を果たすべきだ」と名指しこそ避けたものの、日本を念頭に謝罪と賠償を要求しました。韓国は、先月の国連総会の一般討論演説では、「戦時下の性暴力」という表現にとどめていましたが、委員会では女性閣僚に演説させ、表現もこれまでより強めました』とテレビ朝日が伝えている。
 韓国の主張に対して日本は、『「すでに謝罪し、賠償についても解決している」と改めて反論しました』と続けているが、この日本の反論は首を傾げざるを得ない。この言い方は、日本の強制性も軍や国家の関与もなく、彼女たちは自発的に慰安婦という職業を選んだプロフェッショナル達だったということが実証されている慰安婦問題に、「すでに謝罪し、賠償についても解決している」と言ってしまえば、「日本は違法を犯した」と認めることになろう。
 今、「日本は慰安婦問題に違法性はない」と声高にいえば、欧米の人権活動家や女性問題研究家たちを敵に回し、欧米政府からも批判されるから…といった外務省のサル智恵が、「とにかく謝罪し賠償している」と言い訳に徹する方法を選んだのだろうが、その安易さが日本を貶め、今日の窮地を招いていることをなぜ反省しないのだろうか。
 ひととき、強い風当たりを覚悟しなくてはならないかも知れないが、その覚悟なくして外交は成り立たないことに、そろそろ目覚めても良いのではないか。
 「孟子」に、「自反而縮 雖千萬人 吾往矣 (公孫丑章句 上)」とある。【読み】は、みずからをかえりみてなおくんば、せんまんにんといえども、われゆかん。【意味】は、自分の心を振り返ってみたときに自分が正しければ、たとえ相手が千万人であっても私は敢然と進んでこれに当ろう。…ということだが、正しいことを貫くのが進むべき道なのである。
 「大学」に、「言、悖(もと)って出づる者は、また悖って入る(【悖入悖出】はいにゅうはいしゅつ…という四字熟語になっている)」とも言い、【意味】は、道にはずれた言葉を口から出すと、また道にはずれた言葉が他人から帰って来る…ということで、日本が慰安婦問題で謝罪や賠償を口にすれば、また更なる非難や要求にさらされることを示している。
 日本は、「慰安婦問題に違法性はない」と堂々と主張しなければならない。そうする以外に、この問題を解決する手段はなく、謝罪や賠償を口にする限りドロ沼から抜け出せない。


  
10月10日(木) 日本ってすごい! 大人の学力の調査で世界一


 OECD=経済協力開発機構が24の国と地域で行った「国際成人力調査」で、日本は「読解力」と「数学的な思考力」がトップの成績だったことが分かった。諸外国と比べるとコンピュータの扱いにはちよっと弱くて、「ITを活用した問題解決力」は平均を上回ったものの10位だったけれど、総合力では世界第一位である。
 この調査は、学校教育や職業訓練など人材育成の参考にしようとOECDが初めて行ったもので、加盟国を中心に24の国と地域の16歳から65歳までのおよそ15万7000人が参加し、日本では無作為に選ばれた5000人余りが解答している。
 教育関係者は「義務教育で基礎・基本を重視してきた結果ではないか」(国立教育政策研究所)と話しているが、残念ながら日本の戦後教育がこの成績を達成したとは思えない。
 日本の学制は、奈良時代すでに律令制にて官人育成のために各国に設置された「国学(こくがく)」がある(大宰府に設置された府学(ふがく)もほぼ同一のもの)。入学資格としては郡司の子弟のうち13-16歳の聡明な者とされていたが、場合によっては庶民の子弟の入学も許したという。
 平安期には、空海が庶民教育や各種学芸の綜合的教育を目的に東寺に設けた「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」をはじめ、広く庶民の子弟を対象とした寺子屋教育が始まっている。鎌倉期には、日本最古の学校とされる国指定史跡の「足利学校」が創建された。上杉憲実(室町時代)が書籍を寄進し、学長制度を整えるなどして、奈良町以来の国学を再興したものである。この「足利学校」は、天文19年(1550)にフランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され、「学徒三千」といわれるほどの規模になった。
 江戸時代には「読み書き算盤」を教える「寺子屋」が全国に16560軒、江戸だけでも大寺子屋が400-500軒、小規模なものも含めれば1000-1300軒ぐらい存在していて、「読み書き算盤」と呼ばれる基礎的な読み方・習字・算数の習得に始まり、さらに地理・人名・書簡の作成法など、実生活に必要とされる知識や技術の教育が行われた。教材には『庭訓往来』『商売往来』『百姓往来』などの往来物のほか、文字を学ぶ『千字文』、人名が列挙された『名頭』『苗字尽』、地名・地理を学ぶ『国尽』『町村尽』から、さらに『四書五経』『六諭衍義』などの儒学書、『国史略』『十八史略』などの歴史書、『唐詩選』『百人一首』『徒然草』などの古典が用いられ、深い学問が施されてもいる。
 このように、日本には歴史的な教育環境が培われてきて経緯がある一方、社会環境が工業・商業はもちろん農業や漁業の自然を相手にする第一次産業にも研究・革新を希求する環境がある。農業の機械化、生産計画や、漁業技術の進歩、市場の変化などに対応しようとする従業者の努力がその一例である。
 日本人それぞれの未来を切り開こうとする意思が、世界一の学力を形成したのである。そして、日本人の個々人のくじけぬ意思は、日本の歴史が培ってきたものであると言えよう。この点からも、日本の歩みは間違いなく偉大であったと言うべきだろう。


   
10月9日(火) 恥を知れ、島根県議会!

 産経ウエブが『(島根)県議会では6月26日に「日本軍『慰安婦』問題への誠実な対応を求める意見書」を賛成多数で可決した。…略… 根拠もなく旧日本軍による慰安婦募集の強制性を認めた河野洋平官房長官(当時)談話を基にした意見書は超党派によって提案され、民主、共産などに加え、自民も1人を除き賛成し可決された。』と報じている。
 竹島(同県隠岐の島町)問題を抱え、対韓問題には敏感であるはずの島根県で、なぜ自民までも賛成に回って、「誠実な対応を求める意見書」が可決されたのか。記事は議長選を巡る取引があったのではないかと伝えているが、それであれば議員の存在も汚辱にまみれているといわねばならない。
 まさか島根県の県議が「従軍慰安婦問題は捏造」だということを知らないわけはないだろうが、日本全国では現在まで44の地方議会で慰安婦を巡る意見書などが採決されている。都道府県議会では左翼思想が根強い京都府(25年3月)に続いて島根県(25年6月)が2例目、あと42は市町村議会である。
 僕の友人知人の中にも、従軍慰安婦問題は捏造は朝日新聞と左翼勢力・韓国のでっちあげだという事実を知らないものがいる。国民の認知度はこの程度のものかと暗然たる気持ちにさせられるが、議員たちの中にもその事実を知らないものが多いのではないか。
 議決を(しかも国家の威信がかかる問題を)地位や人事のバーター材料にするのは議員として最低だが、無知蒙昧というのも議員としては困ったものである。都道府県レベルでも京都や島根のように確かな知識や信念のないままに(いや、反日あるいは買官という信念があるが故にか(苦笑))日本を貶める議決を平気で行なうものもいるが、市町村議員の中には『慰安婦はいたさ』『河野洋平もそうだと言うとる』といった認識でいるものが多いのではないか。
 議員には、それぞれの思想・信条は自由でそれを問うわけではないが、「慰安婦問題は歴史的事実か」とか、「河野談話は事実検証の上に出されたものか」などといった程度の資格試験を実施することが必要だろう。「そのことは知りませんでした」と首相になってから繰り返したルーピーがいたが、こんなのに政治を任せ歳費を払い続ける愚を繰り返してはならない。


   
10月4日(金) 君子の交わり…って


 喜びを分かち合い、悲しみにともに涙を流し、同じ釜の飯を食って、一朝ことがあれば何をおいても駆けつける! そんな友人が居ることが人生の証(あかし)だと思い、自分も友人に対してはそうあるように務めてきたつもりだ。今も僕には、何人かのそんな友人がいる。
 今日、ふと開けた書物に、「君子の交わりは淡きこと水の如し」(荘子)の一文を見つけた。解説に(君子の交際は、水のように淡白であるが、その友情はいつまでも変わらないということ)とあり、さらに「小人の交わりは甘きこと醴(レイ、あまざけのこと)の如し。君子は淡くして以て親しみ、小人は甘くして以て絶つ。彼の故無くして以て合する者は、則ち故無くして以て離る」と続く。
 確かに、大人になってから知り合った友人・知人は、子ども時代や学生のころからの、損得抜きの友人と比べると、どこか淡白な…よそよそしい付き合いでしかないようだ。こいつのためにひと肌でもふた肌でも脱いでやろうという気持ちにはさせてくれない。
 醴の如き、熱く甘い交わりは、長続きしない…という。よそよそしい付き合いでも、長く続けばそれで価値があるという。
 そう言われてみれば、なるほど世の中の毀誉褒貶を潜り抜けていく『君子の交わり』とはそういうものなのかもしれないと思う。あまりに熱いものを求め過ぎるために重くなってしまう付き合いよりも、ここまでと限度を区切って付き合うほうが長続きするということだ。また必要なときに、その縁を手繰り寄せて、お互いの役に立つ付き合いこそが、君子の交わりというものなのだろう。
 でも僕は、今ある友情を淡白なものに変えていこうとは思わない。声をかければ、彼らは万難を排して会いに来てくれるし、お互いのわがままを許しあうことができる。僕も、そんな彼らのためには、損得などは全く考えずに力を尽くすことができる。
 間違ってはいけないのは、縁があって知り合った人みんなが、醴の如き交わりができると思ってしまわないことだ。ほとんどの皆んなとは「君子の交わり」をし、真に心を許しあえる友とのみ「醴の如き(小人の)交わりをすることだ。
 「君子の交わり」と思えば、相手の淡白さも気にならない。だからこそ、「小人の交わり」ができる友人の有難さを、噛み締めなくてはいけないということなのだろう。


    
10月1日(火) 『はだしのゲン』について

 
 先に【読書】欄の『竹林 はるか遠く』に書いた一文ですが、「はだしのゲン」についての考察をこれまでしてこなかったので、先の文の一部を抜粋し、かつ補足して、ここに掲載します。


 松江市教委は、漫画『はだしのゲン』について、閲覧制限を市内各校の図書室に指示した。その理由は、「殺戮や強姦などが頻繁に出てきて、児童生徒の読み物としてふさわしくない」、「特定の思想傾向が強い漫画で、旧日本軍の兵士が首を刀で切り落とし、女性に乱暴して惨殺するなどの描写が「まるで軍全体の方針であったかのように描かれている」などの点で、歴史学的に間違いがある」「天皇、国旗、国歌の尊重を定めた指導要領にも違反している」などとしている。
 「はだしのゲン」は、中沢啓治による自身の原爆の被爆体験を元にした自伝的漫画として描かれたものだが、漫画としてもレベルが低く、読んでみて楽しくも感銘もない。ただ、戦争の無残さ、過酷さ、悲惨さが、グロテスクなタッチで繰り返し描かれていく。
 少年ジャンプに連載されたが、連載当時の読者アンケートでの支持は高くない。ジャンプでの連載は程なく打ち切られるが、反戦争・反原爆・反天皇という内容が、当時大きな存在となっていた左翼勢力に評価され、松田道雄らが中心となって刊行された『市民』、共産党系の『文化評論』、そして日教組の機関紙『教育評論』で連載を続行した。だから、このころの内容は成人向けの漫画である。学校への漫画持ち込みを厳禁とする教師が多い中、「はだしのゲン」だけは校内で堂々と読める唯一の漫画となった結果、1980年代の子供たちの間に「ゲン」が広く浸透することとなったといわれる。

 上に挙げた松江市教委の閲覧制限理由は、いずれも正当である。制限解除を認めるとなれば、教委自らが指導要領に違反することになる。
 松江市教委が、朝日新聞や日教組、左翼団体などの抗議に、早々と制限を撤廃してしまったのは残念だ。正当な理由があるのだから、ここは踏ん張って、大きな判断を国内世論に委ねるのがよかったのではないか。
 文部省も、指導要領にかかわる問題なのに、判断は各教委と現場が個々に行なえば良いなどと逃げてしまったのは、敵前逃亡といわざるを得ない。ともに戦ってくれると思っていた文部省にきびすを返されては、地方としては踏ん張る意味も消失し、気力も萎えるというものだ。

 「はだしのゲン」は、少年誌に掲載中は人気もなく、掲載打ち切りとなった漫画だけれど、その後、「市民」「文化評論」「教育評論」など一部の思想的に固まった(反戦争・反原爆・反天皇という)勢力の大人たちに評価され、今日に至っている。
 学校図書館に置くべき本ではなく、興味のある成人が手に取れば良い漫画である。


  
10月1日(火) 自分の命は、自分で守れ!
        - ここにも見られる 日本国憲法の甘え -

 交差点で右折した。下校時なのか、右前の横断歩道を5〜6人の中学生の女の子が渡っていく。もちろん僕の車は歩道の直前で止まって彼女たちが通り過ぎるのを待っているが、彼女たちは急ぐでもなく、談笑し合い、中にはスマホの画面に目を落としたまま蛇行しながら通り過ぎて行く子もいる。
 道を行くときには、少なくとも車に注意し、横断歩道では足早に、特に待ってくれている車があるときには小走りになるくらいに急いで渡りますという態度を示すことが必要だろう。
 日本の歩行者たちは、車が避けてくれるだろう…、いや、車が避けて当然だという態度で道を歩いている。無防備な彼らは、潜在的自殺志願者とでも呼ぶべき存在だ。自転車も、車道にはみ出て走っているのが多く、車が気づかなければ確実に撥ね飛ばされる。
 この項では、そんな歩行者や自転車の態度が悪いと指摘するのが目的でなく(悪いのは確かだけれど)、彼ら彼女たちは『自分の身は自分で守るものだ』という自覚がないということを言いたいのだ。
 交差点で信号待ちをしている人の多くも、道路に向かって遮蔽物もないところに立っているし、中には道路にはみ出している御仁もいる。ちょっとした弾みで、車が操作を誤ったら、確実に事故に巻き込まれることだろう。僕はいつも、街路灯や信号の柱、植え込みなどの陰になるように立つようにしている。ハンドル捌きを誤った車が向かってきても、まずそれらの遮蔽物にぶつかって止まるか、衝撃をやわらげてくれると思うからである。

 東南アジを旅すると、車は制限速度なんてお構いなしにぶっ飛ばすし、人を轢いても「そちらも悪いんだから」といった調子だ。先日のタイでは、ミャンマー人のおじいさんを跳ねたタイ人のご婦人は、警察に勾留されることもなく、現場検証が終わると、おじいさんを乗せる救急車の到着も待たずに、そのまま車に乗って立ち去っていった。
 欧米人の歩行者が赤信号で止まらないのも、ごく当り前の習慣だ。彼らは「自己責任」だと言う。だから、車も来ないのに赤信号で待っている必要はないというわけだ。
 日本人の、法律さえ守っていれば、あとは相手が安全を保障してくれる…という考えは、自己防衛に欠けると思うがどうだろう。ここには、日本国憲法が涵養してきた「甘えの構造」がある。すなわち、前文「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」に記された甘えの精神であって、戦後60有余年にわたってこの憲法に慣らされてきた日本人は、自らの安全を人に委ね、自分で守ろうとしなくなってしまっているのだ。
 自分の身を守るということは、戦うということである。戦うことを放棄するならば、自分の身に何が起こっても従容として受け入れる覚悟がなくてはならない。事故が起こってから、「相手が悪い」とわめき散らしても、こうむった被害は取り返しがつかない。
 
 国際社会においては、確信犯的に事故を起こそうとする場合もある。ルールを無視して、暴走する国もある。その暴走行為を、既成事実化しようとさえする。
 こんな国際社会の中で生きていかねばならないのが、現代に生きるものの定めである。安全は他人が保障してくれるなどといった甘えは許されないことが解るだろう。憲法も改正して、自分の身は自分で守る覚悟を持ち、備えを定めなければならない。


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