10月29日(火) 「朝日」のニューギニア慰安婦報道
- またまた朝日の自虐ネタ…、もうウンザリなんだけど -
ネット記事をめくっていたら、『「iRONNA(いろんな)」(
http://ironna.jp)』というサイトに『
吉田証言より酷い!「朝日」のニューギニア慰安婦報道』(現代史家・田辺敏雄)なる記事が掲載されていた。「月刊正論12月号」に記載の一篇らしい。
以下に、その記事を引用して、
日本を貶める動きがここにもあることを報告したい。
記事は、ミッドウエーの敗戦から弾薬・食料の補給が絶たれたニューギニア戦線において、日本軍が現地住民に『
強姦・蛮行・殺害 8688人、性奴隷・慰安婦 12718人、人肉食による犠牲 1817人、科学兵器による殺人 1867人』を行ったと、『週刊朝日』(平成9年10月17日号、写真と文 ジャーナリスト須藤真理子)が報じているという。
平成10年、現地で戦争被害の究明と補償問題に取り組むガブリエル・ラク氏らは日本政府に補償を求めるために来日。朝日新聞は、「旧日本軍被害の補償求め来日」「パプアニューギニア民間代表団」と見出しを打って、それを伝えている。「犠牲者と生存者、遺族合わせて被害者が約9万5000人にのぽり、人肉食の被害が2300余人、強姦殺人が約6500人…など驚くべき具体的な数字を次々と提示して、政府側に補償を迫った」とある。
これに対して、陸軍では二〇、四一、五一の各師団の将兵から、海軍にあっては主だった部隊から偏りのないように人選し、直接会い、あるいは電話、書面による聞き取り調査を行った。31人から回答を得ている。
「これが日本の一応一流と目されるマスコミのする事かと驚きあきれるばかり、腹だたしい限りです。ニューギニアの苦難の中で戦って来た私共戦友達の目からは許し難いデタラメ報道と嘆かはしいばかりでなく、これが何も知らぬ一般読者に与える悪影響が憂慮される次第です」(黒崎薫氏、五一師団、終戦時大尉)という概観に続き、16万人の将兵のほとんどが命を失い、その8割が疫病と餓死であったとされる悲惨な現場で、現地住民を敵に回すような残虐行為を日本軍が犯すはずもないと反証が続く。
まず、
慰安婦/性奴隷について、『週刊朝日』は1万2718人(朝日新聞は1万六千余人)の現地人女性が日本軍の性奴隷/慰安婦にされたと報じた。だが、31人の回答者全員、東都ニューギニアに日本人を含め慰安婦は一人もいなかったし、慰安所など一カ所として存在しなかったというのである。さらに、何人かは西部ニューギニアについても同じだったと指摘する。
慰安婦を「聞いたことも見たことも無かった」とする吉川正芳氏(五一歩兵団司令部、中尉)も、一連の報道を「馬鹿げた事で話にもなりません」と書く。青木修兵衛氏(四一師団二三九連隊、副官)も慰安婦は「いなかった」と明言し、海軍・第三一防空隊一等兵曹の高野修作氏もまた、自分のよく知る「ウエワクに慰安婦はいなかった」と話すなど、全員が慰安婦の存在を真っ向から否定している。
慰安婦が一人もいない以上、「性奴隷」もなにもあったものではない。それが1万人以上の自称「慰安婦」が名乗り出て、あれこれ証言したという事実の方が問題である。ニューギニアは貨幣のない世界であった。だから、慰安婦という職業もなかったろう。そのなかったはずの慰安婦がこれだけ出てくるのは、何ものかの入れ知恵がなければ起こるわけがないと疑問が残る。それとも、朝日新聞社は東部ニューギニアに慰安婦がいたという確実な証拠を持って書いたとでもいうのだろうか。
それでは
強姦殺害についてはどうであろうか。「当時、現地人たちは皮膚病などで不潔であり、そんな気を起こす日本兵が一人としていたとは思えない」(梶塚喜久雄氏、四一師団、大尉)、「その通り。マラリアに冒され、栄養失調の将兵は全く性欲なし」(川田浩二氏、海軍主計大尉)、「兵士は若い盛りに違いなかったが飢餓と隣り合わせであり、当時の日本兵は栄養失調、マラリア、大腸炎等でとてもそんな気になる筈がない」(古川静夫氏、二〇師団、少佐)など、全員が全面否定。そんな余裕のある戦局ではなかった、朝日の記事は現場を知っているものならとうてい書けないというのである。
第十八軍の作戦補助参謀であった堀江正夫氏(少佐、元参議院議員)は一連の報道について、「荒唐無稽なのは常識で考えてもわかるではないか。強姦が事実なら、混血の遺児がたくさん出たはずです。しかし、ニューギニアに遺児は一人もいません」という。朝日の報道が事実なら、現地には日本人との混血がゴロゴロしているはずである。戦後、多くの人たちが遺骨収集のために東部ニューギニアを訪れた。だが、東洋系との混血児を見たという人はでてこない。
後藤友作氏(軍属)は前後9回、延べ150日間、須藤レポートにあるクンジキニ村を含め、各地の集落を回ったが混血児を見ていないといい、梶塚喜久雄氏(四一師団)にいたっては百回もこの地を訪れているが同じ結果という。
人肉食についてはどうだろうか。日本軍は島内各地からたどりついた将兵などをもって、最後のアイタぺ戦(昭和19年7月~8月)に挑んだが火力の差はいかんともしがたく、退却する海岸道はいたるところにドクロのような死体があり、臭気が一面に満ちていたという。そのなかをやせ衰えた兵が三々五々、幽鬼のように東へと落ちて行く。そして現地人の協力を得ながら「自活」という耐乏生活の道を切り開いてゆく。この将兵たちが、命綱ともいうべき現地人を強姦し殺害し、そのうえ大量に食ったとまでいうのである。当面は現地人から食料を分けてもらうしか方法がないことは自明の理ではないのか。
そんな状況下で、多数の現地住民を殺害してその肉を食したというのは、とても正当な取材に基づく記事とは思えない。現地人を殺害したうえ食うなどということが起こったなら、日本人を助けたとして、戦後3年間も投獄されたカラオ酋長のような人が出てくるはずもなく、勇敢な戦士でもあった彼らが黙っているわけがない。たちどころに周辺集落につたえ、音もなく近づいた彼らに徹底的に報復されていたであろう。彼らを敵にまわしたら生きていけないことを日本兵が一番よく知っていたのである。
先述した現地の救済運動家ラク氏が「日本軍による戦争被害に補償を求める会」を1994年に結成して以来、「日本軍によって被害を受けた」という訴えを行う人が現れたことは事実である。そして、朝日の記事はこれらの人々の訴えをもとに書かれている。
冒頭にあげた被害は、昭和19年8月の「アイタペの決戦」以降の1年間に起こったという。前述したように、この時期、日本軍は敗走を重ねていて、殺害・強姦・暴行などといった現地人を害する行為が、いかに自分たちの不利益を招くかを知っていたのである。
朝日の記事は、ここでも現場を知らない。一方的な被害者と称する人々の話をそのまま記事にしたもので、
裏付けを取ることをしていない。日本軍は悪であるとの歴史観に凝り固まり、その行為は全て残虐な悪行に違いないとする予断をもって書かれた記事である。
なぜ彼らはここまで日本を貶めようとするのか。日本国が行う行為は全て悪であり、それを糾弾する物語を綴ることは正義であるという、彼らの信念がなせる業なのであろう。だとすれば、その欺瞞を暴き、歴史の真実を記し、日本国の正当性を世に知らしめることは、日本人の責務であろう。
10月13日(月、振替休日) きぬぎぬ(後朝)-枕草子-
窓の外を台風が過ぎていく。九州の枕崎から上陸した台風19号が、日本を縦断中である。午前0時、ちょうど我が家の上を通り過ぎているところだ。
枕草子に『野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。(台風の翌日は非常にしみじみとした趣があり面白い)』という一節があったが、さて明日はどんな「をかし」を見ることができるだろうか。
その枕草子で「きぬぎぬ(後朝)」という言葉のホントの意味を知った。『後朝は,残り多かるここちなむする』と書かれている。
「きぬぎぬ」という言葉は、端唄の「奴さん」の後半部に出てくるので知ってはいた。『
きぬぎぬの 言葉も交わさず
あすの夜は 裏の窓には わし一人 …』と唄われる。何となく風情のある言葉だとは思っていたが、その意味をしっかり調べもせずに、衣に関するもの…着物の擦れ合う音か…などと勝手な解釈をしていた。それでは、意味がしっかりと取れないことも確かなのだが…。
枕草子の解説に、
『
1 衣を重ねて掛けて共寝をした男女が、翌朝別れるときそれぞれ身につける、その衣。
2 男女が共寝をして過ごした翌朝。また、その朝の別れ。
3 男女、夫婦の離別。
4 物が離れ離れになること。 』とある。
そうすると『後朝は,残り多かるここちなむする』とは、(二人で過ごした次の日の朝は、言い残したことが多いような気がする)といったところか。どれだけ言葉を交わしても、何かしら言い足りない…、言い残していることがあるような…、恋する者の心根を見事に言い当てて妙である。「きぬぎぬ」を『後朝』と書くのも、味わい深くていとをかし…だ。
前月へ 翌月へ 飯田 章のホームページへ