2月21日(金) 浅田真央のフリー
夕方のYahooニュースに『元首相の森喜朗が、福岡市での講演で、ソチ五輪・フィギュアスケート女子ショートプログラム(SP)で16位だった浅田真央選手について、「見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶ」と語ったと報じられている。
思わず、「カバの巨体、ノミの脳ミソと言われた男の発言らしい。こんなのが2020年の東京オリンピック組織委員会会長では、選手をはじめ関係者のモチベーションが下がってしまう」とツイートに書き込んでしまった。
アイスバーグ・スケーティングパレスの氷の上に立った浅田真央が、バンクーバーからの4年間の日々のなか、どれだけのものを背負ってきたかについて、気遣うことはできないのか。森喜朗の発言が、どのような文脈の中で語られたのかは解らないが、「SPでは体が動かなかった」とコメントした浅田真央を思いやる気遣いは、この男にはないということだろうか。
日付けが変わった21日早朝、フリーに臨んだ浅田真央は8回の3回転ジャンプを全て成功させ、142点越えの点数を叩き出して、見事に世界トップクラスの実力を示した。
しかし、世界のフィギュアのレベルは、最早やジャンプを成功させていればよいというものではなくなっていた。一つ一つの技やポジションの完成度は言うまでもないが、見るものを引き込む表現力、音楽と一体となった芸術性、そしてそれらが相まって紡ぎ出す優美な世界を描き出す力がなくては、上位を争うことはできなくなっている。
そのためには、スケートだけでなく、現実の社会で生きて揉まれて、いろいろな世界を知り、人間力を鍛えることが必要なのだろう。女としての撓(しな)やかな仕草を、物に動じない肝力を、そして開き直ることのできるしたたかさなどなどを学ぶ必要がある。
浅田真央ほど練習する選手はいないという。朝起きてから夜寝るまで、スケートの世界の中で暮らし、「絶対に失敗しない」と確信が持てるまで練習を繰り返す姿は、完璧に至るためには他の全てを省みない求道者を思わせる。
だが、人の世に完璧などないことを、浅田真央には知ってほしいと思うのだ。「転んだけれど、誰かに迷惑をかけましたか、森さん?」と笑い飛ばす生き方を身につけてほしいと…。
どこかに、真央ちゃんを堕落させる、人生の達人はいないのか!
2月14日(金) 沙羅ちゃんのオリンピック
ロシア最南端の避寒リゾート地ソチで、冬季オリンピックが開催されている。浅田・羽生のフィギュアスケート、レジェンド葛西のラージヒル、最速だったのに4位の上村愛子などなど、注目の競技が連日繰り広げられている。
日本のテレビでは滅多にお目にかかれないが、転倒すれば止まらないスキー滑降競技の迫力、半数の選手がコースアウトするスーパー大回転のコース設定の過酷さ、2本のスキーだけで空中10数メートルに飛び上がりクルクルと回転するエアリアルのアクロバティックな飛翔、そして、小さな橇に寝そべって時速130kmのスピードで氷の隘路を滑走するリュージュは1000分の1秒を競う。いずれも面白すぎて、連夜のテレビに釘付けになっている。フクロウ男の章くんには、うってつけのオリンピック中継だ。
その中で、日本選手団のヒロインは、やはり高梨沙羅ちゃんだろう。彼女の足跡について記した本を読んでみると、女子ジャンプは20年前には「女がジャンプなんて、子供ができなくなる」といわれ、世界でも競技の影も形もなかったという。
日本での草分けは、現在、沙羅ちゃんのコーチもしている山田いずみ日本女子代表コーチ。2009年に開催された第1回世界選手権で山田は優勝候補の最右翼だったのだが、結果は36選手中25位と日本選手の中でも最下位。試合後に山田は「日本女子ジャンプ界を背負って飛ぶのだという思いが強すぎた」とコメントしている。
確かに、国家を背負うところに、オリンピック選手の美しさがあるのだろう。その重さを一身に背負って飛んだ17歳の少女の飛形は、どこまでも美しかった。
沙羅ちゃんの飛距離が思いがけず伸びなかったのは、かつての山田いずみと同じように背負わせるものが重すぎたのだろうか。が…われわれは、彼女の頑張りに大きな夢を見させてもらった。いつも『日本には高梨沙羅がいる』と!
彼女が絶対女王であることは日本国民だけでなく全世界の人々が認めているところだ。それでも、結果を出してこそのオリンピックであることも確かで、彼女の口惜しさもそこにあるのだろうが、彼女はまだ若い。17歳である。
『オリンピックの借りは、オリンピックでしか返せない』というのも、アスリートにとってはまた事実なのかも知れない。沙羅ちゃんには、そのための十分な時間がある。次回の韓国武昌大会では21歳、その次でも25歳だ。その間、日本国民は夢を見させてもらうことができる。『日本には高梨沙羅がいる』…、そして、もしかして『オリンピック連覇!』の夢も…。
2月11日(火) 建国記念日
とあるスナックで、「2月11日は何の日だ?」と聞くと、10人中5人が「建国記念日」。あとは「文化の日」「憲法記念日」「春分の日」なんて、勝手なことを言っている。「じゃぁ、なぜ2月11日が建国記念日に定められたんだ。その理由は?」とさらに聞いたら、10人のうち9人までが「……?」。
日本では、大東亜戦争終戦以来67年にわたり、国の成立史が学校で教えられなかったことを、改めて考えさせられた。
(以下、「日本は今、270」へ)
2月9日(日) 東京都知事に枡添要一
何の新機軸も展望も…面白みもない、東京都知事選の結果であった。枡添が厚労相を務めたときには、少しも進まない自分の処理能力の稚拙さを、「厚労省は仕事が多すぎますよ」と手に余る守備範囲の広さのせいにしていた。あのもどかしい退屈な日々を、東京都政で繰り返すのか。
辺野古の埋め立てに反対する稲嶺 進を選んだ沖縄県名護市長選といい、この東京都知事選といい、日本はアジアの民主主義を率いるリーダーとして中共の脅威に対峙し、確かな経済基盤を築いて世界の自由主義諸国のなかで確たる地位を占めねばならないのに、その覚悟から1歩も2歩もあとずさりした結果といわねばならない。
しかし、これこそが大きな変革を避けようとする、大衆の安定したバランス感覚と言うべきか。安倍政権にとっては、政府の東京省ができたと安堵するべきか(笑)。
2月9日(日) 海賊と呼ばれた男 (百田尚樹、講談社)
2月8日(土) 新定 H'cpは「16」
1日に直近の5枚のスコアカードを提出して、ハンディキャップの見直しを申請したところ、4日付で新しいハンディキャップが査定され、『JGAハンディキャップ認定および証明書』が届いた。
見直しには時間がかかります…と、ハンディキャップの引き下げに難色を示した割には、素早い対応であった。『ハンディは今の実力を反映したものでなくてはならない。昔のハンディに押しつぶされている姿は息苦しい。JGAもハンディキャップは変動させるべきだといっている。甘いハンディを認定していたらクラブの名誉にかかわる』と説いた、章くんの説得が功を奏したものか、予想外に早い裁定であった。
ただ、当分はクラブ競技で優勝はできないなぁ…と思う。ハンディを下げて(多くして)おいて、いきなり優勝というのは顰蹙ものだろう。「やっぱりあいつ、クラブコンペの優勝が目的だったんだ」と言われてしまう。優勝の副賞は、みんなが狙う『松阪牛』なのだ。
が、来年の10月までに、このハンディを必ず「9」以下にして、中部グランドシニア選手権に出場しようと思っている。出場するには「14」ぐらいでいいけれど、下位しか望めない実力では楽しみがない。できれば、全日本へ…!
2月1日(土) ゴルフのハンディキャップ
今日、ラウンドのついでにここ6ラウンドのスコアカードを提出してきた。6枚のカードのベストは85、ワーストは99で、
平均スコアは90.4である。
JGAはハンディキャップの変動相場制を推奨している。
その時点の実力を相応に表すハンディを持つべきだというのだ。だから、「すべてのラウンドのスコアカードを提出しよう」と呼びかけている。
僕も、その人の瞬間最大実力を表すハンディをいつまでも持ち続けるという、ハンディ固定制はおかしいと思ってきた。昔のシングルさんたちのなかには、そのハンディを大事にして、なかなか見直しを申請しようとしない人も多いけれど、実力が名誉についていかない人は、他人から見ると見苦しい。『放っておいてくれ。俺はこれでいいんだ』というのもありだと思うが、実力よりも地位が重い、親の七光りで出世した二代目とか、地盤を継いだ政治家の跡取りのようなもので、痛々しい感じが拭えない。
かく言う僕も、昔は5下(ごした)のシングルハンディキャッパーであったことは、このページの読者の皆さんには広くご承知いただいていることかと思うが、体を壊して73日間の入院以来、ボールの飛距離はがっくりと落ち、セカンドに距離を残すせいかパーオン率もまた低下の一方であった。
どれほどの違いかというと、その頃のホームコースであったSカントリーの3番打ち上げの426ヤードでは、だいたいセカンドの残りが170ヤードで、4番アイアンで打っていた(クラチャン戦で対戦した川辺君は9番アイアンを握っていた(苦笑)。こりゃぁ勝てん…と思った)。今は、210ヤードほど残ってしまって、フェアウエイウッドを握らねばならない。40ヤードも落ちている。
パーオン率も、昔のデータでは67%とプロ並みで、アイアンには自信があった。ラウンドデータはこまめにつけていて、ちなみに最盛期のラウンド平均スコアは80.1打。何かの弾みで一度90なんて叩いてしまうと平均は跳ね上がり、70なんてスコアは滅多に出ないのだから、後はこつこつと80を切るようにラウンドを積み重ねるしかない。70台が8割のラウンドを重ねて、やっと平均打数は80.1なのだ。
ところが、先日のラウンドでパーオン率が0%。決して長くも難しくもないHゴルフコースのレギュラーから18ホールを回って、1ホールもパーオンしなかったのである。愕然とした。ダボもトリもあって、スコアは91。
これは、
今のハンディを返上するべきだと思ったのである。90台のスコアが続く現在、このまま「11」のハンディを持っていては、
『Hゴルフコースのハンディは甘い』とクラブの名誉にもかかわる。僕たちも昔は、平気で90を叩く実力もないシングルを、『Aカントリーのシングルさんには負ける気はしないなぁ』と揶揄したりしたものである。
6枚のカードを持っていくと、キャディマスター室では、まず「
他のゴルフ場でラウンドしたカードは不要です」と言う。『おいおい、JGAでは「
全てのラウンドのスコアを提出しよう」と勧めているのに…。それにこのコースだけのスコアでハンディを査定するのでは、
短い簡単なホームコースだけでしか通用しないハンディになってしまう(Hゴルフコースが短い簡単なコースだというわけではない。ここで僕は90を叩いているのだから…)』と思ったのだが、『このマスターはゴルフのことを知らないんだな』と思うことにして、Aコースのラウンドカードは持ち帰ってきた。
また、「新定のハンディを出すのは簡単なのですが、
ハンディを下げる(多くする)のは委員会や支配人の裁定をもらわないといけないので、ちょっと時間がかかります」とも言う。ン…、僕が『ハンディを多くしてクラブコンペなどに優勝しよう』と目論んでいると思っているのだろうか。ハンディを下げることを阻む理由としてはそれしか考えられない。
しかし、それはさもしい考え方だと言わねばならない。ゴルフのハンディキャップはローハンディであってこそ名誉である。ハイハンディに訂正しようというのは、低下してきた自分の実力を素直に認めてこその行動なのだ。特に僕は、
再来年満70歳になったら中部グランドシニア選手権に出場しようと思っている。出場資格を得るためにも、ローハンディを堅持することは悲願なのだ。
それでも、今の実力どおりにハンディを査定してくれと申し出たのは、JGAの変動相場制が正しいと思うからであり、昔の名誉にしがみついているのは醜いと思うからであり、Hゴルフコースのハンディは甘いとホームコースが軽んじられることがないようにと思うからだ。
昔のハンディを大切にしたいと思う人を否定しようとは思わない。そんな時代があったんだと周囲の人たちも見守っていることだろう。ただ、
実力を正当に表す変動相場制のハンディがほしいと望むものに対しては、それを拒む理由はないということも理解してほしいと思うのである。
先日、ゴルフダイジェストのスコア管理ののページに、「
良いときのスコアだけを提出してハンディを取得して、それで楽しいですか」という一文があった。今の自分の実力を正しく表す、変動相場制のハンディをもってこそ、ゴルフに正対できる、そいうものだろうと思う。
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