午後8時、テレビを見ていたら、ドドドーンと大音響がして、窓ガラスが揺れました。
「雷か?」と一瞬思ったのですが、「そうか、花火大会だった」と気づいて、ベランダへ出てみました。ビルの向こうに、赤・青・黄色の光が上がっています。
わがマンションから、花火会場の津ヨットハーバーまでは約2.5km。花火がパット開いてから、7秒ほどしてドッカーンと音が響きます。
← 下のほうで半玉弾が30発ほど開いたあと、空いっぱいにいろいろな色の玉がはじけました。
とてもキレイな光景だったのですが、とっさのことにちょっと手ぶれを起こし、ピンボケ写真で済みません。
花火大会の華はスターマイン。ポンポンポンと上がった連発の後は、バリバリ ドッカーン! ↓
クーラーの利いた部屋で、西瓜をパクつきながらの見物…。遠目の花火もいいものです。
やがて8時50分。そろそろお開きの時間です。
← パンパン、ポンポンと上がった数十発のあと、
バリバリドッカーン…とフィナーレです!
旅のブログにも掲載していますので、よろしければご覧ください。
7月27日(土) 民主党、解党して出直しを
先日の参院選挙の結果を受け、「民主党は解党的出直しをしなければならない」と述べて、細野幹事長が辞任した。民主党再生のために、まず引責辞任しなければならないのは海江田万里代表だろうが、とにかく「解党的出直し」ではダメで、「解党して出直し」するしかない。
もはや「民主党」と名のつくものに、国民は二度と政権を渡すことはない。民主党は野党連合を積極的に進め、維新の会やみんなの党と政策をすり合わせて、連合新党を立ち上げる道を選ぶことだ。橋下が代表辞任を表明している今は、主導権をとるチャンスでもあろう。(維新は橋下 徹の個人商店だから、役員会で慰留されて「留任」となるのだろうけれど、維新に元気がないのは間違いない。)
前原誠司、野田佳彦らを核として新しい党の設立を目指し、綱領をしっかりと掲げて賛同するものの集結を図ればよい。民主党は全国に支部組織を持っているのだから、連合との調整は図らなくてはならないけれど、新しい出発はそれほど難しいことではないはずだ。
民主党の議員たちはにわか政権にありついたので、意味もなく威張るものや、政治の舞台回しの出来ないもの、白い粉に手を出したりする低級犯罪者、政治活動をせずに不倫活動に勤しむものなどが続出…。何を勘違いしてるんだと思わされる面々が繰り広げるバタバタ劇にうんざりして、鳩山・菅・小沢なんかが出てきたら、うちのおばぁちゃんですらチャンネルを変えていた。
主義主張もバラバラの田舎議員が好き勝手なことをやるんだから、国民はたまったものじゃない。輿石東や大畑ナントカたちと一緒にいることがもともと不自然なのであって、彼らにはその理念にピッタリの社民党に移ってもらい、潰れかけているあの党の復興に尽力願えばいい。そのほうが、彼らも主義主張を曲げずに済むから、居心地がいいはずだ。
党を割ることに躊躇していたら、民主党は消滅する。前原・野田・細野は決断すべきだ。まず「綱領」、そしてそこに集結する同志を厳選して、次の総選挙に挑むこと! 新党名は「民新党」かな。
● 細野 剛の後任幹事長に、中川正春幹事長代理を据えてやってほしつたなぁ、三重県民としては(笑)。消え去る民主党といえども、今、幹事長職を務めれば、テレビをはじめマスコミへの登場の機会が増えて、次回の選挙に少しは有利になる。(あの存在感の薄さでは不利になる?…なんて、本人に失礼だろう。)
底上げしないと、次回の衆議院選には、三重県3区に鈴木英敬(三重県知事)が出馬して、中川は議席を失うことも考えておかねばならない。
7月26日(金) 鳩山由紀夫、菅 直人 天誅ッ!
「沖縄の米軍基地は最低でも県外へ」と日米関係に亀裂を入れ、「尖閣は中国領だ」と日中関係をより複雑化させる鳩山由紀夫。厚生大臣になったときはO-157事件の思いつき発言で風評被害を招き、カイワレ業者や農家の倒産・自殺を引き起こし、総理就任時の東日本大震災では右往左往…。付随した福島原発事故にも的確な処理策が打てず、在任下で復興は全く進まなかったという菅 直人。こんな連中が党代表、総理大臣に就いていたのだから、民主党が評価されるわけがない。
彼らは4年前、自民党政権の腐敗にも助けられ、政権交代を実現した。日本にも、いよいよ政権交代可能な2大政党の時代が到来したかと、国民は大きな期待を寄せた(僕は、「この民主党はもたない」と書いたけれど【参照】)。 日本の民主主義の前進に、大きな期待をかけた国民の思いを裏切った責任は重い。
世が世ならば憂国の士というのがいて、鳩山・菅といった輩は、とっくの昔に「天誅ッ!」を加えられていた。中共や韓国ならば、反国家罪で終身労働刑を言い渡されているだろう。彼らは、現代の日本という国に、感謝しなければならない。
追加 8月1日(木) 野中広務も国賊に追加…、天誅!
7月25日(木) 白人社会の有色人種に対する差別意識
松山の全英オープンに関連しての話だが、白人社会の有色人種に対する差別意識はやはり厳然と存在する。石原慎太郎の国会質問によれば、第2次世界大戦のあと、降伏したドイツに対してアメリカの新聞は、「ナチスに騙されて誤った道を歩んだが、もともとドイツは優れた民族だから、その復興を支援しよう」と書いている。これに対して日本の降伏には、巨大なナマズの口をあけて米兵が牙を抜いている挿絵を添え、「このグロテスクな化け物は、二度と立ち上がれないように、徹底的に叩き潰さねばならない」と書いているという。
オリンピックは平和の祭典のはずだが、西欧諸国が劣勢な競技はルールの改正などが頻繁に行われる。有色人種は体脂肪率が低いから水に浮かないなんて言って水泳競技を増やしたけれど、フジヤマのトビウオにあっさりと金メダルを総ざらいされ、その後、古川の潜水泳法、田口のドルフィンキックなど、日本選手が活躍するとルールが改正されてきた。スキージャンプも日本の得意種目だが、板の長さがどうのといちゃもんをつけてきた。それでも、高梨沙羅ちゃんは、はるかその上を飛んでいく。
こんどは白人が勝てない競技そのものをなくすと言ってきた。レスリングは男女とも日本や中近東諸国が強く、白人は勝てない。が、レスリングこそは、古代アテネの時代から続く、不動のオリンピック種目ではないか。それでも、残留させたいのなら、白人が勝てるルールを考えて来いということか。
オリンピックでもゴルフでも、白人社会が決めたルールの中で世界は回っている。ましてや政治や経済にあっては、彼らの利益を損なう取り決めは認められない。
大東亜戦争の勃発は、そこに原因があったのである。当時、イギリス・フランス・ロシア・スペイン・オランダ・アメリカで、地球の表面積の64%を支配していた。市場をさらに拡大しようとする彼らは、唯一、屈服しない日本を放置しておくことは出来なかった。朝鮮・満州に進出する日本に干渉し、対日石油の禁輸、ABCD包囲網など、日本が立ち行かなくなることが自明である要求を突きつけ、大戦へと誘導していったのだ。
「慰安婦問題」は世界の戦後体制に関連して悩ましい問題だと、先日書いた。今日から、「TPP交渉」に日本が参加する。世界を相手に難しい駆け引きが始まっているが、日本は歴史に学び、選択する道を誤ることなく進んでいかねばならない。アメリカには是是是非の立場を貫き(苦笑)、環太平洋の安全保障をも視野に入れて、参加する東南アジア諸国など後進国の利益を図る交渉を重ねてほしい。そうすることが、新しいアジアの連携を築くことができる。
【260】 慰安婦・従軍慰安婦・sex slave(性奴隷) 2013.07.24
7月23日(水) 国家は謝罪しない
中韓は、日本の朝鮮併合、満州国建国、さらに大東亜戦争下に生じた諸々の事柄について、未だ日本に謝罪を要求している。「慰安婦問題」では、アメリカすら日本に謝罪を求めるという。
これはおかしい。歴史を検証することはあって然るべきだが、謝罪を求めるのはおかしい。主権国家は謝罪しないものである。
仮に謝罪するべき要件があったとしても、講和を結べばそれがすなわち謝罪であって、そこで全てはチャラである。だから、村山談話や河野談話は、大いなる誤謬(ごびゅう、誤り)である。
アメリカが、日本は謝罪すべき…というのは、ちょっとキナ臭い!
7月21日(日) 安倍自民党大勝 さぁ、強い国日本へ
当時、イェーナ大学で講師の職にあった、ドイツの哲学者ヘーゲルは、1806年、アウエルシュタットの戦いでプロイセンを破ったナポレオンがイェーナに入城する姿を見て、「世界精神が白馬に乗って通っていった」と表現したという。日本国民は、今の日本の政治における安倍首相の姿に、日本を開くリーダーの姿を見ているのだろう。
この項を書いている現在(午後11時)は、自民党63、公明党10という獲得議席数で、与党は非改選の59議席を含め、参院で過半数(122)を超え、いちおう念願のねじれ解消を果たしたという段階だ。憲法改正を議決する3分の2(162)には届かないだろうから、この点についてはこれからの国会運営に委ねなければならない。
安定過半数を得た安倍政権のなすべきことは、一言で言うと「強い日本を取り戻す」ことである。強い国日本とは、もちろん富国強兵を意味するわけではない。先ずは、工業や農業の生産力を上げ、経済力を復興させて、元気な日本を取り戻すことだ。さらに、謙譲と惻隠という情緒に、武士道と忠孝を掲げる日本人のこころをもって、教育をはじめとする国家思想を確立させること。次に、家族を守り、ふるさとを守り、国家を守るための自衛力を強固にして、日本に手出しをしてはならないことを世界に示すこと。そして、近隣諸国や友好諸国と手を携え、国際社会において主張するべきを主張して、名誉ある地位を確立すること…である。(以下、「日本は今 259」へ)
7月19日(金) やっぱり、橋下 徹は…!
「朝鮮人慰安婦問題」について「当時は世界各国の軍に存在した」「日本軍に強制連行の証拠はない」と言い、その発言を修正・撤回しないと踏ん張って見せたが、参院選のテレビ討論では「敗戦国として東京裁判の結果は厳然と受け入れなくてはならない」などと、肝心要のところで腰砕けになっている。
その認識不足からの説明足らずで、中韓のみならず、国内の女性団体、そしてキリスト教的建前主義の米国からも批判の的にされるや、「米軍や米国民、ならびに女性の皆さんを侮辱するような発言についてはお詫びする」とコメントし、加えてオスプレイの八尾空港受け入れを提案して、アメリカのご機嫌をとっている。一昔前の自民党的政治手法だ(笑)。
従軍慰安婦を否定することは、戦勝国によって作られた戦後世界の秩序そのものを見直し、再構築しろということである。その覚悟なくして、政治家が従軍慰安婦問題を語ってはならない。逆に言えば、日本の政治家は東京裁判をもって国際正義を定めた現世界秩序を、「間違っている。訂正を求める」と堂々と主張しなくてはならないということだ。
世界を変える提言には、批判や風当たりはつき物である。メディアで親米を演出したり、ツイッターでちまちまと弁解したりしているのは、腰の座った物言いとは言い難い。
やっぱり橋下 徹は、第2の民主党であったのか。目の前の不満要因を取り上げることで革新気分を高揚させ、結果に対して責任をとろうとしないからだ。
「選挙は白紙委任ということ」「今の日本の政治で一番大事なのは『独裁』だ」などは民主主義についての勉強不足のゆえの発言だろうが、「ベーシック・インカム(最低所得保障)」「カジノ誘致」「貯蓄や資産に課税」「小中学生の留年」「問題教員の分限免職」「大阪市水道局の民営化」などトピックスを次々と打ち上げては、訂正・撤回を繰り返す。人々の興味を引く耳障りの良い政策を打ち出し、実現できないのは抵抗勢力のせいだと主張して大衆を扇動するのは、ソビエト連邦創成期のコミンテルンの手法ではないか。
彼が皇室制否定論者であることも、日本を任せるに資格が足らないと思う。天皇制のあり方などについては議論すべき点もあろうから、これをもって政治家失格とは言わないが、日本人にとっての皇室のあり方を評価していないことは確かであり、彼は真性保守の立ち位置にある政治家でない。
維新の会が「歌舞伎町には韓国人売春婦がうようよいる」と言った西村慎吾を除名処分にしたのにも驚いた。「従軍慰安婦は韓国による捏造」という、日本が声を大にして言わねばならない歴史の真実を叫ぶ主張を、橋下代表の発言に対する内外の轟々たる批判に怯え、トカゲの尻尾を切るように終結させようとした手法に、この政党の大衆に阿(おもね)る軽薄さを見た。
7月12日(金) 習近平にとっての偉業とは
ロシアは不凍港を求めて南下政策を推進し、それを阻止しようとする西欧諸国との衝突が19世紀の欧州史における大きな軸となっていた。同様の意味で、支那が外洋に出ようとするとき、インド洋へは南シナ海周辺諸国が、太平洋へは東シナ海を囲む台湾と日本が大きな障害であり、この障害を取り除くことが支那の長い間の課題であった。
「支那」と書いたのは、歴代王朝にとって重要な政策課題であったということを強調したいためであって、漢族の王朝「明」も、それを制圧した満州族の王朝「清」も、外洋進出は冊封体制を維持するために重要であった。古くはモンゴル民族の「元」も、二度にわたって日本を攻撃した。
習近平が、もし日本を屈服させて、太平洋への出口を開ければ、フビライも永楽帝も乾隆帝も成し得なかった歴史的偉業を成し遂げることになる。
そのために…、習近平は尖閣周辺へ艦艇を出し、挑発を続ける。一発打てば、盧溝橋事件の再発だと思っていることだろう。彼らにとって、中共兵が何人死のうが構わない。かつて、「核戦争で3億人が死のうが、中国にはあと10億人の人間がいる」(毛沢東)と言い放った国だ。戦端を開き、兵を死なせれば死なせるほど、中共において習近平は英雄…偉大なる指導者なのである。
日本は、一歩も引かぬ意思を示すとともに、防衛力(軍備)を整えなければならない。そして、国際社会に対して、正義はいずれにあるかを堂々とかつ繰り返して述べていかねばならない。現在は、盧溝橋事件のときのように欧米世論は支那支持で固まっているわけではないが、中共軍が撃った最初の一発を「日本軍が撃った」と世界に発信されるような事態は、なんとしても避けねばならない。
そのために友好国と手を携えて国際社会へのアピールを繰り返すとともに、中共の国家体制の崩壊工作を進めて屋台骨を揺すぶることが肝要だ。
7月11日(木) 鬼平犯科帳
池波正太郎の「鬼平犯科帳」が、中村吉右ェ門の主演で平日昼間のテレビに流れている。毎回ビデオに録って、深夜、机に向かいながら見るともなく見ている。
「鬼平犯科帳」は火付盗賊改方である長谷川平蔵が活躍するドラマだから、毎回、盗人や人殺しといった悪人が登場するが、池波正太郎の描く悪人は何とも哀しい。道義を以って…、あるいは、人の世の苦を背負って…、悪を働く。勿論、根っからの悪人はいつの世にもいるもので、それらの悪は(現実とは違い)池波作品の中では正義の鉄槌の前に粉砕される。それでもなお、法に触れる生き方を選ぶしかない男の生き様や、苦界とは知りつつ日々に流される女の哀れが、作品を貫いて描かれていく。
長谷川平蔵が火付盗賊改方長官であったのは1787年(天明7年)から1795年(寛政7年)まで。世は、1783年(天明3年)の浅間山大噴火や折からの大飢饉による農作物の不作により、インフレが起こる。各地で打ち壊しが頻発し、世情は酷く不穏であった。田沼意次の失脚(1786年(天明6年))を受けて1787年(天明7年)に松平定信が老中に就任。寛政の改革が始まったが、このような経済不安から犯罪も増加し、凶悪化していった。長谷川平蔵が火付盗賊改の長官となったのは、同年10月である。
時代はこのように騒然とし不穏ではあったが、人びとはいつの世もあるがままを楽しみ、日々を安穏として生きている。池波正太郎はそんな江戸の人びとを情緒たっぷりに描き、その愛すべき善良な暮らしを綴っている。ときどき、何でこんないい人が死ななきゃならないんだ…と唖然とさせられたりすることもあるのだけれども、そのまま生きていて幸せになれたかといえばそうでもないなと納得させられたりしながら、ほとんどの回は、正直に生きる人が救われていく結末にホッとした暖かな気持ちになってエンディングテーマを聞くことになる。
池波作品のうち「剣客商売」は文庫本で全冊読んだのだが、「鬼平犯科帳」は火盗改という世界が熾烈すぎるような気がして手に取る気にならなかった。もっとも、さいとうたかおの劇画ではよく読んだ(見た?)のだが、それはそれで面白かった覚えがある。
今、「剣客商売」も藤田まことでテレビドラマ化されている。ドラマの出来では「鬼平」のほうが数段上だ。もともと池波正太郎が小説に書こうとした段階で、鬼平のモデルを先代の松本幸四郎(今の鬼平を演じている二代目吉右衛門のオヤジさんである)をイメージして書いたと言っているから、劇中の存在感はぴったりだという有利さはあるかも知れない。
が、それ以上に「剣客商売」が無外流の老剣客秋山小兵衛と息子大二郎、その妻三冬の活躍を描くのに対して、「鬼平」は悪党たちのやむにやまれぬ人間模様とそれに絡んでいく鬼平の情の世界を描いていくから、全編にそこはかとないペーソスが漂う。。
食通であった池波正太郎が描く江戸料理も楽しい。「白魚の卵とじ」「軍鶏鍋」「鮪のヅケ焼き」「間鴨入り生卵のぶっかけ飯」…ときては、もうたまらない。「餡かけ豆腐」なんて、温めた豆腐にとろみのある餡をかけたもので、「鬼平」の中では清水門外の火盗改役宅の濠端に出ている茶飯の屋台で出す「餡かけ豆腐と燗酒」という登場だが、まったくなにも入っていない豆腐の餡かけなんてどこが美味いのかと思ってしまう。
ところが、料理の旨味は想像力の賜物だ。豆腐はどこまでも豆腐だから「餡」のほうにこだわってみると、まずは冷蔵庫の口にあった干し椎茸をスライスして煮出し、鰹の削り節をダシ取りの網に山盛りにして椎茸の鍋にしずめて弱火に…。別の鍋に湯を沸かして半丁に切った豆腐の片割れを入れ、沸騰させない程度に温める。椎茸汁の鰹節の網はあげて、味付けに醤油の濃口と薄口両方を加え、酒、みりんも少し。
ひと煮立てして、味見。 豆腐が淡泊なので濃いめの方がよいから、薄口醤油を数滴たらす。水溶き片栗粉を回し入れ、かための餡にして出来上がり! 池波正太郎の世界が、奥深く広がる。
フランキー堺、野川由美子など、なつかしい顔ぶれが小盗人、女スリなどで出演しているのも、嬉しい見ものである。
7月4日(木) 上村 隆を知っていますか?
― 朝日新聞の、「従軍慰安婦」を捏造した記者です ―
― 朝日新聞は、この歴史的捏造を謝罪するべきでしょう。 ―
まず、ウイキペディア百科事典よりの抜粋を記します。
『 植村 隆(うえむら たかし、1958年 ‐ )は、新聞記者・朝日新聞社社員。1991年、いわゆる従軍慰安婦問題を初めて報道したが、事実に反する捏造であったことが判明している。
経歴
高知県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。1982年、朝日新聞入社。
千葉支局、大韓民国特派員を経て、中華人民共和国特派員。
韓国語の学習のため、朝日新聞社入社後に延世大学校へ留学した。
従軍慰安婦記事
韓国特派員時代の1991年8月11日の朝日新聞にて初めて慰安婦に関する記事を掲載。これが韓国の様々な新聞に転載され、慰安婦問題がクローズアップされた。
植村の記事にある金学順の証言と、アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件における金学順の陳述には異なる点も多い。また女子挺身隊と慰安婦を混同した「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」という解説は現在では誤りとされているが、[朝日新聞社]は今もって訂正していない。本記事を発端とし国際社会にいわゆる従軍慰安婦問題が提起されていくこととなる。日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。 尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。(中略)女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。ニ、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士ニ、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。
6月29日(日)、アース・モンダミンカップ(カメリアヒルズCC(千葉県)6516ヤード・パー72))の最終日、堀奈津佳が通算21アンダーで2位に8打差をつけ、3月の「アクサレディスゴルフトーナメント in MIYAZAKI」以来となる今季2勝目を飾った。通算21アンダー「267」は、これまでの17アンダー「271」をしのぎ、4日間72ホール競技におけるツアー最少ストローク記録を更新した。
今朝は海外女子メジャー「全米女子オープン」(カボナックGC(アメリカ・ニューヨーク州)6796ヤード・パー72)で、世界ランク1位の朴仁妃(パク・インビ、韓国)が貫禄の勝利。これで彼女はクラフト・ナビスコ選手権、全米女子プロゴルフ選手権に続いて、メジャー3連勝を達成、この記録は63年ぶりの偉業だとか。
2つの試合をテレビで見ていると、そのコース設定の違いに唖然とさせられる。
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上の写真は両方とも18番のティショットのものだが、この画面からも違いは見て取れる。「全米女子オープン」の点から点に打っていかねばならないコースセッティングに対して、どこまでもきれいな日本のツアーのコース。もちろん堀奈津佳の優勝に何の異論もないし、21アンダーの記録も日本ツアーでの新記録なのだから、その金字塔にいささかのかげりもない。
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ただ、左の画面のティショットには「大きなミスショットにならなければ良いが」というハラハラ感があって、そのほかの一打一打もエキサイティングである。実際、この時点では4打差があって、パク・インビの安定感からして逆転は考えられないけれど、左にコロンと転げ落ちたり、バンカーサイドのラフに転げ込んだりしたら、安穏とはしていられない。
← 17番、パク・インビのラフからのショット。さすがの彼女でも、
出すだけが精一杯だ。
これに対して、右の堀奈津佳のティショットでは、何のドラマも生まれない。少し当たり損なっても、ボギーで上がるのは容易だ。
グリーンまわりの様相も全く違う。
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右の「アース・モンダミンカップ」18番のグリーンへは、花道へ打っておけばコロコロと乗っていってくれる。しかし、左の「全米女子オープン」の16番は、グリーンへキャリーしてしかも止まる球を打つことが求められる。ひとつのショットの精度が問われ、見るものにワクワク感を抱かせる。
パットする宮里 藍の向こうに見えるラフの手ごわさはどうだ。 →
グリーンを外せば、強烈なラフが待ち構えているし、同時にそこ
から寄せる技量も要求される。
このアメリカ女子ツアーはメジャーだから、コースのセッティングは特別に厳しいのだという指摘もあろう。しかし、僕はこれまでも何度も言い続けてきたけれど、男子も女子もプロツアーのコースセッティングはアメリカやヨーロッパに比べて日本は特に甘い。尾崎将司など初めて全英に行ったときには「こんなのゴルフコースじゃねぇ」と言ったという、有名すぎるエピソードもある。
欧米のツアーに比べて日本の試合が迫力不足で面白みに欠けるのは、コースセッティングにその理由があることも事実である。一打一打に高揚感や迫力が感じられないのでは、試合を見るほうも興味半減だ。
そして何よりも、プロの技量が磨かれないことが危惧される。とにかく右へ打っておけば山からの傾斜が受けていてフェアウエイに転がり出てくるコース、グリーンのサイドではバンカーに入れておけば安全などというコースで試合していて、技術が向上するわけがない。
日本のプロが世界へ出て行って通用しないというのは、こんなところにも理由がある。
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