雑記帳 2014年 7月 
 

 
  思いつき、メモ、ぼやき、他のジャンルに入らないことがら
 誰かに送ったメールの抜粋 … などを記していきます。
  ほとんど根拠のない、気楽な話の羅列ですから、ご用とお急
 ぎの方はのぞかないでください(笑)。   (文中敬称略)

 

            能登 千里浜なぎさハイウエー →



 零捌(08)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 零玖(09)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱零(10)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱壱(11)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 壱(12)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 拾月 拾壹月 拾貳月

 (13)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 拾月 拾壹月 拾貳月
 (14)年 壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月



7月8日(火) 茶店に『持ち込み飲食厳禁』と張り紙するゴルフ場

 先日行ったゴルフ場で、不可解なものを見た。茶店の入り口に『持ち込み飲食厳禁』と書かれた紙が貼られている。ン…、「飲み物などを持参している者は、茶店に入るな」ということか。
 このゴルフ場は、サービス業の本義が解っていないのではないか。それとも、ゴルフ場とはサービス業ではないと思っているのか。(以下、本文へ)

   
7月7日(月) 失敗の責任を問うということ

 サッカーに興味はないが、2敗1分で帰国したザッツジャパンのチームに、日本人は寛大すぎるのではないかという気がしている。罵声を浴びせたり、生卵をぶつけたりする、どこかの国のファンの態度は行き過ぎだと思うし、敗者を労(ねぎら)う日本的美徳も尊いものだと思う。
 ただ、敗者の弁をしっかりと聞き届ける態度は忘れてはならないのではないか。「優勝を狙うんだ」と言っていた選手に、「言っていたことと結果が違うことに、どんな説明をするのだ」と質すことが必要だろうし、「負けたことはよい経験になった。次回の勝利に生かす」と言う選手には、「どうやって生かすのか」とその具体的な方法を説明させることが必要だったろう。結果に責任を持たせること、これからの日々に具体的な指標を持たせることが、強い日本を造り上げていく。
 失敗を美化するなど、敗者に対する慰めにしか過ぎない。慰めが明日を作れるか、Noだろう。鉄は熱いうちに打てというが、敗北したときには心の中は屈辱で煮えたぎっているはずだ。慰めは熱を冷ます。屈辱を、明日への闘争心に変えるためにも、敗北したら正面からそれを見つめさせ、結果を問うことが必要だろう。
 もちろん、明日を開く力のないものに、それを問うことをしてはならない。だから、叱咤されることの喜びを選手は知っているはずだ。さらに言えば、慰められることの屈辱を、口惜しいと思える選手でなくてはならないということである。

   
7月1日(火) 集団的自衛権 閣議決定

 安倍内閣において、歴史的な閣議決定がなされた。憲法解釈の変更による「集団的自衛権の講師容認」を閣議決定したのである。もともと自衛権は保持しているという立場だったから、自衛権に個別的も集団的もないといった僕などからすれば、たいした決定だとは思わないのだが、いちおう同盟国などの仲間と一緒に防衛戦を戦うことが出来るようになったというのだ。
 反対を唱える連中は、十年一日のごとき論議を繰り返している。自衛隊の発足のときも、安保条約の締結・改訂のときも、「日本は戦争に巻き込まれる」「子供達を戦場に送るな」と言っていた。
 その背中合わせである、どのようにして戦争になったとき国土や家族を守るのか、子供達の将来のために国家の独立が不可欠であることを、彼らが論じようとしないのは無責任極まりない。

 内政、外交、国防、教育 … と、山積する政治課題に安倍内閣は正対して奮闘していると思う。経済が崩壊しようとしている韓国、経済は勢いを失い政情不安が大きい中国、さまざまな外的要因で日本の先行きも安定の日々ばかりではないだろう。
 しかし、安部晋三しかいない。来年の消費税アップは避けるべきだと思うが、麻生や野田などといった財務省に洗脳された財務童子に絡められて10%を余儀なくされ、アベノミクスは失速するのかもしれない。それでも、安部を支えていけるか日本の覚悟が問われる。

   
7月1日(火) 曽野綾子 - 徹子の部屋に登場 -

 昨日だったか、昼食を食べながらテレビのチャンネルを回していたら、「徹子の部屋」に「曽野綾子」がゲストとして招かれていた。黒柳徹子と曽野綾子の話というだけで傾聴に値するかとしばらく見ていたら、さすがは曽野綾子、日常の風景にも時事の出来事にも改めて感心させられる視点を持っていて、話に引き込まれていった。
 その中で、御主人の三浦朱門氏に「シュークリームを買ってきてくれ」と頼んだら、「わたしは生クリームが好きなのにホイップクリームばかりを買ってきたので、文句を言ったら、庭へみんな放り投げてしまった」と言う。芸術院会長で文化勲章受章者、何よりも文化庁長官でもあった三浦朱門でもシュークリームを庭へ放るのかと驚いた。
 ところが、それに続いて綾子女史が、「それを、普段は粗末なものしか与えてないので、我が家の犬が喜んで食ったのよ」とのたまわった。曽野綾子にして、なお、「食う」と言うか…と日本語の乱れを嘆いたのだが、そのとき、「夫婦喧嘩を犬が食ったのね」と言ってケラケラと笑った。そうか、それを言って笑うために、敢えて「食う」と言ったわけか…と大いに納得した次第であった。

 曽野綾子女子は御歳83歳とか。アフリカなどの恵まれない子供達のために、衣料品を運んだり、学校を建てたりする活動を続けているのは、「月刊WiLL」に活動のようすを連載しているのでよく知っている。
 今日も、「足が痛いのですがね、じっとしていると痛むばかりで、活動して他の事にのめりこんでいると痛まないんです」と言う。「痛みを紛らわす」のではなく、「活動していると痛まない」と言い切るところが見事し、昨年もアフリカへ医療支援のために行ってきたというのだから頭が下がる。
 アフリカでの移動は、地元のおっちゃんがやっている個人の飛行機に乗っていくのだそうだ。『宗主国と往来する南北の航路はあるけれど、東西の移動は個人手配に頼るしかない』と書いていたのを読んだ記憶がある。こんな現地での活動を繰り返しながら、今なおアフリカの子供達へ援助の手をさしのべようという情熱を失っていない。

         前月へ  翌月へ  飯田 章のホームページへ 


雑 記 帳 トップページへ
飯田 章のホームページへ